「めちゃくちゃ嘘じゃないですか! たった今この状況でどうやって彼女が?!」
「いやいやいやいやこんな深夜に訪ねてくるとかおかしいだろ、俺先輩なんですけど? 先輩に対して失礼じゃない?」
「赤葦さんってそんなキャラでしたっけ?!」
攻防戦だった。赤葦さんはげんなりした顔で「なんで俺? 雀田さんは? 白福さんは??」と語気強めに聞いてくる。どうしても赤葦さんじゃなきゃだめなんです。何卒、お礼はしますので。そうドアをぐいぐい引っ張りつつ頭を下げると、赤葦さんは梅干しを食べた人みたいな顔をして悩んだのち、「朝五時起床、始発でご帰宅ください」と言ってからどうにかドアを開けてくれた。
「先にはっきり言う。俺は明日朝六時半に出勤してどうしてもやらなくちゃいけない会議の資料作成を控えた会社員です。自宅に持ち帰れない資料があるために早出を強いられている会社員です。こんな深夜の訪問は本当に迷惑なので金輪際しないでください。いいな後輩?」
「はい。申し訳ありません。ご迷惑をおかけします」
深々と頭を下げる。赤葦さんの言い分は働いている人として当然のものであり、満場一致でわたしは非常識だ。それは重々承知している。恥を忍んで赤葦さんを頼っている。それをすべて認めた上で「赤葦さんしか頼れないんです」と手を合わせる。もう眠ろうとしていたらしい赤葦さんを叩き起こし、早出である赤葦さんの貴重な睡眠時間を削ってまで、わたしはどうしても赤葦さんに助けを求めたかった。
遡ること約一時間前。コヅの家はとんでもない静まり方をしていた。赤い顔でわたしを睨むコヅ。わたしとコヅを見守ってはいるが気配を殺しているクロ。そうして、ぽかんとしたわたし。三人とも何の音も出さずにただただ自分の生命活動だけをしていた。
コヅは言った。彼女はいないけどずっと一緒にいたい子ならいると。そうして、それが、わたしであると、言ったのだ。仕事上必要がないのに社員として雇って一緒にいる時間を作ったと。
わたしのキャパシティはそんなに大きくない。これはコヅやクロより赤葦さんのほうが知っているだろう。赤葦さんたちが三年生になった年。つまり雀田さんや白福さんが卒業してマネージャーがわたし一人になったときだ。三人で回していた仕事をどうにか一人で回そうとして無理な仕事日程を組んだ。赤葦さんには再三一年生を頼れと言われていたのに、わたしはどうにかそれを避けようとして必死にやった結果、キャパシティを超えたのだ。思考停止、活動停止。洗濯場でぶっ倒れたわたしを一番に見つけてくれた赤葦さんに恐ろしく怒られたことは今も怖かった思い出の一つとして鮮明に残っている。
つまり、分からないことがキャパシティを超えた。静まり返った部屋でまず声を出したのはわたしだ。外の空気を吸ってくる、十分くらい庭にいる。そうコヅとクロに言って、スマホだけ持ってつっかけを履いて庭に出た。そのわずか五秒後。わたしは、わけが分からなさすぎて、なぜだか歩き出していた。コヅの家の最寄り駅まで歩いて十分。そこからもうほぼ終電と言って過言ではない電車に揺られて四十分。降りた駅から歩いて五分。そうして、今に至る。
「馬鹿か?」
「すみません……」
「そんなの孤爪と黒尾さんが心配するに決まってるだろ。連絡しろ、連絡」
「だ、だって……」
「だってもさってもない。そもそもなんで俺? 俺は駆け込み寺の和尚か?」
「コヅと仲良いじゃないですか。赤葦さんなら分かるかなって……」
「というか何が分からなくてキャパオーバーしたのか全く分からなかったんだけど。解明できない謎が一つもなかったんだけど?」
なぜだかわたしも赤葦さんもフローリングに正座した状態である。赤葦さんは腕組みをしてわたしのことを逃すまいと見たままつらつらと言葉を並べていく。何が原因でこんな時間にうちに来るという暴挙に走ったのかが分からん。そう言って赤葦さんは「分かりやすく説明しろ、後輩」と眉間にしわを寄せた。
