※未来捏造




 昔の話だ。はじめての彼氏と別れたのは大学一年生の夏のこと。高校二年生から付き合っていたその人の名前は白布賢二郎。男子バレー部所属でわたしはマネージャーをしていた。そんな関係性だったから自然と仲良くなった。頭が良くて努力家で、本当は優しいのに人に厳しくしてしまうから誤解されてしまう人。関わっていく中でそういうところがとても好きになって、こっそり恋をしていた。だから、白布から告白してくれたときは言葉が出ないくらい嬉しかったな。
 高校を卒業してから遠距離恋愛になった。わたしは大阪、白布は地元で進学。遠距離になっても大丈夫だとお互い思っていた。そのことについて話したわけではないけれど、わたしを見送りに来てくれた白布が「またな」と言ってくれたから。わたしが「またね」と返したら白布が笑ってくれたから。
 心は離れなかった。でも、次第に、自分の存在が相手を苦しめているのではないか、と思うようになって。ある日に電話で些細な意見の食い違いがあった。それがきっかけとなり、わたしから別れを告げた。付き合っていることがつらいと言った。白布はすぐに答えをくれなかった。黙りこくって「また連絡する」と言って一旦電話が切れた。その一週間後、白布からメールで「別れよう」と送られてきた。これまでの感謝とわたしの幸せを祈る文章も添えられていて、振ったのはわたしなのに言葉を失う。あれは、夏を迎えたばかりの湿っぽい熱が鬱陶しい日だったと、よく覚えている。
 大学を卒業して東京で就職したわたしは、数年ぶりに地元の宮城県に帰ってきている。夏目前の夜の仙台駅。懐かしい。そう思うと同時に少しそわそわしてしまう。腕時計を見ると、もうそろそろ約束の時間だ。行かないと。そう、恐る恐る歩き始めた。
 バレー部OB飲み会。一つ上の代の先輩が主催の飲み会だ。これまでも定期的に開催されていたのだけど、わたしは卒業してからただの一度も参加したことがない。毎回先輩からお誘いの連絡はもらっていた。ただ大学は大阪だったし、今も職場が東京だ。理由をつけて断れば無理には誘われなかった。本当は行きたかったけどどうしても白布のことが気になって。顔を合わすのが気まずかったから断り続けた。本当は先輩、同輩、後輩、みんなに会いたかったのに。
 さすがに別れてから三年以上経っている。もう時効だろう。そう思って思い切って参加することにした。毎年連絡をくれている瀬見さんから速攻で電話がかかってきて「マジで参加?!」と何度も確認された。いつも速攻で断るのに、と言われて苦笑いがこぼれた。毎年飲み会中にわたしの話が必ず上がっていたらしい。「みんなマジで会いたがってたんだからな」と言ってくれたのは、ちょっと嬉しかった。
 集合場所が見えてきた。もうほとんどみんな揃っているらしい。懐かしい。みんな、全然変わっていない。懐かしい気持ちが表情を緩ませる。思い出に浸りながら近付いていくと、振り返った同輩の川西が「お? お〜?」と笑った。

