――六年後、、大学四年生の冬

 青天の霹靂だった。まさしく、本当に。ゲームを封印して必死に就職活動に励んだ結果につかみ取った第一志望の企業からの内定が、取り消しになった。採用担当者からのメールには「採用しようと思っていた人と間違えた」という旨の文言が書かれていた。そんな馬鹿な。そう呟いたあと開いた口が塞がらなかった。内定通知をもらってから実に一か月が経過した時期の話で、わたしとしては無事に就活を終えたからあとは残り少ない学生生活を楽しもうと思っていたところだったし、時期的にめぼしい募集はほとんど終わっていた。わたしが他に受けようとしていた企業の採用ももちろんすべて終了。武装を解除したあとに死地へほっぽり出されたのと同義だった。
 もちろん納得できるわけがない。縋るように大学の就職センターに掛け合ったり、担当者と再三メールでやり取りをしたりしたけど、事態は変わらず。大学関係者からも正式に抗議してもらったが、最終的に「今回は残念だったわね」と同情されただけ。採用担当の人は相変わらず「申し訳ありません」の一点張り。わたしは、何一つ悪いことはしていないのに。そんな流れで理不尽に内定を取り消されたところでわたしのやる気が死んだ。両親は不当だと怒り狂って弁護士を立てると騒いでいたけれど、当の本人であるわたしにはもう、何かする気力などなかった。

「内定取り消し? 最悪じゃん、なにそれ」

 コヅが剥いたみかんをわたしに手渡しつつ眉間にしわを寄せた。わたしより一年早く音駒高校卒業後に大学に入学したコヅは、なんだか知らない間にとんでもない肩書きをいろいろ手に入れていた。大学卒業後もその快進撃は止まらず、会社の社長でプロゲーマーでユーチューバーとかいう謎の職業で安定しているのだとか。まあ、内定を取り消されて無職まっしぐらのわたしより立派であることは明確なわけだ。

「もういい……やだ……三次元がつらい……」
「他にもまだ募集してるとこあるでしょ。うまくいってないの?」
「探してはいるけど希望している職種と勤務地に当てはまるところがほぼない……」
「ああ……なるほどね」

 どんまい、と軽く励ましてくれた。それくらい軽く言ってくれたほうが心が救われる。へらへら笑いつつ「しばらくニートだけど仲良くしてね」なんて絶望がすぎることを明るく言っておく。
 コヅとはこれまでもずっと変わらない仲のままだ。今もサービスが続いているエルファンはもちろん、二人で新しいゲームにチャレンジをすることもよくある。コヅがやっているゲーム配信にもたまに呼ばれて、コヅのファンたちにはシロとして認識されているらしい。相変わらず動画を見ないからよく知らないけれど。コヅのゲーム配信では顔も声も出さず、チャットの文章のみでの参加だ。ファンの人たちからは「コヅケンの友達の屈強なおじさん」と認識されているらしく、身バレする心配はないとコヅからは言われている。
 コヅがじっとわたしを見てくる。今日も今日とてコヅが会社をはじめてから暮らしている家に来ているのだけど、ここがなかなかに天国なのだ。コヅの計らいでゲームは好きに触っていいと言われているし、冷蔵庫や洗濯機も好きに使っていいと許可をもらっている。おいしそうなデザートを見つけたら冷蔵庫に忍ばせておくのが今一番はまっていることだ。いつ来てもいつまでいてもコヅは怒らないし、むしろ数日来ない日が続くと「忙しいの?」と連絡をくれる。好きなお菓子をストックしてくれているし、必要な日用品もなぜだかなくならないように買い足してくれている。さすがに申し訳ないからわたしも気付けばコヅの日用品を買い足しているけれど、見つかるたび毎回コヅには怒られている。つまり、現実に打ちひしがれているところをこれでもかと甘やかされているというわけである。まさにわたしのオアシスなのだ。