「ず、ずっと一緒に、って……」
「それが何」
「……な、なんでだろうなあ、って、わけ分かんなくなっちゃって……」
「」
「はい」
「お前は馬鹿か?」
「に、二回目だ!」
赤葦さんが大きなため息をついた。視線を下に向けて目を瞑って何かを考えている。木兎さんの対処法を0.5秒で導き出すあの赤葦さんが悩んでいる。それに衝撃を受けていると、赤葦さんが視線を持ち上げた。
「単刀直入に聞くけど」
「はい」
「孤爪のことどう思う?」
「え……気が合って一緒にいて楽だし面白いし、上司としても最高だしこれからもこんなふうに続けばいいなって思ってます」
「男としては?」
「へ?」
「異性としてはどう思う?」
「……異性、として……?」
「質問を変える。たとえば孤爪がどこの馬の骨だか分からない女を連れて来て彼女ですこれからずっとうちにいます仲良くしてねよろしくねって言ってきたらどう思う?」
無表情かつ抑揚のない声で言う赤葦さんの口元に目を向けたまま、しばし固まってしまう。コヅが知らない女の子を連れて来て、彼女ですと紹介して、仲良くしてねと言ってきたら。それを素直に想像したら、嫌だ、と思う自分がいた。嫌だ? なんで? コヅに彼女ができるなんていいことなのに。春が来たね、よかったね、ってなるだけなはずなのに、なんで嫌だと思うんだろう。コヅとの今の距離感とか関係が崩れちゃうからかな?
「嫌だろ? 嫌なんだろ? もう面倒くさいから嫌だって認めろ。はい、嫌ってことで」
「赤葦さんが投げやりだ……!」
「少なくとも孤爪のことを友達以上の何か≠ニして見てるわけだろ。普通の友達にはおめでとうとしか思わないよ、恋人ができたら」
「そう、ですよね……わたし心が狭いんでしょうか……」
「ふざけんなマジでなんだお前」
「赤葦さん、わたしが言うのもなんなんですけど、もしかして今めっちゃ眠たいですか?」
ゆらりと立ち上がった赤葦さんが部屋の隅に置いてあるベッドによろよろと歩いていく。ごろんとベッドに横になると、こちらを向き直して「恋愛偏差値が小学生以下か?」と何事もなかったように話を続けた。
「言っとくけど孤爪とよく会ってるのを知った時点で木兎さんでさえそういうこと≠セと気付いてたぞ」
「そういうこと=H」
「ピンと来いよ、説明がめんどくせえな」
「赤葦さん、口調が乱れてます」
苦笑いをこぼしたと同時に、ピンポン、とチャイムが鳴った。思わずびくっと震える肩。恐る恐るインターホンのモニターに顔を向けると、つい一時間前まで見ていた顔がそこに映っていた。
ぎこちなく赤葦さんに顔を向き直して「え?」とだけ聞く。赤葦さんは半分目を閉じたまま「遅い。やっと来た」とうんざりした様子でベッドから起き上がってふらふらと歩いていく。玄関のほうへ消えていく赤葦さんを目で追っていると、数秒後にドアが開いた音。そのあとすぐに「ごめん、迷惑かけた」という、コヅの声が聞こえた。赤葦さんが「本当に。しっかりして」と眠たそうな声で言ったあと、足音が一人分増えた。どんどん近付いてきて、ついに部屋を覗き込んだのは、もちろんコヅだった。
「……シロ、帰るよ。赤葦明日仕事なんだから、迷惑かけちゃだめだよ」
「本当に。明日の会議失敗したら末代まで祟る」
「ほら赤葦激おこだから。帰ろ」
「ぷんぷん丸だから」
「ムカ着火ね。はいはい懐かしいね、ごめんね」
コヅがわたしの真横まで来ると、腕を掴んで引っ張った。意外と力が強い。細いし男の人にしては小さいほうだけど、コヅもちゃんと男の人なんだな。急にそんなことを思った。これまでただの一度もそんなふうに思ったことなんかなかったのに。なんで急にいろいろ動きはじめようとするの。これまで通りじゃだめなんだろうか。ずっとずっと、コヅとは、変わらずにいたいのに。
そう思った瞬間、あ、と思った。ずっと変わらずに。それはコヅがわたしに言ってくれた、ずっと一緒にいたい、というのと意味がほとんど同じものだったから。
