※未来捏造






 ぴしっと整ったスーツ姿が残念なことに悲壮感を漂わせているように見える。 濃いグレーのスーツに暗いブルーのネクタイ。 新調したらしいぴかぴかの靴。 どこからどう見ても電車に揺られるぴしっとした社会人男性、なはずなのに。

「ため息大きすぎない?」
「ため息くらいつかせて……」

 こちらが心配になるほどか細い声で呟いた秋紀は、項垂れたまま膝の上に置いてある紙袋に入った手土産をきゅっと抱きしめた。 昨日百貨店の和菓子屋さんで、なんと二時間もかけて選び抜いた手土産である。 お値段なんとひと箱六個入りで七千円。 なかなかに高級な和菓子だ。 選んでいる間も店員さんの前だというのに何度も何度もわたしに「こういうの嫌いじゃない?」「印象悪くない?」など、しつこいほど聞いてきたのはちょっと参ってしまった。

「大丈夫だってば。 そんなに怖い人じゃないよ」
「いやあ……学生時代門限七時のお嬢さんに言われましても……」
「それを言われるとちょっと苦しいからやめて」

 笑って秋紀の肩を叩くとまたため息にも似た呼吸をする。
 突然だけれど、わたしの父は非常に厳格で親馬鹿な人だと思う。 小学生のとき、わたしがクラスの男の子にこかされてケガをしたとき、ものすごい形相で事情を聞きに行ったときは恥ずかしかった。 中学生のとき、わたしに好きな人ができたことを母に言ったら父に伝わってしまい、一週間ほどぶすくれていたときはちょっとむかついた。 高校生のとき、部活に入りたいと相談したら「門限は七時だから文化部なら許す」と言われたときはさすがに呆れた。 大学生のとき、友達と遊ぶ費用がほしくてアルバイトをしようとしたらお小遣いを今までの倍くれたときは苦笑いがもれた。 そして今、社会人。 さすがに残業や飲み会で遅くなることを怒りはしないけれど、頻繁に車で迎えに来てくれるのは、正直ちょっとうれしい。
 今日はそんな父に、二人で挨拶に行く大切な日なのである。

「一応イメトレで水はぶっかけられたけど、あと何を想定すればいい?」
「短気だけど手は出さないから大丈夫だよ」
「ちょっと待って、短気って情報は初耳なんですけど」

 秋紀は「怒鳴られたら心が折れるかも」と情けない声で呟く。 けれども、まあ、気持ちは分かる。 なかなか都合が合わず、先にわたしが秋紀のご両親に挨拶へ行ったのだけど、緊張しすぎて何を話したかほとんど覚えていない。 お二人ともとても優しく包容力のある方で何も心配する必要などなかったことだけが救いだった。 それに、秋紀のご両親に関しては元からお付き合いしていることを知っていたこともあって、すんなりと挨拶を終えることができたのだ。
 けれど、今日はちがう。 わたしの父は秋紀のことを知らないし、そもそもわたしに付き合っている人がいることも数日前に知ったばかりだ。 母にはお付き合いしている人がいると言ってあったし、秋紀のことも知っているから大丈夫だろうけど。 今までの言動を思い出したらなかなか父に言い出せなくて、ずるずるとここまで来てしまっていた。

「正直に言って、正直にな? 俺の見た目ってどう?」
「チャラそう」
「フォローしてくれないのね?!」
「嘘だってば。 優しそうないい男に見えるよ」
「絶対嘘じゃん……」
「あはは」
「呑気でいいなあ!」

 半泣きである。 情けない顔に少し笑ってしまうと、秋紀は拗ねてしまった。 手土産が恋人、と言わんばかりに抱え込むので「まあまあ」と背中を撫でる。 「もし追い出されたら、一緒に駆け落ちしようって思うくらい、わたしは秋紀が好きだよ」と少し照れつつ言ってみた。 すると秋紀は項垂れていた体をぐっと伸ばし、まっすぐにわたしの瞳を見つめる。 そうしてきっぱりと「それはだめだろ」と至極まじめな顔をして言った。

のお義父さんはそこまでのことを大事に育ててきたってことだろ? その人に認めてもらえないままはだめだろ」
「……そのときは、別れるってこと……?」
「は?! なんでそうなる?!」
「そういうことじゃん……」
「ちがうちがう! 認めてもらえるまで毎日通って、何度でも頭を下げるよ」

 「さんをください、って」と決心したような表情をして言った。 毎日残業で忙しいくせに、毎日通うなんて無理でしょ。 笑いながらそう言ったら秋紀はけろっとして「いや、仕事してる場合じゃないだろ」と言う。 あまりにもまじめな顔だから驚いてしまう。 手土産ひとつに二時間も悩んだくせに、こういうところは悩まないんだなあ。

