静かな駅のホーム。静か、とはいっても普通に人がたくさんいるしガヤガヤとしていることに間違いはない。隣で喋っている大学生らしき二人組がうるさいし、後ろにいる女の子数人組もうるさい。そうだとしても、わたしにとっては静かだった。
 隣に立って黙ったままでいるやつをちらりと横目で見る。学校からここまでの道、一言も話していない。それなのに隣を歩いているのだから意味が分からない。変なやつ。帰る方向が一緒なのはそうだとしても、時間をずらすとかすればいいのに。ちょっとムカつきながらわたしも一切話しかけずにいる。
 ちょっとした喧嘩だった。わたしが貸したノートを少し汚してしまったというだけの。なんでも部活の先輩に水を少しこぼされたそうだった。別にそれだけのことで、いつもなら「もう、ちゃんと鞄に入れときなよー」と笑って小突くくらいだった。けれど、ちょっと、むしゃくしゃしているときで。ちょっと嫌味な言い方をしてしまった。自覚はある。でも、だって、元々貸したノートを汚したほうが、悪いし。そう頭の中でずっと言い訳を続けている。
 赤葦は、ずっと線路を見つめてじっと動かない。いつも一緒に帰るときはずっと何か話しながらだけど、今日は喧嘩してしまってから赤葦の声を一度も聞いていない。部活がオフだというのに、さっさと先に帰れば良いじゃん。二人で帰るときはいつも歩幅を合わせてくれているから、赤葦が普段本当はもっと速く歩くことは知っている。きっちりいつも通りの歩幅で歩く必要ないじゃん。意味が分からない。駅は人が多いから撒けるかな、と思ったのに。結局隣で電車待ってるし。
 もういいや。喋らないんじゃ隣にいても気まずいだけだ。駅ナカにあるカフェで時間潰して帰ろう。課題やってればすぐ時間も経つでしょ。そう思ってふいっと列から離れて歩き出す。

「ちょっと」

 鞄を掴まれた。イラッとしつつ振り返ると、眉間にしわを寄せた赤葦が「どこ行くの」と言う。どこって。わたしの勝手でしょ。わたしも眉間にしわを寄せながら「なんで赤葦に言わなきゃいけないわけ?」と返すと、赤葦の眉間のしわがより深くなる。早く離してよ。というか電車来るんだから乗れば。赤葦から視線を外して、鞄をぐいっと引っ張る。離れたらしい赤葦の手を確認してからすぐそこにある階段をあがりはじめる。
 ……なんでついてくんの。イラッとしつつも無視。足音が明らかに赤葦のものだ。一緒に帰ろうとか言ってないじゃん。一人で家まで帰ることくらいできるでしょ。なんなの、本当に。
 階段をあがり切るとすぐそこにあるカフェ。このまま入ったらついてきそうで嫌だな。どうしようか。とりあえず近くの壁際に寄ってスマホを見るふりをする。本当についてくるじゃん。何なの。

「……電車、くるけど?」
「だから何」
「いや、なんで乗らないの?」
「わたしの勝手でしょ」

 我ながらとても機嫌そうな声が出た。正直、一度拗ねてしまったものだからどうすればいいのか分からなくなっているだけだ。別にもう怒っていない。そもそも赤葦が悪いわけではないことも、悪意があったわけでないことももちろん分かっている。自分が怒ってしまったことに、少しの気まずさを覚えているだけだ。でも謝りたくない、なんて面倒な態度を取ってしまっているだけ。明日になったら普通になるから今日のところは放っておいてよ。そんなふうに思っている。
 赤葦はわたしの前に立ってじっとしている。スマホをいじっているわたしを見下ろして、きっとイライラしているのだろう。早く行きなよ、電車くるってば。別に用もないけど友達にラインを送る。ごめん、わたしの時間稼ぎに付き合ってください。そう内心思いつつ。



 きゅ、とカーディガンの裾を引っ張られる。なに、そのしょぼくれた声。バレー部の先輩みたいなことになってるけど。そう思いつつ「なに」と低い声で返すと、赤葦がぱっとカーディガンの袖から手を離した。

「ごめん。何したら許してくれる?」
「じゃあ一人で帰ってくれたら許す」
「それ以外がいいんだけど」

 電車がきてしまった。急いで階段を降りていく人たちと、電車から降りてきた人たちで改札前はごった返している。もう乗れないじゃん、これ。内心そう思いつつ赤葦から目をそらす。
 ごめん、って。赤葦はノートを返すときに汚してしまったことをちゃんと謝ってくれた。嫌な言い方をしたわたしが本当は謝らなきゃいけないのに。

、ごめん。今度から気を付けるから」
「……」
「部活オフの日なかなかないし一緒に帰りたいんだけど、だめ?」

 人波が少し落ち着いた。電車が出てしまったのだろう。赤葦はちょっと視線を俯かせて何度か瞬きをしてから、ちらりと視線をわたしのほうへ向けた。そのままじいっとわたしの瞳の奥を見続ける。ムカつく。そういうとこ、ずるいんだけど。わたしが悪いんだからお前が謝れよって言えば良いのに。赤葦、そういうこと絶対言わないんだもん。許せない、って、言えなくなるじゃん。

「…………手、つないで」
「いいの?」
「じゃなきゃ許さない」
「お安い御用すぎる」

 笑って赤葦がわたしの右手を握った。スマホをポケットにしまった瞬間、ラインの返事が来た。ごめん、時間稼ぎいらなくなっちゃった。そう苦笑いしつつ。あとで電車の中で返信しなくちゃ。そう思いつつまた階段を降りていく。赤葦、手、痛いんだけど。握る力強すぎ。そう思ったけど黙っておいた。
 二人で並んで駅のホームに立つ。ちらりと赤葦の顔を見ると、「なに?」とすぐにこっちを見た。なんで分かるの。わたしのほうが背が低いから視線なんて気付かないだろうに。そうちょっと悔しく思ってしまう。

「……赤葦」
「うん」
「ごめんね」
「なんか喧嘩とかしてたっけ?」
「してたじゃん」
「そうだっけ」

 「知らないけど」と笑って赤葦がまた線路のほうを見る。ちょっとそれに笑ってしまう。赤葦がいつも通りなんでもない話をはじめてくれたので、わたしもいつも通り話せた。子どもでごめんね。内心そう謝っておくけれど、たぶんこれからもそうだと思うから、できたら今日みたいにきっかけをくれると、嬉しいなあ。そう思いながら赤葦の手を強く握り返した。


きっかけはいつもあなたから