「ねえ、うちの社員になる気ない?」
「え?」
「ちょうど雑用をやってくれる人がほしくて募集かけてたんだけど、誰も応募してこなくて困ってるんだよね」
「え?! 天下のコヅケンの会社に応募ゼロ?!」
「天下獲ってないし」

 けらけら笑いつつ「ほんと、真剣にどう?」と頬杖をつきつつわたしの顔を見つめる。コヅの会社の社員とか、そりゃ確かに最高の条件だ。一応仕事内容と条件を聞いてみる。どうやら一般事務プラスゲーム配信の手伝い、という感じで考えているらしい。それなら募集すれば大人気になるだろうに。どうして今まで応募ゼロだったのだろうか。不思議に思いつつも「自分で良ければお願いします社長」と頭を下げた。

「うちに半住み込みになるけどいい?」
「もう今がほとんどそうだし大丈夫です社長」
「うん。じゃあ採用ね」

 軽っ! そんなんでいいの?! けらけら笑うわたしにコヅは「そんなの今更でしょ。おれだよ」と得意げに笑った。なんやかんやで就職先が決まってしまった。就職ってこんな感じでいいのかな? よく分からないけど、コヅが会社社長であることは確かだし、何かしらの手続きさえすれば正式な社員になるはず。コヅが提示してくれた条件は十分すぎるものだったし、両親ははじめのうちは心配するかもしれないけどそのうち分かってくれるだろう。
 コヅに手を合わせる。「ありがとう〜!」と半泣きで言うと、コヅが目を丸くした。まさか泣くほどとは思っていなかったのだろう。でも、わたしは内定を取り消されてから本当に将来が不安だったのだ。お前なんかいらない、と正式に言われて傷ついていたし、もうわたしなんかどこにももらってもらえないんだと落ち込んでいた。それを吹き飛ばすように明るく振る舞っていただけで、本当はずっと不安だったし情けなかった。両親にも申し訳ない気持ちでいっぱいだったから、本当に拾ってもらえたことが嬉しくて仕方がないのだ。

「末永くよろしくお願いします!」

 コヅの真ん丸な目が少し細くなった。穏やかに笑って「うん。こちらこそ」と言った声が、やっぱり、ぽつぽつと雫を落とすような心地良い声で、とても好きだなと思った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




――二か月後、深夜一時すぎ

「うわ、もうこんな時間だよ〜。タクシーじゃないと帰れないじゃん〜」

 白福さんがスマホを見つつそう項垂れる。雀田さんが「うち泊まってく?」と声をかけるとぱあっと笑顔になって「神様仏様かおり様」と嬉しそうに雀田さんに抱きついていた。
 梟谷学園男子バレー部OB会は大盛り上がりで、なんと三次会にまでもつれ込んでいた。木兎さんから主催を任された赤葦さんは二次会会場は先回りで押さえていたそうだけど、さすがに三次会までは予想していなかったらしい。二次会の終盤でずっとスマホを睨めっこしていたから思わず「お疲れ様です」と声をかけてしまった。そんなわたしも今では立派な酔っ払いに成り下がり、赤葦さんに腕を支えてもらってなんとか立っている状態だった。
 赤葦さんが思い出したように「そういえば孤爪とは今も会ってるの?」と聞いてきた。それに反応した雀田さんが「私も知りたい〜」と会話に混ざってくる。小見さんも「仲良かったもんな」と話に入ってくるものだから、コヅって梟谷メンバーからこんなに人気だったのか、と今更嬉しくなった。

「今は確定申告で死にそうになってますけど元気ですよ!」
「確定申告? ああ、そういや会社やってるんだっけ?」
「もう来年から絶対税理士さんに頼むって言ってました!」

 むしろこれまであの面倒くさがりのコヅが自分で頑張っていたことに驚きだけど。どうやら黒尾さんも多少手伝ってこれまでは事なきを得ていたらしい。そう言うと赤葦さんが「よく今日まで無事だったね」と意外そうに呟いた。
 木兎さんが「もう終電ないけどみんなどうすんのー?!」と少し離れた位置から聞いてきた。それぞれタクシーだの迎えだのと答える中、わたしも手を挙げてご機嫌に徒歩です、と答えておく。