さんご到着で〜す」
「おいマジでめちゃくちゃ久しぶりじゃん!」
「本物のちゃんじゃ〜ん!」
「すみません、ご無沙汰してます」

 注目されると恥ずかしい。頭をかきつつ川西の隣で立ち止まる。少し離れたところに大平さんといる白布が見えた。目が合った、気がする。思わずすぐ目を逸らした。白布は少し髪が短くなった以外は何も変わっていなかった。服の趣味も体型も、視線の鋭さも何もかも。一つ息を吐いてから知らんふりを決め込むことにした。あんまり意識すると他の人にも気を遣わせる。わたしと白布が付き合っていたことはもちろん全員知っているし、別れたことも知っている。気を遣わせないようにしないと。そう一つ息を吐いた。
 瀬見さんがお店を予約した時間になりぞろぞろとお店に入っていく。川西と天童さんに挟まれて歩いて行くと、席も必然的に二人の間になる。白布は二つ隣のテーブルの一番遠いところ。これなら変に会話をする場面もないだろうし一安心かな。そんなふうに一人でほっとしてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 結局、白布とは挨拶をすることもなく、飲み会は終了。まさかただの一言も言葉を交わさないなんて。気まずく思っているのはわたしだけではない、ということだろう。一人で苦笑いがこぼれてしまう。きっと付き合っている人がいるのだろう。だから、元カノと話すのは気まずいし万が一何かがあっては困る。そんなふうに思っているのかも。そうなら、少し、胸が痛いな、とか。どの口が言っているんだと言われてしまうから絶対口には出さないけれど。勝手に一人で切なくなる。
 もう少しで日付が回る時間だ。他の人たちは大体もう一軒行くつもりらしい。終電がなくなっても誰かの家に泊めてもらえばいい、なんてけらけら笑って話している。さすがにわたしはそういうわけにもいかない。瀬見さんに「わたしはここで」と声を掛けておく。全員に挨拶をしてから、静かに輪から離れる。
 電車はまだあるけど、家の最寄り駅までの終電は終わってしまった。いくつか手前の駅まで電車で行って、そこから二十分ほど歩いて帰ることになる。楽しかったし慣れているからいいのだけど、少しだけげんなりした。さすがに時間が時間だし、駅に着いたらタクシーを呼ぼうかな。そんなふうに考えている、ときだった。

「誰か一緒に帰るやついないのか?」

 白布だった。振り返るより先にわたしの顔を覗き込んできた。「ちょっと酔ってんだろ」と続けて言う。それに少し戸惑いながら「あ、別に、大丈夫」と返すと、白布が少し微妙な顔をしたのが分かった。

「この時間だと最寄り駅までの電車もうないだろ。一番近い駅からでも、歩いて二十分くらいかかるんじゃなかったか?」

 なんでそんなこと、まだ覚えているの。きゅっと拳を握ってしまう。「まあ、うん。そうだけど」と曖昧に笑って返す。そんなわたしから視線を一瞬外して、またこちらに視線を戻す。白布は「あー」と小さく呟いてから、軽く頭をかいた。「一人で大丈夫か?」と聞いてきたその声色は、とても、懐かしいものだった。
 ぶわっとアルコールが吹っ飛んだ感覚がした。懐かしい学校の風景や、チャイムの音、体育館に響くシューズの音とボールの音。そういうものを一瞬で思い出す。付き合っていたときの白布は、本当に優しい人だった。でも不器用で、たまにずれているところがあって。なんだか空回っているときもあった。それでも、分からないなりに手探りでわたしを大事にしようとしてくれているのが分かった。それがとても嬉しかったなあ。わたしが恋をしていた人。姿を見るだけで、名前を呼ぶだけで、なんだか胸がどきどきする人。わたしにとって白布は変わらず、そういう人だった。

「一人で帰れるよ。暗いからちょっと怖いけどね」

 思わず口からそんな言葉が出た。タクシーを呼ぶつもりだから大丈夫。そう言えばいいのに。怖くなんかないのに、知らない間に嘘をついた。自然と出て行った言葉に白布が「怖いなら言えよ。送ってく」と当たり前のように言った。高校生のときのように。
 二人で電車に乗る。白布は今は一人暮らしをしていて、病院で研修医として働いているのだという。家の場所は聞いても教えてくれなかった。たぶん今乗っている電車は反対方向なのだろう。わたしが気を遣うといけないから黙っているのだ。優しい人だから小さな嘘や誤魔化しをたくさん鏤める。高校生のときから変わらない。それに気付くたびにわたしは白布のことがもっと好きになったっけ。
 わたしのことをたくさん聞いてくれた。仕事のことや住んでいる場所、悩みごとから体調のことまで。白布、お喋りになったね。そう笑ったら少し照れくさそうにされた。「久しぶりに会ったんだから聞くことが多いだけ」と言われてそっぽを向かれてしまう。それがなんだかとてもかわいく見えてしまった。
 あと一駅で降りる駅だ。そこから歩いて二十分で実家に着く。田舎なので街灯がなくてかなり暗い。もう歩き慣れているわたしからすればなんてことはない道なのだけど、まあ、少し酔っているこの状態では危ないのかもしれない。白布はそれを気にして声を掛けてくれたのだろう。
 かたん、かたん、と電車が揺れる音が響く。乗客は少ない。同じ車両のお客は一人だけ。眠ってしまっているしそもそも一人でお喋りはできない。わたしと白布が黙れば車内は沈黙してしまう。耳に痛いほどの静寂。黙っているのが正解なのか、何か話しかけることが正解なのか。どちらなのだろう。そう俯いてしまう。