「……なんで」
「うん?」
「なんで迎えに来てくれるの? なんでみかんの皮を剥いてくれるの? コヅ面倒くさがりなのに、なんで面倒だって言わないの?」
一つたりとして理由がない。どうしてそうしてくれるのか、どうしてそう思ってくれるのか。それに名前を付けることがどれだけ難しいことなのかは分かる。でも、わたしは馬鹿だから、脳筋だから、それが分からないと納得できないのだ。
わたしの腕を掴んでいるコヅの手の力が強くなった。斜め下に視線を向けてコヅが少し唇を噛む。瞬きもせずにそのまま固まってしまった。コヅの顔を見つめたまま「なんで?」と追撃すると、赤葦さんが腕を組んだまま「なんでか言ってやれ」と眠たそうな目で言った。コヅがそれになんだか嫌そうであり気まずそうであり、なんだか苦しそうな顔をする。
「一般的、には……好きな子には、それくらい、するみたい、だから……」
とんでもなく小さな声だった。いつもユーチューブに上げる動画のときも、ゲーム配信するときも、形だけのミーティングをするときも、ただの一度も聞いたことがない、恐ろしく小さい声。
コヅがこっちを見た。なんだかいたたまれない顔をして、また目を逸らす。それからわたしの腕を引っ張って玄関のほうへ歩きつつ、赤葦さんの横を通るときに「迷惑かけてごめん。これよかったら使って」と早口で言いつつ赤葦さんが好きなチェーン店の優待券を渡す。赤葦さんは眠たそうな目をこすりつつそれを受け取ると「もう本当に勘弁して。まあ、こちらこそ一応後輩が迷惑かけました」と軽くコヅに会釈した。
靴を履くように言われたのでぽかんとしたまま靴を履く。コヅに引っ張られながら赤葦さんの家を出る。「また連絡する。ごめんね。おやすみ」とコヅが言うと赤葦さんがあくびをこぼしつつ「おやすみ。末永く〜」と言ってドアを閉めた。そのあとすぐに鍵がかかった音がして、また静寂の中に放り出される。
コヅが無言でわたしの腕を引っ張って、エレベーターへ歩いていく。もう電車はない。もしかしてクロの車でここまで来たのだろうか。さすがに歩ける距離ではないし、タクシーを拾ったとかかな? そんなどうでもいいことを考えていないと落ち着かない。
エレベーターのボタンを押して、しばしの待ち時間。わたしはずっとコヅの横顔を見つめている。
「ねえ、なんで?」
「まだあるの……」
「なんで、ずっと一緒にいたいって、思ってくれるの?」
コヅが目を丸くして、思わずといった様子でこちらに顔を向けた。しばらく目をぱちくりさせてから、コヅの口がほんの少しだけ開く。そこから数回瞬き。わたしはその様子をずっと見つめていた。
エレベーターが上がってくる音。静かな廊下にはやけに大きく聞こえて、なんだか気持ちが焦ってしまう。誰かに急かされているわけでもないのに。そのせいでやたらと心臓がうるさくて仕方がなかった。
「好きだからだよ」
コヅが、小さく笑う。かわいらしいものでもなく、かといってかっこいいものでもなく、ただひたすらにコヅらしい顔で。ああ、わたし、この表情、とても、好き、だなあ。不思議と頭が勝手にそんなことを考える。コヅはしばらくわたしを見つめてからずっと腕を掴んでいた手を離すと、その手でそのままわたしの手を握った。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
――二か月後、深夜一時すぎ
「酒の限界管理は自分でしろっていつぞやかの飲み会でも言ったよね?」
「はい〜……」
「神に誓って迷惑はかけません、といつぞやかに言ったはどこ行ったの?」
「赤葦が後輩いじめてる。カワイソ〜」
「この場合いじめられているのは俺ですけど」
赤葦さんの背負われつつお店を出た。木兎さんが久しぶりに東京にプライベートで来ているということで、元梟谷男子バレー部メンバーで軽く飲んだあとだ。調子に乗って飲み過ぎてまたしても赤葦さんに迷惑をかけている。それをさっきから木葉さんがげらげら笑って「写メっとこ」と何枚か写真を撮っている。木葉さんもいささか飲み過ぎている。それに気付いた鷲尾さんが「お前もしっかりしろ」と木葉さんの頭を軽く叩いていた。
