「きのう一緒にいた男、だれ?」

 しん、と体育館に静けさが漂う。 先ほどまで木葉さんと小見さんが二人で猿杙さんをからかったり、赤葦が雪絵ちゃんとかおりちゃんにからかわれていたりと騒がしかったのに。 部活が終わってさあもう帰るだけ、そんな和やかな雰囲気を穏やかに切り裂く発言をしたのは木兎さんだった。 静けさに包まれた体育館の中でようやく声を出してくれたのは木葉さんだった。 小声でこちらを向いて「え、だれに聞いてる?」と疑問を投げかけてくる。 雪絵ちゃんが「分かんない」と返すとほかの全員も「同じく」と同意した。 わたしもその輪に混ざって「同じくです」と小声で言うと、木兎さんは「お前だから!」としっかり指をさした。 その人差し指をたどった先にいるのは、わたしだった。

「ええ……何のことですか……」
「お前いまめんどくせーって思っただろ!」

 基本的に木兎さんは面倒くさい。 拗ねると余計に面倒だから堪えてくれと赤葦に言われることが多いけど、守れたことはあまりない。 この話題だって面倒な雰囲気しか感じられないのだからうんざりしてしまう。 木兎さんはふだん鈍感なくせにこういう表情を読み取ることに関しては鋭い。 「ほらあ!」と喚き散らし始めるのを赤葦がいつもどおり宥めてくれた。

「え? なんでしたっけ? 男?」
「きのう! 一緒に! 帰ってた男!」

 ぷんぷんしながら木兎さんがまたわたしを指さす。 それを赤葦が「人を指さすのは良くないです」と咎めると素直に腕を下げた。
 きのう一緒に帰ってた男。 木兎さんから視線を逸らして考えると、一人だけ思い当たる人物を思い出せた。 きのうは部活が休みだったのだがわたしは委員会があったため割といつもどおりの下校時間だった。 そのときに同じ委員会の同輩が遅いからと近くまで送ってくれたのだ。 一年生のときに同じクラスだったのでそれなりに面識があったし、いまでもちょこちょこ話す仲なので厚意に甘えさせてもらったのだが。 それの何がいけなかったのだろうか。 というか木兎さんはなぜそれを知っているのだろうか。

「隣のクラスの子ですけど」
「なんで一緒に帰ってたんだよ!」
「……話がいまいち読めないんですけど」

 はてなを飛ばして困惑してしまう。 木兎さんはそんなわたしを見てぎゅっと唇を噛んだかと思えば拗ねたような顔をした。 直後に赤葦がわたしのほうをちらりと見て、はあ、と小さなため息を漏らしたのが分かってしまった。 なぜしょぼくれモードになるんですか、木兎さん。 他の人もあまり話が読めていないらしく、不思議そうな顔をしていた。
 こそっと雪絵ちゃんが耳打ちする。 「ちゃんって木兎と付き合ってたっけ?」と。 そんな事実は一切ない。 ふつうに「ないです」と小声で返すと「謎だね〜」と雪絵ちゃんが苦笑いをもらした。
 木兎さんとは一応いまは部活の先輩後輩というポジションになっているが、実は小学校からの幼馴染だ。 もともとわたしは木兎さんのことを「光太郎くん」と呼んでいて、ほぼ毎日一緒に遊ぶくらい仲が良かった。 けれど、高校生になって木兎さんがいるバレー部のマネージャーになったとき、さすがにそれはだめなんじゃないかと思ったのだ。 「光太郎くん」から「木兎さん」に呼び方を変え、話すときは敬語にすると宣言したときのしょぼくれ方はそれはもうひどかった。 わたしが話しかけても返事をしてくれないし、わたしが話しかけると拗ねてしまうようになったのだ。 けれども、わたしも頑固なところは木兎さん似なのかもしれない。 ある日を境に話しかけるのをやめたら、ものの二日で木兎さんが折れたのだった。 そうしていまの関係に落ち着いた、という経緯があっての先輩後輩だ。 家も近所で歩いて数分の場所にあることもあって、部活がある日は大体最終的に二人で帰ることが多い。
 ただ、決して、付き合ってはいない。 あくまでも仲の良い幼馴染というだけだ。

「……いっつも俺と帰ってんじゃん」
「は?」
は俺と一緒に帰るじゃん、いっつもは」
「いや、それは部活があるときだけじゃないですか」
「それもやだ!」
「はい?」
「敬語! 木兎さん! 俺それやだ!」

