ああ、もう最悪! 突然降り出した雨にそう内心言葉をぶつけてしまう。今日晴れって言ってたじゃんお天気お姉さん! びしょ濡れになった制服をハンカチで慌てて拭きつつ、ため息をついてしまう。良い天気なのに大粒の雨が降り注いでいる。天気雨というやつなのだろう。止むまではここにいるしかなさそうだ。
 そう思っていると「くっそマジかよ」という男の人の声が聞こえた。わたしと同じで突然の雨に降られてしまったらしい。やっぱりみんな今日は傘持ってないよね。わたしだけじゃなかった。そうほっとしていたのも束の間。足音がどんどん近付いてきて「マジかよ」とうんざりした男の人の声が、真横に聞こえた。

「あ」

 こっちを見た。どうやら建物の陰にわたしがいたから見えていなかったらしい。見ず知らずの人と同じ軒先で雨宿り。そんな少女漫画みたいな展開にちょっとどぎまぎしてしまった。その人は「あ〜……止むまで、いいですかね」と苦笑いをして言う。別にここはわたしの場所ではない。「あ、どうぞ」と返しておく。
 梟谷の制服、かな。わたしの通う女子校から一番近い高校だ。最寄り駅が同じだから、通学しているときに電車内で制服を見かける。背が高くて、スポーツバッグってみんなが呼ぶ鞄を持っている。きっと何か運動部に入っているのだろう。勝手にそう予想しておく。
 ちょっと気まずい。恐らくこの人もそう思っているはずだ。あまり視線を向けないように気を付けておく。濡れた髪をハンカチで拭きつつそうっと視線を反対方向に持って行く。でも、逆に、話しかけないと感じが悪いって思われるかな。中高一貫の女子校で学園生活を送っているせいか、同年代の男の人と何を話せばいいかよく分からない。わたし、スポーツもしていないし。変に話しかけたら嫌がられちゃうかもしれないし、やっぱり黙っておくのが正解なのかな。そうぐるぐる考えていると、「あの〜」とその人が気まずそうに声をかけてきた。

「あ、はい!」
「お節介だったら、あの、申し訳ないんだけど」

 そう言いつつ、その人がいつの間にか鞄から出したらしい白いジャージを渡してきた。あ、濡れてるから寒がってるって思われたのかな。うっかりカーディガンを忘れてちょっと寒いけど、見ず知らずの人に借りるわけにもいかない。丁重に断ろうとしたら、その人の顔が少し赤いことに気が付いた。寒いのはこの人のほうなのでは。風邪を引いてもいけないし、自分で着たほうがいいんじゃないかな。ぼんやりそう思っていると、その人がそろ〜っと視線をそらした。

「透けてるから、着たほうがいいかと、思います」

 気まずそうな声。一瞬言葉の意味を考えて、すぐに全身が熱くなる。ブラウス、濡れて透けてる! 知らない人に見られた。しかも、男の人。恥ずかしくてたまらないまま「すみません」とどうにか言葉を絞り出した。恐る恐るジャージを受け取って、申し訳なかったけど、羽織らせてもらう。お、大きい。背が高いから予想はしていたけど、思ったよりサイズの大きいジャージに驚いてしまった。
 借りたからにはお礼をしたいし、名前、聞かなきゃ。勇気を振り絞って「あの」と声をかけた。その人はそっぽを向いたまま「はい」と照れくさそうに言う。見ないようにしてくれているのかもしれない。男の人ってこういうの、むしろ見ようとしてくるんだと思っていた。だから、優しい人だなって思った。

「こ、これ、ありがとうございます」
「いや、お気になさらず」
「え、えっと、もう着させてもらったので、こっち、見てもらっても」

 いいですよ、と言った後にその人がゆっくり顔をこっちに向けた。ちょっと照れくさそうな顔をして「なんかごめん」となぜだか謝ってくれた。
 木葉秋紀さんというらしい。梟谷学園高校の三年生で、わたしより二つ上の先輩だった。貸してくれたジャージは所属しているバレーボール部のものだと教えてくれた。部活が休みだということを忘れていて、うっかり持ってきてしまったのだとか。でもそれを笑って「ラッキーだったわ」と言った。よく分からずにいると「いや、持ってたから貸せたしさ」と言った。なんだか、不思議な人。そんなふうに思った。
 わたしも名前を聞かれたので答える。木葉さんは「近くの女子校の制服だよね?」とわたしの制服を指差す。続けて「なんかチャラい男が声かけたみたいになってごめんね」とまた謝ってきた。木葉さんはさっきから何一つ悪いことをしていないのに。あと、別にチャラいなんて思わなかったけどなあ。