「どうやって帰る? 俺タクシー乗るけど一緒に乗っけてこっか?」
「ああ、大丈夫です。はたぶん迎えが来ます」
猿杙さんが「ああ、なるほど〜」と朗らかに笑う。雀田さんも「なるほどね」と笑うと、ちょうど一台のタクシーが目の前に停まった。赤葦さんが「はい降りて」と少し身を屈めてくれる。地面に足がついた。ずるずると赤葦さんから降りていると、タクシーのドアが開いた音。そのあとすぐに苦笑いが聞こえてきた。
「ねえ、家出るときに飲み過ぎないって約束したよね」
「うう〜」
「うう〜じゃない。ほら、赤葦にお礼言って」
「あかあししゃんありあとうごらいまふ……」
「はいはい手のかかる後輩起きろ、降りろ」
赤葦さんから完全に離れたところで、ぐらりと体が揺れる。平衡感覚がまだ戻っていない。足下がおぼつかないままでいるわたしに赤葦さんが「大丈夫か本当に」と呆れた声で言いつつ手を伸ばしてくれたけど、その手がわたしに届くことはなかった。それより先に体を抱き上げられていた。
「、帰るよ。他の人にも挨拶して」
「みなしゃん今日はあいらとごらいました〜!」
「はーいこちらこそー」
「けんまもありあと〜」
「はいはい」
わたしはみんなに手を振って、研磨はぺこりと頭を下げる。それを見た木兎さんが「カレシって感じする……!」と謎に感動していた。
がしっと研磨に抱きついて陽気に鼻歌を歌う。今日も楽しかったなあ。料理もおいしかったしお酒もおいしかった。つい止まらなくて酔っ払っちゃったなあ。そう言うわたしに研磨が「だから言ったじゃん」とため息をこぼした。
わたしを抱えたままタクシーに乗り込むと「家まで戻ってください」と言った。運転席の後ろにわたしを座らせると、研磨は「気持ち悪いとかない? 大丈夫?」と頬に手を当てながら聞いてくる。顔が熱いのはお酒のせいだよ〜、なんてへらへら言うと「知ってる」と研磨がまたため息をこぼした。
「本当、隙だらけで困るんだけど」
「え〜? なに? だいすき?」
「そうだけど違う」
軽く頬をつねられる。ちょっと痛い。でももう一回やって。へらへら笑ってそう言うわたしに、研磨はちょっと笑いつつ「次から赤葦にいろいろ頼んどくからね」と恐ろしい宣言をした。酔っていてもそれだけはちゃんと分かって「気を付けます」と背筋を伸ばせた。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「また週刊誌に撮られてる! なんで?!」
大人気ユーチューバー・コヅケン、噂の彼女を深夜お迎え≠ネんていう読み上げるのも恥ずかしい見出しをつけられている。残念なことに一言一句間違いはない。前に撮られたときもファンの人から多少厳しい意見があったというのに、こんな無様な姿を撮られてしまっては余計にまずいのでは。
青い顔をしているわたしとは裏腹に、研磨は我関せずという感じだった。わたしが雑誌を見せて「どうする?」と聞いてもちらりと見ただけで「変なこと書かれてないしいいじゃん」というだけ。ご自身が人気者だとご存知でない?! そう狼狽えるわたしを鼻で笑って「深夜お迎えする理由を作った人が何言ってんの」と言うだけだった。
「それより配信はじまるけど準備できてる?」
「できてるけど! タイミング悪いなあ! この週刊誌今日発売だよ?!」
「いいでしょ。別にアイドルでもなければイメージ商売してるわけでもないんだから。彼女いるくらいで騒がないでって感じ」
「お強い……!」
