※名前のあるモブクラスメイトが出ますが、ほぼ存在感はないです。


 一年生のころから、こっそり、片思いをしている。別のクラスの木葉秋紀くん。はじめてフルネームを見たときに秋生まれなのかなって思ったくらいだったけど、遠くから見ている内に、なぜだか、気になって仕方なくなっていた。何がきっかけだったかなんて覚えていない。ずっと、ずっと、遠くから見ているだけだった。それなのに気付いたら目が離せなくなって、彼の一挙一動が気になって仕方なくなっていた。けれど、ただの一度も声をかけたことはない。木葉くんは恐らく、わたしの名前すら知らないだろう。
 環境委員会に入っているわたしは、委員会活動の一環として花壇の手入れをしている。隣のクラスの子二人と、同じクラスの男子一人の合わせて四人で。わたしたちの担当は校舎から少し離れた体育館の近く。バレー部が使っているところだった。内心ちょっとラッキー、なんて思う。木葉くんはバレー部だから。話しかけられなくても、姿が見られなくても、近くにいるだけで嬉しくなる。恋って本当に不思議なものだな、と一人で照れてしまった。
 四人で真面目に花壇の雑草を抜き、まだ何も植えられていないところに花を植えたり、花壇のレンガを掃除したりする。通りがかった先生が「真面目にやってて偉いな」と褒めてくれた。どうやら他の花壇を担当している子たちはちゃちゃっと終わらせて帰ってしまったらしい。先生が去った後で隣のクラスの子が「どうせやるならきれいにしたいじゃんね?」と不思議そうに言った。わたしもそう思う。力強く頷いたら他の二人も同意してくれた。
 そんなふうに作業を続けて三十分。背後からガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。隣のクラスの男子が「あ、バレー部」と顔を上げる。どきっとした。どうやら休憩に入ったらしい。風に当たりに来たのだろうか。木葉くん、いるかな。こっそり振り返ろうかと思ったけど、見ていることがバレたら困る。ぐっと我慢して抜いた雑草をゴミ袋に入れる作業に集中することにした。

「あ、ちょうどいいところに。さーん!」

 びくっと肩が震えた。声をひっくり返しながら振り返ると、声をかけてくれた猿杙くんより先に、木葉くんを見つけてしまった。う、うわあ、いる。しかも、猿杙くんの隣。どうしよう。そんな失礼なことを内心呟いてから、一旦作業を中断して、そそくさと猿杙くんに近寄った。同じクラスで、明日の英語の授業で行われる発表で同じ班になっている。そのことだろうか。どきどきしながら猿杙くんの前まで駆け足で近寄りつつ「なに?」と普通を装った。

「明日の発表なんだけどさ、高橋が原稿まとめてくれるって」
「あ、そ、そうなんだ」
「だから悪いんだけど、さんが書いたところ高橋が送ってほしいって。ラインとか分かる?」
「ごめん、分かんないや……どうしようかな」

 猿杙くんが「あ、マジか。どうしよっかな」と少し考える。猿杙くん、スマホ持ってないのかな。部活中だしそりゃ持ってないか。そんなことを思いつつも、どきどきがうるさくて仕方ない。猿杙くんの、わたしから見て左側に、木葉くん。じっと猿杙くんの顔を見て水を飲んでいる。近い。こんなに近くにいるの、一年生のとき以来だ。一年生のときに同じクラスになったとき以来。それからは廊下ですれ違うことも滅多になくて、もちろん、教室の中で姿を見ることもなくなった。死にそう。そう呟きそうになった口を慌てて閉じておく。そのときだった。

「俺、今スマホ持ってるけど」
「え、マジで? てかなんで?」
「動画撮ってもらおうと思って」

 木葉くんが立ち上がった。体育館の入り口にある靴入れまで歩いていくと、誰かの靴が入っているところに手を突っ込む。きっと木葉くんの靴が入っているところなのだろう。スマホを片手に戻ってくると、猿杙くんに「何、高橋? 高橋ってどっちの?」と聞いた。わたしたちのクラスには二人高橋くんがいる。猿杙くんが「いつも頭髪を注意されてるほうの高橋」と笑いながら答えると、木葉くんが「あーじゃあ俺ライン知ってるわ」と言った。そうして、わたしの顔を、見た。

「俺送っとくから、写真か何か今ある?」
「今は、ない、です」
「じゃあ後で撮って俺に送ってくれればいいよ」
「……あ、あの、わたし、木葉くんの連絡先、知らない、の、ですが」
「えっ?! そうだっけ?! 一年のとき一緒のクラスだったよな?」

