合宿二日目の夜は雨だった。 昼過ぎにぱらぱらと降り始めたそれのせいで洗濯物は十分に乾かずじまい。 スコア取りを一年生に任せて大急ぎで取り込んだのでぎりぎり濡れずに済んだだけマシだと思うことにした。 本来は外周をする予定だったのが急遽変更。 練習時間も若干短くなるとのことだったので、ボトルやタオルの補充を一年生に説明してまたすぐに走って合宿所へ戻った。 そこからお風呂掃除をして、夕飯を作ってくださる方たちの手伝いをし、その人たちに「明日も宜しくお願いします」と笑顔でお見送り。 洗濯物の中で洗い直しになったものだけを避け、無事だったものを大急ぎで畳んで、用途別に分けて所定の位置に置いておく。 食事のタイミングは都合に合わせてもいいと監督から言われているので、先にいただいておくことにした。 選手たちは夕飯をとったあとに三年生から順にお風呂に入るのだけど、時間が来るまで一年生は合宿所の掃除をやる決まりになっている。 一年生とはいえ練習を終えてへとへとになっている選手だ。 少しでも苦労が減るように目についたところは掃除しておくことにする。 監督とコーチ、三年生の数人に伝えておけば一年生が怒られることもない。 掃除ができていないところだけ一年生に教えれば苦労は最小限で済むはずだ。 あとで工あたりを捕まえて教えよう。 急いで夕飯を食べ終わり、食器はあとで片付けることにする。 食堂を急いで出てからほうきを手に取った。
 あらかたの掃除を終え、時計を見るとあと十分ほどで選手たちが食堂へ来る時間だった。 またしても大急ぎで掃除道具を片付けて食堂へ戻る。 今日の夕飯はカレーライスだ。 ごはんとカレーを交互によそいつつ着々と準備を進めていく。 配膳係の一年生がそのうち来てくれるだろうからスプーンとお茶の準備は任せることにして、ひたすらにカレーをよそい続けた。 そうこうしている間にさっそくやってきてくれた配膳係五人に指示を出す。 慣れない手つきで配膳していく姿はなんだかかわいらしかった。
 六人で慌ただしく準備をしていると賑やかな声が聞こえてくる。 食堂のドアが開くと「俺大盛りがいい!」とうるさい山形の声が響いた。 全員平等なので却下。 そう言えば山形はぶーぶー言いつつも大人しく自分の席についた。 他の一年生たちも配膳を手伝ってくれたおかげで夕飯の支度はスムーズに終わった。 ほっとしつつ「おかわりは速いもの勝ちで」と言うと全員から返事が返ってきた。 監督の「いただきます」のあとすぐに選手たちからも「いただきます!」と元気のよい声が聞こえる。 それに少し笑っていると、瀬見が「あれ、は食わねーの?」と首を傾げた。 それに続いて天童も「ちゃんどこ座るの?」と首を傾げるものだからちょっと笑ってしまう。 「もう食べたよ」と言えば二人とも「そっか」と言ってカレーを食べ始めた。 一日目はみんなと一緒に食べたから気にしてくれたのだろう。 食べ終わった食器はカウンターに置いてほしい旨を伝えてから食堂を急ぎ足で出る。 きれいに掃除したお風呂にお湯を溜めなければ。 ついでにタオルも置いてこよう。 合宿所のタオルをかごいっぱいに入れてからお風呂場へ向かう。 人数分毎日業者の人が持ってきてくれるものなので数える手間がなくて助かる。 脱衣所の真ん中に置いておき、そばに使用済みのタオル入れを置いて終了。 そのままお風呂場へ入って行って、管理人さんに教えてもらった通りにお湯を溜める手順を終えた。
 よし。 心の中でそう呟いてからまた急いでお風呂場を後にする。 今度は洗濯場へ向かわなければ。 練習中に使ったタオルは一年生たちが回収してくれているし、ボトルも回収してもらっている。 それを洗って明日また使えるように準備するのはわたしの仕事だ。 それが終わったら次は食器を洗わなければ。 お風呂は一年生が洗ってくれるし、タオルも一年生が回収場所へ持って行ってくれる。 食器を洗ったら部屋についている小さなお風呂に入って、明日の準備を少しすれば今日の仕事は終わりだ。 あとひと踏ん張り。 きゅっと握った拳はなんだか満ち満ちていた。









