※未来設定




 朝五時半。夜が明けた空はどこか優しい色をしていて、雪が降っているにも関わらずやんわり温もりを感じる気がする。今日も良い日になる。きっと。そう心の中で呟いて、そうっとベッドから出た。
 まあ、大雪だし外には絶対出たくないんだけどね。苦笑いしつつ洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。お手洗いに言ってからキッチンに戻って、いつも通りコーヒーメーカーに豆を入れてスイッチを押した。今日は何を食べようか。昨日は遅くまで起きていたし、パンよりはご飯とお味噌汁って感じかなあ。寝癖がついている髪を適当にまとめてから冷蔵庫を開ける。うーん、昨日面倒臭がらずに買い物に行っておくべきだった。かすかに後悔しながら冷蔵庫を閉めて、少し考える。
 ご飯とお味噌汁、あと卵焼きは作れる。それだけでも立派な朝食かなあ。でも、一日のはじまりだし、もうちょっと特別感がほしいな、なんて思ってしまう。まあ、きっと、後から起きてくる人はそんなことは言わないのだけれど。
 とりあえずご飯は炊くことにして、鍋に水と和風だしを入れて中火にかけておく。ねぎはもう切ってある分があるし、豆腐もすぐ切れる。卵焼きは後で作るとして、あと一品ほしいなあ。ぼんやりそんなことを考えながら、自然と足が寝室へ向かっていく。
 そうっと開けたドアの先。規則正しい寝息だけが聞こえる部屋にそうっと踏み入れて、寝ているその人の顔を見つめながらしゃがむ。眠ると少し幼い顔つきになる。それがかわいいから見たくて、いつも早起きしてしまう。たまにはゆっくり寝ればいいのに、と言ってくれるけれど。好きでやっていることだからいいの、といつも笑って返している。
 英太、昔から何も変わらないなあ。見た目もそうなんだけど、なんか、いろんなところが? なんて言い表せばいいのか分からない。でも、つまりは、変わらず好きだなあといつも思う。
 つん、と鼻先を指でほんの少しだけ触ったら、ゆっくりと目が開いてしまった。起こしちゃった。謝りつつ「おはよう」と言ったら眠たそうな声で「はよ……」と言ってゆっくり目が閉じられていく。二度寝かな。そう観察しているとゆっくりと目が開いてきた。「まだ五時半すぎだから寝てれば?」と声をかける。英太は前髪をくしゃくしゃと直しつつ「五時半って……も寝ろよ……」とあくびをこぼしながら言った。

「朝ご飯できたら起こすから。寝てなって」
「休みの日くらいゆっくり寝ろよ……俺のことはいいから……」
「いいの。やりたくてやってるだけ」

 はいはい寝て、と起き上がろうとした英太の肩を押してやる。力なくベッドにへたり込むと「ん〜」と眠たそうな声で呻きつつ手を伸ばしてきた。わたしの頭をわしゃわしゃと乱暴な手つきで撫でつつ「なんでいっつも俺より先に起きてるんだよ」と呟かれた。これまでただの一度も英太より遅く起きたことはない。単純に平日はわたしのほうが家を出る時間が早いということもあるけれど、休日は確かにゆっくり寝ていたいなあと思う日もある。
 でもなあ。そう笑ってしまう。英太には一生分からないだろう。わたしが英太が寝ている間に朝ご飯を作って、英太を起こして、わたしが作った朝食を一緒に英太と食べることをどれだけ楽しみにしているか、なんてことは。
 寝室のカーテンはいつもわたしが開ける。今日の光をこの部屋に入れるのはわたし。英太はその光が眩しくて目が覚める。英太が食べる朝食の準備も、英太が起きた後に布団を整えるのも、空気を入れ換えるのも全部、わたしが好きでやっていることだ。わたしがそうすることで英太は少しでも良い朝を迎えてくれているのかな、なんて。
 わたしにしかできない特権だと思っている。英太の朝を作るのはわたししかできない、させてもらえないとても大事なルーティンになっているのだ。それを英太はずっと知らないまま。

「顔洗ってくる……」
「寝てていいのに」
「起きる……」

 もたもたベッドから起き上がった英太の手を笑いながら引っ張る。わたしもそろそろお味噌汁作りに戻らなきゃ。そう笑ったら「今日ご飯? やったー」とぼんやり笑った声が返ってきた。ご飯とお味噌汁メニューにして大正解だったらしい。わたしも嬉しい。やったー。なんてね。
 英太を送り出してから寝室のドアを閉めた瞬間、ぎゅっと温かい体温を感じた。びっくりして固まっていると、耳元で「いつもありがとな」と呟かれる。お礼を言われたくてやっているわけじゃない。でも、そう言ってくれると、嬉しくて。「どういたしまして」と笑いながら返して腕を軽く撫でる。英太は小さく笑ってからぱっと腕を離して、洗面所のほうへ歩いて行った。
 もう、好き。一人でそんなふうに悶えつつキッチンへ戻る。くそ、やっぱり昨日買い物行けばよかった。朝からフルコースの豪華なご飯作りたい気持ち。やだ、もう、本当に。卵焼きではわたしの気持ちが込め切れない。どうしてくれる、この溢れる気持ち!
 だしを取るために入れた昆布を出す。冷蔵庫から出した豆腐をいつもの大きさに切って鍋に入れ、一緒にねぎとわかめ、油揚げを入れた。いつも使っている味噌を出し、適量を掬って溶き入れていく。
 お味噌汁の様子を見つつ、冷蔵庫から卵を出して卵焼きの準備をしていると視線を感じた。ふと振り返すと、洗面所の入り口で英太が歯ブラシをくわえてこっちを見ていた。

「何? ちゃんと磨かないとだめだよ」
「ん〜」

 小さく笑って洗面所へ戻っていく。何だったんだろう。少し不思議に思いつつ卵を割る。お味噌汁に使ったねぎが残ってるからこっちにも入れようかなあ。あと一品は、もうどうしようもないのでお漬物で勘弁してもらおう。卵を溶きつつちょっと残念に思っていると、洗面所のドアが閉まった音がした。足音がこちらに近付いてくると、すぐそばの壁にもたれかかって英太があくびをこぼしたのが見えた。ああ、そういえば。コーヒー淹れてあるんだった。うっかり忘れそうになったそれを思い出してコップを取り出すと、英太が「ん」と手を伸ばしてくれた。わたしのコップまで持ってくれたからわたしの分まで入れてくれるのだろう。ありがとう、と言ったら「いや、俺入れてるだけだし。ありがと」と逆にお礼を返されてしまった。

「寝てればよかったのに。ごめんね、もう少しでできるよ」
「全然待ってないし、むしろゆっくりしてほしいくらいなんだけど」
「なんで?」

 早くしたほうが早く食べられるのに、変なことを言うね。思わず首を傾げてしまった。そんなわたしをおかしそうに笑って見つめて「なんでも」としか答えてくれない。なんで教えてくれないの。そう肘で脇腹を突いてみても「なんでもだって」と笑いばかりで、教えてくれそうになかった。


あなたの朝がほしい
▼title by はたち