 なぜカタコト? それにもう丸っと一年木兎さんプラス敬語でやってきたというのに何をいまさら。 もう赤葦が宥めるのも効かないみたいで、何を言われても顔を背けて聞く耳を持たない。
 ちなみに。 バレー部の人たちは木兎さんとわたしが幼馴染であることは知っている。 けれど、昔は名前で呼んでいたとか、敬語じゃないとか、そういうことは知らないはずだ。 木兎さんの発言ではじめてそれを知ったらしく少し驚いた顔をしている人が多いのはそのためだろう。

「え、いいじゃん、昔みたいにしてやれば?」

 木葉さんがさっきまで木兎さんに向けていた不思議そうな顔を今度はわたしに向けた。 木葉さんの言葉に他の三年生も同意して「うんうん」と頷き始める。 バレー部に馴染んでからはそういうことにうるさくない先輩たちだと分かりはしていたのだけど、なんとなくやっぱり体育会で特別扱いというのは良くないかと思ったのだ。 しかも木兎さんは主将で大エース。 幼馴染だからと後輩のマネージャーが光太郎くん呼びだのため口などやっていたら変な噂が立つんじゃないかと心配だったのだ。 説明しても木兎さんは分かってくれないけど。

「……でもやっぱり先輩ですから」

 本当は昔のように光太郎くんと呼びたい気持ちはある。 何年経っても、どんどん身長差ができていっても、どんなに選手として大きな存在になっていても。 わたしの中では何一つ変わらない、昔から笑顔が眩しくて元気な光太郎くんだ。 中でもバレーをしているときの笑顔が一等好きだ。 好きだからこそ、邪魔をしたくないと思うのが、ふつうじゃないだろうか。
 拗ねたままの木兎さんをどうすることもできず、今日はそのまま解散となる。 当然のように赤葦から木兎さんをパスされ、「明日までに頼んだぞ」と無表情で言い渡されてしまった。 なんて無茶な要求をしてくるんだ、あのセッターは。 それを恨めしく思いつつも「俺じゃどうにもできそうにないから」と言われると素直に「分かった」としか言えなかった。
 他の人たちがいないと余計に静かに感じる。 いつもうるさい木兎さんが黙っているだけでかなり静かなのに、今日に限って車も通らないし誰も歩いていない。 しん、とした空間はまるで世界にわたしたち二人だけみたいで、ちょっと緊張してしまう。 なんと切り出そうか考えていると、意外にも木兎さんから口を開いた。

「俺、の真面目なとこすっげー好きだけど、同じくらいすっげー嫌い」

 ちょっと衝撃。 いままで何度か喧嘩をしたことはあったけど、嫌いと言われたのははじめてだ。 木兎さんはいつだってどんなに怒っていても相手を傷つけるようなことは言わない。 本当に嫌いな人や苦手な人とは喧嘩をしないからだ。 少しの衝撃で口を開けずにいるわたしのことは知らんふりして、木兎さんは言葉を続ける。

「でも、昔から、のこと、すっげー好きなのは変わんない」

 「だから、いまの感じ、すっげー嫌だ」と木兎さんはわたしを盗み見るように見て言った。 わたしがなんと言うか様子をものすごく窺っている。 その顔は夕日で赤く照らされていて、なんだかかわいらしく見えた。 木兎さんはそういうところがずるい。 高身長でどちらかというとヤンチャそうな見た目なのに、なんでこうもかわいい顔を作ることができるのだろうか。 子どもが体だけ大きくなったような。 そんな無邪気さがたまに、変な感情を生み出しそうになる。

「……分かった、分かったよ、光太郎くん」
「本当?!」
「でも二人のときだけね」

 笑ってしまう。 光太郎くんの前ではなんだか表情がふにゃふにゃと崩れがちだ。
 夕日がどんどん光を失っていく。 一番星が輝くと、それを見上げた光太郎くんが「きれーだな!」とそれを指さす。 もうずいぶん背が伸びた光太郎くんの顔を見上げるように覗き込む。 きらきらと笑顔が変わらず眩しくて、星なんかよりも、きれいだと思ってしまった。
 わたしも光太郎くんのことが好きだ。 昔からずっと変わらない。 部活中の真剣な顔も、いまみたいな無邪気な顔も。 どっちも好きだ。 昔と変わらないんだけど、たぶん昔よりも気持ちは大きくなっている。

「きれいだね」

 呟いた言葉はどこに向かって言った言葉だったのか、自分でもよく分からなかった。


まもなく流星
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