の家って高校の近くじゃなかった? 歩けるの?」
「訳あって近くなんです〜。あと一応迎えに来てくれるみたいです!」
「迎え?」

 それはですね、とわたしが説明をしようとしたとき、赤葦さんが「あれ」と声を上げた。その視線の先にわたしたちも目を向けると、今度はわたしが「あ!」と声を上げる番だった。

「孤爪? なんでここに?」
「シロ……を迎えに来ただけ」
「え?」
「コヅ〜! ごめんね迎えに来てもらって。一人で帰れるって言ったのに」
「こんな遅くに一人で歩かせられないでしょ」

 赤葦さんの表情筋がおかしくなっている。変な顔してますよ〜、なんてふざけて赤葦さんの頬を指でつつく。赤葦さんがその手を軽く払いつつ「ついに付き合いはじめた?」とコヅに聞いた。

「ついにって何。そんなんじゃないよ。雇用主と従業員だよ」
「酔っ払った従業員を深夜に迎えに来るような雇用主がいるんだね、この世には」

 コヅがなんだかやわらかく笑ったまま、そっと目を伏せた。「いてもいいでしょ、そういう雇用主も」と言うと、わたしの腕を掴んでいる赤葦さんの手をほどく。わたしの腕を引っ張って自分のほうへ近付けさせると、ふらつくわたしの体を支えるように肩を抱いてくれた。ありがと〜なんてへらへらお礼を言うとコヅが「はいはい酔っ払い」と軽くわたしの頭を叩いた。
 コヅにほぼしがみつくようにしつつ「じゃあ、ここでドロンします!」と皆さんに手を振って挨拶をする。猿杙さんが「大丈夫かよ、しっかりしろよ〜」と笑いつつ手を振ってくれる。他の人たちも「またな〜」と手を振ってくれた。背を向けたとき「あれはもう秒読みだな」と笑った木葉さんの声が聞こえたけど、意味はよく分からなかった。
 あー、楽しかった! コヅの腕にしがみついてそうご機嫌に歌なんか口ずさんでしまう。コヅはおかしそうに笑って「酔うとこうなるんだね、おもしろい」と言う。深夜に迎えに来る羽目になったのに面倒臭がらないんだ。なんだか意外だけど、コヅってやっぱり優しいなあ。
 雑用係という名の事務員として働きはじめてから、本当にこんな感じでいいのだろうか、と不安になるばかりだった。コヅが回してくる仕事は恐ろしく簡単ですぐ終わってしまうものばかり。余った時間は好きにしていいと言われるし、時間外の仕事は基本的にゲーム配信の手伝い。何一つ嫌だと思うことはない。なんだか不思議。これでニートじゃないと胸を張って言っていいものなのか。

「明日の配信できる?」
「できるできる〜!」
「本当かな。なんか心配なんだけど」

 くすりと笑ったコヅの顔を見上げる。高校生のときのコヅを思い出す。なんか、大人になったというか、かわいらしさが薄らいだというか。黒髪の部分が増えて伸びたままの髪が夜風に揺れると、それに引っ張られるようにコヅの顔がこっちを見た。

「……なに?」
「え、ううん。なんか大人になってるなーって」
「なにそれ。どうしたの急に」

 肩からずり落ちていたわたしのバッグをするりと持ってくれる。ほどけかけていたマフラーも巻き直してくれた。コヅって面倒くさがり屋だけど面倒見いいよね。そう言うわたしにコヅが「別にこれくらいそんなことないでしょ」と乱れたわたしの髪を払いつつ言う。
 あー、なんか無性にエルファンがやりたい。そうけらけら笑いながら言うとコヅが「家ついたらもう速攻寝るでしょ」とコヅもけらけら笑う。それでもエルファンがやりたいよ。高校生のときみたいに、時間も気にせず。