痺れる……! なんて茶化していると研磨もけらけら笑う。諸々のセッティングはもう完了済みだ。今日のゲーム配信はわたしと研磨が出会うきっかけになったエルファンのプレイ配信だ。実はこのエルファン、今日でサービス終了することが一か月前に発表されていたのだ。わたしも研磨も今となってはたまにプレイするだけになっていたけど、サービス終了と聞いて二人でちょっと凹んだのは記憶に新しい。大好きなゲーム。研磨と出会う奇跡をくれたゲーム。それがなくなっちゃう。それが寂しくて、発表されてからほぼ毎日研磨と二人でプレイしている。それも、今日で最後。
研磨が「はじめるよー」と軽く言って、夜十時ジャストに配信スタート。金曜日である今日は遅めの配信開始になっている。今日の予定はエルファンのプレイ配信。日付が回った瞬間にサービス終了だからそれまでぶっ通しでやろうという内容だ。多くのエルファンユーザーがログインしてすでにクエストを片付けている。わたしと研磨も二人だけでどこまでクエストをやれるかという挑戦をするつもりでいる。
続々とコメントがついていく。シロ久しぶり、なんてコメントもついたので嬉しくてチャットで「久しぶりーありがとねー」と反応しておく。わたしが打ち込んだチャットは配信画面で言うと左下辺りに表示されるようになっていて、基本的にわたしが独り言を呟いているみたいな状態だ。
研磨とは実は同じ部屋にいる。部屋の隅っこと隅っこにゲームスペースがあるのでキーボードを打つ音は入り込まないらしい。もちろん話せば声は入り込んでしまうし、席を立っても物音が多少入り込む。だからゲーム配信中はわたしは無言でひたすらゲームをしているという感じだ。
高難度クエストを研磨が選択して、狩り場に転送されている間に何気なくコメント欄に目を向けると「コヅケン、あの週刊誌ほんとなのー?」というコメントが流れた。発売日だもんね、そりゃ触れる人もいるだろう。思った通り連鎖的に「前に撮られた人と一緒ですか?」とか「本当に彼女なの?」とか似たようなコメントが流れている。
エルファンの思い出を話していた研磨がコメント欄に目を向けた。それから「週刊誌ね。今日発売だったね」と、珍しくそれに触れた。普段は基本的にゲームや何気ない日常の話だけで、そういう週刊誌などの話は完全に無視なのに。さすがに触れるコメントが多かったから拾わざるを得なかったのだろうか。どぎまぎして研磨の配信画面を見ていると、研磨が薄ら笑った。明らかに、わたしを意識して。
「あれ、シロだよ」
得意げに笑った。思わず研磨を振り返る。なんでそれ言っちゃうの?! 声に出せないままでいると、研磨が「ちょっとシロ、どこ行くの。そっちルートじゃないよ」と言うので慌てて画面に向き直す。
コメント欄がびっしり文字で埋まる。「嘘?!」とか「マジで?」とか、「え、シロっておじさんじゃないの?」とか。中には「あんなパワープレイする脳筋が女の子なわけない」なんてものまで流れていく。それをいくつか拾った研磨がけらけら笑う。言われたい放題じゃん、と振り返りながら言うもんだから、コメント欄はさらにパニックだった。「そこにいんの?!」というコメントで溢れかえる。当たり前だ。何してんの。研磨を睨むと、笑ったまま研磨が「めちゃくちゃ怒ってるからもうやめるね」と言った。
「シロのこと、女の子だって言ったことはないけど、逆におじさんだって言ったこともないからね、おれ。クロのことは幼馴染の男だって言ったと思うけど」
騙されたね、とリスナーにしてやったりの顔をする。そんなことをしたら女性ファンの反感を買うのでは、とハラハラしているわたしとは違って研磨はどこか楽しそうだった。
「正直おれもはじめてエルファンで会ったときはキャラがあれだし男だろうって思ってたんだよね。だから位置情報イベントで実際に会ったときは本当にびっくりしたし、他校の知り合いだったから本当に戸惑ったよ」
思い出す。はじめてコヅと待ち合わせたあの日を。わたしは女であることを隠していたから本当に不安で、あとでフレンド解除されるんじゃないかって本当に怖かった。せっかく仲良くなれたのに、せっかく同じゲームが好きなのに、わたしが女だから嫌がられるなんて悲しい。そう思っていた。
