※2018年以前に書いたものです。
※未来捏造。




 山の端が白んでいくのをぼんやりと見つめるその子の横顔は、美しいほどの赤色だった。 薄い赤色に染まる頬のてっぺん。 ちょっと突っつきたくなる気持ちをぐっと抑えて見つめるだけにしておく。 そんな風にほっぺを見つめていたら、「見逃しますよ」と注意されてしまった。 その言葉に「はあい」と笑いながら返事をして視線を正面に戻す。 昇ってくる朝日にほんの少し目を細める。 大きく息を吸い込んで、はあっと吐く。 白い空気がきらきらと朝日を反射して少しきれいだ。 それにふにゃふにゃと口元がにやけると、隣から「相変わらずですね」とほんの少しだけ笑みを含んだ声がした。
 白布賢二郎くん。 白布くんは高校時代の一つ下の後輩だ。 私がマネージャーをしていた男子バレー部に入ってきた。 強豪校として有名だった私たちの高校はスポーツ推薦で外部から選手を取ることが多かった。 そんな中、白布くんはレギュラーで唯一の一般受験で合格してきた努力の子で。 何でも私と同級生で当時大エースと言われていたやつと同じチームでやりたくて入ってきたのだと聞いたときは驚いたものだった。 そんな当時の大エースは今では次期日本の大エースになる可能性大なので、少し私たちは鼻が高い。 二人で試合をテレビで観たり、大エース様直々に席を用意していただいたりして今でも仲良くしてもらっている。 当時のチームメイトとはそんな風に仲が良い。

「寒いね」
「そうですね」
「きれいだね」
「そうですね」

 白布くんは当時から言葉数が多い方じゃない。 それが少し寂しいこともあれば、今みたいに幸せを噛みしめる時間に思えることもある。
 白布くんとはじめて手をつないだのは、私が三年生、白布くんが二年生に進級したばかりのころだった。
 他校との練習試合を終え、体育館を片付ける部員たちとタオルやビブスを畳む私。 私の横には同じクラスで仲の良い瀬見がいたっけ。 瀬見は私の片づけを手伝ってくれていた。 瀬見とは二年でも同じクラスだったから部内で恐らく一番仲が良く、こうしてよく仕事を手伝ってくれたものだった。 私の同輩たちはやけにマネージャーの仕事を手伝ってくれる人ばかりで、本当にいいやつばかりだったと胸を張って言える。 その中でも瀬見は断トツでその傾向にあったような気がする。 のちにそれには特別な意味があったと知るわけだけど、その話は今は置いておこう。
 そんな風に細々した片づけを瀬見としていて、全部きれいに畳み終わったので用具庫に置きに行こうと立ち上がったときだった。 荷物の半分を当然のように瀬見が持っていたのだけれど、そこへ颯爽と白布くんが早歩きで登場したのだ。 瀬見の手から荷物を奪い取ると「瀬見さんは向こうへどうぞ」と無表情で言い放ち、少し冷たい手が私の手を握る。 ぐいっと引っ張られるがままに足を動かして白布くんについていくと、瀬見がなんだか「参ったなあ」というように笑ったのが見えたのをよく覚えている。 手をつないだまま引っ張られていったとき、なんだか不思議な気持ちになったのを今でも鮮明に思い出せる。
 白布くんに告白されたのはその次の日だった。

「ふふ」
「……今度はなんですか」
「ううん。 ちょっと昔のこと思い出してたの」

 白布くんは少しいつも通りの表情を保った後、赤く染まっている頬のてっぺんを更に赤くさせた。 「そんなの思い出さなくていいですよ」と呟いた声に驚いてしまう。 何を考えているのかなんて白布くんには分かるのだろう。 あの日のことを白布くんは忘れたくて仕方ないというのだという。
 土曜日の部活終わり。 その日は午後三時に終わった。 体育館の点検が入るとかで、五色くんや天童はちょっと不満そうだったっけ。 瀬見と天童が小腹が空いたと言い出して、寮に戻らず出かけると相談していたのに私も参加したときだった。 瀬見がスマホでどこに行くかを探しているところを天童と二人で茶化していた。 そこへ静かに白布くんが寄ってきたので「一緒に行く?」と私がふぬけたことを聞いてしまった瞬間。 また白布くんに腕を掴まれて引っ張られた。 驚きつつも瀬見たちと出かける予定だったし、抵抗しようとしたのだけど。 少し俯いている白布くんの顔がなんだか赤くて。 どうも言葉が出てこなかった。 瀬見と天童に無言のまま視線で「私パス」と念じて伝え、黙って白布くんについていく。 白布くんについていくがままに歩いていると、いろんなことに気が付いた。 後ろ姿しか見えない白布くんの耳が、顔以上に真っ赤なこととか。 いつも静かにトスをあげるその手がなんだか熱いこととか。 どこからともなく緊張感が漂ってきて、私までばくばくと心臓が高鳴って緊張してしまうほどだった。 そんな空気のままに人気のない寮の裏庭に連れていかれ、そのままなんとも感情的に告白をされて。 ぽかん、と呆けていたら白布くんが舌打ちをしてたなあ。

