※捏造過多。
※生駒隊スカウト組が本部外に住んでいる設定。
※主人公が那須隊設定。




 夜明け前のことだった。雲一つない夜空には月がまだ鎮座しており、優しくも眩く街を照らしている。しじまの夜にふさわしいはずの夜空だ。
 それをぶち壊したのは、緊急出動指令の音だった。深夜三時半にボーダー隊員が暮らす寮やアパートのうち、本部西側にあるアパート付近でゲートが開いた。防衛任務にあたっている部隊は真逆の位置にいて、しかも同時にそちらでもゲートが開いた。こんな深夜にゲートが開くのは珍しい。寝ぼけ眼で指令を見て驚いたものだ。
 真夜中にも夜番として防衛任務に就いている部隊はいる。こんな時間にゲートが開くことはほとんどないが稀にあるため、三交代のシフト制で二十四時間体制の任務になっているのだ。
 ちなみに、一応ボーダーに入る際に十八歳以下の高校生であっても夜中の任務に就くことが稀にある、という旨の説明が同意書に書かれている。とはいえ、学生の本分は勉強である。高校生までの隊員がいればどんなに遅くとも、大抵は日付が回るまでには任務が終わるように組まれている。A級ともなればそうにもいかないし、基本的に高校生くらいの年齢の隊員が多いため難しいところではある。極力その辺りの配慮はされていた記憶がある。
 それにも関わらず、非番の隊員に緊急出動指令が来ているということは、夜番の部隊も手一杯というわけだ。深夜三時半ともなればもちろん大抵が寝静まっている時間帯。かくいうわたしもぐっすり眠りこけていた。ただ、子どものころから物音に敏感なことが災いして目が覚めてしまった。うまく開かない目をこすりながら適当にTシャツを着て、あくびをこぼしつつトリガーを握って任務へ向かったのが三十分前の出来事である。

「金曜日の真夜中、ってなあ。無粋な近界民もおったもんやな」
「ぼやいていないで指示ください。わたしが落ちて困るの水上先輩ですよ」
「偉そうに言うなや、脳筋攻撃手筆頭格」

 水上先輩が「あー、マリオがおらんと状況把握しんどいわ」とぼやく。確かに。オペレーターがいない状態での戦闘は滅多にない。わたしは状況把握をすべて水上先輩に任せているから割といつも通り。けれど、水上先輩は周囲を気にしつつわたしのフォローをしなくてはいけないわけだ。それについては軽く謝罪をしておいた。
 なぜだかこんな真夜中にゲートが続々と開いている。夜番に回っている部隊もてんてこ舞いしているようで、こちらに増援はない。一箇所に出現する近界民の数はあまり多くない。十分わたしと水上先輩の二人で事足りている。けれど、これが何時まで続くか考えると、正直うんざりした。

「上からちっさいの来るわ」
「右から中型が来ているので、上は任せます」
「任せます言われてもなあ。視覚支援もないし取りこぼしても文句言うなや」
「はいはい、分かりました」

 口ではそう言いつつ、取りこぼすつもりなんかないくせに。そう、こっそり笑っておく。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 ゲートが開かなくなったのは三十分後、深夜四時頃だった。水上先輩と二人でぐったりしつつ、近くに取りこぼした近界民がいないか念のため確認して回る。本部北側ではまだ交戦が続いているようだったが、本部の人から西側は確認作業が終了次第解散していいと言われている。
 辺りを見て回り、安全を確認。一つ息を吐いてから換装体を解いた。水上先輩が大きなあくびをこぼして「寝直しや」とうんざりした声で言う。この出動はかなりハードだった。起きずにいられたらよかったのに、と少し後悔したほど。明日が土曜日で休みだというのが唯一の救いだ。

「あれ、珍しい組み合わせだね。お疲れ様」
「うわ、王子」
「うわって言ったね、みずかみんぐ」
「お疲れ様です。生駒さんと隠岐くんも」
「お疲れさん」
「お疲れさんです〜」

