一年生のころから仲が良かった木葉と、まさか恋人になるなんてそのときは思いもしなかった。 高校二年生の冬はなんとなく気まずい空気を抱えて二人で登校したり、高校三年生の春は周りの人に気付かれてちょっとからかわれて恥ずかしくなったり。 そういうことを通り過ぎて高校三年生の夏、もうそんな初々しい場面に遭遇することは少なくなった。

「ねーねー、問四どうやって解くの?」
「愛のこもったちゅーしてくれたら教えま〜す」
「じゃあ歯食いしばって〜」
「グーはだめ、グーはだめだからね?」

 けらけら。 こんな感じ。 もうすっかりうれし恥ずかし初恋人! ……なーんて時期はきれいさっぱり終わっている。 手を繋いだりちゅーしたりはするけど、そこにもあまり照れくささとかそういうものはない。 クラスメイトにからかわれても悪ノリしてリアクションできるくらいにはベテラン恋人になっている。 それが楽しい反面、ちょっとむかついたり。
 木葉にも、仲の良い友達にも誰にも言っていないのだけど。 正直、正直に言うと、わたしは、木葉のことが、正直、好き、だった、と思う。 というか好きだった。 一年生のときに仲良くなってすぐからずっと。 木葉がわたし以外の女の子と仲良くしているともやもやした。 木葉のことを好きだという女の子から相談を受けたら、その、非常に性格が悪いのだけど、「木葉って意外と雑だよ」なんて言ってしまったり。 そんなことを繰り返す中でふと木葉のことが好きなのだと気付いてしまい。 それと同時に、男友達のようであり悪友のように仲良くなってしまったわたしは、もうそんなふうに見られることはないだろうとも。 このままの関係でいるのがわたしにとっては一番幸せだろう。 そう思って告白をするつもりはなかった。 つもりはなかった、の、だけど。
 とある日、部活が休みだった木葉と二人で帰っていた。 駅のホームで二人ともマフラーに顔を埋めて「さむー」といつも通りの会話をしながら。 どういう流れでそうなったのかは覚えていないのだけど、木葉から好きなタイプについてのことを聞かれたのだ。 なんて答えようか考えていると木葉が「バレー部でいうなら?」と笑いながら言った。 忘れもしない。 あのときほど木葉を殴ろうと思ったことはなかった。 人がせっかく木葉だと悟られないような答えを考えていたのに、そんなふうに聞かれたら。 嘘をついても良かったのだけどなぜだかつけなかった。 「木葉」とだけ答えたら、いつも通りからかってくれると思ったのに。 見たことがないくらい照れた木葉が小さな声で「え、マジ?」と呟いた。 そんな顔されたら、期待してしまうわけで。 言うことはないだろうと思っていた言葉を、その場で言ってしまったというわけだった。

「え、てか、問二できた? 分かんないんだけど」
「公式に当てはめるだけでしょ。 てか問四解けてないじゃん!」
「ごめんて。 どの公式? ちゅーしてあげるから教えて」
「床に?」
「物騒なこと言うな」

 結果、こうなっている。 初々しい場面は少なくなったし、照れることも少なくなった。 そうだとしてもわたしにとってはとても、なんというか、うれしい空間のままだ。 木葉は知らないだろうけど。
 今日もこんなふうに課題を教え合うという名目で、ご両親が不在だという木葉の家にお邪魔している。 まさか木葉の部屋に入る日が来るなんて思いもしなかった。 一年生のときの自分に教えてあげたいものだ。 思っていたよりシンプルな部屋で、それなりに片付いているんだよ、とか。
 入ってすぐはきょろきょろ見渡してしまったのだけど、なんとなく浮かれているように見える気がしてすぐにやめた。 少しだけどきどきする心臓を隠しつつこうして課題を進めている。 そんなわたしとちがって木葉はまったくいつも通りのままだ。 意識してるのってやっぱりわたしだけ、なんだな。 そんなふうに思うと少しさみしくも思う。 だって、部屋だよ? 彼女が彼氏の部屋に来てるんだよ? 誰だって思い浮かべちゃうでしょ? 脳内の誰かに同意を求めるけれどもちろん返事はない。 自分のすぐ後ろにある木葉のベッド。 目の前でああでもないこうでもないと考えている木葉。 そういうこと、考えてしまっても、いやらしい女だと、思わないでほしい。 そういうの、まだしたことないし。 興味がないわけじゃないけど、興味があるなんて口が裂けても言えない。 考えているだけでのぼせそうだからもうやめておく。