「部活何もやってないの?」
「帰宅部なんです。何かやろうと思ったんですけど、しっくりこなくて」

 ちょっと情けない。趣味とか特技もないからいつも自己紹介では困ってしまう。無難に趣味は読書ということにしているけど、無難すぎて話があまり広がらないことが少し悩みだ。木葉さんはそんなわたしをけらけら笑って「じゃあ何でもできるじゃん」と言った。なるほど、そういう考え方もできるのか。可能性は無限という点においては確かにそうかもしれない。何でもできる。そう言われて、なんだか少し気持ちが軽くなった。
 雨が激しくなってきた。それを見上げた木葉さんが「大丈夫? 寒いとかない?」と心配してくれる。ジャージを貸してもらったから全然大丈夫だ。そうまたお礼を言いつつ伝えると「ならいいけど」と小さく笑った。
 止むまでお話しすることになった。木葉さんはわたしのことをいくつか質問してくれて、そこから話をいろいろ広げてくれる。お話し上手な人なんだな、と少し感心してしまうくらいだ。

「女子校って俺みたいな男子高生からするとあまりにも聖域すぎて想像つかないわ」
「割と普通ですよ。共学校に通っていたのが小学生のときなので説得力がないもしれないですけど」
「男の先生っているの?」
「いますよ。わたしのクラス担任、男性教師ですし」

 木葉さんは「へ〜」と本当に興味があるように相槌を打つ。つい話しすぎてしまう。数学、公民、音楽の先生が男性だということや着替えは普通に教室ですること、女の子から告白したされたというのは割と普通にあること。そんな話をたくさんしてしまった。それでも木葉さんは全部質問しながら聞いてくれる。
 逆に、木葉さんの話も教えてもらった。クラスメイトの話や部活の話、恋愛の話。学生が好きな話題ばかり話してくれるから聞いていて楽しい。やっぱり共学校のほうが胸キュン場面が多いみたいだな、なんてちょっと羨ましかった。

「今日も登校した瞬間にクラッカー鳴らされて、もうちょっとで顔面パイされるところだったわ」
「クラッカー? お祝い事でもあったんですか?」
「あ、誕生日なんだよね、俺」

 お恥ずかしながら、と木葉さんが付け加える。お誕生日。今日が? そんなふうに内心思って、びっくりしてしまう。こんな偶然ってあるんですね、と笑ったら木葉さんも笑った。

「お誕生日おめでとうございます」
「あ、どうもありがとうございます」

 あ、そうだ。いいことを思い出してごそごそと鞄の中を探る。お昼に食べようと思って買ったけど、お腹いっぱいで食べられなかったお菓子があったはず。見つけたそれを取り出して「どうぞ」と木葉さんに差し出した。「えっ、もらっちゃっていいの?」と少し驚いていた。誕生日だし、ジャージも借りてしまったし。こんなもので良ければ。そんなふうに言えば「ありがと」と言って受け取ってくれた。
 晴れているのに止まない雨。うっかり持ってきてしまったというジャージ。休みだった木葉さんの部活。いろんな偶然が重なって、今日木葉さんに会えたんだなあ。しかも木葉さんの誕生日に。なんだかちょっと、運命みたい。少女漫画で何度も読んだことがあるシチュエーションにちょっと胸キュン、なんてね。一人でそんなふうに笑っていると、木葉さんも小さく笑った。変な顔でもしていたかと慌てる。木葉さんはそんなわたしに「いや、ごめん」と照れくさそうに言った。

「なんかドラマみたいだなって思ってさ。こんな偶然、なかなかないじゃん」

 わたしと同じこと、考えてる。びっくりして目を丸くしていると、木葉さんが「アッごめん気持ち悪いこと言ったな!」と照れくさそうに視線をそらした。

「あの、わたしも同じこと考えてました!」
「え、本当?」
「はい。少女漫画みたいな憧れのシチュエーションだなって思いました」

 素直にそう言うと木葉さんが、はた、と固まってしまった。あれ、同じことを言ったつもりだったのだけど。不思議に思っていると、木葉さんがちょっと恥ずかしそうに「そう言われると」と口元を手で隠した。

