二週間前に貸したCD、まだ返してくれないんだけど。そうヤツの部活仲間である猿杙に苦情を入れる。猿杙は「え〜俺に言われても?」と困ったように笑ってから、パックジュースのストローを緩く噛んだ。
 ヤツ、とは小学校からの幼馴染である木葉秋紀のことだ。目の前にいる猿杙とはバレー部仲間。子どもの頃の秋紀は泣き虫で情けなくて基本的におっちょこちょいだった。家が近いわたしは必然的に秋紀と一緒に帰ることが多くなり、気付けば腐れ縁になっていた。秋紀は小学校高学年で泣き虫とおっちょこちょいは卒業したけど、情けないところは相変わらず。子どもの頃と違って何でもそつなくこなせる器用貧乏にはなったけど、わたしの中では目が離せないヤツって印象のままだ。
 秋紀が返してくれないCDというのは、秋紀が興味を持つとは思えないバンドのもの。かわいいポップな曲調が人気で、ふわふわしたかわいらしい歌詞が特徴のバンドだ。女の子からの人気が絶大で、お菓子みたいに甘い女性ボーカルの歌声がわたしは好き。バンド好きの男からは「歌が下手」「いかにも女が好きそう」とか言われているけど。知ったこっちゃない。自分の好きなもののことだけ見てれば良いのに。そう思っている。
 貸して、と言われたときは正直びっくりした。秋紀は流行りには敏感なほうだけど、こういうバンドは好きじゃなさそうだと思っていたから。そう素直に言ったら「聴いてみなきゃ分かんないだろ」と笑っていた。なんで興味を持ったのか聞いたら、テレビでかかっていて気になった、というなんとも普通の答えがあった。まあ、気になるならどうぞ。そう軽い気持ちでアルバムを一枚貸した。で、二週間経った今も感想を言ってこないし返しにも来ない。返してってトークアプリで送っても「もうちょっと」と返ってきた。
 いや、二週間は長くない? さすがにそう思ってもう一度返してってメッセージを入れたけど、「もうちょっと」と同じ返信。いや、返してよ。プレーヤーに入れてはいるけど、手元に置いておきたいからCDで買っているのに。直接文句を言いに言っても「返す返す」と言うだけ。人の物を借りているくせに軽いんだよ返事が。そう文句を言ったけど結局返ってこない。どういうつもりだ、秋紀のヤツめ。憎く思いつつ代わりに猿杙を小突いておいた。



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 CD返すから家寄って、とふざけたメッセージが来たのは寝ようかな、と考えていたときだった。いや、学校にいるときに言えよ。イラッとしつつ「借りたほうが持ってくるのが筋じゃない?」と送っておく。そりゃそうだ。なんで返してもらうためにわたしが秋紀の家に行かなきゃいけないの。こんな時間だし。秋紀からは「え〜」という一言とともに動物のスタンプが送られてきた。ふざけてるのかこのあんぽんたんは。イライラはしたけど、CDは返してほしいし。仕方なく部屋着のまま家を出た。歩いてすぐの秋紀の家に向かって小走りした。
 秋紀の家の手前で、秋紀のお父さんに会った。仕事帰りらしい。遅くまでお疲れ様です。そう思いながら「久しぶり〜」と声をかけたら笑って返してくれた。秋紀に用があると言うと少し驚いた顔をして「こんな時間に?」と首を傾げる。チクってやる。そう内心笑いつつ経緯を話せば「秋紀がごめんな」と苦笑いをこぼしていた。そのまま一緒に家に入れてくれて、秋紀のお母さんも「こんな時間に危ないでしょ」と言いつつも缶ジュースをくれた。秋紀の分も受け取って「お邪魔しまーす」と今更過ぎる挨拶をしつつ階段を上がり、奥にある秋紀の部屋のドアを足でノックしてやる。「はいは〜い」と軽い返事があってから、ガチャリとドアが開いた。

「CD返して」
「来て早々かよ」

 苦笑いをこぼしつつ秋紀がわたしに手を伸ばす。ジュースをよこせ、という意味らしい。仕方なく押しつけるように缶ジュースをくれてやる。CDを返せ。そう立ち止まっているわたしに秋紀は、不思議そうな顔をして「なんで突っ立ってんの?」と首を傾げた。それはこっちの台詞だ。どうやら中に入らないことを不思議に思っているらしかったので、まあ、このあとは家に帰って眠るだけだ。少しくらい付き合ってやるか。そんなふうに仕方なく秋紀の部屋に入った。
 相変わらず小綺麗な部屋。そう言いつつ勝手にベッドに座る。秋紀は「きれいでいいだろ、きれいで」とけらけら笑いつつ机の上に置いてあるCDを手に取った。そのまま渡してくれるものだと思って手を伸ばすけど、一向に渡してこない。なんだオイ。そう声をかけると、秋紀がそのまま勉強机の椅子に腰を下ろした。返す気がないのかあんたは。そう枕を投げつけてやると「やめろって」と普通にキャッチされた。