「ずっと大人になんかなりたくないなあ」

 ぽつりと呟いてしまったそれをかき消すように「なんてね」と笑っておく。コヅは特に言葉は返さなかったけど、心なしか腕を掴んでくれている力が強くなった気がした。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 最近、変なことが起こるようになった。仕事を終わらせて出かけると、ごく稀にこそこそされるようになったのだ。毎回じゃない。一週間に一回とか二回とか、それくらいの頻度だ。こそこそしてくるのはもちろん知らない人だけ。そして、こそこそしてくるのは女性であることが多い気がする。わたしの恰好があんまりにもダサいからこそこそされているのかな? お気に入りで毎週一度は着ている服だからショックなんですが。そう思いつつもはっきりとした原因が分からないから対処ができないままだった。
 今日も電車の中で知らない女の人にこそこそされた。視線を感じて一応聞き耳を立てていたのだけど、断片的にしか聞こえなかった。あの子、コヅケン、SNSという単語だけ。コヅケン。コヅが関係しているということか。SNSというのはどういうことだろう。
 コヅの家に帰宅。居間でスマホをいじっていたコヅが顔を上げて「おかえり」と言ってくれた。ただいま、と返してから今日あったことを話してみた。最近知らない女の子にこそこそされる。さっきもコヅに関わるであろうことを言われていた。そう素直に報告したらコヅは「あー」と思い当たる節があるようだった。

「シロ、SNSとかゴシップ記事とか見ないもんね」
「見ないけどそれが何?」
「これじゃない?」

 コヅがすいすいとスマホを操作する。画面をわたしに向けると、目が点になった。週刊誌の記事と思われる写真。大人気YouTuber・コヅケン、深夜の密着デート≠ニいう見出しとともに、どんと大きく写真が載せられていた。その写真にはコヅと、コヅに密着している女性の写真。女性のほうには目線が入れられているけど、知っている人が見れば誰だか分かるくらいにしか顔は隠されていなかった。

「わたしだ?!」
「このときと一緒の服のときだけなんじゃない? こそこそされるの」
「あれっ?! 確かにそうかも!」

 この写真は飲み会会場までコヅが迎えに来てくれたときものものだ。決してデートなんてものではない。けれど、週刊誌の記者からすればいいネタにしか見えなかったのだろう。ろくに取材もしないまま掲載したことがありありと分かる内容だった。
 そうか、コヅはファンがたくさんいるから、コヅの恋人として報じられた相手だと分かった人にこそこそされていたんだ。ようやく謎が解けてすっきりしたけど、同時にぶわっと汗が出る。ファンの人がどんな反応をしているのか分からないけど、女性ファンも多くついているみたいだし熱愛報道はあまり良くないはず。それが真実であれば気にならないけど、わたしとコヅはそういう関係じゃない。嘘が広まるとコヅに迷惑がかかってしまう。

「え、え、どうする? どうすればいいの?」
「別に何もしなくていいよ。ほっとこ」
「ええ……いいのかなあ」

 我が社にとっては結構重要な問題だと思いますけどね、なんて苦笑いをこぼす。コヅはじっとわたしの顔を見つめると「好きな人でもできた?」と小さく笑った。なんでそうなる。呆れ気味「そんなわけないじゃん」とだけ返しておいた。
 恋愛か。学生時代もいまいち興味が湧かなくて、結局初恋もまだのまま。彼氏がほしいと思う子やあの人がかっこいいと言う子が周りにたくさんいたけれど、その気持ちをわたしは理解することができなかった。別に彼氏ができても何になるんだろう。誰かがかっこいいからってなんで興味を持つんだろう。そう言うと大抵友達には気味悪がられたっけ。
 コヅはどうなんだろう。好きな子いるのかな。それとも付き合ってる子がいるのかな。コヅケンのファンだと公言しているインフルエンサーや芸能人の人はたくさんいる。中にはもちろんきれいだったりかわいかったりする女の子がわんさかいるはずだ。そこからはじまる恋ももしかしたらあるのかもしれない。

