「光太郎のばか! もう知らない!」

 体育館に響くその声に誰もがため息を漏らす。 聞き慣れた台詞と見慣れた光景。 俺もまた周りと同じくため息を漏らしてしまった。 体育館中に響くため息にびくりと肩を震わせた木兎さんは、バツが悪そうに頭をかいた。
 バレー部一同はこの光景をもう何度見たか分からない。 視界の隅で小見さんが「またやってるよ」と呆れている姿が見えた。 俺も大体同じ気持ちだ。 それは他の部員も同じようで、誰もが苦笑いをこぼしている。 そんな中で木兎さんだけが体育館の真ん中で立ち尽くしたまま、俯いてしまった。

「今度は何のケンカ?」
「聞いていた限りでは先輩が他の男と話していたのがどうのこうの、という感じでした」
「浮気疑惑か」
「いえ、普通に立ち話をしていただけみたいでしたけど」

 先輩が男と話していたところを木兎さんが見て、「俺以外の男とあんなに長く話して、浮気か!」となった。 そしてそれに先輩が「そんなこと言ったら光太郎だって雪絵ちゃんとずっと喋ってた!」と反論。 「マネージャーと喋るのは普通だろ!」、「私の方だって普通でしょ!」、「お前のは違う!」、「違わない!」、「違う!」、以下エンドレス。 俺が傍で聞いていた限りはそんな感じだろうか。 そのうち木兎さんが我慢できなくなり、「この分からず屋! もうお前のことなんか知らねえ!」となり、冒頭の先輩のセリフにたどり着いた。 そして、先輩の後ろ姿を見た木兎さんが正気に戻った、というわけだ。
 最近は練習が厳しかったし、試験期間が近付いていたこともあり、苛立っていたのだろう。 まあ、簡単に言うと木兎さんは先輩に八つ当たりしてしまったのだと思う。

「また木兎がやらかしたやつか」
「大体が木兎のせいだからな〜」
「お前らわざと俺に聞こえるように言ってるだろ!」

 いつの間にか木兎さんがこちらを見ていた。 心なしか一回りくらい老けた気がする。 先輩とケンカすると木兎さんは大体激しく後悔する。 今も絶賛後悔中なんだろう。

「というか今回は俺のせいじゃねえからな!」
「じゃあ誰のせいなんだよ。 まさかって言うんじゃないだろうな」
「ちげーよ! 赤葦だよ!!」
「は?」

 急に責任を押し付けられる。 自分の顔が思わず歪んだことが分かった。 木兎さんは俺の顔を見て目を逸らしながらも、ぼそぼそと「だ、だって!」と俺に責任を押し付ける方向はやめないようだ。

「あ、赤葦がとずっと喋ってるから…」
「はあ?」
「赤葦顔怖い!」

 木兎さんの話をまとめると、どうやら部活前に俺が近くを通りかかった先輩とずっと話していたのが気に食わなかったらしい。 先輩とは木兎さん繋がりでそれなりに交友関係を築いている。 先輩に木兎さんの操作術を教わったと言っても過言ではない。 そもそも俺だけではなく、先輩はバレー部部員と大体仲が良い。 よく試合の応援に来てくれるし、マネージャーのどちらかが体調不良などで休んだ日は手伝ってくれることもある。 鷲尾さんは同じクラスだし、木葉さんにいたっては同じ中学だったらしいし。 何も俺だけが先輩と関わりが深いわけではないのだ。

「もう二度と先輩と話さなきゃいいんですか」
「そ、そんなこと言ってねえだろ!」
「じゃあどうしろって言うんですか」
「赤葦怖い! めっちゃ怖い!」
「俺のせいでケンカしたみたいに言わないでください。 そして痴話喧嘩に巻きこまないでください」

 木兎さんがまた俯く。 試合のときとは少し違うしょぼくれモードに入ったらしい。 俺の肩をぽん、と木葉さんが後ろから叩く。 「赤葦、苛々しすぎ」と言った顔は少しだけ戸惑っていた。 少し、感情的になりすぎたかもしれない。 「すみません」と謝ると木兎さんも「すまん」と小さな声で謝ってきた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「光太郎、怒ってた?」

 練習終わりに電話で先輩に呼び出しを受けたので急いで待ち合わせ場所に行けば、そんなことを訊かれてしまった。 まだ痴話喧嘩から抜け出せないらしい。 先輩は少し目を潤ませていっこうに俺の顔を見ようとはしなかった。 不安でたまらない。 そんな様子が声からもうかがえる。 木兎さんと先輩が面倒くさいのはこういうところだ。 ケンカすると自分たちで解決しようとはしない。 面と向かって話すのが怖いから、大抵人を通して探りを入れて仲直りしようとする。

「怒ってませんでしたよ」
「本当?」
「俺のせいにしようとしてましたけど」
「え、なにそれ、最低」

 火に油を注いだらしい。 先輩は潤ませていた目を一瞬で鋭い目つきに変え、俺の顔を見上げる。 「子どもか!」とここにはいない木兎さんにツッコミを入れ、「ごめんね、赤葦」と苦笑いをこぼした。

「なんで赤葦と仲良くするのだめなんだろうね」
「独占欲が強いんじゃないですか」
「光太郎だって雪絵ちゃんたちとずっと喋るくせに」
「……木兎さんと別れようと思うことはないんですか」
「ある! めちゃくちゃ!」

 先輩はにっこりと笑う。 その笑顔があまりにも清々しくて、ついに別れるのか、と思ってしまうほどだった。 ケンカの絶えない二人にはやはり別れの危機が多くあったらしい。 一週間丸々口を利かなかったこともあれば、先輩が木兎さんをグーで殴ったこともあったのだとか。

「でもね、どんなにむかついても、自分から”別れよう”って言おうとするとね」
「すると?」
「な、涙が、出そうに、なるんだ」

 ぼろぼろと、止めていた何かがとれてしまったように先輩の瞳から涙があふれ出す。 制服の袖でそれを拭きながら先輩は「なんでかわかんないけど」と呟いた。 まあ、なんでか教えてもらわなくても大体のことは分かる。 先輩にハンカチを手渡そうと鞄の中を探すけれど、こんな日に限って入れ忘れたらしい。

「明日には木兎さんから謝りに来ますよ」
「そ、そうかなあ」
「100%木兎さんが悪いですから」
「赤葦は優しいね」
「普通のことを言っているだけです」
「赤葦の彼女になる子は幸せになるんだろうなあ、羨ましい」

 先輩が泣きながら笑う。 木兎さんとケンカをするたび、先輩はとても落ち込んで泣いてものすごく後悔する。 第三者目線で見れば、正直あまり幸せそうには見えないだろう。
 けれど、木兎さんと二人でばかみたいにけらけら笑っているときは、世界中の誰よりも幸せそうな顔をするのだ。 見ているこっちまで笑ってしまうほど眩しい顔をするんだ、この人は。
 そういう顔をさせられるのはきっと、世界中どこを探しても木兎さんしかいないんだろう。

「まあ、彼女できないですけどね」
「えっ、またまたあ〜赤葦モテるでしょ?」
「モテないです」
「うっそだー!」
「モテたとしても彼女はできないです」
「なんで?」
「片思い中なんで」
「え! ちょっと、詳しく詳しく!」

 そういう顔を遠くからでも見られるのは、奇跡なんだと自分に言い聞かせた。


こんな胸にも星は来る
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