※現代パロディ




 昔から好きな女が、昔から嫌いな男と結婚する。
 恐ろしく煌びやかな星空を睨み付けると、ほんの少し前髪を揺らす程度の風が吹いた。穏やかではないな、とこちらをからかっているように思えて至極不愉快に思える。それに一つ息をつくと、ちょうどその姿を見つけた。

「ごめんね、迎えに来てもらっちゃって……」
「いや、この程度なんてことはない。それよりもずいぶん飲まされたようだね」
「あはは……会社の人たちに祝い酒だーって言われちゃって……」

 恥ずかしそうに笑いつつ頬を手で覆う。その仕草がかわいらしい女性のもので、素直に好きだと思えた。それがほんの少し心臓の奥に刺さる。助手席のドアを開けて「どうぞ」と笑えば、は申し訳なさそうに「ありがとう」と言った。
 所謂幼なじみという、ありきたりなものだ。俺との関係は。親同士が仲が良く、自宅が三分ほどしか離れていない。当然のように子どものころからよく一緒に遊んだし、仲良くなるのも早かった。はとても大人しい子どもだった。そのせいで近所のガキ大将的存在の子どもによくいじめられていた。それを助けていたのは俺。他の女の子たちに混ざれなくて寂しそうにしていた。それを助けたのも俺。いつもと一緒にいた俺は、いつものことを見ていたしいつも気にしていた。子どもながらになんとなく使命感があった。この子は一人だとなんだか危うい。誰かがそばにいないといけない。そんなふうに。
 まあ、なんと、滑稽なことか。

「明日ね、国広こっち帰ってくるんだけど、長義は来られないの?」
「……明日は仕事があってね。なければ顔を出すくらいはしようかと思っていたけど」
「そっか……国広に言っておくね」

 口にしたその名前。俺が子どものころからずっと、嫌いな男の名前だ。
 不本意ながら血が少しだけ繋がっている。親戚だ。俺の父親と向こうの父親が兄弟というだけの。顔がよく似ているだのなんだのと会うたびに言われる。嫌気が差す。こいつと似ていても何も嬉しくはない。もう比べるな。そういつも思う。……そいつが俺に、何かをしたわけではないのだが。とにかく、なぜだか昔から気が付けば嫌いだった相手だ。
 とそいつが出会ったのは、小学生のときだった。夏休みに親の都合でうちで三日ほどそいつを預かることになったとき、うちへ遊びに来たとそいつははじめて顔を合わせた。そいつは人見知りでなかなか話さないし、も自分から人に話しかけるのが得意ではない。二人とも俺を頼りにしてきたのが痛々しいほどに分かった。仕方なくそれぞれに気を配って過ごしているうち、二人だけでも話せるようになっていたのだ。あのときほど気を遣ったことはない。いや、大袈裟ではなく。

「それに俺がいなくてもさして問題はないだろう? あいつとはただの親戚だし。むしろいないほうが普通じゃないのかな」
「そうかなあ? でも国広、長義はいないのかってずっと聞いてきたよ」
「……全く。俺はあいつの兄でも何でもないんだけどね」
「おばさんたちも長義くんはいないのって聞いてきたし」

 くすりと笑った。は鞄からスマートフォンを取り出すと、メールを打っているらしかった。どうせあいつにだろう。
 とあいつが、そういう仲になったと知ったとき、頭に隕石が落ちたのかと疑うほどの衝撃が走った。体中がいうことを聞かなくなったし、言葉が一つも出なくなった。ただ頭に浮かぶのは「なぜ?」、それだけだった。はあいつと仲が良かった。気が合っていたように思っていたし、まああいつがに惚れることはあるかもしれないと思っていた。ただ、があいつを、好きになるなんてことは想像していなかった。
 俺だろう。どう考えても。そうただただ疑問だった。あいつは人付き合いが苦手で、とにかく薄暗くて、どこか頼りなくて、どこか、どこか、どこか。言い始めれば止まらないほど欠点が浮かぶ。人付き合いが下手ではなく、暗くはなく、それなりに頼りになる。そんな俺ではないのか、選ぶとするならば。「すごく優しいの」、俺だってにだけはいつでも優しかっただろう。「元気をくれるの」、俺だってが困っているときに助けたり言葉をかけたりして笑顔になるように尽くしてきただろう。「そばにいてほしいなって思ったの」、俺にはそう、思わなかったのか。