「コヅは彼女いないの? そういう話聞いたことないけど」
「彼女はいない」
「は≠チて言ったね〜。その心は?」

 にこにこしてコヅの腕を肘でつつく。コヅはじっとわたしを見てから、いつもみたいに柔らかく笑みを浮かべた。

「ずっと一緒にいたい子ならいる」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「一時間半の遅刻! クロ! わたくしシロが責任を持って鉄槌を下します!」
「誠に申し訳ありません。会議が恐ろしく長引きました。情状酌量願います」

 大きな紙袋を持った黒尾さん改めクロが呼吸を整えつつ「本当ごめんて」と手を合わせた。腕組みをして少し考えてから「良い、許す」と言えばけらけら笑ってくれた。
 高校を卒業してしばらく経った頃にはクロともすっかり馴染んだ。「敬語もさん付けもいいよ」と言ってくれたのでコヅと同じようにしているのだけど、たまに遊びに来る元音駒メンバーの人からはいつも驚かれる。そこまで割り切れるものか、という方向で。
 コヅケンのファンの人からはクロシロコンビとして認識されているそうで「シロも喋って」なんてコメントがよくつく。わたしはチャットのみを貫くつもりでいるからクロシロコンビが音声で揃うことはない。期待してくれているファンの人には申し訳ないけど、シロがおじさんじゃなくて女だというほうがショックだろう。隠したほうがいいに決まっている。
 クロはコヅから頼まれていた諸々の資料や備品が入った大きな紙袋を、いつもコヅが座っている椅子にどんっと置いた。コヅは一時間前に用事があるから家を出ている。本当ならクロが持ってきたこの紙袋を持っていく予定だったのだけど、クロの予定が急に合わなくなって予定を変更したのだ。クロが持ってきてくれたものはまた別日に回すと言っていた。

「そういや見たぞ、あの週刊誌」
「やっぱりわたしって分かる?」
「どう見てもシロさんですもの、分かりますわよ」
「うわ〜絶対梟谷の皆さんにもバレてるよ〜」

 釈明しないと、とがっくり項垂れるわたしにクロが「で、実際どうなんですかね」と聞いてきた。俯かせた顔を上げる。じっとクロの顔を見つめてから首を傾げてしまう。実際も何も、クロが知らないわけがないのに。
 コヅとわたしはただのゲーム友達だ。ゲームの中で知り合って、本来なら会うことはなかった関係。たまたまゲームのイベントで会うことになって、お互い顔見知りだと知っただけ。そこから気が合って仲良くなっただけ。今も昔も、それに変動はない。週刊誌に書かれたような関係は一切ないし、そうなる予定も一切ない。そうわたしは思っている。
 わたしの言葉にクロはなんだか優しい顔をした。わざとらしい咳払いをしてから「俺は研磨とは子どもの頃からの幼馴染だが」と、今更する必要のない前置きをする。そんなことはとうの昔から知っているのに、どうしてわざわざそんなことを? 不思議そうにしているわたしにクロが吹き出した。「そんな俺から言わせてもらいますが」と言って頬杖をつく。

「ゲーム仲間だとしても、どれだけ気が合ったとしても、あの研磨がわざわざ雇って家に住まわす女の子がいるなんて想像もしたことがなかったぞ」
「……わざわざ雇ったというか、募集かけても応募がなかったって言ってたよ?」
「募集なんかかけてねえよ。あの研磨が知らない人間を家に入れると思うか?」
「え?! 募集かけてないの?!」
「ないない。そんなのかけたらとんでもない応募が来るだろうし、一人一人書類を見て落として、通った人を面接して〜って面倒だろ? あの研磨がするわけがない」
「え、で、でも……」
「それにわざわざ人を雇うほどの仕事なんかないだろ?」

 クロの言う通りだ。コヅケンは大人気プロゲーマーでありユーチューバーだ。コヅケンと直接関わることができるとなれば応募者は絶対多いはずなのだ。しかも仕事内容がとても簡単なのにお給料は良い。動画配信の手伝いなんて仕事と言っていいのか分からないくらい楽しいし、基本的にコヅはゆるいから仕事という感覚をいつも忘れるくらいいい環境だ。ファンじゃなくても応募する人が多いだろうに。今更そんなことを思った。
 開いた口が塞がらない。だって、コヅ、誰も応募してこなかったってはっきり言った、のに。なんで嘘ついたんだろう。どうして嘘をつく必要があったんだろう。

