※未来軸




「これくらいで届く?」
「もうちょっと下やと嬉しい」
「ん〜」

 先週末に街を荒らし回った巨大台風。テレビで外の様子を見てぷるぷると恐怖に震えたことを思い出す。街路樹が今にも折れそうなほどの強風と、街が浸水するんじゃないかと思うほどの豪雨だった。思い出すとちょっと怖いくらい。
 元々今年の台風の強力さはメディアでよく報道されていたし、事前の対策がしっかりできていた家が多かったらしい。そのおかげでどうにか大きな被害はなかったそうだ。ただ、我が家には甚大な被害があった。

「飛んでった物干し、大丈夫やろか……」
「あんなガチガチに固定したのに根こそぎ持ってかれたらどうしようもないよ」
「人様の敷地にお邪魔しとったりしたら申し訳ない……」
「それ言うならうちは隣の机がブッ飛んできてるから」

 倫太郎は新しく買ってきた物干しラックを組み立てつつため息をついた。新しく買ってきた物干し竿。それもせっかく買い換えるなら、と元々高くて使いづらかったわたしのために低くする専用のアジャスターみたいなものも買ってくれた。高い位置に取り付けなければいけないので、朝から高さをわたしに確認しながら作業をしてくれている。
 うちの物干し系のものは、お隣さんのベランダに置かれていた机が吹っ飛んできたことにより木っ端微塵になった。お隣さんにはしこたま謝られた。でも、台風で机がパーティションを突き破るなんて誰が予想できようか。弁償すると言われたけど断って、代わりに前にお裾分けしてくれた手作りパイをまた食べたいです、と言ったら次の日には大量にお裾分けしてくれた。なんだか申し訳なかったけど、おいしいパイが食べられて嬉しかったなあ。倫太郎はちょっと呆れていたけど。

「これくらい?」
「ちょうどええわ〜! ありがとう」
「どういたしまして」

 新しい物干しラックと、低くなった物干し竿。嬉しい。これで洗濯物が干しやすくなった。そうにこにこしていると倫太郎が「あれも付けとく」と言って唯一無事だった物干しハンガーを設置しはじめた。優しい〜。そう茶化すように背中に投げかけると、倫太郎は「でしょ?」と得意げに笑った。
 うちのマンションの物干し、備え付けのものは結構高い位置にある。前々からそれに困っていたのだけど、これで悩み解決。そう上機嫌になっていると、ふと、倫太郎の背中がやけに気になった。抱きつきたい。うずうずしながらもぐっと堪えたけど、口が開いてしまった。

「……倫太郎」
「何?」
「…………やっぱええわ」
「え、何? 気になるじゃん」

 ベランダ用のサンダルを脱いで掃き出し窓を閉める。倫太郎は若干くたびれてきたスウェットのポケットに手をつっこんだままあくびをこぼした。わたしの隣に座ると、顔を覗き込んで「何?」と小さく笑う。ぐっ。好き。内心そう呟きつつも声には出さない。
 わたしと倫太郎が付き合いはじめたのは高校二年生の夏。夏休みの最終日だった。はっきり覚えている。いつも表情がいまいち顔に出ない倫太郎が、照れくさそうに顔を赤くして告白してくれたこと。すごくすごく嬉しかったから、忘れるわけがないのだ。
 倫太郎は知らない秘密がある。二年生のときに同じクラスになって仲良くなった倫太郎のことが、わたしは、一年生のころから好きだった。一目惚れだ。入学式が終わって家に帰るときにすれ違った。そのときに一目惚れした。でも自分から男子に話しかけられるようなタイプじゃないし、文化部だし、地味だし。そんな思いがあって一年間遠くから倫太郎を見て一人でにやにやしていたっけ。角名くん今日もかっこいいなあ、と。バレー部の試合もよく応援に行ったし、廊下ですれ違うときはこっそりガン見してたなあ。……なんてことを倫太郎は知らない。

「ねー、何?」
「ラック組み立ててくれてありがと〜」
「絶対それじゃないでしょ」

 笑ってわたしの頭をわしゃわしゃ撫でる。髪の毛ぐしゃぐしゃになったんだけど。そう笑い返したら、不意打ちでキスされた。こういうとこ、未だに慣れない。わたしの中で倫太郎は、永遠にかっこいい角名くん≠セから。何をされてもどきどきしてしまって恥ずかしい。

「気になるから言ってよ、

 つん、とおでこを指でつつかれた。そういうのもなんかかわいくてどきどきする。
 好きだなあ。毎日それを感じながら生活できるなんて、わたしは幸せ者だ。それを噛みしめながら、「角名くん」と懐かしい呼び方をしてみた。

「角名くんって。何、どうしたの?」
「わたし、角名くんのこと好きやで」

 高校生のころ、自分から言えなかった言葉。それを今更言ってみた。
 わたしね、角名くんがバレーボールをしているところが好きだよ。角名くんが頬杖をついてつまらなさそうに授業を聞いているところも、変な笑い声も、何でもかんでも面白がって動画を撮るところも、ぜんぶ、ぜんぶ。

「だーいすき」

 思わず笑っちゃうくらい。ちょっと気恥ずかしく思っていると倫太郎はちょっと目を丸くして驚いているようだった。じいっとわたしの顔を覗き込んだまま固まっている。変な顔。そう思っているとふいっと目をそらされた。横顔。頬が少し赤くなっていて照れてくれているのだと思うと、ちょっと嬉しい。かっこいいけどかわいい。ずっと変わらない、わたしが恋した角名くんのまま。
 倫太郎がこっそり、何かを悟られないようにちょっと俯いた。それから右手を伸ばしてくると、わたしの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。

「俺もさんのこと好きだよ」
「わたしのほうが好きやもん」
「なに、どうしたの、急に」

 パッと手を離し、「これ、羞恥プレイなの?」と呟く。わたしに見えないように手で顔をガードしているけれど、赤くなった耳が見えている。
 ふとはじめて話したときのことを思い出した。二年生の春。晴れて角名くんと同じクラス、しかも後ろの席になれた。しかもわたしは一番後ろの席だったから、何も気にせず黒板を見るふりをしてずっと角名くんを見ていた。話したことはなかったけど、目の前に角名くんの背中が見えるだけで幸せで。今思い出してもにやけてしまうくらいだった。もうそれだけで毎日が楽しくて学校に行くだけで幸せになれた。
 そう思っていた日常が突然一変したのは英語の授業のとき。英語の先生は女性でとても小柄な人だった。自然と黒板の字も低い位置になり、たまに角名くんを避けるように体を動かして黒板を見ていた。その授業終わり、「さん」と声がした。夢かと思って固まっているともう一度「さん」と声を、かけられたのだ。「席変わったほうがいい?」と角名くんが、気を遣ってくれたのだ。好きになった。いや、もうとっくに好きだったけど。

「というか先に好きになったのも告白したのも俺でしょ。だから俺のほうが好きだよ」
「……ふふ」
「え、何?」
「なんでもな〜い」

 倫太郎は知らない秘密。いつかここぞというときに話して、びっくりさせたくて隠していたらここまできてしまった。だから、これからしばらくはまだ秘密のまま。いつかびっくりさせてやるんだからね。そう一人でにやけていると、倫太郎が「変な顔」とはにかんだ。


軽やかに弾けるように