一日目の日程を終え、白鳥沢学園一行は宿泊しているホテルに戻るべく、帰り支度をしている。明日に備えて部員一同は荷物を地面に下ろして監督とコーチからの指示を待っている。どうやら主将である牛島が記者からの取材を受けているらしい。監督もそれに同行しており、コーチはどこかへ行ってしまっている。その二組が帰ってくるまでは待機という状態だった。
 体育館のロビーは白鳥沢学園一行と同じく待機している学校で溢れている。ガヤガヤと騒がしい中で白鳥沢学園二年の川西太一はスマホをちらりと見て時間を確認した。予定だとあと二十分ほどの待機。一試合終えたばかりで立ちっぱなしは少々キツイ。そんなふうに小さくため息をついた。
 先ほどまで一緒に話していた同じく二年の白布賢二郎はお手洗いに行っている。男とはいえかなりの混雑具合なのでしばらく帰ってこないだろう。そう思いつつ壁にもたれかかる。そんな様子を見た三年の大平獅音が「あれ、賢二郎は?」と辺りを見渡した。「トイレです」と川西が答えると「ああ、なるほど」と言った。監督、コーチ、主将がいない中でのまとめ役は必然的に三年生の務めだ。部員の所在は把握しておきたいのだろう。
 ふと、川西が視線を持ち上げる。視界に何か知っているものが映ったように思えたからだ。なんだったか、と視線だけ左右に動かして探してみる。そして数秒後「あ」と思わず声がもれた。
 川西の視線の先には白いジャージ。なんとなく小さくなっている女の子が映っている。たしかあれ、白布の彼女じゃん。川西はそんなふうに内心呟いた。白布の彼女はなぜだか一人でいる。他の人はどうしたんだろう、と川西は少し考えたが恐らく白布と同じでお手洗いか何かで集団から離れているのだろうと察する。いや、まあ、一人でいるのはいい。そこまでは別になんてことはないのだけど。
 明らかに困っている。あわあわして、おろおろしている。表情がころころ変わるから分かりやすかった。川西はじいっと白布の彼女を観察して様子を窺うと、ようやく合点がいった。迷子。体育館は広いしここは東京ではない。来たことがないところだから迷ってしまったのだろう。それこそお手洗いに来て戻ろうとしたらどっちか分からなくなった、というやつかもしれない。
 とはいえ、こっちが一方的に知っているだけで声をかけるのもな、と川西は尻込みする。そもそも梟谷学園がどこで待機しているのかも知らないし。そんなふうにちょっと気まずく思いつつ、白布が消えていった通路の先を見る。白布さえ帰ってくれば問題ないのに。そう半ば睨むようにしていると「あれ」と三年の山形隼人の声がした。川西がそちらに目を向けると、ちょうど先ほどまで川西が見ていた方向に目が向いている。あれは気付いたな、と川西が思ったと同時に一緒にいた三年の瀬見英太が「あ、白布の彼女だ」と言った。

「あれ、一人だな?」
「他のやついないな。自由時間なんじゃないのか?」
「でもなんかすげーきょろきょろしてない? 迷子かな?」

 秒で気付いている。川西は若干吹き出しそうになりつつ、そろ〜っと先輩たちの輪に入った。「さっきからあんな感じですよ」と言うと三年の天童覚が「ヒャクパー迷子じゃん」と笑った。

「こっちに気付いてないし、賢二郎を探してるってわけじゃなさそうだもんね」
「白布は?」
「トイレ行ってます」
「タイミング悪すぎだろ」

 瀬見が苦笑いをこぼす。川西と同じく困っているのは分かるが間接的にしか知らないし、声をかけづらいのだろう。白布さえいればすべてが万々歳なこの状況、どうしようか悩ましいところである。大平も同じく少し気にしつつも声をかけにはいかない。山形も同様である。ただ、そんな中、一人だけ空気が読めない男がいた。
 天童である。天童はじっと白布の彼女を見てからスタスターっと近寄っていった。「あっ、ちょっ、お前!」と瀬見が慌てて追いかけていくが時すでに遅し。少し離れたところから天童が「賢二郎の彼女〜!」と声をかけたのだ。声のかけ方最悪。一同は他人を装おうとしたが、残念ながら同じジャージを着ている。誤魔化せるわけがなかった。
 パッと白布の彼女がこちらを振り向く。「あ」と言った顔はちょっとほころんでいるように見えた。白布がいないとはいえ見たことのあるジャージに安心したのかもしれない。

