ちゃん、最近いいことでもあった?」

 ボトルを洗っているとき、潔子さんにそう声をかけられた。少しきょとんとしてから「なんでですか?」と首を傾げる。すると、笑って「なんとなく」と言われてしまった。それに続けて仁花ちゃんにまで「私もそんな感じがしてました!」と言われた。いいこと。そう言われて思い当たることは一つしかなかったけど、恥ずかしいので黙っておくことにした。そういうのを誤魔化すのは得意だ。昔から表情筋が死んでるだのなんだのよく言われているし。ちょっと漏れてしまうこともあるけれど。
 特に何もないですよ、と返しておいた。二人ともちょっと疑ってきたけれど、「じゃあ気のせいか」という結論に落ち着いてくれたらしい。危なかった。顔でもにやけていただろうか。気を付けないとな。そんなふうに気合いを入れた。
 体育館に三人で戻りつつ談笑していると、西谷が「あ、!」とわたしを手招きした。また何か余計なこととかしてないでしょうね。そんなふうに近寄っていくと「、彼氏いるって前言ってたよな?!」と大声で聞かれた。なんでそんな大声で言う! 一年のときに西谷に聞かれたから正直に答えたけど!

「え、そうなのか?!」
「そうなの?」
「いや、まあ、はい……いますけど……」
「ほら! 俺聞いたって言っただろ!」
「待って、どういう話の流れ?」
「木下がに彼氏いるわけないだろって言うから!」
「言うなよ?! さんごめんなさい!」

 木下のことは後でどうにかするとして。やけにじっと見てくる潔子さんと仁花ちゃんの視線が痛い。やっぱり女の子って恋バナ好きだよなあ。わたしも好きだけど。潔子さんも仁花ちゃんもそういうの興味なさそうだなって思ってたのに、結構しっかり興味があるらしい。先に口を開いたのは意外にも仁花ちゃんで「どんな人ですか?」と聞かれてしまった。答えないわけにはいなさそうだ。他の部員も聞いてるから答えづらいんだけど。

「……同い年の人」
「烏野ですか?」
「いや……他校……」
めちゃくちゃ歯切れ悪いな?」

 澤村さんがけらけら笑う。そりゃそうですよ。恥ずかしいですよ、こんな注目される中答えるの。そんなふうに思っていると潔子さんがいたずらっぽく笑って「具体的にどうぞ」と言ってきた。こういうときの潔子さんはノリが良いから困ってしまう。

「落ち着いていて背が高いですかね……」
「何センチあんの?」
「……182くらいだったと思う……って、あの、もう良くないですか……」

 降参してそう小さな声で言ったらみんなに笑われた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




『え、本当?』

 家に帰ってから滅多にかけない電話をかけた。練習で忙しいだろうし、わたしからはいつもかけないようにしているのだけど。家に帰っているであろう時間にかけた電話に、京治はすぐ出てくれた。お風呂上がりだったらしい。タイミングがよかった。なんだかここ最近はツイているかもしれない。そんなふうに一人で笑っておく。

「そう。この前音駒と練習試合した縁で」
『宮城の学校が参加するとだけ聞いてたけど、まさかのとこだとは思わなかった』
「ね。すごい偶然だよね」

 京治は柔らかい声で「ラッキーだね」と言った。本当にね。ラッキー以外の何物でもない。この時期はお互いそれぞれの部活の日程で会えないだろうと言っていたばかりだ。こんな形で会えることになるなんて思わなかった。ちょっと楽しみだね。素直にそう言ったら「うん。楽しみだね」と声だけで分かるくらい嬉しそうに言ってくれた。

「あの」
『なに?』
「からかわれるの恥ずかしいから、合宿中は赤葦くんって呼ぶね」
『…………えー』
「今日も彼氏のこといろいろ聞かれて恥ずかしかったんだってば」
『……まあ、分かった。じゃあ俺はさんでいいの?』
「それでお願いします」

