雨のように美しく、空に火花が舞った。
 ワア、と周りの人たちがその美しさに思わず声を漏らす。 大きな音がしたせいか子どもの泣き声が遠くの方で聞こえた。 スマートフォンで写真を撮りながら「きれい」と言う女の人。 「近くに見えるな」と話す男の人。 そんな声たちに紛れて私たちはふたり、ただただ黙ってそれを見上げていた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 青葉城西高校バレー部の面々で、練習終わりに花火大会を見に行こうという話になった。 もともとは男子部が言っていたようなのだが気付けば女子部もそれに混ざることになり、私も誘われたのでいっしょについていくことにした。 男子部主将の及川くんが発案者らしい。 一応監督たちにその予定を伝えると「あんまり遅くまで遊ぶなよ」と言われただけだった。
 いつもどおりに練習が終わる。 花火大会に行く部員だけ男子部を待つために体育館外に待機し、他の部員を見送った。 男子部が片付けをはじめたらしい声を聞きつつ「花火なんて久しぶり」とみんなで他愛もない話をしているときだった。 同輩の子が突然「そういえば」と私の顔をにやにやと笑いながらじっと見る。

、岩泉とどうなってんの?」

 その言葉に他の部員もニヤニヤと笑って「どうなってんの〜?」と声をそろえる。 それに「どうもなってないから!」と少しだけ声を荒げて答えてしまうと、余計に全員にニヤニヤと笑われてしまった。 その視線の痛さに身を縮こませる。 それをけらけらと女子部主将に笑われ、乱暴に頭をわしゃわしゃ撫でられた。 「幸せそうでなにより!」となんとも爽やかに言われると、より一層恥ずかしさが増した。
 岩泉くんと恋人になれて、なんとか無事に一ヶ月を迎えた。 ……なんとか、無事に? 自分で出した表現にはてなを飛ばしてしまう。 無事に、もなにも。 一ヶ月前から今までとくになにもないことは、無事に、と言っていいのだろうか。 複雑な気持ちになりつつからかってくるみんなを苦笑いでかわし続ける。
 好きになったのは私のほうが先だったと思う。 と思う、もなにもそうなのだ。 岩泉くんは見るからに熱いスポーツマンで、恋愛とかそういうものに一切興味がなさそうに見えた。 いつもいっしょにいる及川くんが目立って女の子たちから人気はあったけれど。 中には岩泉くんのことを気にしている女の子だっていたはずなのに。 一切誰のことが好き、とか誰と付き合ってる、とかそういう話がなかった。 それどころかそういう女の子たちとは一切話しているところを見たことがない。 徹底してそういう恋愛を避けているように私には見えていた。 そんな岩泉くんのことを好きになってしまったときは絶対にそれを隠していこうと決めていた。 どうせ叶わないのだし、男女で分かれているとはいえ同じバレー部に所属している。 私の身勝手な感情で少しでも空気を壊したくなかったのだ。

「それにしてもびっくりしたよね〜。 まさか岩泉がに告るとか!」

 「ねー!」とみんなが声をそろえる。 私も心の中で全力で同意してしまう。 驚きを通り越して無感情になってしまったことは記憶に新しい。 固まって動けなくなった私を見て岩泉くんは「なんだよ」と若干怒ったような声を出ていたっけ。 あの岩泉くんが私の目の前で顔を赤くしている。 それだけでもう胸がいっぱいだったのだけど。 岩泉くんが私に答えを求めるようにギラリと瞳を光らせて、ようやく私は声を出すことができたのだった。
 そんなことを思い出して一人で照れていると、男子部の人たちが体育館から出てきた。 及川くんが「お待たせ〜!」と言うと女子部三年生が「おっせーよ」とツッコミを入れる。 それに「これでも急いだんだからね?!」と反論があったけれど、他の男子部の人から「お前部室でうだうだしてただろ」と言われて及川くんはしゅんとした様子で「どうもすみません」と呟いた。 それに岩泉くんが「つーかどこで見んの?」と鞄にペットボトルをしまいながら及川くんに訊いた。

