高校最後の夏合宿三日目の夜。かおりはお風呂掃除、雪絵は明日の練習準備、わたしは洗濯をしているところだ。一人で洗濯機を回すのってつまんないな、と思いつつ洗濯が終わったものを乾燥機に入れ、また洗濯機を回すという作業を繰り返している。洗濯機が一つしかないのでなかなか苦労している。乾燥機があるだけマシだけど。背もたれがついていない木製のベンチでたまにスマホを見つつずっと一人で黙々と洗濯物を畳み続けている。
 年代物の洗濯機は音がうるさい。ぐわんぐわんと聞いていて少し不安になる音を立てて働き続けてくれている。隣に置いてある棚との間に微妙な隙間が空いていることも音がうるさくなる原因の一つのようだ。この合宿所ももうかなり古いってコーチが言ってたもんなあ。けれど、梟谷は十数年前からここを借りていると聞いているし、三年間お世話になった合宿所だからかなり愛着もある。洗濯機がうるさいなんていうのはちょっとしたかわいい不満だ。最終的には合宿といえばこれなんだよな〜という要素の一つになっている。
 タオルをきれいに重ねていると、ガラ、とドアが開いた。かおりか雪絵かと思って顔を上げる。けれど、予想に反してそこには「お疲れ〜」と軽く言ってドアを閉める木葉がいた。

「お疲れ。どうしたの? 洗濯出し忘れ?」
「いや、ごめん。俺が出したTシャツってもうある?」
「あのわけ分かんないバンドTシャツ? 今乾燥機だけど」
「ディスりがひどくない?」

 けらけら笑いながらわたしの隣に腰を下ろすと、畳んだばかりの洗濯物たちをじっと見る。タオル類を先に洗っているので服はまだ洗濯中だ。木葉にそう言うと「ならここで待つわ〜」と言ってちらりと乾燥機を見た。部屋で待ってればいいのに。あとTシャツなんてなんで今必要なんだろう。お風呂はみんなもう入ったはずなのにな。まあ何かしら理由があるんだろうけど、少し不思議だった。
 木葉はゆるりと足を組んで、ベンチに後ろ手をついた。その視線がこちらに向いていることに気が付く。「ん?」と首を傾げつつ木葉のほうを見るとふいっと視線をそらされた。

「え、何?」
「いや何でもない。つーかって家でそういう感じなの? なんか意外かも」
「服のこと? これ家で着てるまんまだよ」

 お安いみんなご存知のお店で買った大きめサイズのTシャツ、どこで買ったかも覚えていない適当な半ズボン。わたしの定番おうちスタイルだ。結構長く着ているからくたびれている。でも、部活の合宿なんて気取る必要ないし、と迷わずこれを持ってきた。というか、もう夏合宿三回目だよ。去年も一昨年もこんな感じだったし、春合宿だってある。意外って今更なんじゃない? そう笑いながら木葉の脇腹をぺしんと叩いておく。
 木葉は「えーそうだっけ?」と笑っていたけれど、なんとなく違和感を覚えた。なんかいつもと少し様子が違うような? 不思議に思って素直に聞いてみる。何か用なのかとか、何か言いたいことがあるんじゃないかとか。木葉はわたしの素直な質問に対してあっちを見たりこっちを見たり忙しそうにして「いや〜」とはぐらかすばかり。本当になんなのだろうか。何かあるなら言ってくれればいいのに。そんなふうに思いつつ、しつこく聞くのも悪い気がしてとりあえず引いておく。

「寒くない?」
「ええ? 真夏だよ今。夜になってやっと涼しくなったなあってくらいじゃない?」

 木葉って細いし白いから寒がりっぽいよね。そうからかったら木葉は「う〜ん」と悩ましげに背中を丸めて頬杖をついた。よく分からないよ。そう苦笑いをこぼしてしまう。木葉って意外と気にしいだから、何かを言うときは最善を尽くそうとするんだよなあ。別にこっちはそんなに気にしていないし、そもそも木葉は人が嫌がることを言うやつじゃないのに。気を遣いすぎだけど、基本的にいいやつなんだよね。
 ふと、木葉の前髪にほこりがついているのを見つけた。どこでくっつけてきたの、それ。「ほこりついてるよ」と指を差す。木葉は「え、マジ?」と自分の前髪をどうにか見ようと視線を上に向ける。少し顔を下に向け、指先で前髪をつまんで手当たり次第引っ張るけれど、なかなかほこりは取れない。そこじゃないよ、と木葉の顔を覗き込んで手を伸ばそうとしたら「ちょっ」とどこか焦った声で声を漏らした木葉が、とんでもない素早さでわたしから距離を取った。