「あれ、は?」

 きょろきょろと辺りを見渡す瀬見さんがそう言う。 先輩たちも同じように辺りを見渡しながら「そういえば飯のときから見てないな」と言えば「忙しいのかなあ」と瀬見さんは頭をかいた。
 風呂上がりに先輩たちと二階の大部屋で談笑していたのだけど、途中で天童さんが「ゲームしようよ」と言い出して手作り人生ゲームで遊び始めた。 瀬見さんはそれにさんも呼ぼうとしたようだったが、部屋にもいないしどこにいなかった、とのことだ。 電話をしても出なかったそうなので諦めて帰って来たらしい。 それに五色が「残念です」と呟いたのに白布がいち早く反応した。

「というかなんでお前はここにいるんだよ。 一年は風呂終わったらやることあんだろ」
「分かってますよ! でもさんがやってくれていたので、休んでいいって言われたんです!」
「ああ、だから他の一年もいるのか」

 白布は納得しつつも「さんにやらせてんじゃねーよ」と五色を軽く睨む。 それに五色は「ウッ」と苦しそうな顔をした。 あわあわしつつも「だ、だってさんが先に全部やっちゃってるんですもん」と悔しそうな顔をしている。 五色というやつは変わっていて、練習にも全力だが一年生がやらされる雑務にも全力を注ぐような真面目人間なのだ。 掃除や準備にも積極的で、誰よりも早く仕事を始めるタイプのやつだ。 だからなのか、さんに先回りされることは少し悔しいらしい。 練習後の軽い掃除や風呂当番、洗濯に夕飯の手伝い、ボトルやタオルの準備などは本来は一年生の仕事だった。 数が半端じゃないしとても一人ではさばき切れない量だからだ。 けれど、さんという人は時間の使い方が上手いのか、一人でできてしまうのだ。 俺たちが一年生、さんが二年生のときはもう少し仕事を残してくれていた印象だけれど。 今年はほとんど一年生に仕事を残していないようだ。 先輩たちはそれに感心しつつも「無理してなきゃいいけど」と心配そうな声を上げる。
 手作りのサイコロは出る目が偏る。 大平さんが本日五度目の三を出したところでソファから立ち上がる。 瀬見さんが「次太一だけど?」とサイコロを渡してこようとするので「白布パス」と言えばものすごく嫌そうな顔をされた。 「トイレだって」と言えば渋々サイコロを受け取り、渋々代わりに参加してくれるようだった。
 大部屋を後にして階段を降りる。 もう選手のほとんどは二階に集まっているので一階は静まり返っていた。 二階にもトイレはあるのだけどわざわざ一階に降り、階段から一番近いトイレは通り過ぎていく。 突き当たりにあるドアをそうっと開けると、静かな水の音が聞こえた。

「……ちわーっス」
「うわあ?!」

 ごとん、と何かが落ちた音がした。 シンクの前で驚愕の表情を浮かべてこちらを見ているさんは「もう、びっくりさせないでよ!」と胸をなでおろした。 落ちたのは湯呑だったらしい。 シンクの中だったし大した高さでもなかったから割れはしなかったようだ。 さんは湯呑を拾い上げるとひび割れていないか確認してから、スポンジで丁寧に洗う。 視線をそちらに向けつつ「どうしたの? 飲み物なら大部屋に置いてきたよ?」と不思議そうな声で言った。 たしかに大部屋には合宿所の人が差し入れで持ってきてくれたジュースやお茶が紙コップとともに置かれていたっけ。 「あ〜」と言いつつさんに近付いていく。 そうして隣に立つとさんは俺を見上げて「ん?」と首を傾げた。

「それ」
「それ?」
「手伝っていいスか」
「え、そんなのいいよ別に。 明日もあるんだしもう休んだら?」

 撃沈。 さんはけらけら笑いながら「何を言うかと思えば」と肘で俺の横腹をつついた。 それに若干むっとしつつも態度には出さない。
 練習中、慌ただしく一年生に何かを指示するさんを見た。 窓を見たらぽつぽつと雨粒がついていて、さんが干した洗濯の心配をしているのだと分かった。 さんが大急ぎで出て行ったあと、一年生たちがタオルやボトルの補充、回収をはじめたのでそれを指示していったこともすぐに分かった。 それからさんは帰ってこなくて、ああたぶん食事の準備や掃除なんかもしてくれているのだろうな、と容易に想像できて。 体育館を見渡して、きっと今さんが何をしているのかなんてことを考えているのは俺だけだろうな、と思ったら、なんだか気恥ずかしくなった。
 一年生の仕事をほとんど全部やってるし。 一緒に夕飯食べないし。 気付いたら風呂が溜まっていて、気付いたら掃除も終わっていて、気付いたら洗濯も、諸々の準備もすべて終わっている。 それをいちいち「さんがやってくれたんだなあ」と思う自分に、また気恥ずかしくなった。

