選手たちから使用済みのタオルを受け取っていく。 今日もすべてのメニューを終え、明日の練習試合が終われば丸一日のオフが待っている。 牛島なんかはそんなオフでさえ練習しているらしいのだけど。 大体の部員にとっては待ちに待ったオフだろう。 かくいうわたしもそうだ。 オフの日に何をしようかぼんやり考えていると「お疲れ様です」と声をかけられた。 「おつかれ」と返しながらタオルを受け取ると、こっそりと「オフの日、何するんですか」と聞かれた。

「なにしようかなあって考えてたとこ」
「予定はないということですね。 分かりました」

 そう言い残して監督のもとへ集合していく。 その後ろ姿にちょっとだけにやけてしまった。 珍しい。 部活中は故意なのか無意識なのかよく分からないけど、割とわたしの存在を見ないようにしているのに。 あんなふうに話しかけられたのは恋人になる前以来かもしれない。
 同輩の子のとなりに並んだまっすぐに伸びた背中。 明日の練習試合のメンバーの名前が呼ばれていく。 名前を呼ばれて誇らしげに、しっかりと返事をした白布の声が耳に心地いい。
 タオルと空になったボトルが入っているかごを持って体育館をあとにすると、すぐに片付けを始める部員たちの声が体育館に響いた。




 諸々の片付けが終わり、全員が着替えを済ませて寮に帰っていく。 わたしも女子更衣室の鍵を返したのち寮へ戻っていると、再び「お疲れ様です」と白布に声をかけられた。 どうやら待っていたらしい。 いつもなら川西たちと寮にさっさと戻っていくのに珍しい。 今日はどうしたのだろうか。 不思議に思いつつも「お疲れ」と返してとなりに並んで歩き始める。 わたしたちが付き合っていることは基本的には秘密にしている。 気付かれたらそのときはそのときで、というスタンスではあるのだけどなんとなくこそこそしてしまって、結局部活中はあまり話さなくなったり基本的にいっしょにいないようにしたりしている。 こんなふうに二人で校内を歩くのはかなりのレアケースだ。

「日曜日、勉強教えてくれませんか」
「え、わたしが? 白布に?」
「そうですけど」
「いやいや、白布に教えることなんかないし」

 頭が良くて自主学習をきちっとこなしている白布にわたしが勉強を教えるなんてとんでもない。 そう苦笑いを返すと白布はほんの少しだけ目を細めた。 若干怪訝そうにも見える表情に首をかしげると「さんって」とため息交じりな声が聞こえた。

「鈍いですよね」
「えっ、どこが?」
「そういうところがです」

 笑われた。 白布の笑った顔は好きだけどなんでそんなふうに笑われるのだろうか。 疑問に思いつつも「ごめん?」と謝っておく。 「いいですよ」と笑う白布はちらりとわたしを見る。 そして「言い方を変えます」と咳払いをした。

「日曜日、俺の部屋でふたりで話しませんか」

 そのお誘いに思わず「あ、そういうことか」と声が出た。 それに白布は呆れたように「そういうことです」と言った。 寮の白布の部屋は運のいいことに階段のすぐそばにある。 となりが川西で向かいが天童なのだけど、ふたりはどうやら日曜日は出かけるらしいのだと白布は話した。 別にわたしが部屋に入るところを見られてもいいのだけど。 白布もそれは思っていたようで「まあ、タイミングが合うのでちょうどいいかと思って」と言った。 タイミングが合わなければもう堂々と招き入れるつもりだったと続けて。 別に悪いことをしているわけじゃないですし、と付け足した白布に同意していると寮の入り口が見えてきた。
 女子寮の入り口まで送ってくれると言うので有難くそうしてもらう。 明日の練習試合のことに触れてみる。 明日が白布がレギュラーになってはじめての試合なのだ。 瀬見は悔しそうにしていたけれど、なんだかんだ白布はかわいい後輩だし信頼しているからと素直に言っていた姿を思い出す。 牛島も他のレギュラーも、白布のことは信頼している。 もちろんわたしもだ。 白布は牛島にトスをあげることを目標にしていたし、全員明日の練習試合が何かしら待ち遠しいはずなのだが。 練習試合の話に触れた途端、白布は少しだけ表情を暗くさせたように見えた。

「無事に終わるといいんですけどね」
「……どうしたの?」
「いえ、とくに」
「とくに、じゃないでしょ。 言いたくないならいいけど何かあるなら聞くよ」

 ちょうど自販機の横にベンチがあるのでそこに座ることにする。 白布の腕を引っ張って無理やり座らせると、「意外と力強いですね」と感心された。 そんなことはどうでもいいから、と話を戻す。 白布は少し間を開けたのち、ぽつぽつと言葉を紡いだ。 やっぱり技術の高い瀬見を降して正セッターを勝ち取ったことは予想以上にプレッシャーとなっているようだった。 強豪校で絶対王者と言われつつある白鳥沢のセッターを務めることはもちろん、全国屈指の大エースである牛島にトスをあげることも。 憧れを掴んだその先にあるのはさらなる試練なのだろう。 自分がセッターになったことでチームが弱くなったらどうしよう、簡単に言ってしまうとその不安が白布の顔から笑顔を奪い去っていった。

「大丈夫だよ」
「そうだといいんですが」
「白布はただ楽しんでくればいいんだよ。 牛島にトスをあげてさ」

 難しく考えなくたっていいのに。 白布は頭がいいからつい難しく考えてしまうのだろう。 今までたくさんがんばってきた分、手離しに喜べない何かがあるのだろう。 簡単なことしか言ってあげられない自分が情けない。 もっと何かないか、とわたしがうんうん悩んでいると、突然白布が吹き出した。

「とりあえずがむしゃらにやってみます」

 今までみたいに、と付け足して白布は一つ伸びをした。 ふたりとも立ち上がってすぐそこにある女子寮の入り口の前でまた足を止める。 「また明日」と手を振ろうとしたとき、白布が「明日」と呟く。

「明日俺が交代させられずに勝ったら、何かご褒美をくれませんか」
「ご褒美? いいけど、何が欲しい?」
さんがくれるならなんでもいいです」
「えー一番むずかしいリクエストだなあ……」

 いろいろ考えてみるがなかなかいい案が思い浮かばない。 そもそも物をあげるとなると買いにいかないといけないのであげるのがかなり先になってしまう恐れがあるし。 かといって手持ちのものでご褒美になるものなんかないし。 いろいろ考えたが思い浮かばず。 「何か指定してよ〜」と助けを乞うのだけど白布は黙っているだけだった。 そのとき、クラスメイトの子が彼氏に言ったとのろけていた話をはっと思い出した。

「物じゃなくてもいい?」
「いいですよ」
「わたしの胸とか」

 言った瞬間に間違えたことに気付く。 いや、白布ってそういうタイプじゃないよね、よく考えてみれば。 クラスメイトの子は胸が大きいことと彼氏がそういうキャラだということがあってそういうセリフが言えるわけで。 とくに大きいわけでもない私が、割とクールで真面目な白布に言うセリフではなかった。 とりあえず冗談だと誤魔化しておこう。 「なーんて、」と口を開こうとしたのだが。

「言いましたね?」

 真顔だった、その瞬間だけ。 一瞬でいつもどおりの顔に戻り、白布は「じゃあまた明日」と言ってわたしに背中を向けた。 結構まずいことを言った気がする。 自分の発言に後悔しつつも部屋に戻るしかできず、妙にどきどきしたまま寮へ入った。


満ち足りた指先 1