わたしってなんでこうなんだろうなあ。ぽつりと呟いたら隣に腰を下ろしていた研磨が「え、いまさらなの」と眉間にしわを寄せた。
 音駒高校バレー部の夏季合宿最終日。監督とコーチがサプライズで用意してくれた花火を子どものように全員楽しんでいる。みんなでぎゃーぎゃー騒ぐのが得意ではない幼なじみの研磨は体育館の壁の近くに座って一人でずっと線香花火をしていたらしい。そんな研磨の横に来て「わたしもやるー」と手を伸ばしたその瞬間、「今回の成果はどう」なんて真顔で聞かれて固まってしまったものだった。

「どうしたら女の子として見てもらえるのかなあ」
「まず茶化してカッコイイ連発するのやめたら」
「むり! だってかっこいいんだもん」

 夜久さん。声にならなかったそれを研磨はよく分かっていて、「そうだね」と少し笑ってくれた。少し離れた場所で花火を持ったリエーフに追いかけられているその人が、わたしの片思いの相手だ。
 夜久さんとはじめて会ったときは「あ、なんか小さくてかわいい」なんて失礼なことを思った。わたしより少し大きいか同じくらいか、それくらいの身長の夜久さんは目がまんまるで、肌が白くて、髪の毛が淡い色で、なんだかかわいかった。思わず「かわいい」と言葉を漏らしたらキレられたけど。
 でも本当はかわいい人なんじゃなくて、誰よりもかっこいい人だったのだ。どう言葉にすればいいのかわからないけど、とにかくかっこよくて、かっこよくて、かっこよくて。気が付いたら「夜久さんかっこいい」がわたしの口癖になっていた。

「今日は何回言ったの」
「四十八回」
「きもちわる……」
「研磨が聞いてきたんじゃん!」

 はじめのころは夜久さんも言われるたびに照れてくれていた。でも、まあ、言われていくうちに誰だって慣れていくわけで。気が付いたころには「夜久さんかっこいいです!」「あーはいはい。タオルくれ」というような感じになっていた。何回かっこいいと言っても、勇気を出して好きだと言っても、もう夜久さんは本気でとらえてくれなくなってしまったのだ。
 この状況を打破すべくいろいろやってみた。友達に教わって化粧を覚えてみたり、あまり穿かないスカートを着てみたり、髪をくくるときはシュシュを使ってみたり。どちらかというと女の子らしくなかった自分がいけないのか、そう思っていろいろやってみたつもりだったんだ。まあ、ぜんぶ効果はなかったのだけど。

「夜久さんかっこいい」

 冗談なんかじゃない。言葉にするたびに胸の奥がきゅんきゅんするくらい、本気なのに。言葉で伝わらなくなっちゃうなんて、もうどうしようもないじゃんか。
 線香花火がぽとりと落ちてしまう。バケツに残りを捨てるとき、バケツの中にかなり花火のごみがたまっていることに気が付く。急な花火大会だったのでバケツが小さいものしかなかったのだ。気晴らしもしたかったのでバケツを手に取ってごみを捨てにいくついでに水も変えることにする。研磨は燃え尽きた線香花火のごみを最後にそのバケツに捨てる。立ち上がったわたしを見上げて「まあ、あんまり悩まなくていいんじゃない」と呟く。立ち上がってクロの方へ歩いてく後ろ姿はなんだか面倒くさそうだ。
 悩むに決まってるじゃん。だって、夜久さんと当たり前に過ごせる夏は、今年で最後なんだ。早くつなぎとめないと、来年はないんだ。大好きでかっこいい夜久さんに、当たり前に会える夏は、もうないかもしれないんだ。そう思ったらバケツの持ち手を握る手の力が強くなる。つなぎとめたい。夜久さんとの来年を、自分の力でつなぎとめたい。そう思えば思うほど想いが溢れてとまらなくなるのだ。





→ → →






「なにしてんだ、一人で」

 はっと顔を上げると夜久さんがなんだか怖い顔でそこにいた。理解不能なまま辺りを見渡すと真っ暗な外、水道、足元には水が入ったバケツ。なんでわたしここにいるんだっけ? 少し考えてようやく思い出す、ああ、花火大会のバケツの水変えに来てたんだった。でもなんで夜久さん怒ってるんだろう?

「こんなところで寝る馬鹿がいるか!」

 ぱしん、と軽く頭を叩かれる。え、わたし、寝てた? 素でそう返してしまう。夜久さんは呆れたような顔をして「もうとっくに花火終わってんぞ」とため息をつく。ポケットに入れていた携帯で時間を確認する。もう夜九時半を回っていた。今日は九時に解散して全員家に帰る予定だった。ということは集合時間になっても来ていないわたしを探してくれていた、というわけか。