「ちなみにのお義父さん、挨拶来るって聞いてなんて言ってた?」
「しばらく黙ってから”そうか”って言ってたよ」
「リアル〜……」

 再び手土産をきゅっと抱え込む。 ぶつぶつと家に到着してから帰るまでの最低限言うべきであろうセリフを呟き始める。 横顔は見るからに緊張が窺える色をしていて、指がぱたぱたと動いて落ち着きがない。 およそ、どっしりしたかっこいい男の人、ではない。 けれど、なんでか好きなんだよなあ。 きっと分かってくれる。 母はもちろん、父も。 なんとなくそんな気がした。









「木葉あきにょりさ〜ん、ビール飲む?」
「やめて……傷口を抉らないで……」

 玄関でまず「はじめまして。 さんとお付き合いさせていただいています、木葉あきにょりです」と盛大に噛んだ秋紀は、その後かなりのぐずぐずさを発揮した。 要所要所で噛み、緊張で手が震え、大量の汗をかき……それはもう盛大に緊張しまくった。 母は「緊張しなくていいのよ〜」と微笑ましそうに見ていたけれど、父はいつも通りの厳しい顔のまま言葉数は少なかった。
 なんとか一通りの挨拶を終え、ひとまず秋紀の家に二人で戻って今に至る。 父は「さんをください」と頭を下げた秋紀に対して、「君はを幸せにできるか」とだけ聞いた。 その問いかけに秋紀が拳をぎゅっと握り直したのがなぜだか印象的だった。 秋紀は下げた頭をゆっくりと上げ、まっすぐに父を見て言った。 「幸せにします、約束します」と。 そんな秋紀に父は腕を組んだまま「そうか」と言って、部屋から出て行った。 それからわたしたちが帰るまで、父は姿を見せなかった。

「絶対あきにょりがだめだった……」
「さすがにフォローできなかったわ、ごめんね」
「むしろこんな彼氏ですみません……」
「そんな彼氏さんが好きだから大丈夫ですよ」
「きゅんとした、結婚してください」
「そのための挨拶でしょうが」

 冗談が言えるくらいには回復してきたらしい。 帰りの電車は目も当てられないほど落ち込んでいたけれど、なんとか前向きになってくれて安心した。

「なんかさ」
「うん?」
「情けない話、を幸せにできるかって聞かれたとき、ちょっとびびってさ」
「……うん」
のお義父さんは今までどれだけのことを考えてを幸せにしようとしてきたんだろうって思ったら、自分がそれを奪おうとする悪者なんじゃないかって、一瞬だけ思った」

 へらりと笑う。 秋紀はネクタイを緩めて第一ボタンを外し、ようやくいつもの少し丸まった猫背に戻った。

「でも俺がに出会って、を好きになったのも、のお義父さんがそうやって大事に育ててきてくれたからなんだと思ったら、口が勝手に答えてたわ」

 そのまま寝転ぶ。 秋紀は大きく息を吐いて「明日早出するわ」と呟く。 たぶん残業せずわたしの実家へ行けるように、という意味だろう。 また頭を下げるつもりらしい。 それに小さく笑うと、秋紀は「和菓子じゃなくて洋菓子にしたほうがいい?」と苦笑いをこぼした。
 秋紀にはまだ何も言っていない。 電車に揺られているとき、母からメールが来たのだ。 「お父さん、泣いてたよ」とだけ。 にこにこマークの絵文字付きで。

「行かなくていいと思うよ」
「いや認めてもらえるまで行く」
「大丈夫だって」
「あ、もしかしなくても迷惑?」
「そうだね」
「……朝……はもっと迷惑だろ……週末だけとか……?」
「秋紀って登山したことある?」
「え? 登山? 何回か経験はあるけど?」
「そっか」
「何? なんで登山?」

 母にメールを返す。 「登山オッケーです」とだけ書けば、ものの数秒でキラキラマークの絵文字が返ってきた。 父の趣味が登山であるなんて秋紀はもちろん知らない。 意味が分からず首を傾げる姿にくすりと笑ってしまった。
 手土産を二時間長考するし、行きの電車で死にそうなほど緊張するし。 いざ挨拶となったら余計に緊張して噛み噛みだし。 お世辞にもかっこいい人なんです、とは言えない。 でもわたしにとっては誰よりもかっこよく、誰よりも好きな、たったひとりの人なのだ。 それを、わたしをずっと見てきた父が分からないわけがない。 それくらいには自分を驕ってもいいのに。 思ったけど口には出さない。
 そのうち父から登山に誘われることになるであろう秋紀は、未だぶつぶつと今度いつ挨拶に行こうか考えている。 手土産は洋菓子か、お酒か、何がいいのかとか。 スーツの色が地味だったからもう少し明るいものを新調しようかとか。 真剣に考える横顔。 どれもこれも、秋紀に今いるものじゃない。 そんなものより登山グッズ、買ってね。 内心そう思いつつ、ふふ、と笑ってしまった。


王子様には少し足りない

▼title by 銀河の河床とプリオシンの牛骨