※ファーストネームの名前変換を使用します。
※大いなる厄災との戦いを終えたハッピーif設定です。
※賢者の魔法使いたちはそれぞれ国に戻ったが交流はある設定。
※魔法使いに対するネガティブな感情がほぼなくなった世界観です。
※ネロとブラッドリーとはなんやかんやで今も交流がある。
※上記のように捏造しかないです。何かしら苦手要素がある方はバックブラウザ推奨です。




「ネロが賢者の魔法使い……」
「何も言うな。怒るぞ」
「しかもあのブラッドリーも一緒……」
「笑うな。追い出すぞ」

 突然店をたたむと聞いて来てみれば、紋章が出たと聞かされた。今後は中央の国にある魔法舎で生活をするそうだ。魔法使いだということが客にも勘付かれたし、何にせよここではもう営業ができないから、とネロはため息をつく。
 がらんとした店内。もうここでネロの料理を食べることはない。そう思うとほんの少し寂しさを覚えた。まあ、どうせ忘れるのだけれど。魔法使いは長生きだ。寂しさなんて抱えて生きていったらそのうちに歩けなくなってしまう。

「賢者の魔法使いって休みある?」
「さあ……なんか任務? とかには行かなきゃならねえみたいけど、まあそれ以外は大体休みみたいなもんなんじゃねえか?」
「ふうん……」
「なんだよ。寂しいとか?」

 からかうように笑った。ネロのその顔をじっと見てから「うん」と笑って返しておく。
 昔、ネロがまだ血濡れていた頃。わたしとネロはひょんなことから出会った。死にかけていたところをネロに救われたことがきっかけで、たまにネロの顔を見に行くようになったのだ。ネロやブラッドリーからは「危ないからやめろ」と言われていたけど、わたしも一応魔法使いの端くれだ。危険だと思ったらすぐ飛んで逃げるから大丈夫、と聞かなかった。
 ネロは突然いなくなった。ブラッドリーは捕まって会えなくなった。だから、わたしはまた一人でふらふらと毎日を過ごした。生まれ故郷である北の国を離れ、西の国、南の国、中央の国と回り、最終的に辿りついた東の国。ここでネロと、またひょんなことから再会した。お腹が空いていたとき、なんだか懐かしい香りがしたから釣られるように店に入った。そこにネロがいた。たったそれだけ。

「またわたしを置いていく。ひどい人」

 また会えて嬉しかったのに。こんなふうに思うのはネロがはじめてなのに。
 北の国の魔法使いとは思えない人だと思った。死にかけている魔法使いが目の前にいるのだから、石にしてしまえばいいのに。そう言ったわたしにネロは「そういう柄じゃないだけ」と曖昧に笑っていた。その顔を見て、ああこの人にとってここは居場所じゃないんだな、とぼんやり思った。わたしと同じだとも思った。
 キッチンの片付けをしていたネロが、手を洗ってタオルを手に取る。手を拭きながらこちらに歩いてくる。「拗ねんなよ」と、あのときと同じ曖昧な笑みを浮かべて。
 行儀悪くテーブルに座っているのに今日は注意してこない。もう客が座ることのない席だからだ。それだけでネロがここに戻ってくるつもりがないことが分かってしまう。それにちょっとむかついていた。
 わたしの前に立ったネロが小さくため息を吐く。「今生の別れじゃあるまいし、これまでだってそうだっただろ」となんでもないことのように言った。それにもむかつく。人がどんな気持ちかも知らないくせに、分かったような口を利きやがって。

「ネロ」
「ん?」
「抱いて」
「…………は?」
「ネロとセッ、」
「露骨な言い方はしなくていいから」

 わたしの口を左手で乱暴に塞ぐと、ネロは項垂れて大きなため息をこぼした。「とんでもないことを突然言うな」と呟いてから、そっと左手を離した。

「あー……えーっと、なんで?」
「好きだから」
「…………嘘だろ?」
「嘘でこんなこと言わない。どっか行っちゃうなら最後に抱いて」

 ネロが盗賊団を抜けてどこかへ行ってしまったとき。ああ、こんなことになるなら抱いてもらえばよかった、と思った。魔法使いとして生きてきて、触れてほしいと思ったのはネロだけだった。好きになったのはネロだけだったからだ。もう二度と会えないかもしれないと泣くほどつらかったのも、ネロだけだった。
 最初は命を救ってもらった恩義からちょくちょく顔を見に行っていただけだった。料理が好きみたいだったから珍しい食材を見つけたらネロに全部あげたし、おいしいものを食べたらネロに全部教えに行った。そうしているうちに、次第にネロの顔が見たくてちょくちょく会いに行くようになっていた。きっと人はそれを恋と呼ぶのだろう。昔に読んだ詩集にもそんなことが書かれていた覚えがある。これが恋か。そう自覚してからはネロと会えることが嬉しくてたまらなかった。