「何のつもり? 返してよ」
「秋紀くんとちょっとお話ししようかなって気もないですか〜」
「今更何を話すわけ?」
「幼馴染の扱いがヒドイ」

 さっきからへらへらして、なんなの本当に。さっき投げた枕が置いてあった近くにあるクッションを手に取ってぎゅっと抱きしめる。このクッション、なんか触り心地が好きなんだよね。小学生のときからあるし秋紀も気に入っているのだろう。それを抱えたままベッドに寝転がってやる。ベッドが面している壁に飾られた秋紀が好きなバンドのCDをぼんやり見上げて、ふと「なんで急にそれ聴いてみようって思ったの?」と聞いてみた。テレビでかかっていて気になった、とは聞いていたけど。他に何かあるんじゃないの、と付け足しておく。

「やたらこれ好きって言ってたじゃん、
「言ってたけど」
「だからどんなのかなーって思っただけ」

 なんじゃそりゃ。まあ、わたしも秋紀が好きなバンドのCDを借りたことあるし、そういう軽い感じか。そう結論づけておく。「何の曲が好きだった?」と起き上がりながら聞く。秋紀はわたしのCDを机にまた置いてから「ん〜」と斜め上に視線を向けた。

は? どの曲が一番好きなんだよ」
「わたしは全部好きだけど、一つ挙げろっていうなら三曲目かな」
「どんな曲だっけ」
「片思いしてる女の子の曲」

 秋紀は「あー」と言ってから、少し視線を下に向けて「俺もそれ好き」と呟いた。それ、好きな反応か? さっきからなんか様子がおかしいんだけど、秋紀。そう少し不審な目で見ていると秋紀がちらりとわたしのほうを見た。
 ぼそりと「好きなやついんの?」と聞いてくる。なにそれ、なんで急に恋バナ? 思わず吹き出したら秋紀が恥ずかしそうに「いいだろ俺が恋バナ振っても!」と喚く。まあ確かにね。別に悪いことではないけど。これまでそんな話を滅多にしたことがなかったからつい反応してしまった。反省しておく。

「別にいないけど?」
「いないのかよ」

 がくっ、となぜか項垂れる。なんでそんな反応をされなくちゃいけないんだ。別に好きな人がいなくても良くない?

「……木兎」
「は?」
「木兎のこと、好きらしいって聞いたんですけど」
「誰が?」
「お前がだわ!」

 はあ? 思わずそんな声がもれた。わたしが木兎のことを好き? 誰だそんなデマを流しているのは。馬鹿じゃないの。そうため息交じりに言ったら秋紀は「本当に? 隠してるわけじゃなく?」とわたしをじっと見て聞いてきた。何、その目。なんでそんな疑いの目で見てくるのさ。
 木兎とは確かに仲が良い。秋紀が入っているバレー部の主将をしていて、最初は秋紀の友達って認識だった。そのうち、ちょくちょく秋紀と話しているときに混ざってくるようになって、気付いたら秋紀がいなくても話すくらい仲良くなった。明るくて面白くて、突拍子もないことを言い出すから飽きない。そういう認識はしているけれど、特に異性として意識をしたことはない。誰がそんな勘違いをしたのだろうか。

「本当にデマ?」
「デマデマ。友達としては好きだけど彼氏にしたいと思ったことはない」
「……ならいいけど」

 ぼそりと呟いた言葉に引っかかる。ならいいけど、ってなんで? もしかして木兎ってワケアリ? そんなふうに突っ込んでみると、秋紀は「いやそうじゃない、そういうんじゃないけど」と慌てて訂正を入れた。じゃあその言葉の真意は何なのさ。何か歯切れが悪いから余計に気になる。
 秋紀は椅子をくるりと回して横を向く。「あー」と言いながら悩ましげに目を瞑る横顔。さらりと秋紀の髪が少し揺れるのを見ながらクッションを抱えて言葉を待つ。珍しい。こんなに悩んでいるところはあまり見ない。案外さくっとなんでも決めるタイプなのに。まあ、迷うときはとことん迷うときもあるけどね。そんなことは本当に滅多にない。だからこそ気になった。
 秋紀が背もたれに体を預ける。ギッと軋んだ椅子の音だけが部屋に響く。長考しすぎじゃない? 思わず笑ってそう言ってしまうと、秋紀が「俺さ」とようやく口を開いた。

