仮想戦闘実験。山姥切長義がまだ政府にいたころ行われていたものだ。これはまだ政府にとっても審神者にとっても未知の要素が多い刀剣男士を知ることを目的として行われた実験で、詳細は極秘とされていた。一部の政府関係者しか知らないし、審神者にも伝えられることはない。ただ、政府が無作為に選び出した本丸の審神者と数少ない刀剣男士だけがその実験に参加していた。あるときは審神者を眠らせた状態で。あるときは刀剣男士に本体ではない刀を使わせて。様々なパターンによる仮想戦闘実験は政府にとって有益な情報をもたらしたし、それによって時間遡行軍と効率よく戦う方法を見出すことができた。だが、それは、ときに犠牲者を出すこともあった。

「何振か折れた者がいた。仮想だから折れないと政府側が説明したにも関わらずだ」

 仮想空間の仮想時間遡行軍を作った研究者は激怒したという。自分たちが作り上げたそれには刀剣男士を折ることなどできない、そういうシステムを構築しているはずだ、と。それでも折れる刀はいた。仮想戦闘実験が中止されることはなく、折れる刀がいる中で続けられていくさまを、山姥切長義は「なんと愚かなことか」と思って見ていたという。
 そうして、最悪の事態が起きてしまう。

「審神者が一人、死んだんだよ」

 それは紛れもなく、バグによって起こった不慮の事故だったと山姥切長義は語る。仮想戦闘実験の際、審神者も戦場にいる状態だと刀剣男士の力は強まるのか、という実験が行われたそうだ。仮想空間に審神者を転送させることははじめての試みだったがなんとか成功。しばらくは順調に実験が行われていた。だが、誰もがふと気が付いた瞬間。忽然と審神者の姿はなく、刀剣男士たちは攻撃を受けたわけでもないのに体に力が入りにくくなったという。
 二日後、システムメンテナンスを行っていた政府技術者が、本能寺にて息絶えている審神者を発見した。細かなデータ解析が行われた結果、審神者は何かしらのバグによって本能寺に飛ばされ、そこで時間遡行軍に見つかり殺害されたと結論付けられた。その審神者は紛れもなく、仮想戦闘実験中に姿を消した審神者であったという。

「政府はその事実を伝えることはなく隠蔽したんだよ」
「……どうして長義はそんなことを知っているの?」
「盗み聞きしたんだよ。行儀が悪いと反省していたが、こんなところで役に立つとはね」

 大きなため息。山姥切長義は審神者の顔をじっと見た。審神者にはまだ山姥切長義が何に思い至ったのかが分からないままだ。
 山姥切長義が刀を構える。気付けば時間遡行軍に囲まれており、暗い橋の前で無数の刃が光っていた。山姥切長義は審神者を守るように左手で抱きかかえる。そうして薄っすら笑って「これだから欲にまみれた人間は大嫌いだよ」と言う。一瞬審神者はびくっとしたが、それは自分に向けられた言葉ではなく、山姥切長義が思い至ったことの首謀者へなのだとすぐに気が付く。

「時間遡行軍も馬鹿ばかりじゃあない。人間が欲にまみれていることを知っている。人間が無力なことも知っている。そこに付け込んだのさ」
「……どういうこと?」
「買収したんだろう、政府の人間を」

 山姥切長義は美しい刃をぎらりと光らせ、時間遡行軍にその切先を向ける。睨み付けるような鋭い目つきはまさに刀そのものだった。

「恥を知れ!」

 そう叫ぶと同時に審神者を片手で抱え、時間遡行軍に斬りかかっていく。審神者は必死に山姥切長義を邪魔しないようにしつつしがみつくと、刀剣男士たちはこんなにも素早く動き、こんなにも激しく動いているのだと驚いた。四方八方から時間遡行軍どもが山姥切長義を、審神者を、どちらでも良いからと斬りかかってくる。審神者に刃が向けられると山姥切長義はぐるんっと体を回転させて己の身で刃を受けた。片手で刀を振るう姿はあまりにも痛々しい。それを見て笑っている者がいる。そう思うと審神者はふつふつと怒りを覚え、山姥切長義の服を握る手の力が強くなった。
 山姥切長義が手を止めたのは、ちょうど三十三体目の時間遡行軍を斬ったときだった。息が上がり、肩が上下している。ところどころに刀傷を受けている体は血に塗れていて、審神者の服にもその血が滲んでいた。審神者は無傷だった。山姥切長義がすべての刃を受けた。審神者の怒りは止まらない。

「何ができるというのかな。こんなか弱い人間たった一人に。この人間を殺したとて状況は何か変わるのかな。答えてごらんよ。ただし、俺を納得させる理由がないのであれば」

 飛び掛かって来た短刀を瞬時に斬り落とす。山姥切長義は審神者が見たことのない冷たい表情をして、ほとんど口を動かさずに呟いた。

「貴様の首を刎ねる」

 ぽたりと山姥切長義の血が審神者の頬に落ちた。山姥切長義ははっとして審神者の顔を見ると、両手が塞がっているためか己の頬を擦り付けるように血を拭きとる。苦笑いをして「少し広げてしまった。すまない」と言う。そんなこと、どうでも良いのに。審神者はそう言いそうになったのをぐっと堪えた。山姥切長義の顔があまりにも真剣だったからだ。
 その瞬間、ぐらりと視界が揺れる。体が揺れたのではない。目が回ったのでもない。またしても強制転送がはじまったのだと審神者も山姥切長義もすぐに分かった。

「仮想空間は基本的に痕跡が残らない。そういうシステムになっているからね。ただ、バグが発生して長時間仮想空間が展開されていた場合のみ、バグを解析するために空間が自動保護されるんだよ」

 山姥切長義は笑った。「人間は狡賢いな」と。この空間の痕跡が残れば政府の人間の誰かが気付いてくれる可能性がある。未確定のままの空間が広がっていればシステムに異常をきたすし、それを解析するのが彼らの仕事だからだ。だが、痕跡も何も残らなければ、何も知らない彼らにとっては初めから何もなかったもの。つまり意識に残ることさえ、入り込むことさえないままに、何もなかった、何も気に留められることなく終わってしまう。
 水の中へ放り込まれる感覚。もう慣れたものだった。審神者はぎゅっと目を瞑ると同時に山姥切長義の腕をぎゅうっと掴んだ。今度は離れ離れにされていない。山姥切長義も刀を握ったままの手で審神者を離さないようにぐっと腕を絡め続けていた。

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