 王子先輩、生駒さん、隠岐くんの三人も緊急出動指令で目が覚めたのだという。王子先輩は家が少し離れていたため、戦闘に参加したのは十分ほどだったと笑った。生駒さんはしばらく一人で近界民と戦っていたそうで、そこへ隠岐くんが合流したという流れらしかった。
 かなりの広範囲でのゲート出現。これには何かあるかもしれない、と王子先輩が神妙な面持ちで話す。大規模侵攻を思い出すほどの広範囲だ。しばらくは防衛任務の参加数が増やされるかもしれない。
 ふと、王子先輩の視線を感じた。やけにじっとわたしを見てくるので寝癖でもついているのかと髪に手を伸ばす。王子先輩はにこりと笑って「ねえねえ、みずかみんぐ」とわたしから目を逸らした。

「服を貸してあげるなら、もっとかわいいのにしなくちゃ」
「は?」
「あと、みずかみんぐもこういうの興味あるんだね。自分が着るのよりワンサイズ大きめかな?」
「なんやねん、さっきから。何の話や」

 眉間にしわを寄せた水上先輩が首をぐるりと回す。「ぼんやり話すなや。はっきり言えや」とため息交じりに言う。それを不思議そうに見ていた隠岐くんが、はた、と固まった。それからわたしを見ると、ぶわっと顔を赤くさせたのが月明かりの下でもよく分かった。
 王子先輩が「え、言っていいの?」と楽しげに言う。わたしと生駒さんはハテナを飛ばして首を傾げ、隠岐くんはなぜか赤面していて、水上先輩は首に手を当てたまま意味を考えているらしい。
 そんな中、わたしと一緒に首を傾げていた生駒さんが「はっ」とわざとらしく声を出した。それからわたしを勢いよく見ると「そういうことなんか?!」と王子先輩に言う。

「そういうことだと思いますよ」
「み、みずかみ、嘘やん……」
「あ、あの〜あんま触れんほうがええんとちゃいますかね〜……」
「……ああ、そういうことな」

 ピンときたらしい。水上先輩は大きなため息をつきつつ「まあ、あんま騒がんといたってください」と言う。王子先輩は嬉しそうに「一つ貸しだね」と人差し指を立ててくるくると振る。なんだか魔法使いみたいな動きだ。ちょっとおかしくて思わず笑ってしまう。
 王子先輩が「それに」と静かに言って、その人差し指をわたしの首に、つん、と触れた。びっくりしていると必然的に王子先輩と目が合う。よく分からない。首に何か付いていただろうか。

「付けるならもっと下にしてあげないと可哀想だよ。ね?」
「……あの、何の話ですか?」
「あーはいはい、すんませんでしたぁー以後気を付けますぅー今日はもう勘弁したってくださーい」
「貸し二つだね」

 水上先輩が王子先輩の手をえんがちょするみたいに払う。「お前も気安く触んなや」と呟いた水上先輩の声に、少しぞわりとした。いつもより低い声。あまり聞かない苛立った声色だった。王子先輩は両手を軽く挙げて「これは失礼」とわざとらしく言って、わたしから一歩距離を取った。
 わなわな震える生駒さんが水上先輩に掴みかかって「いつからや」となぜか泣きそうな声で言う。なんで急に喧嘩になるんだろうか。隠岐くんに「あれ止めなくていいの?」と聞いてみる。隠岐くんはなぜだか赤い顔のままわたしから目を逸らして「まあ、あれはほっといても大丈夫なやつやから」と誤魔化した。なぜ目を逸らす。なぜ顔が赤い。

「冗談抜きでマジで? ほんまなん?」
「ほんまですほんまです。仲良うさせてもうてます」
「どないする? 那須さんたちに菓子折持って挨拶行くか?」
「なんでやねん」