「どうしたの? 迷子?」
「あ、はい、迷子です!」
「やっぱり〜。なんかきょろきょろしてるなと思ったんだよね〜」

 けらけら笑う天童が白布の彼女の隣に立った。「どこ行きたいの?」と顔を覗き込むのを瀬見はハラハラしながら見ている。自身も二人の近くまで来ると白布の彼女に「ごめんな、急に声かけて」と苦笑いをこぼした。もうここまで来たら遠慮をしている自分たちが損をした気持ちになる。山形と川西はそそくさと天童たちに近寄っていった。大平は他の部員がいるのでその場に留まる。「あとで賢二郎に怒られるぞ」と笑いつつ。

「梟谷、どこで待機してるの?」
「大きい柱があるところです!」

 間。天童はにこにこ笑ったまま「どんな柱?」と聞いた。すると白布の彼女は少しあたりをきょろきょろしてから、ちょうど自分の後ろにある大きな柱を指差した。「こんな感じでした!」と無邪気に笑う。その柱は体育館ロビーの至る所に無数にある。何の特徴もないただの白い柱だ。それに一同はハッとした。そういえば白布がこの子が白鳥沢に、と言ったら「お前の頭じゃ絶対に無理」みたいに言っていたな、と。頭の中に浮かんだ濁音が入る二文字を思い浮かべて頭からすぐに消す。いやいや、人の彼女をそんな、バ、いや、なんでもない。そんなふうに。
 相変わらずにこにこしたままの天童が「南とか北とか分かる?」と追加質問。しかしながら、白布の彼女はじっと天童の顔を見て少し考えたのち「今ここってどこですか?」と首を傾げた。確定。白布の彼女はバ、いや、ちょっと頭が弱いタイプだ。さっき見たときも思ったけど、と一同は静かに困惑した。

「あ、そういえば! 梟谷学園二年のです!」

 でも、笑顔がピカイチだな〜。一同はそんなふうに微笑ましく笑いつつそれぞれ自己紹介をした。ちょうど川西が名乗ったら「あ、知ってる!」と嬉しそうにした。どうやら白布が話をしたことがあるらしい。あいつ部活の話とかちゃんとするんだな、と瀬見はなぜか少し親のような気持ちになっていた。
 ほっこりしたところで問題は解決しない。天童が「ここは西だよ」と教えると神妙な面持ちで考え始める。山形が館内図を持ってきた。それを広げると「今ここな」と指を差す。さて、これならどうか。
 残念ながらこの白布の彼女、地図を見るのが大の苦手だ。それは建物の館内図も同じく。情報が多くなれば多くなるほど処理ができなくなるタイプである。そんなこととは知らない一行は「ここが一番大きい駅から来たら入るとこ」と説明をどんどん入れていく。白布の彼女も言えばいいのに白布の部活の人たちに親切にしてもらっているので言えずにいる。素直に説明をウンウン聞いてはいるが、残念なことに一つも頭に入っていない。じわじわとそのことに気が付いた瀬見が「あ、スマホ持ってないのか?」と言った。

「梟谷の人に連絡して迎えに来てもらったほうが早いかもね」
「う……」
「もしかして?」
「スマホ、同輩に預けちゃって……ハンカチしか持ってないです……」

 川西は内心で何のためのスマホだ、とツッコミを入れる。なぜ持ってこない。貴重品を預けるというのは分かるけど、スマホは持ってこようぜ。そんなふうにぼんやり思った。思ったあとでこういうタイプがいるから迷子は絶えないのだな、と妙に納得もした。天童と瀬見もそんな表情をしている中、山形だけは「トイレ行くくらいで持ってこないよな」と一人納得していた。お前もいつもスマホを持て、携帯しろ。瀬見は内心めちゃくちゃ山形にそうツッコんでおく。
 お手上げである。どこで待機しているのかも分からずスマホもない。白布も帰ってこない、というか白布が帰ってきても状況は変わらない。そんなふうに悩んでいると川西が「あ」と言った。

「白布のスマホから電話かけたら? 梟谷の人が出てくれるかも」
「なるほどな。え、でも白布からの着信で出るかな?」
「まあ試す価値はあるんじゃないですか?」

 物は試しで、と川西が白布の鞄に近寄りごそごそと中を漁る。バレたら確実に怒られるがバレなければ問題はない。そう開き直って探していたが、あ、と気が付く。白布賢二郎は非常にしっかりした男である。財布は預けてもスマホは持ち歩いているようだった。