「ひまなんで」
「ひまなら休め! とくに川西はレギュラーなんだし、大事にしないと」
「ならさんは一人だけのマネージャーなんだからもっと大事にしないとですけどね」
「言うようになったね〜」

 そんな点数稼ぎしたって大盛りにはしないよ〜、なんて笑われた。 点数稼ぎですか、そうですか。 内心そう拗ねつつじいっとさんの手元を見る。 俺たちがきれいに平らげたカレーの皿や湯呑、サラダのボウル。 山積みになっているそれは一昨年まで一年生がやる仕事の一つだったそうだ。 去年からマネージャーであるさんがやることになったのだけど、それを言い出したのはさんだったのだという。 「せっかくマネージャーがいるんだから、そういうのはマネージャーがやればいいんだよ」と牛島さんに言って半ば強制的にマネージャーの仕事にしたのだとか。
 さんは皿を洗いつつ俺の顔をまた見上げて「本当に大丈夫だって。 ごめんね、気を遣わせて」と笑った。 いや、謝られる理由がないんですけど。 またむっとしつつ「いや」とだけ口から出て行った。

「本当にひまなだけなんで」
「ひまならもう寝なってば」
「嫌ですね」
「わがままか」
「もうちょっとさんと喋りたいんで、って言ってもだめスか」

 ちょっと、思い切った、つもり。 どきどきしつつそうっとさんの表情を窺う。 赤い顔をしてどきどきしてくれてないかな、なんて期待した。 なにそれ、やめてよ、照れるじゃん。 そんな反応をしてくれるかなあ、なんて。 まあ、期待した俺がばかなんだけど。 さんはいつも通りけらけら笑いながら「わたしはひまつぶし相手か」とまた肘で横腹をつついてきた。 げんなり。 だめだ、この人。 まるで何も読み取ってくれない。 深いため息をつくとさんは「え、なにそのため息」とまた笑った。
 洗い終わった食器たちの近くにふきんが置いてあるのを見つけた。 もうこれは強行突破しよう。 そのふきんを手に取ると、まだ使われていないものだったようだ。 洗い終わったらこれで食器を軽く拭くつもりだったとみた。 「いいってば」と言うさんを無視してそれで食器を拭き始めると「利かん坊め」と苦笑いされた。 さんは諦めたようで「びしゃびしゃになったらそこに新しいのあるから」と教えてくれた。

「川西はいい旦那さんになるね」
「マジすか。 どうですか家に一人」
「セールスマンか!」
「逆にさんはいい奥さんになりそうなんで川西家に一人お願いします」
「なんだそれ」

 おかしそうに笑う。 ちょっと照れるとかそういうのないんだな、この人。 結構思い切ったことを言ったつもりだったのに。

「でも本当にいい旦那さんになりそう。 これ洗ってよ〜ってお願いしても怒らなそうだし」
「かわいくお願いされたら何枚でも洗いますけど」
「かわいくかあ」
「ちょっとやってみてください」
「今日はやたらとノリがいいね?」

 笑いつつも「う〜ん」と考えてくれている。 そういうノリの良さも、まあ、うん。 好きなんだよなあ、俺は。
 ふきんが濡れてきたので新しいものを出す。 使っていたものはかけるところがあったのでひとまずかけておくことにした。 さんは皿を洗いつつしばらく「う〜ん」と唸っていたが、突然黙ると「一番、、いきます」となぜかオーディション風に言った。
 さんの肩がとん、と俺の腕にぶつかった。 少し上目遣いをされた時点で、正直もう俺の中では即合格の勢いだった。

「ねえ太一くん、これ洗ってほしいなあ」

 少しの沈黙。 じいっと俺の瞳を見つめていたさんはすっと離れると「どうだ!」といつも通りに笑った。 それから「判定は? 合格? ねえ合格?」と俺の腕をちょいちょいつつく。 いろんなものを飲み込みつつ、「結婚スね」と答えたらさんは「やった、合格じゃん」と嬉しそうに言った。 この人はもう、本当に。 表情は崩れていないと信じている。 けれど、正直心臓はばくばくとうるさいし、中はもうなんだか、何もかもが爆弾で吹っ飛ばされたみたいになっていた。


永遠に今を祝おう

▼title by 銀河の河床とプリオシンの牛骨