「借りたCD、何が良いか分かってなくてさ」
「……はあ?」

 何の話だ、急に。しかも失礼だし。眉間にしわが寄る。今日の秋紀、やっぱりちょっと変だ。いつもはこんなふうによく分からない話をするヤツじゃないのにな。怪訝に思いながら首を傾げておく。視界の隅に見えた時計の針が、もうすぐで日付を回りそうなことに気が付く。明日も平日で普通に学校だからそろそろ帰りたい。一応親にはスマホで「秋紀の家にいる」と送ってあるけど、さすがにこれ以上遅くなると怒られるかもしれないし。

「恋愛系の歌が多いじゃん、このバンド」
「そうだけど」
「だから、怖かったし聴いてないままなんだよな」

 はあ?! それ、全部聴いてないってこと?! こんなに長く借りておいて?! 思わずそう声が出た。秋紀は慌ててこっちを向くと「ごめんって、本当ごめん」と苦笑いをこぼした。意味分かんない。別に聴けって言うわけじゃないけど、長く借りてたくせに結局聴いてすらないって何オチになるわけ。そう睨み付けてやる。

「だってお前木兎のこと好きなんだと思ってたし!」
「だからそれデマだし! それにCD聴く聴かないと関係ないじゃん!」
「大有りだわ!」
「何が?! どこが?!」
のことずっと好きだから関係あんの!」

 は、とわたしも秋紀も同時に固まった。しばらくお互いの顔を見合ったまま黙り込んでしまう。部屋の中には時計の秒針の音だけが聞こえていて、しっかり時が刻まれていくことを実感してしまう。カチ、カチ、カチ、カチ。秒針が止まることなく動いていき、分針が一つ進む。そして、日付が回った。
 ブーッ、と何かが振動する音。スマホだ。びっくりしてわたしも秋紀も肩が震えてしまった。秋紀が慌てて振り返り、机に置かれたスマホを手に取る。短く鳴り続けるスマホ。突然こんなに連絡が頻発する? そう不思議に思いつつ、そうっと秋紀から目をそらす。その先にあったカレンダーがふと目に入った。今日は九月二十九日……いや、日付が回ったから三十日、か……。

「あ」

 思わず声が漏れた。九月三十日。この日付には覚えしかない。忘れるわけがない。もう物心ついたときから何度も「おめでとう」と言ってきた日だ。どっきりで脅かしてやったこともある。普通にずっとほしがっていたものをくれてやったこともある。なぜだか二人で黙って遠出して親に怒られたこともある。わたしの誕生日も同じ。
 すっかり忘れかけていた。なんでだろう。受験のことで頭がいっぱいで、すっかり抜け落ちてしまっていたようだ。わたしとしたことが。ちょっと申し訳ない、なんてこっそり心の中で謝っておく。

「…………おめでと」
「…………どうも」
「……今年は何が、ほしいですか」

 ぎこちなくなってしまった。恐らくお祝いメッセージが届き続けているスマホをポケットにしまいつつ「あー」と秋紀が目をそらす。乱暴に自分の頭をかきつつ、小さく息を吐いた声が聞こえた。

「一つ聞いてもいい?」
「……ハイ、ドウゾ」
「わたしがたとえば木兎のこと好きだったとして、なんでCD聴けないの」

 まったく理屈がよく分からないままなんだけど、とぼそぼそ言っておく。秋紀は顔を背けたまま「だって」と少し拗ねたような声で言った。

「この曲、木兎のこと考えて聴いてんだなって思うの、ヤじゃん」

 ぼそりと呟かれた言葉が情けなく聞こえた。なにそれ。じゃあなんで借りたのさ。意味分かんないんだけど。しかも、わたしが三曲目が好きって言ったら秋紀も好きって答えたくせに。嘘吐き。聴いてないじゃん。
 お互い黙りこくっていると、突然コンコンとドアがノックされた音が聞こえた。びくっとお互い震えてから秋紀が「なに!」とドアに向かって言う。秋紀のお母さんが「ちゃんいる? もう遅いからそろそろお開きにしなさいよ」と言った。やば、うちの親から連絡があったんだ、たぶん。慌てて「ごめんもう帰るね!」と返事をして、秋紀のクッションを元の位置に戻した。秋紀も「分かってる」とドアの向こうのお母さんに返事をしつつ、くるりとこっちに顔を向けた。