 木葉くんは「マジで? なんか交換した気になってた」と言いつつ友達一覧を見ているらしい。たぶん、木葉くんとたまに喋っていた子が友達だから、記憶が一緒くたになっているのではないだろうか。どぎまぎしながら木葉くんの様子を窺っていると、木葉くんが「あー、本当だ。交換してない」と呟く。その隣で何か考え事をしていた猿杙くんも「俺もさんと交換してないっけ?」と首を傾げた。交換してないよ。そう苦笑いで答えると「明日交換しよう、そうしよう」と笑った。
 木葉くんがスマホを操作している。少ししてから「ん」とわたしに画面を見せてきた。QRコードが表示されている。きょとん、と固まっていると「え、友達登録してくれないんですか」と笑った。
 てっきり高橋くんのIDを教えてくれるのかと思っていた。そのほうが手っ取り早いし、木葉くんも面倒なことをしなくていいのに。そう分かったけど言わなかった。少し震える指でスマホを操作して、木葉くんのQRコードを読み取る。そうして出てきた画面に表示された、木葉くんのアイコン。友達登録をタップしたら、木葉くんもすぐに登録してくれたらしかった。
 木葉くん、わたしのこと、覚えてたんだ。一度も話したことがないのに。名前も覚えていてくれたのかな。それとも猿杙くんが呼んだから思い出したのかな。どちらにせよ、木葉くんに名前を呼ばれたことが、あまりにも。スマホをきゅっと握って、勇気を振り絞った。

「あ、あの、撮ったらすぐ、送るので」
「うん、了解。部活終わりくらいに見とくわ」

 猿杙くんが「よろしくお願いしま〜す」と木葉くんの顔を覗き込む。「これくらいいいって」と木葉くんは笑って、スマホをポケットにしまった。猿杙くんがすぐに「じゃ、ごめんだけどよろしく」と声をかけてくれたので「うん」とだけ返して、花壇のほうに戻る。
 どうしよう、どうしよう! 木葉くんの連絡先を、手に入れてしまった! しかも、話までしてしまった! 内心うるさく騒ぎ立てながら戻ると、一緒のクラスの男子が不思議そうな顔で「顔赤いけど大丈夫?」と心配してくれた。大丈夫、まったく、これは本当に大丈夫なやつ。思わず勢いよく返事をしたら余計に不思議そうな顔をされてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 委員会の活動を終えて、家に帰宅したのは木葉くんと連絡先を交換してから一時間半後だった。自分の勉強机の上に広げた英語のノート。高橋くんに送らなくてはいけない箇所を、恐る恐るカメラで撮る。読める、かな。よし。ラインのアイコンをタップして、友達一覧の中にある、木葉くんのアイコン。本当にあった。もうこの確認は家に帰ってから五回ほどしている。夢だったんじゃないかってずっと疑っているからだ。
 まず、写真を送ってから「よろしくお願いします」でいいかな。嫌な感じしないかな。「ごめんね、よろしくお願いします」のほうがいいかな。それとも「ありがとうございます。よろしくお願いします」のほうがいいかな。どれが一番嫌な感じに聞こえないだろう。やっぱりお礼は入れたほうがいいのかな。あっ、それか合わせ技か。「ごめんね、よろしくお願いします。ありがとうございます」で、どうかな。迷惑をかけてごめんなさいという気持ちもやっぱりあるし、合わせ技にしよう。
 恐る恐る写真をタップして、送信。それから慌てて文章を打った。誤字がないかをしっかり確認して、送信。送って、しまった。これ、木葉くんのスマホに通知が行くんだよね。わたしの名前、木葉くんのスマホに表示されてるんだ。そう思ったら泣きそうになった。
 送ってからも不安で何度も何度も読み返してしまう。すると、パッ、と既読が付いた。驚くと人って本当にスマホを投げるのだとその瞬間はじめて知った。ベッドの上に転がっているスマホを慌てて拾ったら、ちょうどスマホが震えた。緊張で床に正座してしまいながら見てみると、木葉くんから「お疲れ。別にいいって笑」という一文のあとすぐに「高橋に送っとくわ」と送られてきた。
 へ、返信。返信をしなくちゃ。でももうごめんもありがとうも送ってしまった。また同じことを返したら鬱陶しいかもしれない。もう既読を付けてしまっているし、早く返さなくちゃ。もう用済みだから返信なしかよ、とか思われたら困る。文章を捻り出していると、手の中のスマホが震える。びっくりして見てみると木葉くんから「さんって中学どこだっけ?」と来ていた。ハテナで送ってくれた。これなら、自然に返せる。自分の中学校名を打ち込んでから、「木葉くんは?」と送っておく。実はもう知ってますけどね。ちょっとそう笑ってしまった。
 木葉くんとのやり取りはわたしの夢とか妄想なんじゃないかってくらい続いて、母親がお風呂に入れと催促しに来たくらいだった。どうしよう、でも、終わらせたくないな。お風呂にスマホを持ち込むか。そう考えたけど、もしかしたら木葉くん、やめどころか分からなくて困っているのでは。そんなふうに思った。大して仲が良いわけじゃない女子とラインを長々するの、苦痛なのでは。部活で疲れているだろうし。そう思うと木葉くんのためにもとりあえず区切りをつけたほうがいい気がした。
 なんて書こう。そう考えていると、ラインのタイラインに新着マークがついていた。なんて返そうか考えつつ何気なくタップすると、木葉くんが何かを投稿していた。見てみると、バレー部の人たちとの写真。コメントには「誕生日祝ってくれた」と書かれていた。
 誕生日。目が点になる。え、今日、木葉くん、誕生日なの? 今日は九月三十日。わたしがはじめて木葉くんのフルネームを知ったとき、秋生まれなのかなって思ったことを思い出した。木葉くん、本当に秋生まれなんだ。そんなことを知ったら、わたしもおめでとうって、言いたくて。

