大学での授業を午前で終え、その足でアルバイトへ。シフトからあがったのはもうずいぶん暗くなった午後七時過ぎだった。今日もバタバタと忙しかったな。そんなふうに思わずあくびをこぼしつつ駅に向かって歩いて行くと、懐かしい高校の制服を見かけた。部活終わりかな。もう卒業して半年くらい経つのかあ。そんなふうにしみじみ思いつつ、青春という言葉がきれいに似合う姿に勝手に懐かしさを感じさせてもらった。
 鞄からイヤホンを取り出してスマホに、と手を動かしているときだった。「あ!」という女の子の声。おや、聞き覚えがあったぞ。そんなふうに思いつつ、立ち止まってゆるりと振り返ってみた。そこには、高校時代の後輩たちがずらりと並んでいた。

さんだ!」

 嬉しそうに言ってくれたのは、男子バレー部で同じマネージャーをしていた後輩二人だった。半年ぶりだ。わたしも嬉しくなって「久しぶり〜」と手を振る。駆け寄ってきてくれて「何してるんですか〜?」ときゃっきゃと話し始める。元気そうで何より。そんなふうに思っていると、わたしの代が引退してから主将を務めている木兎が「化粧してる!」と言って驚愕の表情を浮かべた。

「はじめて見た! さんが化粧してるとこ!」
「そりゃ高校だと校則違反だしね。一応バイトで接客業やってるし多少はしますよ〜」
「オトナって感じだ!」

 基準がよく分からない。相変わらずで何より。他の現三年生、現二年生にも挨拶をされる。みんな元気そうで。インターハイも無事に終わって今は春高に向けてかな? 一年前の記憶を辿ってそんなふうに懐かしくなった。
 このまま駅へ向かうというので混ぜてもらうことになった。青春の証、制服に囲まれて一人。なんかちょっと居心地が悪い。そんなふうに思ったけど雀田と白福がそれを吹き飛ばすくらい面白い話をしてくれた。そのおかげで途中からあまり気にならなくなっていた。
 わいわいと賑やかに駅に到着。方向が逆の人たちとはここでお別れ、と思っていたら「あ、じゃあさん。木葉のことお願いしま〜す」と小見が言った。木葉だけ? 猿杙とか他の三年生もこっちじゃなかったっけ? そんなふうに首を傾げてしまう。去年は木葉を含めて数人と一緒に帰っていたのに。よく分からずにいるわたしにこそこそ隠れるように木葉が「おい!」と小見を叩いているのが見えた。
 聞いてもはぐらかされてしまった。よく分からないまま「またね〜頑張りなよ〜」と木葉以外のメンバーに声をかけて手を振った。みんな元気に手を振って「お疲れ様です〜」となぜだかにこやかだった。

「木葉ってここから五駅くらいだったっけ?」
「そう、ですね」
「ぎこちな」

 笑ってしまう。人見知りするタイプじゃないし、そもそも半年前まで先輩後輩だったじゃん。そんなふうに背中をばしばし叩いてやったら「痛いですって!」と相変わらずのやかましさだった。
 在学中、マネージャーを除くと後輩の中では木葉と一番よく話した記憶がある。人懐こくてお調子者だけど、やけに気にしいでお人好し。そういうところが純粋に後輩として可愛くて。わたしたちの代はみんなで結構木葉のことをいじっていた覚えがある。それでも、そんな先輩であるわたしたちの代を木葉は慕ってくれているように見えたし、卒業式でもこっそり泣いてくれていたっけ。

「ちょっと背伸びた? なんかさらに顔の位置が高くなった気がする」
「二年からだと1cmしか伸びてないですけど?」
「え〜? 5cmくらい伸びてない?」
「そんなに伸びたら泣いて喜ぶんですけどねえ」

 けらけら二人で笑いつつホームに並んで立つ。木葉はわたしのことをちらりと見て「大学どうですか」と言った。どう、と聞かれると答えに困る。どうということはないとも言えるし、目まぐるしくいろんなことが変わったとも言える。でも、授業がちんぷんかんぷんなときがたまにあるくらいで概ねなんてことはない毎日か。そんなふうに答えたら木葉はおかしそうに笑った。
 ふと、木葉が紙袋を持っていることが気になった。少し大きめだし中にもまた別の紙袋が入っている。学校に置いていたものを持ち帰っているのだろうか。それにしては他の人はこんなの持っていなかったけど。不思議に思いつつやって来た電車に二人で乗り込んだ。
 帰宅ラッシュ、とまではいかないけれどそこそこ混んでいる。奥の壁際がちょうど一人分空いていたので「あそこ行こう」と指差す。木葉は「はーい」と軽く答えつつすいすいと人を避けてそこに向かっていく。辿り着いたらそのスペースの前に立って「どうぞ」とわたしに言った。