「なんなの、さっきから。変だよ?」
「いや〜……」
「はっきり言ってってば。わたし何かした?」

 ムカついたので距離を詰めてやる。木葉はベンチの端っこで「いや〜」と言い続けている。思いっきりそっぽを向かれた。何その反応。何かしたっけ? 心当たりがないと余計に気になる。あと木葉の顔が少し赤いことも気になるし。何かしてしまったなら普通に謝るのに。そうずいっと顔を近付けたら木葉が「分かった、分かりました!」と両手を挙げた。
 さあ、どうぞ。そんなふうに木葉の言葉を待つ。そろ〜っと視線をこちらに戻した木葉は、右手をそうっと持ち上げてわたしのほうへ近付けてくる。何をしようとしているのだろうか。もしかして何かついてるのかな? そう首を傾げていると、なんだか悔しそうな顔をされた。何、その顔。余計に不思議になっていると、木葉の右手がわたしの左肩のほうへ伸びていき、Tシャツを軽くつまんだ。そのままTシャツをぐいっと引っ張る。

「見えてる」
「は?」
「だから、ずっと見えてるんだって。紐」

 真っ赤な顔でそう呟いて、ぱっと手を離した。「それだけです」と言ってそうっと視線を外される。木葉が引っ張り上げたTシャツが肌にくしゃくしゃ当たってくすぐったい。言われてみれば、確かに結構肩が出ていたかもしれない、けど。

「そんな顔を赤くするほどのこと?」
「馬鹿かよ、男子高校生ナメんなよ……」

 なぜ偉そうぶる。思わず笑ってしまうと木葉は余計に悔しそうな顔をして、じっとわたしの顔を見た。その顔に免じて襟は直しておく。首元、結構伸びてくたくたになってたんだな。気付かなかった。というか気にしていなかった、というのが本音だけど。
 それにしても結構かわいいとこあんじゃん。そうちょっとにやにやしながら木葉の横顔を見ていると、じろりと視線だけがこちらを見た。「馬鹿にしてるだろ」と恨めしそうに言った声に「ぜ〜んぜん」と笑って返しておく。馬鹿にはしていない。かわいいなと思っただけで。
 ああ、それより。ほこり。思い出したそれを取ろうと、また木葉の顔を覗き込む。すると、赤い顔がこっちを見て「だから!」と言ってわたしのTシャツの襟を押さえつけるように、木葉の左手がわたしの首元に触れた。

「見えるから! 屈むな! 俯くな!」

 見えそうになることに赤面するくせ、結構際どいところに手を置くことは躊躇しないね? よく分からない基準だ。そうぼんやり思っていると、気が付いたらしい木葉がハッとした様子で、ゆっくり手を離した。「すみませんでした」と言葉を添えつつ。

「いや、別にいいけど。気にしすぎじゃない?」
が気にしなさすぎだろ……」
「別に見られても減るものじゃないし」
「そういうことじゃないだろうが!」

 軽く頭を叩かれる。痛いんですけど、と頭を押さえてちょっと睨むと、木葉はため息を吐いてまたそっぽを向いた。別に木葉が気にするところじゃないでしょ。そんなふうに言ったら「そういうことじゃなくて」と不服そうに言った。

「……他のやつに見られたら、ヤじゃん」

 ピーッ、と乾燥機が止まった音が響いた。木葉は組んでいた足をほどいてゆっくり立ち上がる。乾燥機を開けるとごそごそと中を漁って、自分のTシャツを引っ張り出した。ばさっとそれを広げてからまたこちらに戻ってくると、遠慮なしにそのTシャツをわたしにかぶせた。いや、何。びっくりしながらどうにか襟から顔を出すと、木葉がその頭をモグラ叩き宜しくそこそこの力でバシンッと叩いてきた。今後こそちゃんと痛いんだけど! 木葉の腰を叩き返しながらそうクレームをつけておくけど、木葉は知らん顔していた。
 そのまま洗濯部屋から出て行く木葉の背中に、ぽかん、と固まってしまう。着せられた、聞いたこともないバンドのTシャツ。サイズが大きすぎてだぼだぼなんだけど。首元がゆるいの、これも一緒だし着る意味ないじゃん。もういなくなった木葉にそんな文句は届くわけもない。仕方なく袖に腕を通しておく。
 なんか、暑い。乾燥機から出しばかりのTシャツのせいか。そう思っておくことにした。


いつかあの人に包まれたいなんて