二口堅治という男のことが、正直いって苦手だ。 いつだってへらへらしていて、口を開けば人を小ばかにしたようなことばかり。 こちらが反論してもそのよく回る舌を存分に発揮してまるで子どもと遊ぶように言い包めてくる。 ああ言えばこう言う。理屈には屁理屈で返す。 喋れば喋るほど腹が立つ。そんなやつだ。
 二口とは中学卒業とともに顔を合わせることもなくなった。 工業高校へ行ったという二口はバレー部に入って活躍していると、同じ学校に進学した友人から教えられた。 なんでも主将になったとかで割と頼もしい姿を見せることも多いのだという。 どうしてそんなことを急に教えてくれたのだろうか。 それを素直に聞けば「え、だってあんた二口のこと好きだったじゃん」となんとも驚愕な返答があった。 クソくらえだ。 私は二口のことが苦手だったのに。 どうしてそんな風に勘違いされているのだろうか。 驚きすぎて言葉を出せずにいた私に友人は「今度試合あるから見に来なよ」と笑う。 見に行くかそんなもん。 どうして苦手なやつの応援にわざわざ。


 それから三日後の日曜日。 なぜか私は伊達工の正門前にいた。 私の腕を引っ張る友人は楽しそうに「久しぶりの再会でしょ〜? もっと嬉しそうにしなって!」と笑うのみ。 どうしてこうなった。 重たい気持ちを引きずりながら友人に連れられて伊達工内に踏み入る。 伊達工バレー部の練習試合は結構女の子やOBの人が見学に来ることもあるのだという。 だから私と友人も難なく体育館に到着し、入り口からそっと顔を覗かせる。 背の高い男の人がたくさんいる。 元気な掛け声と一緒に懐かしいその人の声が耳に届いてきた。

「あ」

 ぼけっと中の様子を見ていると、不意にそんな声がした。 はっとして見慣れた一人に焦点を合わせると見事にバチッと視線が交わる。 中学のときよりも伸びた身長と髪の毛。 少し大きくなったその人はなんとも間抜けな顔をしていた。
 私を連れてきた友人が小さく手を振って「ふたくち〜」とその人に呼びかける。 今は試合前のアップ中らしく二口は間抜けな顔のまま少しわたわたと慌てた。 それを見ていた大きい人に不思議そうな顔をされてからこちらをまた見て「あとで行く」と口パクで言ってきた。 いや、別に来なくていい。 そう心の中で返しつつなんだかぶわっと何かが蘇ったような気がした。




 アップが終わると今度はチームでの直前ミーティングのようなものがはじまる。 主将の二口が何かを話した後に監督らしい人がいくつか指示を出しすぐに終わった。 そのあとは相手校が来るまで自由時間なのかどうか分からないけれど、部員たちが思い思いの時間を過ごし始める。
 友人がまた二口に手を振る。 それを二口がすぐに見つけて今度はずんずんと歩み寄ってきた。 少しずつ近付いてくる二口は、やっぱり私が知っているよりも大きくなっていて。 知らない人みたいに見えた。

「おっつ〜二口」
「おう……ってか……なんでいんの」

 私の方をちらりと見る。 その言いぐさにむかっとなる。 中学のときの私だったら何か言い返していたけれど、目の前にいるのは私が知っている二口じゃない。 そう思ったら何も言えなくて。 視線を逸らして黙るだけになってしまった。 代わりに友人が「私が連れてきたの」となぜか自慢げな顔をして二口の脇腹を叩きながら「感謝してよね」と小声で言ったのが聞こえた。 感謝とは。 不思議に思いつつも口を挟まず大人しくしていると、友人が突然「私お手洗いいってきま〜す!」と元気に走って行ってしまう。 その友人の背中に手を伸ばして「ちょっと!」と思わず声を出したのは私だけではなかった。

「……あー、その、久しぶり」
「……どうも、お久しぶりです」

 二口は頭をかきつつ視線を逸らす。 わざとらしいそれに余計ムカッとしてしまって物凄く他人行儀な挨拶になってしまった。 相変わらずむかつくやつ。 ぼそりと喉の奥で呟いた言葉を飲み込む。
 しばらく沈黙が私たちの間に流れる。 二口はなんだか変な顔をして黙るし、私もなんだか変な感じがして黙ってしまったからだ。 そんな私たちの間には妙な熱があって。 なんとも言い難い雰囲気になってしまう。 中学を卒業してから今日まで一度も会っていなかったのだ。 変な感じになっても仕方ないだろう。 というかすべての発端の友人がここにいないのがおかしい。 友人のせいだ。 ちくしょうめ。 後で文句言ってやる。
 黙りこくっていた二口がようやく口を開く。 「何しに来たの」と訊かれて、またムカッとなる。 それは私が訊きたい。 友人に無理やり連れてこられただけ。 そのままそう伝えると二口は一瞬固まってからなんだかバツの悪そうな顔をする。 「あー」と呟いた声は情けなく聞こえた。 どうしてそんな声を出すのだろう。 不思議に思いつつ言葉にはしない。
 それからまたしばらくの沈黙が流れ、気付いたらずいぶん時間が経っていたのだろう。 監督らしい人が「二口!」と叫んだのが合図となって沈黙が崩れる。 どうやらそろそろ試合が始まるようだ。 二口は顔をそちらに向けて返事をしてから、またこちらに顔を向ける。

「試合終わるまで帰んなよ!」
「……は?」
「絶対最後まで見てけよ?! あと終わってもちょっと待ってろよ?!」
「はあ? なんで?」
「いいから待ってろ!」

 「いいな?!」と言い残して二口はチームの輪に戻っていった。 ぽかんとしたまま取り残されてしまう。 二口の大きくなった背中を見つめながら、ただただ心臓がうるさいのを見つけてしまう。 一体、なんだというの。
 二口のことが正直いって苦手だ。 いつだってへらへらしていて、口を開けば人を小ばかにしたようなことばかり。 こちらが反論してもそのよく回る舌を存分に発揮してまるで子どもと遊ぶように言い包めてくる。 ああ言えばこう言う。 理屈には屁理屈で返す。 喋れば喋るほど腹が立つ。 そんなやつだ。 そんなやつ、だし。 なぜかそんなやつの瞳を見ていると心臓がうるさくなるんだ。 昔から。苦手すぎてどきどきと心臓がうるさくなるんだ。あんまり近くにいてほしくない。 心臓がはち切れそうになるから。 あんまり話しかけてほしくない。 心臓の音が聴こえてしまいそうで怖いから。 あんまり、会いたくない。 なんだか別れが惜しくなるから。
 大きくなった二口の背中。 ほんの少し落ち着いた表情。 昔と変わらずうるさくなる心臓。 やっぱり苦手だ。 そう思ったら顔が熱くなってしまって仕方なかった。


泳いでいけ