※未来設定。捏造過多です。
※ギャグだと思って軽い気持ちでお進みください。




 高校で出会った若利と結婚して一年が経とうとしている。付き合い始めたときは何かの気の迷いか、と思ったけど案外うまくやってこられた。未だにわたしがあの牛島若利と結婚しているなんて信じられないときがあるけど。
 つい先日、スポーツバラエティ番組に若利がバレー日本代表メンバーとともに出ていた。司会者の人気お笑い芸人に「奥さんと仲ええの?」と聞かれたら言葉少なに肯定して、追加で「たとえばどんくらい仲ええの?」と聞かれたら少し悩んだのち「家に帰った日はいつも一緒に寝ています」と答えたときは「へ〜牛島ってそういう感じなんだ〜」とか思った。数秒後、ああ、わたしのことか、と思い出してちょっと笑ってしまったっけ。
 夜八時すぎ。今日は帰ってこない日だから、と一人で適当なものを食べてくつろいでいる。録画してあったバレー日本代表が出たバラエティはほとんど観てしまったし、バレー雑誌も読み切ってしまった。あとは何をしようかな。そんなふうに思っていると、玄関の鍵が開いた音が聞こえた。あれっ、今日帰ってこないんじゃなかったっけ? 不思議に思いつつリビングのドアを開けて「おかえり〜」と顔を覗かせた瞬間、固まってしまった。

「あ、ちゃんだ〜!」
久しぶりだな。突然悪いな」
「もうじゃなくないか?」
「なんて呼んだらいいですかね? 未だに分からないんですけど」

 どういうことだ、これは。玄関にわらわらといるよく知った顔を引き連れている若利が「ただいま」となんでもないふうに言った。いや、ただいまよりも先に言うことがあるのでは?
 なんでも、少し前に天童が若利に連絡を取ったらしい。帰国するから近いうち遊びに行っても良いか、と。それに対して若利が了承をしたタイミングがとても早かったのだとか。いつもなら返信が遅いから気になって天童が聞いてみると、ちょうど帰宅するところだったらしい。今日は帰らない予定だったのが急遽変更になったようで、天童は「え、じゃあ今仙台駅来られる?!」とテンション高めに誘ったらあっさりオーケーが出た。そうして、久しぶりに二人で会ったのだそうだ。
 いや、そこまでは分かる。けど、この大所帯は? 別に知った仲の人たちだから今更何も気にしないしいいのだけど。そう思っていると後輩の川西が「天童さんが手当たり次第連絡してきたんスよ」となんとも簡潔な説明をくれた。なるほど、理解。うち何にもないけど。そう言いつつお客さん用に買ってあった使い捨てスリッパを出しておいた。続々とあがる人たちの後ろのほう、珍しく白布までこの集団に混ざっていて驚いた。「久しぶり」と声をかけたら「お久しぶりです」と言った後、じっ、とわたしを見た。なんでしょうか。牛島さんの奥さんちゃんとやってんだろうな、的なやつですか。そう笑ったら「いえ断じて違います」と言いつつ、何なのかは教えてくれなかった。

「何か食べるなら作るけど」
「え! いいの?!」
「お客さんをもてなすくらいの気力はあるよ」

 けらけら笑いつつ、とりあえず食料ストックへ。たしか前、若利がテレビ番組に出たどうのこうのでビールを一箱もらってきていたはず。飲み物は適当にそれでどうにかしてもらおう。お茶もあるけど、どうせ飲むんだろうし。そう思っていると若利が来てくれた。わたしがビールを出そうとしていることに気付いてくれたらしい。わたしの代わりに食料ストックの中を探して、ひょいっと持ち上げて持って行った。冷えてないけど。それは勘弁してもらおう。
 冷蔵庫の中にこの前作ったおつまみ系のおかずがまだある。とりあえずはそれを出すか。いろいろと考えつつキムチとかそういうものと一緒にテーブルに持って行く。箸は足りないから割り箸ね。そんなふうに配っていると、ビールの箱を開けている若利がじっとわたしを見た。