 生駒さんの発言でハッとした。玲ちゃんの名前が出たということは、わたしに関係することを話しているわけだ。服を貸してあげるなら。菓子折持って挨拶。それを加味して考えると、ぶわっと顔が赤くなった。

「……あー、えーっと、お幸せに?」
「隠岐くん、無理しなくていいから」

 あ、と声が漏れそうになった。ということは、さっきの王子先輩の指先。それを思い出して、ばっと首元を手で隠す。くそ、見えるところには付けるなって言ったのに。相変わらずわたしが嫌がることをするのが好きな人だ。困る。本当に、困る。
 生駒さんを宥めた水上先輩が「もうええでしょ、解散解散」と言いながら王子先輩をシッシッと払う。「ひどいなあ」と笑いつつ王子先輩は爽やかに去って行った。それに続くように隠岐くんが生駒さんを引きずって「じゃあ、お邪魔しました〜」と照れくさそうに笑って去って行った。

「……水上先輩」
「あ〜なんも聞こえへんな〜」
「敏志くん」
「……はいはい」
「次やったら、ぶっ飛ばします」
「肝に銘じました」

 一つ間を開けてから「とりあえず帰ろか」と水上先輩が歩き始めた。これまで誰にも気付かれずにきたのに、まさかここで凡ミスをしてしまうとは。そう気恥ずかしい気持ちになりつつ水上先輩の後ろをついていく。しかもタイミングが悪すぎる。お互いの休み前に泊まりに行った日に緊急任務とか、誰が予想できただろうか。
 言われてみればぶかぶかのTシャツ。水上先輩が貸してくれたそれを寝惚けて着てしまった。それを王子先輩はすぐに気付いてあんないい笑顔をしていたのだろう。もっと早く気付けばよかった。

「ちゅーか体大丈夫なん?」
「何がですか」
「いや、何がって。痛い痛い言うて泣いとったやん」
「誰のせいですか」
「俺やな」

 夜風が髪を揺らす。火照った頬の熱を冷ますようなそれがこそばゆい。頬に当たる横髪を払う。かすかに肌に刺激を与えるそれが、ほんの少し、数時間前を思い出させようとしてくるからだ。
 息を吐いた瞬間に背中を、つつ、と指先で撫でられた感覚。思わず体をぐるりと回して避ける。水上先輩の行き場を失った手を見てため息がもれた。

「セクハラなんですけど」
「彼氏が彼女の背中触ったらセクハラになるんかい。怖すぎるやろ」

 薄く笑いつつ手を引っ込める。水上先輩の笑い方が結構好きだ。大笑いをすることはあまりなくて、いつもかすかになんとなく笑っている、みたいな感じ。愛想がないように思う人もいるだろう。でも、だからこそ結構好きなのかもしれない。なんでもかんでもとりあえず笑う、という人じゃないと分かりやすくて。
 一人分の距離を開けて並んで歩く。不本意ながら向かう先は同じだ。不本意と言うと少し申し訳ない気がするので黙っておくけれど。
 両親にはボーダーの友達とお泊まり会と嘘を吐いている。まさか一つ先輩の彼氏がいるなんてことは知らないし、その人の家に泊まりに来ているなんてことも知らない。バレたら相当怖いことになるかもしれない。特にお父さんが。けれど、そうでもしないとこういう時間は一生作ることができなさそうだった。心の中でお父さんに謝る。でも、まあ、好きな人と一緒にいたい、という気持ちは、なかなか抑えることが難しいものだ。

「それにしてもでっかい月やなあ」

 間を埋めるような呟きだった。視線だけ水上先輩に向ける。ぼんやりと月を見上げている。少し寝癖のついた髪がふわりと夜風に揺れると、ようやく忘れかけていた熱をまた思い出してしまった。
 こんなふうに、わたしはこれからもこの熱を思い出すのだろう。たとえこの先、水上先輩と別の道を歩む未来があったとしても。きっと忘れられない熱になってしまった。それを思い知らされる不思議な夜だった。


素敵な真夜中