「さっきから何ですか」
「ん?」
「変なこと思い出さないでください」
「白布くん、私の考えてることよく分かるね?」
「……分かるに決まってるじゃないですか」

 ちょっと苦笑い。 あ、今の、私も白布くんが何考えたか分かったかも。 そう思ったら口元がまた緩んでしまう。 白布くんはそんな私の横顔を見て小さく舌打ちをするのだから、余計に顔がゆるゆると緩む。
 視線を正面に戻せば山から顔を出した朝日。 横に向ければ朝日のように赤く染まった白布くん。 今年もいい年になるなあ。 そんなことをぽつりと呟くと、白布くんが先ほどまでの表情を少し綻ばせて「そうですね」なんて返してくれる。 それが嬉しくてつい白布くんの肩にこつん、と頭をおいてしまう。 にやにやする口元を見られたくなかったからだ。
 白布くんの告白を、私ははじめ受け止められなかった。 ただの後輩だったのに。 情熱的に感情的に、見たこともない顔で体当たりされたら、もう。 もう普通の後輩として見られなくなってしまって。 呆けていたら舌打ちをされてしまって、はっとして状況を整理した瞬間に全身が熱くなったのをよく覚えている。 ぐるぐると混乱する頭を必死に動かして出た言葉は「タイム」という一言だった。 白布くんは私のその言葉にまた舌打ちをもらして。

「きれいな空ですね」

 白布くんの告白を受け入れたのはそれから一か月後だった。 その日もきれいに晴れた美しい空の日だった。 ずっと遠くまで続く青い空を見上げるその横顔が妙に好きで。 だらりと垂れた白い手が妙に好きで。 思わずその少し冷たい肌に触れてしまった。 一度触れてしまったら、もうだめだった。 離したくなくて。 口から勝手に言葉が出て行って。 気が付いたら、白布くんが私の手を握り返してくれていた。

「お願い事しとこ」
「……初日の出ってそういうものでしたっけ」
「年神さまが現れるんだよ。 もしかしたら叶えてくれるかもしれないよ」

 白布くんはいつも通りの視線を初日の出に向ける。 ぼうっと遠くを見据えているように見えるその瞳が、きらきらと美しく輝いた。 ゆっくり瞼を閉じると静かに呼吸を続け始める。 私も視線を白布くんから正面に戻して、同様に瞼を閉じた。 しばらく二人で静かな呼吸を繰り返した。
 瞳を開けたころにはもうお日様はずいぶん高くなっていた。 白布くんは冷えた手をすり合わせてから「帰りましょう」と言って、私の手をそっと握る。 それをぐいっと引っ張るといつかのようにずるずると引きずるように歩いていってしまう。 「もうちょっと見ようよ」と私が言っても「さん風邪ひくと長いじゃないですか」と返される。 ほとんど無理やり車に押し込まれる。 後部座席に置いてあったブランケットを私に被せると、白布くんは助手席のドアを閉める。 回り込んで運転席に乗り込むと「まっすぐ帰りますね」と言いつつ車のエンジンをかけた。 ここから私たちの家まではそれなりに距離がある。 「運転途中で変わるね」と親切心で言ったのに、白布くんは真顔のまま「まだ死にたくないです」と言って車を発進させる。 まるで私の運転が下手みたいな言い方して。 相変わらず可愛くないところはそのままだ。

「神様に何をお願いしたんですか」
「今年もきれいな晴れ空がいっぱい見られますように!」
「能天気ですね。 神様もびっくりですよ」
「晴れの日がいっぱいだと白布くんといっぱいデートできるじゃんか。 いいお願い事でしょ〜」
「……雨が降っていてもできますけど」
「それはそうだけど。 私は晴れ空が好きなの」

きれいに晴れた、美しい空。 晴れた空を見上げる白布くんの瞳がきらきらと光るのが好きなんだ。 この世に一つしかない宝石のように大切なそれをずっとずっと見つめていたいんだ。 そんなことを言ったらまた呆れられそうだから黙っておくけど。
 赤信号で車が停まる。 白布くんは右手をハンドルから離すと目にかかった前髪を払う。 動作の一つ一つ見ていて飽きない。 じっとそれを見ていると白布くんが正面を向いたまま怪訝そうな顔をした。

「なんですか」
「白布くんは何をお願いしたの?」
「願いは口にすると叶わないので黙っておきます」
「え! ずるい!」
「……じゃあ言ったら叶えてくれますか」
「わ、私が叶えられるものなら!」

 青信号になる。 白布くんの運転はいつも丁寧で、とても安全運転だ。 ブレーキングもものすごく静かで停まったんだかどうなんだか分からないくらい。 あまりにも乗り心地が良いから長旅の帰りなんかはよく私が寝てしまう。 白布くんはそれを決して起こさない。 白布くんに起こされたときにはすでに家についていることばかりで悔しかったりするしちょっと情けなく思ったりもする。 でも白布くんの車に乗ったことのある瀬見は「あいつの運転怖い」と言うのだから、なんだか不思議だ。
 白布くんがハンドルをゆっくり回して左折し、しばらく道なりになる。 きれいな朝日を横目に白布くんの顔だけを目で追っていると、その視線がほんの少しだけこちらに向いたのがよく分かった。

さんに名前で呼んでもらいたいですって神様にお願いしました」

 ぼそり、と。 なんだか恥ずかしそうな声だった。 そういえば白布くん、のままここまで来てしまったっけ。 白布くんだって敬語のままじゃん、なんて思いつつ。 その可愛いお願い事に笑ってしまった。


光あれ