部屋に入るなり国見はわたしのベッドに寝転がって丸まった。ノックもなしに入って来るとは何事か。そう思いつつも大抵こういうときの国見は疲れ切っていて口が悪い。言い負かされるのは目に見えている。ぐっと堪えて何も言ってやらないことにする。
 国見はもぞもぞと布団の中で少し体を動かして、またぴくりとも動かなくなった。そんな国見に気付かないふりをして、わたしは課題を進めることにする。一言も言葉を交わさないまま、時計の秒針の音だけがなんだか急かすようにうるさく聞こえた。
 中学のときから苦手な数学。頭を痛めてなんとか解き進めていく。公式を覚えることは得意なのだけど、それ以前にとにかく数学への苦手意識が大きすぎてうまく解けない。うんうん唸っていると、またもぞもぞと国見が動いた音が聞こえた。
 国見とは幼馴染というやつで、中学までは同じ学校に通っていた。はじめて高校が別々になり多少なりとも疎遠になるかと思いきやまったく逆だった。自分でもまだ不思議な感覚なのだけど、国見英は幼馴染から彼氏にランクアップしたのだ。とても不思議だ。本当に。高校生活はそれなりに楽しいけれど、それ以上に国見が近くにいないことへの違和感が大きくて。ちょっと恥ずかしかったけどそれを素直に国見に伝えたら、こういうことになった。たぶん国見も不思議に思っているに違いない。その証拠にお互い恋人にランクアップしたといっても手すらつながないし。そもそもこれがランクアップなのかが微妙なところなのだけど。
 国見と部屋に二人きりになると大体このことを考えている気がする。そもそも付き合うにあたって、告白のようなものすらなかったのだから仕方ない気もするけど。
「国見がいないの違和感なんだよね」
「俺も」
「一緒の高校にすればよかったかな?」
「今更無理じゃん。代わりに恋人になってみる?」
「あーいいかも」
 こんなノリだった気がする。思い出して笑ってしまう。なんだそれ。国見の意味不明な提案に乗った自分も意味不明だけど、そのときはなんとなくそれがいいような気がしたんだ。実際は付き合うといっても前と変わらないし、毎日会ったり連絡を取ったりするわけじゃない。こうやってたまに一緒に時間を過ごしたり、何かあったらたまに連絡を取ったりするだけ。別に会う時間が増えたわけではない。それなのに前よりもなんだか国見と一緒にいるように感じるのはなぜなのだろうか。



 もぞりと音がする。振り返ると布団から国見が顔を出してこちらをじっと見ていた。「なに?」と言うと国見は真顔のまま「ちょっと」と言うだけ。たぶん「ちょっとこっち来て」の意味だ。課題をやるのにも飽きていたので大人しくノートと教科書を閉じて国見に近寄る。何の用だろう。そう思ってぼやぼやしていると、突然国見に腕を引っ張られてベッドに倒れ込んでしまった。

「ぐえ」
「ちょっ、びっくりした! なに?!」
「重い、どいて」
「国見が引っ張ったんじゃん!」

 国見は「はいはい分かったから重いって」と言いながらわたしをベッドの奥の方にぐいっと押す。このままだとわたしも寝ることになるんだけど?まだ課題も残っているので眠るつもりはない。ぐいぐい押してくる力に抵抗して立ち上がろうとするが、国見はそれがどうも気に食わないらしい。小さな舌打ちが聞こえたかと思えば「なに」とこっちのセリフなんだけど?というような言葉が聞こえてくる始末だ。

「なんなの? なにがしたいの?」
「いいから、一回横になって」

 意味不明なんだけど? 国見は一度言い出すとそれなりに頑固なので話を聞かなくなることがある。今回は恐らくそれに該当する案件なのだろう。このまま眠りこけるわけはないだろうと信じて大人しく従うことにする。こんな風に並んで寝るのは何年ぶりだろうか。中学生のときに朝までゲームをしていて疲れて眠って以来かもしれない。頭の位置は同じなのにコツンと足をぶつけると、国見の足がずいぶん自分より長いことに気付く。にょきにょき伸びやがって。そう思いつつぼけっとしていると、隣にあった国見の頭が視界から消える。目で追うと少し下へ頭をずらしていた。何してるんだろう。不思議に思っていると、突然、国見が片手をわたしの体の上に回して抱き着いてきた。

「え、ど、どうしたの」
「黙ってて」
「え、あ、はい」

 ちょうど胸のあたりに国見の頭がある。静かに呼吸をする国見の息がそのあたりに感じられてちょっとくすぐったい。よく分からないけれど、とにかく国見が疲れ切っていることだけはよく分かる。中学からがんばっているバレー部で何かあったのだろうか。同じ学校ではないのでわたしには分からない。国見の性格上話したいことはさっさと話すタイプなので、話さないということは訊かない方がいいということだろう。ただなぜこんな行動に出たのか。悩みつつも何かしらこちらも動いた方がいいという結論にたどり着き、一応国見の頭を抱えるように腕を回してみた。
 しばらくその状態で二人ともじっと動かず無言を貫く。というよりは国見が話し出すのをわたしが待っているという感じだ。疲れているのならこのまま眠ってくれても構わないし、イライラしているのなら愚痴を言ってくれても構わない。国見以外の人にこんなことされたらぶん殴って追い出してるけど。国見だからいいんだよ。そう頭で思いつつも今更なので言葉にはしない。
 無意識のうちに国見の頭を抱えたままぽんぽん撫でていた。髪の毛がさらさらで羨ましいのは子どものころから変わらない。国見はにょきにょき身長が伸びて可愛げがなくなったけど、全体的には昔と何も変わらない。顔ももちろんだけど大体の性格も。そんなことを考えているとわたしの胸に顔を埋めたまま国見が「あのさ」と呟く。こもってごそごそした声だったけどちゃんと聞こえる。「なに?」と頭を撫でながら返すと、国見は余計に顔を胸に埋めた。

のこと、好きなんだけど」

 ぼそぼそとしたとても小さな声だった。でも静かな部屋の中ではよく聞こえてしまう。国見の耳が赤くなっていることにも気付いてしまって、突然部屋の空気が変わったことにも気付いてしまう。
 付き合ってるんだから今更じゃん。女友達にこの状況を話したならばそう言われるだろう。でも違うんだ。わたしと国見の場合。付き合うことになったときも、付き合ってからも。ただの一度もお互い好きとか愛してるとか、そんな甘い言葉をかけたことがないのだ。むしろ国見ってわたしのこと好きで付き合おうなんて言ったのか。わたしは国見のことが好きでそれを受け入れたのか。それすら微妙なままだった。
 国見の言葉には続きがある。何も続けないけれど確実に隠れている言葉があるのをわたしだけが分かっている。

「……わ、わたしも国見のこと、好きだよ」

 もうとっくの昔に分かっていたことを言葉にして国見に返す。国見は言葉にしなくても分かっていたのだろうけど、言葉にしたくてこんな状況を作ったのだろうか。お互い子どものころからずっと一緒にいるからなのかこういう雰囲気を無意識に避けていたのかもしれない。

「知ってる」

 くすくすと笑う。国見はぎゅうっとわたしに抱き着いてきて、ぼそりと「胸硬いんだけど」といつもの調子で言った。頭を小突いて「変態、なら離れてよ」とわたしもいつもの調子で返す。国見は余計に力を強めて無言の拒否を示す。ぐりぐりと顔を押し付けてくるのでさすがに強めに頭を叩いてやる。国見はまた笑って「痛いんですけど」となんだか楽しそうに言った。


甘えたがりのダイヤモンド