「不発でした」
「だろうな……」
「え、というか賢二郎のスマホじゃなくていいじゃん。番号さすがに覚えてるでしょ?」
「覚えてます!」
「ああ、なるほど」

 川西は自分のスマホを出しつつ、内心天童に苦笑いをこぼす。さすがに覚えてるでしょ≠チて言い方。白布がこの場にいたら絶対何か言われる言い方でしたよ、と口には出さなかったが心の中で呟いた。スマホのロックを解除して「どうぞ」と渡した。白布の彼女は「ありがとうございます」と言って川西のスマホを受け取る。自分の電話番号を入れて耳に当てる。その数秒後、「赤葦!」と救世主が現れたような必死な顔で言った。

「うん、うん、今? えっと」
「西口のB扉の近くだよ」
「西口のB扉の近くだよ」

 そのまま言った。堪えきれず瀬見が吹き出したが白布の彼女は電話に必死だ。いくつか話してから電話を切る。そうして律儀に画面を拭いてから川西に「ありがとうございました!」と笑って返した。
 これで一安心である。一同はようやく困惑から解放されてただただほっこりした気持ちになる。にこにこと安心しきった白布の彼女に天童が「賢二郎って二人のときどんな感じなの?」と聞いてみた。キタ。川西は内心そう思う。基本的に何でもそつなくこなすし淡々としていることが多い白布の意外な一面が知れるかも、と期待しているのだ。どうやら瀬見と山形も同じく。天童はただの雑談のつもりらしいが。

「変わらないですよ。静かだけどキレたら怖いって感じです!」
「いや、その言い方はちょっとあれなんじゃない? キレたらヤバいヤツみたいになってるよ?」

 けらけら笑う天童に白布の彼女もにこにこ笑う。今更ながら不思議な空間である。白布はいないのに他校生の白布の彼女と天童が話している。今後一生ない光景だろう。追加でどっちから告白したのかとかはじめてのデートはどこに行ったのかとか、いろいろ聞いてみる。面白いほどこの白布の彼女、何でも聞かれたら素直に答えてくれる。あとで白布に怒られることは必至だがどうやら気付いていない。どんどん白布の嬉し恥ずかし恋愛模様が暴露されていく中、「あ、いた」と低い声が一同の耳に届いた。その声に振り返った白布の彼女が「赤葦!」と嬉しそうに手を振る。

「だからスマホは持っていきなよって言ったんだよ……」
「だって落とすかも知れないから怖くて。赤葦なら絶対なくさないから」
「迷子になってたら意味ないだろ。あ、すみません。うちのマネージャーが迷惑を」

 ぺこりと頭を下げた。梟谷のセッターだ、と一同は思いつつ「いえいえ」と頭を下げ返す。梟谷学園二年の赤葦京治は白布の彼女を軽く小突く。仲が良いらしい。白布の彼女は赤葦の腰の辺りを肘で突いていた。
 そんなときだった。白鳥沢の部員の一人が「あ」と言った。そのあとすぐにちょっとにやにやした声で「白布、あそこに彼女いるぞ」と言ってから「は?」と一同が待ちわびていた白布の声が聞こえた。赤葦を含めたその場にいる全員が声のほうに目を向けると、ぽかんとした白布がいた。一瞬で不機嫌な顔に変わるとずんずん近寄ってくる。

「何してんですか」
「えーそこは感謝してよ。迷子になってたから声かけただけだよ〜ん」
「はあ? 迷子? お前なんでこんなとこで迷子になれんだよ」
「辛辣!」

 そう赤葦の後ろに少し隠れる。白布の彼女は「だってはじめて来たもん」と反論するが、「どうせ地図読めないからって他の人の後ろくっついてきたせいだろ」と言った。大当たりである。ちなみに後ろをくっついている間も特に場所を覚えようとしなかったミス付きだ。そんなことは白布にはお見通しであった。
 白布は内心、というか離れろ、と呟く。自分より背が高い強豪校のセッターの後ろに隠れて、そっと腕を掴んでいる。お前それ普通彼氏の前でするか? そんなふうに舌打ちを軽くこぼした。まあ白布の彼女が気付くわけがない。赤葦も普段からこんな感じなので気付いていない。のんきに持っていたスマホを「返す」と言って渡していた。