コヅ……孤爪先輩は、見るからに戸惑ってはいた。でも、それはほんの少しだけ。すぐに状況を理解して、すぐにわたしをシロとして受け入れてくれた。性別なんて関係ない、年齢なんて関係ない。シロだから別にいい。そう言われたわけじゃないけど、そう思ってくれたのだと分かるほど、至極当然のように受け入れてくれたのだ。嬉しかったから、今でもよく覚えている。
「そこから仲良くなってゲーム友達としてほぼ毎週会ったりエルファンやったりして楽しかったね。おれ、女の子の友達なんていなかったから暗い時間帯だと家まで送ったりしたほうがいいのかなって戸惑ってたけど、シロはそんなのどこ吹く風って感じで。一緒にゲームできればあとはなんでもいいって言ってくれるのがすごく気楽だった」
研磨は人のことをよく見ている。それは人見知りゆえのものだとなんとなく分かっていたけど、わたしに対してももちろんそれは同じことで、言わなくても伝わっていることが結構よくあった。頭が良い人と一緒にいるのは楽なんだな、なんて脳天気に考えていたっけ。高校生のわたしは。研磨がそんなことに困惑したり悩んだりしているなんて知らなかったなあ。
「だから好きになったって気付いたとき、ああやっちゃったな、ってへこんだよね」
コメントが止まらない。とんでもない勢いで流れていくコメントにわたしは冷や汗が止まらないのだけど、研磨の話の続きをこのまま聞きたいと思う自分もいる。「なんでー?」「好きな子ができてよかったじゃん」なんてコメントがついている。それを研磨が笑った。
「だってシロがおれに求めてるのはゲーム友達って関係で、彼氏とかじゃないじゃん。好きになられたら困るでしょ、普通」
クロからラインが来た。見てみると「トレンドワード入りおめでとうございます」とだけ来ている。そりゃそうなる。週刊誌発売当日にその彼女との出会いを堂々と語る人がどこにいるというのか。はい、わたしの背後にいます。苦笑いをこぼしつつ「今日は神回だね」と返しておいた。
「シロって脳筋の鈍感だから全然気付かなかったんだよ。おもしろいでしょ。六年経った今になっていろいろあってちょっと前に付き合いはじめたんだけど、本当になんにも気付いてなかったの正直おもしろすぎてツボだった」
悪かったですね脳筋の鈍感で! コメントでも「シロ脳筋だからなー」と続々と流れていく。失礼な! 頭脳プレイもできます! チャットでそう反論しておくと「【急募】シロの頭脳プレイ」と茶化すようなコメントばかりがついた。悔しい。
「ちょっとむかついたけどね。まあ、言ったときの顔がかわいかったから許した」
テーブルに置いていたコップをこかしてしまう。とんでもない音が入り込んでしまうし、こぼれた飲み物がキーボードを侵食するものだから「うわー!」と叫んでしまった。ハッとして口を塞いでも時すでに遅し。コメント欄には「うわーってwww」「イメージ通り」というものが続々と流れていく。研磨は振り返りながらけらけら笑って「キーボード死ぬよ」と声をかけてくる。完全に面白がってる、この社長。
「そんな顔で睨んでも怖くないよ。もうチャットやめて喋ったら?」
「……むかつくんですけど」
「シロが諦めたよ。みんなずっと喋ればいいのにって言ってくれてたからよかったね」
研磨がいろんなものが入れてあるラックを探ってからぽいっと何かを投げてきた。マイク付きのヘッドセットだ。エルファンを一旦ポーズに研磨がしてくれたので仕方なく接続を進める。すぐに接続が完了したのでまたコントローラーを握ると研磨がポーズを解除した。
「はい、ご挨拶どうぞ」
「……シロです〜」
「ふて腐れバージョンはレアだよ。よかったねみんな」
「ふて腐れてないし! なんで勝手にいろいろ言うの!」
「はいはい、怒らないの」
楽しそうにしやがって。そう睨み付けると「怖い怖い。ずっと睨んでくる」とひたすらに笑うばかりだった。