「あのさ」

 白布の声は昔から静かだった。落ち着いていて滑らかで、なんだか波のよう。試合中に大声を出すところはじめて見たときは驚いた。あんなふうに大きな声も出すのだ、と。思えばそれからやけに白布のことが気になって仕方なかった。声が耳に入ると姿を探した。その声で名前を呼ばれると嬉しかった。恋をしていたんだなあ、わたし。この人に。どうして、恋を終わらせてしまったのだろう。まだこの声に名前を呼ばれたかったはずなのに。
 ああ、わたし、怖かったんだな。この声に、この人に別れを告げられることが。逃げたんだなあ。今更それを思い知った。

「今、付き合ってるやつとかいんの」

 こちらを見ないまま白布がそうぽつりと聞いてきた。その質問に固まってしまう。だってそれは、白布がわたしに告白をする直前の質問と、同じだったから。
 どきっとしたのをかき消すように笑っておく。「なんで?」と誤魔化すような返事をしたら、白布がゆっくり顔を上げる。じっとわたしの瞳を見ると二、三回瞬きをした。それから少しばつが悪そうな顔をして「気になったから」とだけ言う。別になんでもない、とか、ただ聞いただけ、とか。そんなふうに誤魔化さない。だから、わたしももう誤魔化せなくなってしまって。

「……いない」
「大阪とか東京で好きなやつできなかったのかよ」
「まあ、うん。そういうふうに思える人はいなかった、かなあ」

 一瞬間を空けてから白布が「ふうん」と呟く。それからまた視線を下に向けると、自分の右手を左手で掴んで、なんとなく落ち着きがない様子で握ったり離したりを繰り返した。
 わたしも白布から視線を外して、自分の靴を見つめる。ぎゅっと自分の拳を握って一つ息を吐く。そんなことを聞かれたら、わたしは馬鹿だから期待してしまう。自分から振ったくせにどきどきしてしまう。逃げたくせにね。何期待しちゃってるんだか。
 好きだった。でも、本当は過去形なんかじゃない。好きだ。白布のことが、今でも。好きだから別れたんだ。滅多に会えないまま付き合っていても、白布は真面目だから他の女の子に目移りせずにひたすら耐えてくれたと思う。でも、わたしにそれだけの価値があるのか。そう思ってしまった。きっと白布はもっといい人と出会えるだろうし、いつかわたしを煩わしく思うときが来るかもしれない。そう思ったら白布の邪魔になるのも、白布に振られるのも怖くなった。もう好きじゃないと言われたくなかった。