「すみません、なんか眠くなっちゃって」
「馬鹿か!」
「いてっ、ちょ、夜久さんさっきもですけど女の子叩いちゃだめですよ!」

 笑って夜久さんの手をつかむ。夜久さんはまた大きなため息をついて「送ってってやるから支度してこい」と言って、バケツの中の水を捨てる。バケツは学校のものなので夜久さんが用具庫へ持って行く。その間に荷物を置いていた部室に向かう途中で不思議に思う。クロや研磨、他の部員はもう帰ったのかな? いやさすがにそれはないか。みんな揃って帰るに決まってる。みんなで探してくれていたのかもしれない。というか研磨はわたしがバケツの水変えに行ったの知ってたはずなのに。首をかしげる個所はいくつもあったけど考えてもよく分からなかったので後で夜久さんに聞くことにする。
 部室のそばに来ると、「ん?!」と思わず声が出た。部室の中にあったはずのわたしの荷物が外に出されている。なんでだ?! そう思いつつ荷物を手に取る。部室の扉を一応開けようとしてみたけど、ばっちり鍵がかかっていた。これは確実にクロたちはもう帰っていったということなんだろう。え、なんで? わたしが集合時間に帰ってきてないのに? あとなんで夜久さんだけが残ってるの? うれしいけど。

「荷物大丈夫だったか」
「わっ! え、あ、はい、だいじょうぶ、でしたけど」
「じゃあ帰るぞ」

 夜久さんはそのまま無表情に歩き始める。さっき送ってくって言ってたけど、夜久さんの家とわたしの家って反対方向だったような。そう思いつつも言葉にはしない。だってこんな幸せな時間、自分から捨てたくない。夜久さんにはちょっと申し訳ない気持ちがわくけど、結局は自分のことがかわいい。夜久さんの言葉に甘えてその隣を歩かせてもらう。

「夜久さん、みんなはもう帰っちゃったんですか?」
「どっかの誰かさんが集合しないから全員で探して見つかったのち帰ったぞ」
「じゃあ夜久さんだけ待っててくれたってことですか?」
「じゃんけん負けただけだっつーの」
「ええ……」

 でこぴんをかまされる。夜久さんはでこをおさえるわたしを見てまたため息をついた。今日の夜久さん、いつにも増してため息が多いような? リエーフのレシーブがそんなに上手くならなくて悩んでるのかな? それとも夜久さんを困らせるトラブルメーカーその2のわたしのことかな? どっちなのか悩んでいるわたしの横で夜久さんは「そういえば」と口を開く。合宿後に組まれている練習試合の日程の確認をし始めるので、クロから預かっている仮日程表を鞄から探す。片手でごそごそと探していると夜久さんは「最後の夏か」なんて呟くものだから、足が止まってしまった。あ、夜久さん、不思議そうな顔をしてる。でも、分かってほしい、これくらいのことは。

?」

 夜久さんとはじめての夏、夜久さんへの気持ちに気付いた。夜久さんがかっこいいことも、夜久さんがいろんな意味で大きい人だってことも、夜久さんのことが好きだってことも。わたしの心に押し寄せてきたいろんな感情は、恐らくわたしの箍を外してしまったのだろう。はじめて「夜久さんかっこいい」を口にしたのも、その日と一緒だったと思う。はじめての夏は夜久さんの隣にいるだけでもう大満足で。夜久さんが笑ってくれるだけで、名前を呼んでくれるだけで、夜久さんのことがもっともっと好きになった。もっともっと夜久さんのそばにいたい。来年も再来年も、ずっとこの先も。そう思っては口から「夜久さんかっこいい」が出て行った。
 でも、今年の夏。夜久さんが笑うたび、名前を呼んでくれるたび、隣にいるたび。たまらなく夜久さんのことが好きなのは変わらなかったけど、それと同時にさみしくて悲しくて心が張り裂けそうになった。ああ、もう、来年、夜久さんは、ここにいないのだ。そう思い知って、焦って、空回って。夜久さんはわたしの知らない場所でわたしが知らない時間を過ごしていくんだ。きっと、この時が終わったら。わたしの知らない人が夜久さんの隣にいるかもしれない未来を思い描いたら、かなしくてつらくてさみしくて。

「え、なに、どうした」

 夜久さんがずっとずっと遠くにいってしまうのが、どうしうようもなく耐えられなくて。伸ばし続けた手が届かなくて、どうにもこうにも届かなくて。指先まで力を入れても、届いてくれと願っても、夜久さんの背中には届かない。そんな気がしてしまって、もう自分の気持ちを余計に抑えられなくなった。

、どうした? 俺なんか言った?」
「……夜久さんかっこいいです」
「え、またそれかよ」
「夜久さん、すごく、すごく、すごく、世界で一番かっこいいです」
「……ど、どうした、、え、てか泣いてる?」
「夜久さん」
「は、はい」
「好きです」

 来年も再来年も、この先ずっと隣にいさせてください。言葉は涙に濁されて零れ落ちてしまう。鞄からようやく見つけた仮日程表を取り出して「どうぞ」と泣き声のまま夜久さんに手渡す。夜久さんはしどろもどろにそれを受け取りつつ、口を開けたままわたしの顔を見ている。恥ずかしい。こんな泣くとか、いつぶりだろう。それでもなお流れ続ける涙を手で何度も何度もぬぐう。何度でも何度でも流れるそれが憎くてたまらないけど、まあ、よくここまで耐えてくれたと今は褒めておこう。
 夜久さん好きです、大好きです。その気持ちが溢れては消え、溢れては消え、また溢れる。
 夜久さんはそれを吹き飛ばすように、また大きなため息をついた。ああ、いつも通りの反応だ。もうきっとこれが最後の告白だった。もう使い古してぼろぼろになった言葉は夜久さんには届かないのか。