「橋渡っちゃうと人多くてひどいらしいんだよね〜」
「じゃあ渡らずに河川敷で見とくか」
「出店は橋渡った先なんだよね」
「出店行きたい組とのんびり見たい組で分かれるか」

 松川くんの提案に全員が賛成する。 出店に行きたい組の方が多めになったけれど、それなりに均等に分かれたので二組に分かれて河川敷の方へ向かう。 私はのんびり見たい組に入った。 三年生はほとんどが出店に行きたい組になったので、のんびり見たい組の松川くんと話しつつ後方を歩く。 ちらりと前方に目をやる。 及川くんや女子部主将たち出店に行きたい組に混ざっている岩泉くん。 いつもどおり及川くんと話す横顔は笑ってはいないけれど、楽しそうだと分かる表情をしていた。
 岩泉くんは、私とふたりでいるときはあんな顔をしない。 そもそも滅多にふたりきりになることはないのだけど。 数少ないその場面。 岩泉くんは決まって眉間にしわを寄せるか、真一文字に口を結んで閉じて黙っているだけなのだ。 きっと私といることはつまらないのだろう。 大しておもしろい話もできない、明るいというわけでもない、そんな私といるなんて楽しいわけがない。 あんな顔をしてほしくてがんばっていろいろ話題を振ったりしていたのだけど、一度たりともあんなふうな楽しそうな顔をしてくれたことはなかった。 ……私がつまらないのがいけないのだけど。 そう思いつつ岩泉くんのほうから視線をそらして、松川くんの顔を見上げる。 にこにこと笑って話しているのに乗っかってにこにこ笑って言葉を返す。
 そんなふうに松川くんと話しているうち河川敷に到着した。 出店に行くメンバーとはそこで分かれることになる。 河川敷にはそこそこ人がいたけれど橋の向こうほどの人混みではない。 バレー部で固まって河川敷の空いていた場所に座って開始時間を待つ。 あと十五分ほど。 時間を確認してスマホをポケットにしまおうとすると、突然トークの通知が届いた。

岩泉 : 橋の真ん中


 たったその一文だった。 橋の真ん中? そこに何かあるのだろうか。 橋の方に視線を向けるけれど、人混みが見える以外とくに変わった様子はない。 はてなを飛ばしつつ首を傾げてしまうと、こっそりそれを覗き込んでいたらしい松川くんがくすりと笑った声が聞こえた。 松川くんの顔を見るとくすくすと小さく笑いながら口を開き、かけて閉じる。 スマホをポケットから取り出して操作し出す。 不思議に思いつつそれを見ていると、また新しいトークの通知が届いた。

松川 : 行ってあげなよ


 その一文にぶわっと顔が熱くなる。 松川くんの顔を見ると、にこにこ笑ってみんなに見えないように「早く」と口パクで言ってきた。 それに小さく頷きつつ立ち上がる。 女子部二年生の子が「さんどこ行くんですか?」と無邪気に訊いてきた。 それに「えっ」と固まりつつぎこちなく「お手洗い」と答えると、「一人で大丈夫ですか?」と言われてしまう。 結構な人混みなので心配してくれているのだろう。 「大丈夫」と答えたのだけどついてきてくれようとしている雰囲気だ。 どうしようか慌てていると「俺も行きたかったからいっしょに行く」と松川くんが立ち上がった。 フォローを入れてくれたことに感謝しつつも若干恥ずかしさを覚えてしまう。
 松川くんといっしょにみんなから離れる。 「ごめんね」と苦笑いしつつ謝ると松川くんは「岩泉になんか奢ってもらうわ」とけらけら笑った。 松川くんは本当にお手洗いに寄っていくらしくその近くで「じゃ、気を付けて」と手を振って別方向へ歩いていった。
 スマホを両手で握ったまま橋に入る。 きょろきょろ見渡しながら歩いていくのだけど、かなり人がいてうまく前に進めない。 真ん中、と岩泉くんは送ってきていた。 そろそろ真ん中にさしかかるのだけど、まだ岩泉くんの姿は見つけられない。 平均より背が高いからすぐに見つけられるかと思っていたのだけど。 人混みにのまれつつ必死で周りを見ていると、握っていたスマホが鳴る。 急いで画面を見ると岩泉くんからの着信だった。

