「何してんだよ」

 寮前にある自販機の前でぼうっとしていたところを見つかってしまった。 ジャージ姿で額には薄っすら汗がにじんでいる。 その姿から察するにランニングの帰りのようだ。 相変わらず頑張り屋さんなことで。 そう心の中で呟くと自然と笑いがこぼれる。 恐ろしく不気味なものを見たような顔をして「なんだよ」と言われてしまった。

「別に?」
「で、何してんだよ。 そのうち食堂閉まるぞ」
「食欲ないし、いいかな」
「……なんだよ、なんかあったのか」

 怪訝そうな顔をして、わたしの隣にしゃがみ込んだ。 幼馴染の賢二郎。 片手に持っていたペットボトルの蓋を上げてそれをごくごくと飲む。 それを見降ろしていると、あ、と気が付いた。 その位置から上を向かれると、スカートの中丸見えじゃん。 そう思って少し離れると賢二郎は「あ?」と不機嫌そうにわたしを見上げた。 不機嫌そうな顔はそのままに賢二郎は少し言葉を出さずに考えはじめる。 そうして答えにたどり着いたらしく「誰も興味ねーよ」と吐き捨てると立ち上がった。

「興味ないことはないでしょ」
「興味ないことはないけど、死んでもお前のは興味ない」
「ひど」

 けらけら笑ってしまう。 賢二郎は自販機にもたれかかりながらすぐそばにあるごみ箱にペットボトルを投げ入れた。 部活の先輩、とりわけ憧れているらしい牛島の前では絶対にやらない行動だ。 賢二郎が投げたペットボトルはきれいに放物線を描き、吸い込まれるようにごみ箱へ入った。 とくにそれに反応することなく賢二郎は「つーか、なんかあったのかって聞いてんだけど」と話を戻した。 珍しい。 賢二郎から話しかけてくること自体珍しいし、わたしのことを気に掛けるなんてもっと珍しい。
 賢二郎と同じように自販機にもたれかかりながら空を見上げる。 すっかり夕日が落ちて、暗くなってしまった。 少しずつ星が浮かんできたように見える空は、もう少しすればもっと黒くなってきらきらと星が眩しく輝き始めるだろう。
 ぼけっと空を見上げていたわたしのかかと辺りを賢二郎が軽く蹴る。 「無視すんなよ」と言った声は苛立ちを隠しきれていない。

「賢二郎さあ」
「なんだよ」
「好きな子いる?」
「蹴り倒すぞ」

 幼馴染とはいえ、仮にも先輩である人にひどくない? 若干そう思いつつ苦笑いをこぼす「はいはいすみませんね」と言うと、賢二郎はわたしを睨みつけるように横目で見る。

「気持ち悪いんだけど」
「なんか瀬見に聞かれてさあ」
「……なんで瀬見さんが出てくるんだよ」
「仕方ないじゃん、瀬見が変だったんだもん」

 賢二郎は入学当初からそうだったのだけど、瀬見を話題に出されるのが心底嫌なようだった。 瀬見の名前が出るだけで眉間にしわが寄るし、瀬見のことを話し始めると露骨に口数が減る。 元々口数が多くないのでほぼなくなるといってもいいくらいに。 それが面白くてわざと瀬見の話をした時期もあったっけ。 最近は本当に不機嫌になるからやめるようにしたけど。

「瀬見がわたしと賢二郎が付き合ってるんじゃないか、とか馬鹿なこと聞いてきてさ」
「馬鹿にもほどがある」
「でしょ? なんか様子も変だったし、どうしたもんかなあと思って」

 笑いをこぼすと賢二郎が視線を空に向けた。 ゆっくり瞬きをしてからじいっと星を数えるように瞳を光らす。

「で、好きたらなんたら言われたわけかよ」
「……賢二郎ってエスパー?」
「お前が分かりやすすぎんだよ」

 またかかとの辺りを軽く蹴られる。 賢二郎は大きなため息をついてから「腹立つ」と呟いた。 独り言のようだったので反応はせず、わたしも一つため息をこぼしておく。 それにしてもよく分かったなあ、瀬見に言われたこと。 賢二郎は昔から結構鋭いところはあったけど、そういう恋愛系の話になると途端にぽんこつになっていたはずなのに。 幼馴染の成長を感じつつ、すっかり星が輝き出した夜空を見上げる。
 賢二郎はスポーツレギンスを少し引っ張ってから、パーカーのポケットに左手を入れる。 右手で口元を覆うと一つあくびをこぼした。 右手をふらふらとパーカーのポケットに入れるかと思いきや、その右手でわたしの肩をばしっと叩く。

「え、なんの暴力?」
「腹立つ」
「何に?」
「……何にって」

 それきり口ごもった賢二郎がなんだか、拗ねている子どもに見えてきてしまう。 言葉を探しているような、自分の感情がよく分かっていないような。 そんな歯痒い様子が見て取れる。 賢二郎は迷子になっていた右手をゆっくりパーカーのポケットに入れた。 そのまま俯くとなんともガラの悪い恰好になってしまう。 眉間にしわが寄っているので、第三者から見ればかなり迫力のあるものに違いない。 元々愛想がいいとか、いつもにこにこしているとか、そういうのとは無縁なのでわたしは見慣れているのだけど。

「なんて答えたんだよ」
「え、何に?」
「瀬見さん」
「あー……冗談言わないでよ、みたいな感じに返したかな。 あんまり覚えてないけど」
「……さすがに同情する」

 賢二郎は俯いたままほんのり、まるで幻のように笑った。 パーカーのポケットから両手を出すと、はあ、と一つ息を吐く。 ため息ではない。 ただの呼吸だ。 賢二郎は自販機にもたれかかっていた体を起こして、前髪を右手で払う。 そうしてようやくわたしの顔を見ると、なぜだか馬鹿にしたように笑いやがった。

「え、なに?」
「相変わらずひでー女だと思っただけ」
「ええ……?」

 苦笑いをこぼしたわたしをまた鼻で笑うと、「一生そうしてろ」と言って寮のほうへ歩いていく。 その言葉は字面ではきついものだったけど、声色は恐ろしいほど優しいものだったから、首を傾げてしまった。


ハイセンス・ナンセンス・アイラブユー(夜空)
▼title by リリギヨ