「何?」
「いや」
「お茶もあるから持ってくるよ。あと何がいる?」
「佐久早のファンなのか」
「あ、俺も気になってた〜」

 けらけらと天童が笑う。え、急に何。佐久早選手の名前がなぜここで? そんなふうに固まっていると若利がじっとわたしを見たまま「ユニフォーム」と言った。そこでようやく、はっとした。それと同時に一瞬で顔が青くなる。しまった、そうだった、わたし、今あのレプリカユニフォーム着てるじゃん。MSBYブラックジャッカル。背番号15は佐久早聖臣選手のものである。
 はじめて佐久早選手を生で見たのは、いつぞかのインターハイ。井闥山学院のエースだった佐久早選手に一目で意識を持って行かれた。すごかった。目が離せなくなるくらい。いや、もちろん若利だってすごい選手なのだけど。そのときのわたしには佐久早選手がとてつもなく強烈だったのだ。プロになったら絶対応援しよう。そう心に誓っていた。そうして、今がまさにその心に誓ったときの状態なのだ。佐久早選手はバレー日本代表としても大活躍していた。今日観ていた録画した番組も、バレー雑誌も全部佐久早選手が出ているから録画したり本屋さんで買ったりしたものだ。そのうち海外リーグに挑戦するとかなんとか噂が出ている。海外に行っても好きな選手であることに変わりはない。どこまでも応援できる限りは応援するつもりだ。
 佐久早聖臣選手はわたしの一つ下。つまりは同世代。わたしが白鳥沢学園男子バレーボール部マネージャーとして、全国制覇を目指していたときのライバル校のエースということになる。しかも、プロになってからも若利とは別のチームでライバル関係。そういうこともあって佐久早選手のファンであることは若利にはもちろん、白鳥沢の当時のメンバーにも一切言ったことがない。今日みたいにレプリカユニフォームを着るのは若利が帰ってこない日だけ。こんな、急に帰ってきたことが今までなかったから、はじめての大失態を犯しているというわけだった。
 じっとわたしを見てくる若利の顔を見つめ返して、とりあえずニコッと笑っておく。持ってきたおつまみをパパッと机に並べてそそくさと退散。向かう先は寝室である。自分の洋服ダンスを開けて、きれいに畳んでしまってあるそれを引っ張り出した。申し訳ないことに、あまり着る機会はないままになっている。だって本人を前にして着るのも変だし、本人がいないときは今着ている佐久早選手のレプリカユニフォームを着ているから。大変申し訳ないのだけど。そう思いつつ。
 何食わぬ顔でリビングに帰還。ついでに焼酎を見つけたので持ってきましたよ。そんな感じで机に置くと、若利がまだじっとこちらを見ていた。

「で、なんだったっけ?」
ちゃんそれはさすがに無茶だよ〜」

 くそ、誤魔化せなかったか。いやそもそも誤魔化すつもりはなくて、みんな空気を読んでそっとしておいてくれるかと思ったのに。シュヴァイデンアドラーズの背番号11のレプリカユニフォームには誰も興味を示さない。「え、なんでサクサ?」と瀬見が首を傾げる。いや、なんでってあんた。え、生で佐久早選手のプレーを何度も見ているはずなのに、なんでってなるの? 目でそう訴えたら瀬見が「ガチ勢じゃん、コワ」と身震いした。

「だ、だってファンなんだもん、仕方ないじゃんか……」
「え〜そこは若利くんのファンでいてよ〜」
「ファンとかじゃない、妻です」
「それは確かにそうなんだけどね?」

 いつからとか試合を観に行くのかとかいろんなことを聞かれる。若利は黙ってわたしを見つめて聞いているだけで静かだ。逆に怖い。どう思ってるんだろう。確か佐久早選手は若利に懐いていた。三年生のインハイで、佐久早選手が若利に話しかけに来たとき一人で興奮したもんなあ。そのときすでに若利とは付き合っていたけれど。

「もしかしてだけどファン感とか行ったことある?」
「…………ある……」
「ガチのファンじゃん。サクサ握手してくれた?」
「するわけないじゃん、何言ってんの? 視界にも入らないように気を付けてるのに」
「コワ、何このファン怖いんだけど」

 わたしはさっきから静かな若利が怖い。じっと見てるだけだから。何を考えてるんだろう。夫がいるのに別の男性選手のファンってやっぱり嫌かな。そう思われると困るから内緒にしてたのに。そういうの気にしなさそうかなって期待する気持ちもどこかにあったけど、やっぱりだめかなあ。やだな〜ファン辞めたくないな〜これからも佐久早選手を応援したいな〜。いや、もちろんアドラーズもものすごく応援してるけど。星海選手とかかっこいいよね、自分にまっすぐで。いやごめん、若利がもちろん一番かっこいいんだけどね?!