 ちょっと機嫌を損ねてしまった。なんとか笑って機嫌を取るように頑張ったけど、この日の電話中は終始「本当に赤葦くんって呼ぶの?」と終始不満げだった。申し訳ないけど本当、恥ずかしいから。そう謝ったら渋々また了解してくれた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 二日間の合同練習を経てからの合同合宿。現在四日目にさしかかっている。合同練習のときは京治の通う学校が練習場所だったからついついいろんなところを見てしまったなあ。あとでメールが届いて「すごくきょろきょろしてたね」とからかわれて恥ずかしかった。
 合同練習のときも、今の合宿中も、偶然誰もいないところで会ったときに話したくらいで、お互い声をかけるタイミングがなかった。まあ、付き合っていると気付かれないようにしているのでそれが普通なのだけど。今のところあまり話せるタイミングがないまま。京治の部活のマネージャーさんとはたくさん話をしているのだけど。
 午前の試合もあと一つ。烏野は最後の試合とペナルティも終えて全員がダウンしているところだ。それを笑いつつ飲み物を渡したりタオルを渡したりしている。今は音駒高校と森然高校が試合中で、他の学校も午前のメニューは終了しているらしい。烏野のすぐ隣には梟谷学園のメンバーが座って休憩している。音駒と森然の試合が終わるまでこうして待っているのだろう。
 潔子さんはスコア表の確認中、仁花ちゃんは朝干したタオルを取りに出ている。わたしは試合に出ずっぱりの田中の肩を揉んでねぎらっているところだ。「次は勝つ!」とうるさいけどそのままの気合いでいてほしい。やっぱり田中が元気だといい空気になるね。そんなふうに笑っているところに、「ちゃ〜ん!」という声。梟谷学園のマネージャーの白福先輩だ。返事をしてから田中の肩を思いっきり叩いて振り返る。梟谷学園の人たちの輪。当然のごとく京治もそこにいる。じっとわたしを見ているものだから、もしかしてうっかりバレたのかなと苦笑いがこぼれた。小走りで梟谷学園の輪に近付き「どうしました?」と声をかける。

「午後からのローテ、どうなってたっけ? うちの抜けてる主将が紙どっかやっちゃってね〜」
「抜けててすまん!」
「ああ、そういうことですか。午後梟谷はBコートスタートで音駒とですよ」
「え、ちゃん全部暗記してるの?! すごいね?!」

 しまった、と思った。紙も見ずに他校のローテを把握しているなんて変だよね。苦笑いをこぼしつつ覚えているという体にしておく。マネージャーがいない音駒高校のフォローの確認に話をそらしておく。この合宿中、マネージャーの人数が多い梟谷と烏野で音駒の分もできるだけフォローしているのだ。大したことはしていないけれど。
 マネージャー業の確認が終了したので、すぐ隣の烏野メンバーの元へ戻ろうと「じゃあ、午後からも宜しくお願いします」と言って背中を向けた。その瞬間だった。

「あ、。靴紐ほどけてる」
「え? ああ、本当だ。ありがとう」

 足下を見てみると左の靴紐がほどけてしまっている。踏んで転ぶ前でよかった。その場でしゃがんで靴紐を結んでいると、やけに視線を感じた。靴紐を両手で持ったまま顔を上げる。烏野メンバーが目を丸くしてこっちを見ていた。え、何。どうやら後ろを見ているらしいけれど、特に何かが落ちたような音や変な感じはなかったけど。そう首を傾げつつみんなが見ている方向を見る。背後の梟谷メンバーがじっと京治のことを見ていた。どうやら烏野メンバーも京治を見ているらしいと察する。何か変なことでもしたのだろうか。烏野と梟谷全員からじっと見られている京治もわたしと同じように不思議そうな顔をしている。
 しばらく不思議そうにしていた京治が痺れを切らせて「なんですか」と怪訝そうな顔をして言った。その京治の言葉に梟谷のエースの人が「え、今さ」と首を傾げる。

≠チて呼んだけど、元々知り合いなのか?」
「……えっ」
「呼んだよな? ≠チて」
「呼んだ呼んだ。いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」

