衛輔の部屋は昔からきれいに片付いていた。 整頓上手で無駄なものを一切持たない。 それなりに部屋のほこりをとったりもしているようで、いつだって衛輔の部屋は清潔感で溢れている。 そんな衛輔の部屋において、唯一スペースをとっているのがバレー関係のものだった。 バレーボールやそれに関する本、ビデオにユニフォーム。 無駄な物はすぐに捨てる衛輔がその類の物はすべてとっておいている。 衛輔にとってバレーボールはものすごく大切なものだと一目で分かるのだ。

「あれ、本棚の本減った?」
「あーこの前掃除したとき何冊か捨てたから」

 衛輔は本棚をちらりと見てそう呟く。 すぐに視線を机の上に戻すと、今日出たばかりの課題に取り掛かった。 私も少しだけ反応してから続いて課題に取り掛かる。
 衛輔とは小学生からの付き合いだけど、昔からなんでもかんでもすぐに捨ててしまう姿が印象的だった。 小学校で配られたプリントを「要る物」と「要らない物」に即座に分けていたり。 諸々をそんな風に分けてはなんとなく人間味がなくなる瞬間もあった気がする。
 それと同時に、衛輔にとって私はどちら側なんだろう、なんてことを考えてしまう。

「手、止まってる」
「ここ分かんない」
「どこ?」

 衛輔はテキストをのぞき込む。 分からない箇所を指さすと、衛輔は即座に「二ページ目の公式」とだけ言って自分の課題に戻った。 衛輔に言われた通り二ページ目をめくり公式を見つけ出し、それに当てはめてなんとか問題を解く。 衛輔がやっているのは昔の文豪の作品の書評のようだ。 どこかつまらなさそうにページをめくる姿は何もかもに無関心にも見える。 まあ、衛輔らしいといえば衛輔らしい姿だ。 衛輔がバレー以外のものに関心を示している姿を最近あまり見なくなった。 それは別に悪いことじゃないし、むしろ夢中になれるものがあるのはいいことだと思う。 けれど、ちょっとだけ寂しくなってしまうのだ。

「お前数学苦手だっけ」
「別にふつう」
「ふーん」

 衛輔は開いていた本を閉じてぽいっと布団の上に投げた。 もう内容を覚えたらしい。 すらすらと書評を書き進めながら「あー」とか「うー」とかうなり続けている。
 要らないものはすぐに捨ててしまう衛輔はきれい好きだと思うしすごいとも思う。 けれど、衛輔にとっての大切なものがとても少ないのだと目に見えて分かってしまう。 それがどことなく悲しいというか、寂しいというか。 衛輔にとってはほとんどが要らないものなのだと思うとなんだか心が痛くなるのだ。 大切なものが少ないから悪いとか良くないとか、そんな風には思っていないのだけれど。

「衛輔って」
「なんだよ」
「……衛輔って、さー」
「だからなんだよ」

 衛輔が少しイラついた顔をしてこちらを見る。 顔が小さいくせに目が大きい可愛らしい顔に睨まれても全く怖くない。 私の言葉を待っている衛輔を無視してその顔をじっくり観察する。 衛輔の顔なんて見飽きたほど見ているはずなのに、どうしてだかこうしてまじまじと見ると目を離せなくなる。 なんだか、吸い込まれるような。 あまりうまく表現ができない。 衛輔の目が私をとらえて離さないのか、私の目が衛輔をとらえて離さないのか。 それすらもよく分からない。

「おい、なんだよ」
「……」
!」
「衛輔」
「……だから、なんだよって聞いてんだろ」

 怪訝そうな顔をされてしまった。
 衛輔は昔から不思議な力を持っていた。 こうやって、人の視線をつかまえてしまう。 異性でも同性でも構わず。 そういう不思議な魅力がある。 でもそれを言葉に表すことはむずかしい。 誰もが衛輔のことを聞かれると「夜久? いいやつだよね」、「なんか分かんないけど好き」と答える。 はっきり物を言う性格だからなのか、面倒見がいい性格だからなのか、はたまたとっつきやすい性格だからなのか。 明確な答えは出てこない。 確かに言えることは衛輔は誰にでも好かれるし誰とでも仲良くなれる。 いつも周りには必ず誰かがいる。 私じゃないいろんな人を含めて。

「おーい、聞いてんのか」
「好き」
「は?」
「衛輔のこと好きだよ」

 私が衛輔から目が離せないのか、衛輔の目が私を離さないのか。 そんなものは愚問だったのだ。 答えは至極簡単なことで、どちらも答えでありどちらも間違っていたんだ。
 きょとんとした顔。 うるさい心臓の音。 視界に入るもの、聞こえてくるもの。 何もかもが私の血液を熱くするように思えた。 そんな時間が流れる。 衛輔は一瞬だけ視線を逸らして自分の手の甲を見たようだった。 すぐに視線は私の方に戻ってきたけれど、きょとんとした顔から赤い顔に少しだけ表情が変わっていた。
 ああ、私も要らないものに選別されてしまったら、どうしよう。 そんな不安はあったけれど、何よりも自分の気持ちに明確な答えが出たことに満足していた。 私、昔から、衛輔のことが、好きだったんだ。 友達としてではなく、幼馴染としてでもなく、男の人として。 片付けるのが得意じゃない私はそれを心の中で散らばらせたまま、ここまで来てしまったのだろうか。 気が付いたら何かに埋もれていたそれを踏んじゃったりしていて、ばらばらに砕けて歪な形となって今更見つけてしまった。 もしくは衛輔に選別されるのが怖くて隠しこんでいるうちに自分でも在り処を忘れてしまったか。 とにもかくにも、私は今更それを外に出して衛輔に渡してしまったのだ。 きれいに整っていない、歪なものを。

「なんか言ってよ」
「……なんかって言われても」
「要らないなら要らないって言えばいいよ」
「いらないってお前、」
「いつもみたいにすぐゴミ箱に入れちゃえばいいじゃん」

 瞬間、衛輔の手が私の手をシャーペンごとさらって、あたたかい体温が急に流れ込んできた。 ぎゅっと私の手を両手でつつみこんで、衛輔はなんだか必死そうな顔をした。
 衛輔の部屋はいつだってきれいで、どこを見ても必要な物しかない。 必要なときにどこにしまったのかを忘れるなんてないほどに。 はさみはここ、ペンはここ、定規はここ、のりはここ。 切れなくなったはさみや書けなくなったペン、欠けてまっすぐ線を引けない定規、使い切ったのり。 そんなものはどこにもない。 どこにも、要らないものはない。

「……別になんでもかんでも捨ててるわけじゃない」

 要るものは残す。 要らないものは捨てる。 あまりにもシンプルな選別方法に、私はいつの間にか恐ろしくなっていた。
 衛輔は私が握ったままのシャーペンをするりと抜き取る。 そっと私の手を握りなおすと、ひとつ息を吐いた。

「ほしかったものを、捨てたりなんかしねえよ」


宝箱の一番奥で砕かれた宝石