ちゃん百面相してる〜」

 けらけらと天童が笑うと、後輩も含めたほぼ全員が笑った。笑っていないのは若利だけ。冷や汗が止まらない。いや、というのも実は、今週末がまさにファン感なんですけども。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 なんとなく気まずい気持ちのまま会場入り。若利は朝から晩まで練習と取材で予定がパンパンだそうで、晩ご飯はいらないとの連絡が入っていた。気まずい。あの佐久早選手ファンバレの夜から一切そのことに触れてこない。怖すぎる。天童め、もうちょっと別のタイミングだったら久しぶりに会えて嬉しかったのに。
 そう思っているとアナウンスとともに選手たちが登場。あ〜、佐久早選手。今日もかっこいい。はじめはバレー選手としてプレーをしている姿がすごくてファンになったけど、すごいすごいと追いかけているうちに普通にかっこいい人だと認識するようになった。いや、本当にかっこいい。あのファンに媚びない感じもすごく好き。にこりとも笑わず愛想も良くない。そういうところが逆にツボだ。ちょっとだけ若利と似てるしね。なんてこっそり思ってしまった。
 くじ引きでチームを決めての試合が大興奮の中終了し、クイズ大会とかビンゴゲームとかバレー教室とか、そういうファン感でよくやるコーナーが終わった。残すは選手と自由に喋ることができるフリータイム。ファンの人数がとても多いのでわたしは大抵隅っこで観察して終わる。一応顔見知りの日向選手と喋ったこともあるけど、今はもう海外のチームに行ってしまってここにはいない。今はちょうど宮選手に話しかけている女の子たちの後方から、佐久早選手の姿を探しているところだ。いつも隅っこに隠れるように立っているから、わたしのような佐久早選手のガチファンは話しかけないようにしている。居心地悪そうにしているのがなんかかわいいんだよな〜。あんなに背が高いのにきゅってなってるのもかわいいんだよね。そんなふうに思いつつぐるりと会場を見渡したけれど見当たらない。あまりに嫌すぎてフリータイムは不参加になったのだろうか。それはそれでいい。佐久早聖臣って感じでめちゃくちゃかわいい。そんなふうに思っていると「あの」と声をかけられた。

「若利くんの奥さんですよね」

 死んだかと思った。それくらいの衝撃。後ろからじっとわたしを見ながら話しかけてきたのは、佐久早選手だったのだ。言葉が出ずに黙っていると「え、違う?」と不安そうに首を傾げられた。あってる、めちゃくちゃ合ってます。慌てて肯定すると「あー、なんか」と言いづらそうに口を開いて目をそらした。

「若利くんから、サイン書いてあげてって言われてるんですけど……」

 なんてことしてくれやがったあの天然! 思わず叫びそうになるのをぐっと堪えてぶんぶん頭を下げる。若利がすみませんそんな無茶なことを! 佐久早選手はわたしのそんな様子に終始不思議そうにしつつ「なんか、色紙とか」と言った。残念ながらサインを書いてもらおうなんてことは微塵にも考えたことがない。色紙など持っているわけもなくあわあわしていると、「色紙どうぞ」と余っていたらしいものを宮選手のファンの人がくれた。死にそう。人にめちゃくちゃ迷惑をかけている。そして何より、佐久早選手の視界に入っている。ばくばくうるさい心臓を殺しつつ色紙を差し出すと、佐久早選手はスタッフから渡されているサインペンでさらさらとサインを書いた。視線だけ持ち上げて「名前書きます?」と聞かれた。佐久早選手がわたしの名前を色紙に書く? そんなことがあっていいのか? 呆気に取られていると「勝手に書きます」と言ってペンを走らせた。「どうぞ」とくれた色紙には、しっかり漢字でわたしの名前が書かれている。なんで名前、と聞く前に「若利くんが教えてくれたんで」と教えてくれた。