気を取り直して、エルファンをひたすらにプレイした。開き直ってしまえばもうどうでもよくなっていつも通りの会話を続ける。ゲーム配信だと忘れそうになるとさり気なく研磨が会話の誘導をしてくれた。それにまた六年前と同じことを思う。やっぱり頭が良い。頭が良いというか、頭の回転が速いというか。相変わらずすごい人だな、とぼんやり思った。
そうして、日付が回る。それと同時にクエストへの挑戦ができなくなり、サービス終了のお知らせがポップアップで表示された。「さみしいね」と研磨が言う。わたしもそれに「さみしいね」と返すと、コメント欄いっぱいに「さみしい」という文字が溢れた。それがなんだかとても嬉しくて、思わず笑ってしまった。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
配信終了後、研磨がお亡くなりになったキーボードを引き上げてくれた。すでに予備で買ってあったものを代わりに渡してくれたのでありがたく受け取る。「どうも」と言ったわたしに研磨がきょとんとする。しばらくわたしの顔を見つめてから「なんで拗ねてるの」と首を傾げた。
「だって! シロが女だってバラすと思わなかったんだもん!」
「別にいいでしょ。シロが女の子で困ることなんかないし」
「研磨はね? でもコヅケンのファンの女の子は嫌だって子が多い思うよ」
「なんで?」
「え」
「なんでシロが女の子だと嫌なの?」
「え、えーっと、ガチ恋、みたいな感じだと、近くに異性がいると嫌じゃん……?」
「でもおれそういう売り方してないし彼女いるじゃん。彼女はシロで、シロはじゃん。それでもっては女の子でしょ。を彼女だって言って何が問題なの?」
真正面からそう言われると、返す言葉がなかった。研磨は満足げに「ね、問題ないでしょ」と言ってわたしに貸してくれたヘッドセットを回収していく。「ちゃんとしたの買わなきゃね」と呟くものだから冷や汗が出る。今後はあんな感じでやれってことですか、社長。ちょっと気が重いけど、正直、楽しかったのは事実だ。たまになら、いいかも。こっそりそう思った。
研磨はいつだって自分の世界を自由に生きている。自己中心的だと言いたいわけではなく、周囲に振り回されることなく自分の気持ちを大事に生きているのだ。それを勝手だとか独りよがりだとか、周りに馴染めないと表現する人もいる。けれど、研磨は人の気持ちに鈍感なわけではないし、周りを慮らないわけでもない。気を遣うのがちょっと下手なときも多々あるけど、何より自分の気持ちに嘘を吐かないし人を貶すことはない。エルファンの世界ではじめて声をかけてくれたときも、はじめて会ったときも、研磨は今の研磨のままだ。ぼんやりそう思う。
ふと気付く。そんな研磨が一般的にはそうするみたいだから≠ニわたしを家まで送ろうかと言ってくれたのは、とてつもなくすごいことだったのではないだろうか。恐らく当時の研磨からすればひどく面倒な提案をしたと内心では後悔していたことだろう。研磨の家とわたしの家はまったく方向が違ったし、そもそも研磨はあの待ち合わせ場所からずいぶん離れたところに住んでいた。そう思うと、あの申し出を断ってしまったなんて、もったいなかったかも。なんて今更惜しい気持ちになった。
研磨がなぜかこっちをじっと見てから、にこりと笑った。なんで笑ったんだろう。よく分からなかったけど、研磨がちょいちょいと手招きをしてきたからゆっくり近付いてみる。いつもの椅子に座っている研磨の前に立つと、研磨が肘掛けで頬杖をついた。
「なに?」
「ん? 見てるだけだよ」
よく分からない。にこにこしている研磨をただただ見下ろしているだけになってしまう。見てるだけ、とは。見ても面白いものではないと思うのだけど。