「まさか国広と結婚するなんて、子どものわたしに言ったら驚くだろうなあ」

 大人の俺は今でも驚いているよ。どうしてこうなったのか、と。誰よりもを好きな俺をどうしては選ばなかったのだろう、と。そう言ったら、君はどうするのかな。
 偽物なんだよ、あいつは。俺の。本当は俺があいつの場所にいたんだよ。の隣を歩いていたんだよ。偽物、偽物が。そこは俺の場所だ。どうしてお前がそこにいるんだ。そう心の中で憤っても何にもならない。何も変わらない。
 偽物の隣にいて、は不幸だ。とてもとても。俺からすればとても不幸だよ。あいつの隣で笑って、あいつの隣でこれからの時間を過ごして。不幸だ。俺から見れば、本当に、不幸なんだよ。

「こーんなに幸せだから大丈夫だよってことも教えてあげないとね」

 誰よりも幸せにするのに。それでも、君は誰よりも不幸になる道を選ぶのか。俺から見れば不幸な道をこれからずっと、歩んでいくのかな。俺だけなのだろうか。を不幸だと思っているのは。……ああ、きっとそうなのだろう。俺だけなのだ。俺だけがを不幸だと思っている。きっと俺以外の人間からは俺こそが、不幸に見えるのだろう。そう思うと笑えて仕方なかった。

「国広がね、白無垢のほうが似合うだろうからって引かなくて。わたしはドレスのほうがいいかなって思ってるんだけど……」

 どちらでもいい。どちらでも似合う。俺なら、白無垢のほうが似合うからなどと言わない。どちらも似合うからの好きなほうにしよう。なんなら両方にしてしまおうか。そう言うのに。
 の実家へ走らせる車の中で、の声だけが弾んでいる。まだ営業している居酒屋や街灯、信号機。そういったものの光がぼんやりと滲んだ。

「長義……? どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」

 赤信号。一つ瞬きをしたとき、つうっと頬に何かが伝ったのが分かる。馬鹿馬鹿しい。今更どうしようもない。そもそもどうにかできるなんて思うこと自体がおこがましい。俺はただの幼なじみで、ただ勝手に彼女を好いていただけの、ただの、くだらない男でしかない。
 払うようにそれを拭き取って、すぐに青信号に変わった。アクセルをゆっくり踏み込む。は心配そうな声で「大丈夫?」と聞いたきたが、適当に「ごみが入っただけだよ」と返していた。昔から俺の言うことを疑わないはほっとしたような声で「それならよかった」と言ってまた話の続きをはじめる。

「国広と出会わせてくれてありがとう、長義」
「……急に何を言い出すんだか」
「あはは、ごめんね」

 別に出会わせたわけではない。むしろこうなると知っていれば出会わせなかった。引き合わせなかった。何が何でも出会わないようにした。俺がそんなふうに思っていることをは一生知らないまま、俺のもとから離れていくのだろう。
 横目で見たのほほえみは、これまで見たどの表情よりも優しい光を放っていて。ああ、この子は、幸せなのだろうと、思わずにはいられなかった。たとえそれが俺から見れば不幸なのだとしても、この子の選んだ道は間違いではないのだろう。そう思うほかなかった。
 不幸なのは、未だ立ち止まっているのは、俺だけか。

「……幸せになるんだよ」
「うん! ありがとう」

 幸せであれと願った。幸せにすると信じた。そのすべてが君を、ではなく俺が、とつくものだった。なんて滑稽な。なんて惨めな。俺を幸せにしてほしかった。俺と幸せになってほしかった。君に幸せにしてほしかった。その感情をすべてすり替えていたのだ。ああ、なんと、笑えることだろうか。


誰よりも不幸であれ