「まだ好きなんだけど」

 電車が大きく揺れた。目的の駅に着いたのだ。白布が「降りるだろ」と立ち上がる。ワンテンポ遅れて「あ、うん」とまぬけに答えたわたしの膝の上にある鞄を持っていくので、慌ててわたしも立ち上がる。ドアが開いて静かな駅のホームに降りる。白布はわたしの鞄を持ったまま改札のほうへ歩いて行く。鞄、返して。そう隣に追いついてから言うと「なんで」と言われてしまった。なんでと言われても。わたしの鞄だからかなあ。そう苦笑いをこぼす。それでも返してくれない。仕方なく一旦取り返すのを諦めて、白布と改札を通った。
 ねえ、電車を降りる直前、なんて言ったの。ちゃんと聞こえたよ。でも、もう一度言ってくれないと、答えられないよ。喉の奥でそんな言葉が消えていく。痛いほどうるさい心臓が全部をかき消してしまって、何一つ言葉が出なかった。
 白布はいつも、わたしが困っているとさり気なく手を貸してくれた。わたしが言葉に詰まると代わりに言葉を紡いでくれた。そういうの本当は柄じゃないのに。言葉にするのも得意じゃないのに。
 わたしたち以外に誰もいない駅構内。静かな中で柔らかな風だけが吹き込んでくる。夏目前のほんのり湿っぽい熱を乗せて。顔にかかった髪を払ってから前を見ると、白布が立ち止まってわたしを振り返っていた。

「どうにかして会う時間は作る、し……連絡ももっとするようにする。だから、もう一回、俺と付き合って、ほしいんだけど」

 付き合い始めて数日後の部活終わり、寮の外出禁止時間だったのに家まで送ってくれた日のことを思い出した。家までの道が暗くてちょっと怖いんだよ、とわたしが言ったのを覚えてくれていたのだ。「怖いんだろ」とぶっきらぼうに言って、断るわたしを無視して家まで送ってくれた。そのあと寮に帰った白布は寮監にこっぴどく怒られていた、と後で川西から聞いて慌てて謝ったことを覚えている。だって、怖いと言ったのはわざとだったから。白布に心配されたくて言った言葉だったから罪悪感があって。送ってくれたのは嬉しかったけど申し訳なかったなあ。
 わたしは無理に時間を作ってほしいわけじゃない。連絡をまめにしてほしいわけじゃないんだよ。ただ、ただただ、ずっと好きでいてほしかっただけなんだよ。気持ちが離れてしまうんじゃないかって勝手に想像して、逃げてしまっただけなんだよ。そう思ったら自然と涙が出た。だって、言葉にするより先に、ずっと好きでいてくれたことを教えてくれたから。逃げなくても怖がらなくても、白布はずっと変わらずにいてくれたに違いない。それに気付けずわたしは、なんて情けないのだろう。
 白布がぎょっとした様子で「いや、ごめん、未練がましいのは分かってるけど」と見当違いなことを言う。しっかり者で、優しくて、落ち着いている。でも、たまにずれたことを言う。何も変わっていない。それがわたしの中の恋を、昔みたいに色づけてくれた。
 慌てている白布を見ていたらなんだかおかしくなってくる。鞄から出したハンカチで涙を拭きながら笑っていると、白布が「笑うな」とほんの少し悔しそうに呟く。高校生のときから変わっていない。はじめてのキスで失敗したときと同じ顔だった。

「わたし、どこにでもいる普通の人だよ」
「は?」
「何かすごいことができるわけじゃないし、何かすごいものを持っているわけでもないよ」
「……どういう意味?」
「ただ、白布のことが好きなだけの、普通の人だよ。どうして好きだって言ってくれるの?」

 風が頬を滑る。遠くで踏切警報音の音が鳴っている。恐らく仙台駅方面の最終電車が来たのだろう。白布、これに乗らなくてもいいのかな。そう言ってあげたほうがいいと分かっているのだけど、言わなかった。言葉がほしかったから気付かないふりをしてしまった。わたしは昔からずっと卑怯だ。また涙がこぼれる。
 白布は目をぱちくりさせてから小さく首を傾げた。言葉を探しているのかわたしの言葉を咀嚼しているのかは分からない。けれど、心底訳が分からん、と言い出しそうな顔をしているのはよく分かった。わたし、たまに変なことを言うところがあるよね。ごめんね。内心でそう謝っておく。
 さらりと髪が揺れる。自動改札機を誰かが通る音が聞こえて、ようやく時間が動き始めた。白布は軽く頬をかきながら「何が言いたいのかはいまいち分からないけど」と前置きをする。