「賢二郎、初デート映画ってベタだね」
「……は?」
「告白が帰り道っていうのは青春ぽくていいよな」
「は?」
「おはようとおやすみの連絡するとか結構まめだよな、お前」
「はあ?!」

 にやにやとした表情でそう言われて白布は少し顔が赤くなる。それからすぐ、いつの間にか赤葦の後ろから出てきて普通に談笑をはじめた自分の彼女を睨み付けた。何余計なこと喋ってんだこの馬鹿。そんな意味を込めた視線に彼女はハッと気が付いた、かのように思えたが。にこにこ笑って「何?」と言った。本物の馬鹿だった。白布はそう舌打ちをこぼしつつガシッと彼女の頭を掴んだ。

「暴力! どる、どるす、てっく? えーっと、ハラスメントだ!」
「ドメスティックバイオレンスだ馬鹿!」

 川西が耐えきれなかった。思いっきり吹き出して顔を背ける。瀬見も同じく。めちゃくちゃいい掛け合いをする。赤葦も少し笑っていた。
 白布がしこたま彼女に文句を言ってから手を離す。彼女は頭を押さえながら「そんなに怒らなくても良いじゃん!」とまた赤葦の後ろに隠れた。だからそれやめろ。白布はそう言いたいのをぐっと堪える。言ったら確実にからかわれる、し、初対面の他校生もいい気はしない。それくらいは分かったので睨むに留めている。彼女はどうしてそんなに白布が怒っているのか分からず首を傾げている。
 諦めた。白布はもうそこそこ長い付き合いなので何を言ってもこいつは無駄だ、と急に大人しくなる。その様子を彼女は許してくれたと思ったらしい。赤葦の後ろに隠れたままではあったけれど、にこにこと笑った。

「はじめてバレーしてるとこ、見たよ」
「そうかよ」
「ふふ」
「なんだよ」
「賢二郎が一番すごかった」

 ピシッと白布が固まる。白鳥沢はスター選手揃いだ。主将でエースの牛島は言わずもがな、大平も、天童も、山形も、川西も、一年生の五色も。ピンチサーバーで出た瀬見も。試合での活躍はとても目立つし、元々強豪校である白鳥沢にスポーツ推薦で入っているのだから当たり前だ。誰しも優秀な選手であることに間違いはない。その中に混ざると、正直、白布というセッターは地味だった。本人も地味なセッターを目指しているので何とも思っていないが、白鳥沢の試合を見てすごいだのかっこいいだのと言われる選手にならないことが多い。スポーツ推薦で入ったわけでもない。背が高いわけでもない。本当に目立たない存在なのだ、白布というセッターは。
 お前の目は節穴か、と白布は思う。だって試合をちゃんと見ていたのなら、あのとんでもないスパイクを放つエースが一番かっこいいに決まっている。それかスーパーレシーブを当たり前みたいにするリベロか、とんでもない攻撃力のあるサーブを放つピンチサーバー。バレー初心者から見れば分かりやすくかっこいいのはその三つだ。セッターの中でも地味な部類になる白布賢二郎という選手など、目もくれないだろうに。

「賢二郎が一番かっこよかったよ!」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




ってさ」
「うん?」
「めちゃくちゃKYなのに確実に相手を殺すこと言うよね」
「えっ?! わたしKYなの?! 殺すって何?!」
「あれはオーバーキルだったと思う」
「おーばーきる?」
「ごめん、俺が悪かった」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ」
「……なんだよ」
「そういえば俺、白布の彼女の番号ゲットしちゃった」
「は? なんで? 消せ」
「いやいや、なんでだよ」
「何? なんでお前が番号知ってんだよ」
「自分のスマホに電話かけてみればって話になったから」
「どういう経緯だよ」
「スマホ持ってなかったんだよ。あのセッターに預けてて」
「馬鹿かよマジで。何のためのスマホだよ」
「でもそんなお馬鹿なところがかわいくて好きなんだろ〜?」
「…………」
「え、マジで? 冗談だったんだけど」
「お前本当黙れ。あと履歴消せ」
「名前なんていうんだっけ? だっけ?」
「呼び捨てすんな。登録もすんな」
「毎日の賢二郎情報送ってあげよっかなって」
「送るな」
「一番かっこいい賢二郎情報ならいい?」
「…………」
「痛い、ごめん、脛はやめて、え、うっそ顔赤、いやごめんってマジで」


うわさのケンジロウくんパート2