「またそれかよ」

 いつも通りの声だ。大好きなわたしの声はいつも通り少しだけ呆れていた。





← ← ←






「黒尾、いねーぞ」
「え、あの馬鹿どこ行った」

 九時少し前に全員で部室へ荷物を取りに行くとき、の姿がないことに気が付いた。いつもなら俺の近くにいてうるさく騒いでいるのがいないのだから気付かない方がおかしい。幼なじみの黒尾は気付いていなかったようだが。黒尾が携帯電話を取り出して電話を掛けようとしているのか、いじりはじめた瞬間に「大丈夫だよ」と研磨が呟く。

なら水道のとこだと思うよ」
「おーじゃあ迎えに、」
「おれたち先帰るから夜久くん、連れてきて」
「え?!」
「クロ、みんなも帰ろう」
「え、ちょ、おい、研磨、本気?」
「本気」
「あー……らしいから夜久、頼んだ」

 黒尾が苦笑いしながら手を振る。俺に押し付けたとも見えるそれを振ってきた当の本人は、ちらりとこちらを見て口パクで何かを言う。それが何なのか分かったのはたぶん俺だけだ。

がんばって。

 してやったり、という風に見えなくもない顔。さすがは俺たちの脳というべきか。何もかもその目に見抜かれていたというわけだった。










「またそれかよ」

 言った瞬間にの顔が少し歪んだのがよく分かった。よく分かったけど、何回も言われているこっちの身にもなって考えてほしい。何回も何回も言われているとそのうち冗談に聞こえてくるし、正直馬鹿にされているのかと思うくらいだ。今日なんか練習中に四十八回も言われてるんだ、そうなって仕方ないだろう。

「続きはないのかよ」
「……へ」
「好きです、の続き」

 間抜けな顔をする。冗談だと決めつけていたわけじゃない。冗談かもしれないと疑っていただけだ。それは俺のせいでもあり本人のせいでもある。何度も何度も繰り返し言われたこともあるけど、何より、が怖がってその先を言わなかったから。かっこいいです、好きです。だから何が言いたいのか。俺に何をしてほしいのか。俺とどうしたいのか。何かを要求されなくちゃ、答えをはっきり出せない。

「つ、続き、ですか」
「おう」
「……?」
「はて? みたいな顔すんな!」

 ぺしっと軽く叩く。の涙はいつしか止まっていて、いつも通りの顔に戻っていた。「なにするんですかー!」と俺の腕をつかむと、いつもの調子で「でも好きです!」と言い出すもんだから呆れてため息が出た。

「俺のことがかっこいい、俺のことが好きっていうのは分かった、聞き飽きた」
「ひ、ひどい」
「だからお前は俺に何が言いたいんだよ」
「……え、かっこいいです、好きですって言いたいです」
「そうじゃなくて!」

 あ、ちょっと不安になってきた。自惚れてるのだろうか。そういう意味じゃない意味で言われていたのだとしたらこれは格好悪い。少し焦ってきた気持ちをぐっと押さえつけて言葉を探す。

「その先は!」
「そ、その先」
「かっこよくて大好きな俺と! お前は何がしたいんだ!」
「な、なにが……」

 俺ものすごく恥ずかしいやつになってないか? かっこよくて大好きなとか自分で言うのおかしくないか? あざ笑うかのように光る月を背に、まっすぐにの瞳を見つめたは戸惑いながらも必死に考えているようで、少し目が泳いでいる。泳いで、泳いで、泳いで。そうして陸にたどり着いたのか瞳がきらりと光って、また溺れそうになっている。

「らいねん」
「……おう」
「来年も、夜久さんと、一緒にいたいです」
「……おう」
「来年も再来年も、ずっとずっと、夜久さんと一緒に、いたい、です」

 だから。そこから言葉は続かなかった。泣きじゃくって言葉が出なかったのか、俺からの言葉が怖かったのか。俺には分からないからただ待つことしかできない。別に自惚れていたわけじゃない。そう思いたい。そう信じ続けた。ずるずる信じ続けていたらこんなところまで来てしまったわけだけど。こうなったことには俺の責任もある。少しの手助けくらい、してあげようか。
 の頭に手を置く。くしゃくしゃと撫でたら、は目を真ん丸にして余計にうるうるさせた。その目はまさに「信じてもいいのかな」とでも言いたげな含みのある色をしていた。

「つ、つきあって、ください……」

 ぐちゃぐちゃな顔のままはか細い声で呟く。今にも声を上げて泣き出しそうな顔からは恥ずかしさと緊張が伝わってきた。いつもはふざけながらかっこいいだの好きだのと軽々しく言ってくるくせに。やっぱりあれ、嘘だったんじゃねーか。危うく騙されるところだっただろうが。

「待ちくたびれたっつの、馬鹿」


ありふれた恋に乗せてゆく
▼title by 金星