「特別な人だから好きになったわけじゃないし、どっちかって言うと好きだから特別になったというか……」

 まだ言葉を探している。視線があっちに行ったりこっちに行ったりしていて、なんだか落ち着きがない。わたしの言葉の真意を読み取ろうとしてくれている。それが、何より嬉しかった。
 わたしは何も持っていない。白布みたいに賢い頭があるわけでも、きれいなトスを上げる手があるわけでも、ひたむきに努力できる信念があるわけでもない。そんなわたしでも白布が好きだと言ってくれたら、この世でたった一人の特別な人になれるのだ。わたしにはそれだけあればいい。そう思えるほど、白布の言葉はまっすぐわたしに届いた。
 白布は考えすぎて眉間にしわが寄ってしまっていた。「俺、質問に答えられてないよな」と小難しい顔をして呟く。律儀だなあ。そんなふうに笑ってしまうと、白布が「が聞いたんだろ」と軽く睨んできた。

「とにかく、好きなもんは好きだしだから好きってだけのことだろ。そんなに難しいことじゃない、と、俺は思うけど」

 白布は堰を切ったように話した。別れを切り出されたときの衝撃とか、答えを出すまでの一週間は宙ぶらりんな気持ちだったこととか、別れたあとの後悔とか。わたしが知らない白布のことをたくさん教えてくれた。少しの苛立ちと少しの照れくささ。そんなものを隠している声は、わたしの答えを急かすようなひどく甘くて熱いものだった。
 白布の横を通り過ぎて、駅から出て行く。白布が「おい」と声を掛けてきながら隣に追いついてきた。わたしの隣を歩きながら「おい、無視するな」と急かすように言う。

「わたしね」
「……うん」
「この道、怖いなんて思ったことないんだよ」
「…………は?」
「高校生のときも今日も、帰り道が怖いって言ったの、白布の前だけなんだ」

 白布の表情がフリーズした。また、心底訳が分からん、みたいな顔になっている。白布は頭が良くて大体のことはわたしより詳しいけど、わたしのことはなかなか理解し切れないんだね。なんだか白布を出し抜いた気分だ。そうおかしくなった。

「白布のことが好きだから、気を引きたくて嘘ついちゃった。ごめんね」

 車が一台わたしたちの横を通り過ぎる。静かな空間に響くその音は、聞こえているはずなのにちっとも耳に入ってこない。赤く光るテールランプも全く見えないほど、白布のことだけを見ている。車が走り去った風だけが微かに意識を揺らすと、今この瞬間が夢ではないのだという証明になった。
 別れたときに思っていたことを、ぽつぽつと言葉にしてみた。それを白布は相槌を打つだけで静かに聞いて、わたしの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる。昔からそういう人だった。本当にずっと変わらずにいてくれたんだね。そう思うと、胸が一杯になってしまう。
 白布の右手がわたしのほうへ伸びてくる。何をするのかよく分からなくてじっと見ていると、わたしの頬を軽くつねってきた。「痛い」と笑いながら言うと「だろうな」と薄く笑って手を離してくれた。その指でわたしの頬を軽くなぞり、最後に鼻っ面を軽く指で弾く。「痛いってば」と鼻を左手で隠すと、白布がその手を掴みながら「知ってる」と呟く。

「これに懲りたら、もう嘘つくなよ」

 優しい声。それに負けないくらい優しい力で手を繋いでくれた。その手をそっと握り返したら、自然とお互い無言になり、ゆっくり歩く二人の足音だけが響く。
 ああ、今日は、爽やかな夏を迎える直前の、きららかな熱が眠る夜。ようやく新しい夏が巡ってくる。柔らかな熱と手を繋いでいたら、暗闇を歩く足取りも軽く感じる。そんな、素敵な夜だった。


夏めく息吹