「も、もしもし!」
『あー、いまどこ?』
「橋の真ん中、くらいにいるんだけど、人が多くて」
『あ』
「え?」

 ぷつっと通話が切れた。 え、間違って切っちゃった? 「もしもし?」と問いかけてももちろん岩泉くんの声は聞こえてこない。 焦りつつスマホの画面を見ようと耳元からスマホを遠ざけた瞬間。
 何かの合図のような大きな音が空を駆け回る。 それと同時に辺りを染めるように美しい光が空に舞い、消えてはまた新しい光が生まれた。 橋の上の人々が感動の声を漏らしつつ空を見上げている。
 大きな手が私の手首をしっかりとつかんでいる。 頭の上でドン、ドン、と音を立てて咲いている花火なんか目に入らない。 照れ隠しなのか、難しい顔をした岩泉くんが「悪い」と呟く姿しか、目に入らなかった。

「人少ないところにすればよかったな」
「え、あ、う、ううん」

 岩泉くんは私の手首をつかんだまま「あっち行くぞ」と言って顔を背ける。 引っ張られるがままについていくと、河川敷側のほうに出てしまった。 先ほどまで私が松川くんたちといっしょにいたところとは反対方向の河川敷沿いを歩いていく。 それなりに人が少ない場所に到着すると「ここでいいか」と呟いた。 「あ、うん」と返すと、岩泉くんは思い出したようにぱっと手を離す。 河川敷に座り込むので私も続いて隣に座る。
 隣にいるだけで、こんなにも。 花火のあがる音など比にならないくらい自分の心臓の音がうるさく感じる。 まさか岩泉くんが、ふたりの時間を作ってくれるなんて、夢にも思わなかった。 及川くんたちと楽しく出店を回りたいだろうに。 どうして私なんかといてくれるんだろう。 どぎまぎしてつい視線が下に向いてしまう。 花火大会だというのに。

「あー! 今のねこだ!」

 どこからか子どもの声が聞こえる。 創作花火があがったのだろうか。 声につられて思わず視線が空に向く。 ちょうど別の創作花火があがり、どんっと咲く。 今度は蝶のようだ。 あまりにも美しく咲いたそれに思わず「わあ」と声がもれた。 花火をこんなふうに見るのは久しぶりだ。 生温かい風とどこかで嗅いだことのあるような懐かしい夏のにおい。 どぎまぎしていた気持ちがどんどん落ち着いていく。 岩泉くんも同じように花火を見上げているようだ。
 会話はない。 けれど、気まずい雰囲気はまったくなくて。 それが妙にうれしいのがなぜなのか、分かっている気がしてならなかった。 でも言葉にはできない。 降り注ぐ雨のように美しい花火が、なんだか私の中に降り注いで熱を与えてくれたみたいに思えた。

「なあ」

 はっとして花火から視線を岩泉くんに向ける。 「は、はい」と返事をすると岩泉くんも私に視線を向けてくれた。 私の顔をなんだか仏頂面に思える顔で見て、しばらくしてからまた花火のほうへ視線を戻す。 両手で口を覆っているので表情はよく分からなかったけれど、目を細めていることだけは分かった。

「帰り、送ってくわ」

 ぼそりと呟かれた言葉。 人々の声や花火の音が入り混じるこの空間でも、私の耳にははっきりと届いた。

「うん、ありがとう」

 そう答えてから私も視線を空に戻す。 岩泉くんの顔がほんの少しだけ赤く染まっていた気がしたけれど、見なかったふりをした。
 雨のように美しく、空に火花が舞った。 ワア、と周りの人たちがその美しさに思わず声を漏らす。 大きな音がしたせいか子どもの泣き声が遠くの方で聞こえた。 スマートフォンで写真を撮りながら「きれい」と言う女の人。 「近くに見えるな」と話す男の人。 そんな声たちに紛れて私たちはふたり、ただただ黙ってそれを見上げていた。


雨の蕾