「あー無理、頭痛い。 休憩しよう」
「まだ十分くらいしかしてないけど」
「休憩がてらちょっとやってほしいことがあるんですけど、いいでしょうか」
「何かによる」

 木葉は開いていた教科書とノートを閉じる。 そのまま後ろにあるタンスの引き出しを開けると中から何かを引っ張り出した。 それを鬼の首でも獲ったように掲げると、じっとわたしを見つめてくる。

「え、なに?」
「彼シャツ」
「は?」
「彼シャツが見たいです」

 無表情のままお互い固まると簡単に沈黙が生まれた。 は、え、彼シャツ? 急に何? というかなんで敬語? 疑問がぽんぽん頭に浮かぶが声にはならない。
 木葉が引っ張り出したのは白いシャツ。 長袖なので奥のほうにしまってあったのだろう。 休憩がてら、というほど片手間にお願いすることでもないような。 それって端的に言えば脱げってこととイコールなわけだし。 いろいろ頭でぐちゃぐちゃ考えていると人間は混乱するものだ。 気付いたらそれを受け取って「分かった」と返答している自分がいた。

「マジか」
「頼んできたのそっちでしょ……」
「いや、ダメ元だった」
「じゃあやめる」
「申し訳ありませんでした、何卒よろしくお願い致します」

 深々。 それに少し笑いつつ「分かったからあっち向いてて」と言うと、木葉は「え、見てちゃだめ?」などとふざけたことをぬかしやがったので一発殴っておく。 大人しく背中を向けたことを確認してからひとまずリボンをとる。 なんでこんなことを。 そう思いつつも、内心、ちょっとうれしい自分が、いたりいなかったり。 自分の名誉のために述べると変態的趣味があるわけじゃない。 木葉ってわたしのこと、ちゃんと異性として見てるんだな、と思ったというか。 そういう色っぽいところが今までなかったから少しだけ不安だったのだ。 手を繋いでもちゅーをしても。 全部友達の延長なんじゃないか、って。 わたしは木葉のことを男の人として好きだし、手を繋ぐのもちゅーするのも好きだし、抱きしめてほしいなあなんて思ったりもする。 けど、木葉はどうなのだろう。 そう悩んでいたから、まあちょっとすけべな気もするけど、こういうことを求められたのは素直にうれしかった。
 着ていたシャツを脱いで、受け取ったシャツを羽織る。 身長差はあるけどこれ一枚だけになるのはちょっと無理かな。 そう思ってとりあえずスカートは穿いたままにしておいた。

「できた」
「見てもいい?」
「どうぞ」

 くるっと木葉が振り向く。 最初はなんとなく明るい表情だったが、視線が下に行くにつれて曇っていった。 なんだ、不満なのか。 ちょっとムッとしつつ「なんでしょ〜?」と笑って聞いてみる。 木葉はじっと視線を下に向けたまま「スカート」とだけ言った。

「さすがに……丈、意外と短いし……?」
「いや、いける。 大丈夫大丈夫、いけるいける」
「いけないでしょ……」
「大丈夫、ギリ見えないって。 というかどっちかというと見たいです」
「変態」