 京治を茶化すように梟谷の七番の人が肩を小突く。京治は少し固まってから、あまり崩れない表情をほんの少しだけ崩した。「あ、ヤバ」って顔。きっとその些細な変化に気付いたのはわたしだけだろう。珍しい、そういうミスをするタイプじゃないのに。わたしは知らんふりを決め込んだほうが良さそうだ。こういう誤魔化しは京治のほうが得意だし。何事もなかったように顔の向きを戻して靴紐を結び直すことにした。

「赤葦さんって」

 口を開いたのは、意外にも月島だった。意外な人が会話に入り込んできたな、と少し驚いてしまう。赤葦も予想外の人物が参戦したことにほんの少し狼狽している。「え、何?」と若干困惑が滲む声で言った。それからちらりと月島がわたしを見て、また静かに口を開いた。

「たしか182cmくらいですよね、身長」
「……え、そうだけど?」
「落ち着いた性格で、二年生ですよね」
「…………えっと、何の確認……?」

 困惑を強める京治と、あくまで静かな月島の声に耳を傾けていたのだけど、アッ、と気が付いた。その瞬間靴紐をきれいにちょうちょ結びした手がぶわっと熱くなる。たぶん顔が赤くなっている気がする。このまま上手く結べないふりをして俯いておこう。月島にバレただけだ。他の人はそんな会話もう覚えていないはず。

「あー! もしかしての彼氏か?!」

 体育館に響いたその無駄に大きな声は、菅原さんの声だった。くそ、覚えている人がいた。絶対他のメンバーは覚えていないと思ったのに。危ないのは潔子さんと仁花ちゃん、あとは縁下くらいだと安心していたのに、思わぬ伏兵がいた。そう一度結んだ靴紐をもう一度ほどいて結び直す。このまま「あーそうなんだ」くらいに流れてほしい。そんなに誰も食いつかずに流れてほしい。もしくは京治が上手いこと誤魔化してくれるか。そのどっちかなら軽傷で済むから。そんなふうに祈ってしまう。恥ずかしいよ、やっぱり。からかわれるのって。頼む、どうにかなってくれ。

「バレたものは仕方ないですね。そうですよ」

 あっさり認めるじゃんか! 思わずそんなふうに後ろを振り返ってしまう。京治は笑いながら「え、バレたなら仕方なくない?」と悪びれる素振りも見せなかった。名前で呼ばないって約束したのに! 渋々だったけど、分かった、って言ってたくせに!

「中学一緒だったのか?!」
「そうです」
「マジかよ! 隠さなくていいだろ! なんで隠してたんだ?」
がからかわれると恥ずかしいからと言うので仕方なくですね」

 「恥ずかしいんだ〜?」と白福先輩がわたしに言う。それがすでに恥ずかしいんですよ。そんなふうに目をそらすと、潔子さんが「恥ずかしいの?」とにこにこ笑っていた。完璧にからかわれている。逆に隠していたことで恥ずかしさが増した気がしてしまって、余計に顔が熱くなった。
 というか、名前で呼ばないって約束したのに破った京治のせいでしょ! なんでわたしばっかり恥ずかしい思いしなくちゃいけないの! 立ち上がって京治を睨むけどやっぱり効き目はない。けろっとした顔で「もう苗字で呼ばなくていい?」と確認取ってきた。まさか、わざとじゃないでしょうね。

「夜、自主練終わったら声かけるから」
「……なんでここで言う……?」
「え、だってこそこそする必要なくなったし」

 不思議そうな顔をされてしまった。そういう妙な余裕があるところは昔から変わらない。それが悔しくもあり頼もしくもあるけど。一つため息がこぼれてから「分かった」と返事をしておいた。
 ちょうどそこで音駒と森然の試合が終了。お昼休憩に入ることとなった。梟谷の人たちが京治をからかう声を聞きつつ背を向け、そそくさと烏野の輪に戻る。にやにやしている。月島め、黙ってくれていたらよかったのに。そういう意味を込めてちょっと睨むと「ちょっと気になったんで〜」と笑われてしまった。かわいくない後輩め。普通に話せるようになったのは、素直に、嬉しいけど。いや、でもやっぱり恥ずかしいのが勝つ。もう一度睨み付けておくと「赤葦さんに言いつけますよ〜」と笑われた。


うわさのケイジくん