研磨がわたしの両手を握った。にぎにぎと揉むように触ってから、突然ぐいっと引っ張ってきた。当然わたしの体はぐらりと研磨のほうへ倒れる。両手を掴まれているので手をつくことなどできないまま、ばたんっと結構な勢いで研磨に体当たりしてしまう。研磨がしっかり抱き留めてくれたから痛くはなかったけど、むしろ研磨が痛かったんじゃないだろうか。慌てて体を起こそうとすると「なに」と言われて、離れられないくらいしっかり抱きしめられた。
「なに、はこっちのセリフなんですが……え、大丈夫? 痛くなかった?」
「これくらい平気」
研磨の足の間からわずかに見えている椅子に膝をついているのだけど、そろそろ力尽きそうだ。ぷるぷると震えてしまうわたしを研磨が笑った。片手でわたしのおしりの辺りを支えると、突然ひょいっと持ち上げた。びっくりして研磨にしがみついている間に研磨の膝に下ろされた。それでも研磨はまだ腕をほどいてくれない。
よく分からない。はてなが飛び交っている。ずっと分からないのだ。研磨と付き合いはじめてからずっと、研磨のことがよく分からなくなっている。まるでコヅとはじめて出会ったときみたいだ。プロフィールに何も書いていないからどんな人なのか分からなかった。一つ明らかに違うのは、別にそれを不安に思わないという点だけ。
「け、研磨〜?」
「なに」
「いや、どうしたのかなって……」
「だめ?」
「だめではないけど……」
付き合ってまだ二か月、とはいえ一般的な社会人の交際二か月とはたぶん違う。ほぼ毎日会っているし研磨の家にほぼ入り浸っているから半同棲状態。付き合いたてのカップルの二か月よりはかなり濃い二か月だと思うのだ。それでもまだ、心臓が痛いくらいどきどきすることがあるし、言葉が出なくなるほど困惑することもある。全部嫌ではないのが不思議だけど。
一般的な恋人同士はこういうスキンシップを取るものなんだろうし、研磨もそれに倣っているのだろう。わたしも研磨も恋愛初心者と言うに相応しい経験値しかまだない。レベル上げを二人でしている段階だから、百戦錬磨のプレーヤーを参考にして攻略法を見つける必要がある。一般的な恋人がしていることをどんどん実戦していこうとしているのだろう。
「研磨って律儀だよね」
「何が?」
「一般的にはこうするみたいだから、っていろいろ試してくれてるんでしょ? わたしもどうすればいいか分かんないから助かります、社長様」
照れつつそう返しておく。研磨の胸元に軽く顔をくっつけて一つ呼吸。人の体温や鼓動が落ち着くものだと知ったのも研磨が教えてくれたから。抱きしめられたり手を繋いだりするとどきどきするけど、なんだかいい夢が見られる気がすると知ったのも研磨が教えてくれたから。わたしも何かしら研磨に教えてあげられているのだろうか。心配ではあるけれど、二人で協力して順調にレベルアップしている気がする。
耳元で研磨が小さく笑った。なんで笑う? 不思議に思っていると、もぞもぞと研磨の手が動く。右手がわたしの肩をなぞって、首をなぞって、輪郭をなぞる。その中指がわたしの顎で止まる。ちょいっと軽く力を入れられて、思わず顔が少し上を向いた。いつの間にか顔を近付けていた研磨にそこではじめて気付く。反射的にぎゅっと目を瞑った少し後に、そっとキスされた。数秒で離れていったけど心臓が痛いくらいうるさい。ゆっくり目を開けた先には、目を細めて満足げにしている研磨がいた。
「おれがしたいからしてるだけ。一般的かは知らない」
指が頬を滑る。そのあと、なんだかお餅を触るみたいにもにもにとしてくるから、ちょっと拗ねてしまう。いや頬をお餅みたいにされていることにもそうだけど、何よりどきどきしているのがわたしだけみたいで悔しかった。
でも、研磨、楽しそうだし、まあいっか。わたしも研磨の頬をもにもにと揉んでやる。肌がきれい。むかつく。大したケアも運動もしてないくせに。なんだこのもちもちの肌は。じっと研磨を見ていたら、またそっとキスされた。唇が触れている距離で研磨が「痛いんだけど。ほっぺ取れるじゃん」と笑った。それはこっちのセリフです。そう言い返しつつ、わたしも笑ってしまった。
うわさのケンマくんパート3