 思わずそう悪態をついてしまう。 木葉はなんだかご機嫌そうに笑いつつ「なにそれ、かわいいじゃん」と机に寝そべった。 さっきから余裕そうな顔しやがって。 こっちは背中を向けているとはいえ好きな人の前で服脱いでふつうにどきどきしてるのに。 好かれる側っていうのは、ずるいよなあ。

「だめ?」
「えー」
「今度ケーキをご馳走しますので何卒」
「……ケーキはいい……けど」
「けど?」
「………笑わない?」
「笑わない」

 「なに?」と頬杖をついて笑う。 本当にずるいよなあ。 またムッとしてしまいつつ、だぼだぼに余った袖をきゅっと握る。 これだってただの気まぐれなんだろう。 すけべ心があるだけ。 異性だったらわたしじゃなくてもいいのだろう。 付き合うことになったのだって、わたしが木葉を好きだったからなのかもしれない。 わたしより先に誰かが告白したらその子と付き合っていただろう。 そう思うと途端に寂しくなってしまう。 結局は女友達の延長のまま。 手を繋ぐのもちゅーするのもきっとそうなんだろう。 はじめて手を繋いだとき、はじめてちゅーしたとき、どちらも緊張はしていたけれどすぐに慣れていたっけ。 わたしもそのふりをしていたけどそうじゃなかった。 いつも、いつも、いつも。 木葉の長い指がわたしの指をなぞるたび、木葉の薄い唇がわたしの唇に触れるたび。 どきどきしてたまらなかった。 赤くなりそうな顔を必死で抑えて、いつも通りの顔で笑う木葉にいつも通りのふりをして笑う。 いつもそうなのだ。 木葉はわたしにどきどきなんてしない。 なんか、むなしいな。

「ぎゅってして」
「へ」
「そしたら脱いでもいいよ」

 たぶん清々しいほどの真顔だったと思う。 間抜けな顔の木葉は固まったまま動かない。 こんなこと言われるなんて思ってなかったんだろう。 わたしはあんたのこと好きなんだもん。 仕方ないじゃん。 内心そう思いつつ俯く。 どうせ、はいはいそれくらいならしますよー、でしてくれるんでしょ。
 そう思って待っているのになかなかしてくれない。 不思議に思って顔をあげると、木葉が机に突っ伏しているのを見つけた。 なに、それ。 してくれないってことですか。 ちょっと拗ねつつじっと木葉のつむじを見続ける。 ぴくりともしやしない。 むかついて「おい」と声をかけつつつむじを指で押してみる。 さらりと流れる髪を、やっぱり好きだなあ、と思って触ってしまう自分にむかついた。

「なあ」
「……なに」
「前々から思ってたんだけどさあ」
「なに」
「俺、のこと好きだからな」
「え」
「女の子として好きなの。 分かる?」
「え、き、急に、なに……?」
「そういうこと言われると、あの、抑えが効かなくなるから、やめてください」

 は違うかもしんないけどさあ。 投げやりな声なような、めいっぱい照れている声のような。 それに照れるとか喜ぶとか、そんなことは一切なくて、ただただきょとんとしてしまった。 木葉の言った言葉の意味とかそういうのがまったく落ちてこないというか。 だってそれ言うのわたしのほうだもん。 わたし、木葉のこと好きなんだからね。 男の人として好きなの、分かる? 構ってくれたり触ってくれると、気持ちが抑えられなくなるから、やめてよ。 ……って、わたしが言う立場、なんだよ? それなのに。

「本当、どきどきしすぎてやべーわ、ちょっと待って」

 手を繋ぐときも、ちゅーするときも、木葉はこれっぽっちも緊張してなかったくせに。 すぐに慣れたくせに。 絶対わたしのほうが好きなのに。 先に好きになったのも、ずっと好きなのも、他の子に嫉妬してしまうくらい好きなのも、絶対にわたしなのに。 目の前にいる木葉のほうがわたしのことを好きだと思ってくれているように見えるのは、なぜなのでしょうか。


どうしたら貴方のものになれますか

▼title by ジャベリン