「……帰ります、ので、CD返してください」
「……どうも、お待たせしました」

 机にさっき置いたCDを手に取ってわたしに渡してくる。それをしっかり受け取って「では」とぎこちなく部屋から出ていく、と、秋紀もついてきた。トイレにでも行くのかと無視していると、普通に一緒に階段を下りて玄関まで来るものだから、くるっと振り返って「なんでついてくんの?!」と言ってしまう。

「送ってくに決まってんだろ?! 何時だと思ってんだよ?!」
「引き止めたの秋紀じゃん!」
「ぐうの音も出ない! どうもすみませんね!」

 ぎゃーぎゃー言い合いをしていると秋紀のお母さんが寝室から顔を出して「仲良しで微笑ましいのはいいことだけど、時間考えなさいよ〜」と言う。当たり前だ。二人で「すみません」と小声で謝った。
 仕方なく二人で木葉家を出て、真っ暗な夜道を歩く。人っ子一人歩いていない。そりゃそうだ、日付が回ったばかりの時間帯だ。ふらふら人が歩いているほうがおかしい。秋紀は未だにブーブーうるさいスマホを放置している。それ、見たほうがいいんじゃないの、人気者の秋紀くん。せっかくお祝いしてくれてるんだからさ。内心そう思うけど、言葉には出さない。話すこと自体が気まずいからだ。
 もうすぐに家に着いてしまう。なんか言えよ、ばか秋紀。そう横目でちょっと睨んでおく。秋紀は前を向いたまま黙りこくっている。自分からこういう空気にしたくせに。放ったらかしかよ。視線を前に戻して、なんとなくぎこちない呼吸をすることに専念した。

「なあ」
「うわっ、なに、びっくりした」
「誕生日プレゼント、なんかくれんの」
「……まあ、あげなくは、ない。物によるけど」

 秋紀がちらりとわたしに視線を向ける。それから、ゆっくり足を止めて、「じゃあさ」と言った。

「家に着くまで、手、繋いでもらっていいですか」

 秋紀はじっとわたしを見たまま黙る。その照れくさそうに赤らむ顔に、わたしまで照れてしまった。なに、それ。そんなのプレゼントになるわけ? 黙ったままの秋紀の視線がずっと痛い。そんなの、急に言われても。そんなふうに少し俯いてしまう。だって、そんな感じ、今まで全然出してこなかったくせに。どうせ冗談でしょ、いつもの軽いやつ。
 そんなふうに言葉を飲み込んでいると、秋紀が急に笑った。あ、やっぱり。冗談だったんじゃん。わたしも笑おうとした。でも、秋紀が笑いながら「嫌なら嫌って言えば良いじゃん。らしくないな〜」と言うものだから、固まってしまう。

「……ムカつく」
「なんだよ、ごめんって」
「手出せ、ばか秋紀」
「……い、いいって。嫌なんだろ、無理すんなって」

 さっと両手を自分の後ろに隠した。ムカつく。なんなの。一人で勝手に自分で踏み込んできて、勝手に言いたい放題言って、最終的には怖気付くって。なんなの、本当になんなのばか。ムカつく!
 秋紀の肩をガシッと掴む。「いいって本当に!」と頑なに手を出さない秋紀の膝を蹴ってやる。ついでに頭も叩いておく。秋紀が防御のために手を前に出した。その左手を無理やり引っ掴んで繋いでやる。秋紀が一瞬で顔を赤くして「いいってば!」と振り払おうとするけど、全然力が入っていない。「黙れ」と言えば大人しくなった。

「言っとくけど」
「なんでしょうか……もうなんか本当ごめんなさい……」
「誰にでもするわけじゃないから。秋紀だからいいかって思ったからだからね」

 ぐいっと秋紀の手を引っ張って歩く。情けないヤツ。そこはもっとこう、なんか、一回だけでいいからキスしてとか、付き合ってとか、そういうちょっと大胆なお願いをしてくるところじゃないの。どきどきしたわたしが恥ずかしいじゃん。もし言われてなんて答えたかは、考えないことにするけど。
 秋紀はわたしに引っ張られつつも、ちょっと手を握り返してきた。それから笑って「いい誕生日だわ」と言う。本当に情けないヤツ。ため息が出る。そこは告白しちゃうとこじゃないの。わたしだったらそうするわ。手を繋ぐのが嫌じゃないなんて言われたら、ちょっとは期待するんじゃないの、普通。止まらない文句はぐっと堪えてやる。一応誕生日だし、これ以上責めるのはやめてあげる。でも、誕生日終わったら覚えてろよ。そうきつく手を握っておいた。


君から借りたCDはまだ聴いていない

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