「なんか、あの、恋のはじまり的な、感じになっちゃうけどね」
「……こ、恋のはじまり」
「ごめん、今度こそ気持ち悪いこと言った。ごめんなさい」

 言われてみれば木葉さんの言うとおりだ。少女漫画のこういうシチュエーションは、大抵ヒロインとヒーローが出会う場面。そんな場面に自分と木葉さんを当てはめてしまったのだ。なんて申し訳ないことを! 美少女ならまだしもただのずぶ濡れの変な女なんかが申し訳ない! 「へ、変なこと言ってごめんなさい!」と慌てて謝った。こういう少女漫画みたいな出会い、憧れだからつい思い描いてしまっただけなんです。本当にごめんなさい。頭の中お花畑の女だって思われただろうな。そんなふうに俯いてしまった。

「むしろ雨宿りに来たのが俺で申し訳ない……」
「えっ、そんなことは! 木葉さんでよかったですよ、優しくてお話し上手ですし!」

 はっとしたときにはもう遅い。木葉さんが顔を赤くして「あ、そう、ですか」と小さな声で呟いていた。うわ、めちゃくちゃ恥ずかしいことを言ってしまった。さっきから恥ずかしいことばっかり言ってしまっている。どうしよう、変な女だって思われてるよなあ。そうっと視線を外しながら落ち込んでしまう。
 木葉さんが吹き出した。ついに笑われてしまった。そう思っていると、わたしの顔を覗き込んで「ありがと」とはにかんでくれた。な、何がだろう。でも、嫌がられたり変だと思われたりしているわけではないと分かって、ちょっとほっとした。
 雨音が大人しくなってきた。空を見上げてみると、まだ雨は降っているけれどずいぶん弱まっている。もう少しで止んでしまう。そうしたら、木葉さんともお別れになっちゃうな。ちょっと寂しい。そう思っていると「あ、虹だ」と木葉さんが呟いた。どこか分からなくてきょろきょろしているわたしに、「ほらあそこ」と指を差して教えてくれる。木葉さんの指の先に、小さいけどきれいな虹がかかっていた。そうして、わたしたちが虹を見つけてすぐ、雨が止んだ。

「お、止んだ。よかったー」
「よかったですね。あ、ジャージ返します。ありがとうございました」
「いや、いいって。部活で別に着ないし、また返してくれれば良いよ」

 木葉さんはちょこっとだけ気まずそうに「まだブラウス、乾いてないだろ」と言った。でも、また返すって言っても学校が違うし、下校時間だって今日はたまたま一緒になっただけだ。どうやって返せばいいんだろう。そう困惑するわたしに木葉さんが笑って、ポケットからスマホを取り出した。

「あ、こうするつもりで言ったわけじゃないからな?」
「え?」
「いや、そう思ってないならいいです」

 何のことだろうか。いまいちよく分からなかったけど、わたしもスマホを取り出してトークアプリの画面を開いた。なるほど、こういうときは連絡先を交換するのが普通なのか。親から知らない人とは交換しちゃだめって言われていたけど、木葉さんはもう知らない人じゃないし、優しい人だからいいか。
 女の子の友達ばかりの友達一覧に木葉さんのアイコンが混ざった。なんか、新鮮。ちょっと嬉しいな。そんなふうに思っていると「明日は俺、部活で遅いんだよね」と木葉さんが言った。

「また都合の良い日があれば……それか明日の部活前にダッシュでここに来ようか?」
「い、いえ! また別の日で木葉さんが良ければ。明日、雨みたいですし!」
「そうなんだ? じゃあまた良い日連絡するから、都合の良い日教えてくれる?」

 木葉さんはそう言って、スポーツバッグを持ち直す。どうやらこの先の駅に向かう途中だったらしい。「駅行くけどさんは?」と聞かれた。わたしは高校から徒歩通学なので、このまま駅とは違う方向へ行くことになる。ちょっと残念。そう思った自分にびっくりした。軒下から木葉さんが出ると「じゃあ、また連絡します」と言って軽く手を振ってくれた。わたしもそれに手を振り返して、あ、と思い出す。「お誕生日おめでとうございます」と改めて言うと、木葉さんはけらけら笑って「ありがとうございます」と返してくれた。そうして、わたしに背を向けて歩いて行った。
 このジャージ、返したら、もうこうしてお話しすることもなくなる気がして。先延ばしにしたくて明日が雨だなんて嘘を吐いてしまった。本当の天気予報がどうか分からない。木葉さんとしては早く返して欲しかったのかもしれないけど、少しでも繋がりが欲しくてつい。嘘を吐いてしまったことを反省しながらわたしも軒下から出た。


明日は雨だと嘘をついた

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