「また置いていくなら、わたしのこと抱いてからにして」

 ぼろぼろ涙が出た。ネロにまた会えたとき、わたしは本当に嬉しかったのだ。ネロはなんだか複雑そうな顔をしていたけれどそんなことはどうでもよかった。
 ネロが困った顔で笑いつつ「ガキみたいに泣くなよ」と言って、頬を伝う指で涙を拭いてくれた。その手を振り払って自分の手で涙を拭う。ネロはそんなわたしを見て、なんだか寂しそうに笑っていた。

「俺はおまえが思っているようなやつじゃない。ただのろくでなしだ。そんな一時の気の迷いに振り回されるなよ」

 ぽん、と優しく頭を撫でられた。子どもをなだめるようなその手つきが、本当にむかついた。






▽ ▲ ▽ ▲ ▽







――その後

 大いなる厄災との戦いを終え、賢者の魔法使いたちは役目を解かれた。けれど、国を救った英雄として、これまでの戦いで石になった魔法使いたちも含めて国民から讃えられる存在になった。異界から来たという賢者様は元の世界に帰れないまままだ中央の国にいるそうだが、アーサー王子やオズが帰る方法を探しているところなのだとか。
 東の国でも祝いのパレードが連日行われている。色とりどりの紙吹雪が空を舞っているのを見上げながら、風に揺れる前髪を払った。
 ネロとは会っていない。最後に抱いてほしいと懇願したあの日以来、一度も。ネロはわたしに指一本触れないまま、またわたしを置いていった。たった一人きり、世界に取り残していくように。ずっとむかついている。だから、手の中に舞い降りてきたネロの名前が書かれた紙吹雪を捨ててやる。いらない。こんなもの。何の足しにもならないのだから。
 もう石になってしまおうか。そう思ったこともある。でも、大いなる厄災との戦いが近付くにつれ、その気持ちは消えていった。ネロは無事だろうか。石になっていたりでもしたら、一欠片だけでももらえないだろうか。そんなことを考えて死ぬ気がなくなったのだ。だから結局今も生きている。
 ネロは石になっていなかった。こっそり見に行った賢者様と賢者の魔法使いたちによるパレードで、ブラッドリーと小突き合って笑っていた。他にもたくさんネロに話しかける魔法使いがいて、ネロはずっと笑っていた。
 北の国に帰ろうか。それならば、前よりは血の気が少なくなった地域とはいえ、ひと思いに石にしてくれる魔法使いがまだいるかもしれない。自分自身ではできなかったそれを、呼吸をするように、瞬きをするように、なんでもないただの日常行為としてやってくれるかもしれない。
 紙吹雪が舞う。一体誰が掃除をするのだろうか。決まっている。魔法使いたちだ。魔法使いという存在は、もうこそこそしなくていいほど受け入れられるようになっている。今も目の前にいる男性が魔法で紙吹雪を引き寄せているのを、人間たちが感嘆の声を上げつつ見ている。ああ、なんだかなまぬるい世界になったものだ。そう笑ってしまった。
 鮮やかな紙吹雪を避けるように歩いているうちに、かつてネロがやっていた店の前まで来てしまった。まだ所有者はネロのままのようだ。売りに出されていない。何かあったときに帰る場所がないと困るから、と言っていたのを思い出す。何かあったとき、ってたとえば何があるのだろうか。何もありはしないだろうに。
 もう開くことのないドアから目を逸らす。もうここに来ることはない。東の国を訪れることもない。わたしを石にしてくれる魔法使いがいたならば、最後の望みとして石の一欠片をネロに送りつけてくれないだろうか。嫌がらせとして。そんな、できもしないことを考えて笑った、ときだった。
 開いたドアに驚く間もなく、腕を掴まれた。息を呑んでから呪文を唱えようとした瞬間、先に呪文を唱えられた。聞き慣れたはずなのに、とても久しぶりに聞く呪文。

「やっと見つけた。ふらふらしすぎだろ」

 ほこり臭くて薄暗い部屋の中でも、きれいなヒヤシンスの青色がはっきり見えている。また呪文が聞こえてから、テーブルの上に置かれた蝋燭の火がつく。

「元気そうでよかった」

 くしゃくしゃと頭を撫でられた。ああ、これは。ずっと探していたらしい食材をたまたま見つけて持っていったときと同じ、とてもくだけた気軽な手つき。これが好きだった。子ども扱いされている気がして顔に出して喜んだことはないけれど。ただの一度も嫌がる素振りもしたことはない。

「……パレードは?」
「毎日やるわけないだろ。今のはそれぞれの国が勝手にやってるだけ。おかげでろくに出歩けなくて困ったもんだよ」

 わたしの頭から手を離すと、ネロが優しい顔で笑った。「巻き込まれて死んでないか心配した」と言って、そっとわたしの手を掴む。「爪切れよ」とおかしそうに笑うと、魔法で爪を短く切ってくれた。そんな些事なんかどうでもよくなっていて放ったらかしにしていた。今日まで、なんで生きていたのかよく分からないほどだったのだ。仕方がないことだろう。
 もう二度と会いたくなかったのに。ぽつりと呟いたわたしの言葉に、ネロはゆっくり瞬きをしてから「悪かった」とだけ言った。その言葉も聞きたくなかった。ネロに謝られることが何より嫌いだ。ネロは、いつだって自分が悪くない場面で簡単に謝るから。全部自分が悪いって顔をするから。