そろそろお風呂に入ります。今日はありがとう。あと違ったらごめんなさい、お誕生日おめでとうございます。

 よし。自画自賛しつつ送信。木葉くんの誕生日、祝えてしまった。わたしなんて今日まで木葉くんと話したこともないような存在だったのに。木葉くんと会話した画面をじっと見て、自然と口がにやけてしまう。嬉しい。三年生の秋、もうきっとこのチャンスが存在していなかったら喋ることがないまま卒業していただろう。そんな奇跡が、とてもとても、嬉しかった。
 噛みしめているとスマホが震える。木葉くんだ。にやけた口元をどうにか正してから、通知をタップした。

え、なんで誕生日分かった?! ありがとな!

 かわいいスタンプも送ってくれた。返信、したほうがいいかな。でも終わらせるつもりだったしなあ。そう思って、文章じゃなくてわたしもスタンプで返しておくことにした。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ、さんだ」

 朝、登校してきて靴を脱いでいるところに、そんな声。びっくりして振り返ると、木葉くんがいた。話しかけられた。それに衝撃を受けつつ「お、おはよう」とぎこちなく返す。木葉くんは自分の靴を下駄箱にしまいながら「おはよー」と笑った。

「昨日あのあとさ、高橋からなんで木葉から送られてくんだよ≠チてめちゃくちゃ経緯聞かれたわ」
「そ、そうだよね、ごめん。ありがとうございました」
「いやマジでいいんだけどさ。そういえばさんもありがとな、誕生日祝ってくれて」
「あ、それはもちろん! おめでとうございました」
「ありがとうございました」

 なんで誕生日が分かったのか聞かれたので、タイムラインを見たと言えば「なるほど」と納得していた。上履きに履き替えた木葉くんが普通に話しながら隣を歩く。これは、夢、でしょうか。朝からどきどきしすぎて吐きそう。そんなことを考えながら木葉くんの話にどうにか言葉を返す。もうこれが精いっぱい。

「そういえばさんは誕生日いつ?」
「え」
「祝ってもらったし俺も祝い返したいじゃん。教えてよ」

 顔を覗き込まれた。木葉くん、背が高いから癖になっているのだろう。よく女の子と話すときはこうしている姿を見る。まさか、自分がされるとは、思わなかったけど。どきどきしたまま誕生日を答える。木葉くんは「オッケー、覚えとく」と笑った。
 木葉くんが「じゃ、また」と言って自分の教室に入っていく。その背中を見送りつつ、ぼそりと呟く。小学生とか中学生が、恋愛のおまじないだって騒いでいる呪文。ばかばかしいって思っていたけど、つい、呟いてしまった。好きな人の背中に向かって呟いたら、振り向いてくれる。そんな俗っぽいもの。子ども騙しだ。何やってるんだろう。そう笑った瞬間だった。

「あっ、そうださん!」

 びっくりした。木葉くんが振り返って、戻ってきたのだ。びっくりして固まっていると木葉くんがスマホを操作しながら「高橋がさ、さんに連絡先教えといてって言ってたわ。忘れてた」と言う。すぐにわたしのスマホに通知が来た。木葉くんからのメッセージ。高橋くんの連絡先だった。登録しておいて、と言われたので登録しておく。それから木葉くんが笑って「最初から高橋の連絡先教えとけばよかったな。手間かけてごめんな」と言った。な、なんで木葉くんが謝るの。びっくりしながら首をぶんぶん横に振ってお礼を言った。
 おまじない、が、効いてしまった。「恋が実る」って意味の「振り向く」とは違うけれど。わたしにとっては十分すぎる効果だった。このおまじないは一日一回しか使えない。でも、一回効果が出ると、呪いみたいにこびりつく。相手が振り向きやすくなってくれる。そんなふうに友達が言っていたことを思い出した。
 木葉くんに、呪いをかけてしまった。恋のおまじないなんてとてもとても自分勝手な呪いを。こんなもの子ども騙しのお遊びだ。そんなことは分かっている。でも、そうだとしても、わたしは、この呪いをきっと信じたくなる。卒業までの数ヶ月、どうか、もう一度だけでもいいから効果が出ますように。そんなことを、恥ずかしくも思ってしまった。


呪いをかけちゃった

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