「あら優しい〜」
「レディーファーストなもので〜」

 有難くそこに立たせてもらう。木葉が前に立っていてくれるから人にぶつかることもない。優しい後輩で結構。そんなふうにおかしかった。
 最近会った部活での出来事を教えてもらったり、わたしが大学であった話をしたりしつつ電車に揺られる。ふと、木葉のネクタイがふらふらと忙しなく動いていることに気付いた。カーディガンの前が開いているのと、タイピンをつけていないせいだ。「タイピン付けてなかったっけ?」とネクタイを掴みつつ聞いてみると「ちょうど落としてなくしたところです」とテンション低めに呟く。鞄を漁っても、部室を隈なく探しても、教室も廊下もどこにもなかったらしい。それは可哀想に。
 電車が停まる。降りていく人たちの波のあとに乗ってくる人の波。この駅、かなり人が乗ってくるんだよなあ。いつものごとく人を押し込むように人が乗り込んでくる。木葉が「ちょっと近付いていいですか」と聞いてきたので「どうぞ」と返しておく。これだけ乗り込んできたら詰めるのが当たり前だ。木葉が少しわたしに近付いて、壁に手をついた。

「壁ドンだ」
「それもう古くないですか……」

 そう苦笑いをこぼしてから「あと恥ずかしくなるんでやめてください」と情けない声で言った。可愛いやつめ。からかいつつ、木葉の荷物を持ったほうがいいかと何気なく目を向ける。すると、手に持っている紙袋の中身がちらりと見えた。さっき見えた紙袋の中の紙袋。上から覗き込んでみればリボンが巻かれていたりシールが貼られていたりする。プレゼントのようだった。

「木葉ってモテるんだね?」
「え、モテないですけど。なんでですか?」
「プレゼントいっぱいもらってるから」
「いや、今日誕生日なんでくれたんですよ」

 あ、そうなんだ。おめでと。思わず軽めにそう言ったら木葉はけらけら笑って「もっと丁重に祝ってほしいんですけど」と言った。それは失礼。今のはたしかに軽すぎた。後輩の誕生日、大事に祝いますよ。そんなふうに思っていたときだった。
 電車が大きく揺れた。ここカーブがあるところなんだよね。そんなふうに思っていると「あ」と木葉が声を漏らす。それとほぼ同時に、思いっきり木葉の肩あたりが顔面にぶつかってきた。

「痛いんですけど」
「マジですみません」

 電車の揺れに耐えられなかった人が多かったらしい。誰かに押された木葉は完全にこっちに体を預けてきている。ちらりと木葉の肩越しに様子を窺うと、女性がかなり近くに立っていた。どうやらこの人も押されてしまってもう動けなくなっているようだった。そういうことなら仕方ない。まあ木葉だしいいか。そんなふうに思って気にしないことにした。
 あ、でも、このまま木葉の肩に顔をくっつけたままだとファンデーションがカーディガンについてしまう。慌てて顔を上げて「ごめん、ファンデついたかも」と木葉の顔を見ようとしながら言った。でも、密着しすぎて顔は見えなかった。見えるのは木葉の髪と耳くらいなもの。こんなにくっついてたんだ。今更ちょっと恥ずかしくなってきた。こっそり咳払いをしたら、木葉が「別にいいですよ」と呟く。その声が明らかに照れているような音をしていて、思わず笑ってしまう。よくよく意識してみれば少し木葉の体が熱い。とっくの昔から照れてくれていたのだろう。そう分かってちょっと嬉しかった。

「純情で何より」
「からかうのやめてもらっていいですか……」

 こんなシチュエーション、よっぽど異性に慣れているか興味がないかのどちらかじゃなきゃ、普通は照れるところだ。正常で何よりです。そうくつくつ笑ったら「いや、まあ、ハイ」と微妙な相槌を打たれた。
 ああ、忘れるところだった。笑いながら「誕生日おめでとう」とちゃんと言っておく。さっき軽めに流しちゃったからね。そんなふうに言ったら木葉がまだ照れているような声で「どうもです」と呟く。ああ、ちょうどいい。タイピンをなくしたとか言ってたし、誕生日プレゼントでわたしが贈りましょうか。そんなふうに提案してみる。まあ、ただの先輩からタイピンをもらうのも変な話か。別に特別木葉に何か影響を与えたり何か印象に残ることをしたりしたわけでもないし。そんなふうに言うわたしに木葉は、「いや、めちゃくちゃほしいです」と絞り出したような声で言った。
 それなら話は早い。大学生はそこそこ時間に余裕がある。今週中に用意しておくとして、土日どっちか空いていればその日に渡せばいいか。予定を聞いてみたら日曜日は午前中に練習試合があって、午後はオフになっているそうだ。じゃあその日ね。茶化してやるつもりで、身動きが取れないらしい木葉の左手、紙袋を持っている手。ふらふらしている薬指と小指のうちの小指。それにわたしの小指を絡めて「指切り。約束ね」と笑ってやったら、木葉が深いため息を吐いた。「マジで勘弁してください……」と情けない声で言ったくせに、しっかり小指は絡め返してきた。


恋心、きみ知らず

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