「なあ、

 もう涙は出ない。もうとっくに枯れたからだ。ネロが指一本触れてくれなかったあの日から、毎晩と言っていいほど涙が出た。それも次第に頻度が減り、涙は出なくなった。それと同時に笑うことも誰かと関わることも、これまで以上になくなって、毎日がとても色褪せて見えて仕方なかった。

「俺のどこがよかったんだ?」

 照れくさそうにネロがそう言う。目線を斜め上に外してから「いや、まあとっくに愛想は尽きてるだろうけどさ」と付け加える。柄でもないことを聞いたとか自惚れていただろうかとか、そんな至極どうでもいいことを考えているに違いない。ネロは、そういう人だから。
 どこがよかったとか、そんなことは考えたことがない。会っているうちに気付いたら好きだった。素直にそう言うわたしにネロは、薄暗い中でも分かるくらい頬を赤らめた。口元を手で覆って「あ〜……」と気まずそうに唸る。反応できないなら聞かなければいいのに。

「なんで今更そんなこと聞くの。何? からかって遊んでやろうって?」
「違う。怒るなよ。悪かった。あのときは、」
「二度と会うつもりはなかった。それでよかったのに。どれだけわたしを痛めつけたら満足するの」

 呪文を唱えて蝋燭の火を消してやる。長居するつもりはない。そういう意味の意思表示だ。ネロもそれに気付いた様子で「待て、話したいことがあるから探してたんだ」とわたしの腕を掴む。話したいこと。それに若干興味はあったが、おとなしくそれを聞いてやるのも癪だ。だって、ネロはあのときわたしの望みを叶えてくれなかったのだから。
 かつて、静かながらもぬくもりがあったネロの店。賢者の魔法使いとして英雄になった今、ここでもう一度店を開けばそれはそれは繁盛して忙しい日々になるだろう。まあ、わたしが知っているネロは、きっとそんなものは求めていないのだろう。むしろ煩わしくてすぐに店をたたんでしまいかねない。どちらにせよ、わたしに関係はないことだ。
 ぱしん、とネロの手を払う。払ったのは自分なのに、とてつもなく手が痛い。自分で自分を痛めつけている感覚に思わず苦笑いがこぼれた。

「石になるつもりだったんだよ、俺は」

 呼吸が止まる。ゆっくり瞬きをしてから恐る恐るネロのほうを見る。ネロは、穏やかに微笑んでいた。なんだか似合わない顔。こっそりそう悪態をついてしまうほどに、静かで、どこか儚げだった。

「だから、応えられなかった」

 払ったばかりの手がまたこちらに伸びてきた。わたしの右手をそっと握ると、また小さく笑う。「ちっせえ手」とおかしそうに呟いた。

「大事なやつに寂しい思いなんかさせたくないだろ?」

 また蝋燭に火がつく。やわらかく暗闇を照らしている炎のゆらめきは、ネロの心を映しているように見えてしまった。ネロは照れくさそうに笑って「とかな。俺が言ってもかっこつかねえけど」と呟いて、そっとわたしの手を握り直す。

「石にならずに帰ってきちまったし、世界は見ての通り腑抜けてる。これじゃ、石になるのは当分先だろうな」

 黄金色を思い出した。大昔、ネロが連れていってくれた麦畑。落ち着く場所だと教えてもらってからは、自分のマナエリアではないのに同じくらい落ち着く場所になった。ネロがいなくなってからも何度か足を運んでいる。

「なあ、。おまえからしてみれば随分勝手なことを言うんだろうけど」

 ネロはずっと勝手だ。勝手なのに中途半端に優しくする。だから、いつまで経っても忘れさせてくれない。置いていったくせに、腕を掴んで言葉をかけてくる。ひとりぼっちにしたくせに。一度ではなく二度も。
 揺らめく蝋燭の火がネロの頬をオレンジに染める。うつくしくきらめく肌を見つめていると、嫌というほど心が落ち着いた。

「これからも隣にいてくれよ。嫌になるまで」
「……もう嫌だって言ったら?」
「それは困るな」

 笑いながらネロが指をくるりと回す。一瞬で蝋燭の火が消えると同時に、抱き寄せられた。わたしの背中を撫でる。まるで泣いている馬鹿な女を慰める男みたいだ。ハズレの役回り。可哀想なネロ。頭の中でそんなことを呟いてからこっそり涙を堪えた。

「まあ、なんだ、その……」
「何」
「俺たち、ちょっとあれだな……なんつーか」
「だから何」
「……二人とも考えすぎたのかもな」

 一瞬だけぎゅっときつく抱きしめられた。すぐに腕の力を緩めたネロが、わたしの顔を覗き込む。ヒヤシンスの青。いつまでも変わらないその涼やかな色は、永遠にわたしの記憶から消えてくれない。これまでも、今も、これからも。

「好きだ」

 恐ろしくシンプルな言葉だった。ありきたりで、とてもストレートで、使い古されている。そんな面白みのない普通の。けれど、はじめて聞いた。ネロから言われたのははじめてだった。


たったそれだけのふたり