「なんか、まあ、よく分かんないですけど……応援ありがとうございます」

 じゃあ、と言って佐久早選手はいつもの定位置、目立ちにくい隅っこへ戻っていった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 放心状態のまま帰宅すると、すでに若利が家にいた。お風呂上がりのようで髪をタオルで拭きながら「おかえり」と声をかけてくれる。ただいま。あのね、若利、言いたいことがたくさんあるの。たくさんあるんだけど、まず一ついいかな。

「好き…………」
「サイン書いてもらえたか?」
「愛してる…………」

 いただいたサインを報告として若利に見せる。小さく笑って「よかったな」と言った。怒ってるわけじゃなかったんだ、若利。てっきり内心めちゃくちゃに怒ってるから何も言わないのかと思っていた。泣きそうになりながら「めっちゃかっこよかった……」と思わず呟いたら、若利はおかしそうに笑った。心が広い夫で本当に有難い。明日からまた頑張って掃除も料理もするからね。好きな物いっぱい作るからね。そう若利の手をぎゅっと握って宣言しておく。こんなにいい夫はこの世のどこにも二人といない。正直ファンとして同業者の夫のコネを使ってしまった罪悪感はあるけれど。生涯でただ一度だけと言い聞かせて罪悪感は振り払っておく。せっかく佐久早選手がサインを書いてくれたのだ。喜ばずにはいられなかった。
 きゃっきゃと試合のことも含めて報告をしていると、ふと若利が真顔になった。あ、ちょっと喋りすぎたね、分かるよ。自覚してます。慌てて「ごめん」と苦笑いをこぼす。そりゃあ、あんまりこういう話聞きたくないよね。うっかり調子に乗ってしまった。そう思っていると、若利はなんだか困ったように笑って「ああ、いや」と言った。

「どんな形であれ、がバレーボールを好きでいてくれることが嬉しい」

 まっすぐ、迷いのない目で言われると、一瞬で若利以外のことを考えられなくなる。ああ、そういえば、告白されたときもそうだった。わたしはちっとも若利のことをそんなふうに見ていなかったのに。まっすぐな目をして好きだって言われて、気付いたら頷いていた。あの瞬間からきっと、わたしの心は若利に囚われてしまったのだろう。
 バレーボール、大好きだよ。申し訳ないことに佐久早選手のファンで、グッズも持っているし試合は欠かさず観に行く。けれど、もちろん、若利のバレーボールが特別であることに変わりはない。わたしにとっては好きとか嫌いとかそういう次元じゃない。もっとも見知った、見慣れた、よく知っているバレーボールだから当たり前に思えてしまうのだ。本当に申し訳ないのだけど。
 やっぱり好きだよ、若利のこと。思わずそう笑ってしまったら「ならよかった」と笑ってくれた。なんかちょっと、甘酸っぱい雰囲気になってしまった。照れていると若利が「今度の土曜日、空いているか?」とスマホを見ながら聞いてきた。

「土曜日? 若利、飲み会あるって言ってなかった?」
「一緒に来ないか。他の人も数名家族を連れてくるそうなんだが」
「いいけど、何の飲み会?」
「有志で集まる飲み会だそうだ。佐久早も来る」
「…………なんて?」
「佐久早も来る」

 「参加でいいか?」とスマホを操作して聞いてくるものだから慌ててその手を止める。待てこの天然、確かに今回の件は本当に嬉しかったし有難かったけど! 基本的にわたしは佐久早選手の意識に入りたくないんだよ! ファン心が分からない人だなあ! 必死でそう説明すると若利は、ほんの少しだけしゅんとした顔をした。「喜ぶと思ったんだが」と呟かれると、もう、なんか、何も言えなくて。自分の妻が他の男性選手にきゃーきゃー言って喜んでるの、普通嫌でしょ。何喜ばせようとしてるの。
 若利はちょっと人とずれているところがあるみたいで、わたしのためを思ってしてくれたことがちょっとずれていることが多々ある。それを注意するとこんなふうにしゅんとするのだ。お預けを食らった子犬みたいな顔をして。昔からわたしは、何よりもこの顔に弱い。この顔をされると何も言えなくなる。ぷるぷる震えつつ「いや、あの、嬉しいのは嬉しい、けど」と言ったら、すぐにぱっと顔色が戻った。「参加にしておく」と言ってゆっくりスマホを操作しはじめる。止めたらしゅんとするんだろうなあ。そう思うと止めるに止められなくて、内心泣きそうになりながら状況を受け入れるしかなかった。


どうあがいても特別