「あいつ、変に照れ屋なんだよ。はっきり言えばいいのにってことが言えないし、なんでそうなるって方法を取るし。相変わらず世話が焼けるわ〜」

 何に照れるんだろうか。よく分からなくて首を傾げてしまう。別に仕事量が多いわけじゃない。それでもわたしを雇おうと思ってくれた理由。わたしに嘘をついた理由。繋がりそうで繋がらない。口を開けたまま目をぱちくりしてしまった。

「それだけシロ改めちゃんが研磨にとっては大事な子ってこと」

 茶化すような言い方だったけど、クロは基本的に嘘は言わないし馬鹿にするようなことも言わない。言葉は真実であることが多い。だから、クロがそう思っているのは事実らしい。
 でも、それならばおかしい。だってコヅは前にはっきり言ったのだ。彼女はいない、でもずっと一緒にいたい子ならいる。そう言った。なら、その子を雇ったほうがよかったんじゃないだろうか。わたしはゲームの中でいつでも会えるし、呼ばれればどこにだって行く。雇わなくても、いつでも会えるのに。

「あんまりにも進展がないからお節介を承知でヒントをお出ししましょう」
「うん?」
「ヒントその一。研磨は友達が少ないし女友達だと余計にいない」
「それは知ってる」
「ヒントその二。研磨は心を開いた相手じゃないと家に上げない」
「なんとなく知ってる」
「ヒントその三。研磨のこの家に上がったことがある異性は研磨のお母さんとシロだけ」
「そうなんだ?」
「おいおい、そろそろ気付いてください……」
「え?」
「ヒントその四。研磨が連絡先を交換している女の子は、あなたただ一人です」
「そうなの?」
「ヒントその五。研磨がみかんを剥いてやったり夜迎えに行ったりするのも、あなたただ一人です」

 お分かりでしょうか、とクロが困ったように笑った。コヅの数少ない女友達で、心を開いた相手で、家に唯一上がったことがある女で、唯一連絡先を交換している女でもあって、みかんを剥いてもらったり迎えに来てもらったりする。それが、わたし。
 目をぱちくりしているわたしの顔をクロが見つめている。明らかに困っているのが分かる。これ以上は何も言わないぞ、という雰囲気がなんとなくあるのでここまでをつなぎ合わせれば普通は答えが出せるのだろう。でも、わたしにはいまいちピンとこなかった。
 玄関のドアが開いた音がした。コヅが帰ってきたのだろう。クロがため息をつきつつ「ご本人登場」と呟く。ものまねしてたっけ? 未だに首を傾げたままではあったけれど、部屋に入ってきたコヅに「おかえりー」と声をかける。クロも「お疲れ様です、社長様」と深々と頭を下げた。

「遅れて申し訳ございません」
「いいよ、別に。持ってきてくれただけで助かるし」
「なんてお優しい……」
「そのノリやめて」

 げんなりした顔のコヅがのそのそと歩いてきて、わたしの隣に腰を下ろした。わたしの顔を見ると「なんか呆けた顔してない?」と小さく笑った。

「コヅはなんでわたしを家に上げてくれたの?」
「は?」
「なんで連絡先を交換してくれたの? なんでみかんの皮を剥いてくれるの? なんで夜迎えに来てくれるの?」
「ねえ、クロ何言ったの」
「なんで、求人募集したけど応募なかったって嘘ついたの?」

 コヅの動きが止まった。フリーズと表現するに相応しいほど。二度瞬きをしてから口を開きかけたように見えたけど、結局また閉じてしまう。そのあとわたしから目を逸らした。横顔をじっと見つめ続けていると、コヅは視線だけこちらに向ける。ぽつりと呟くように「別に理由はない。シロを雇いたかっただけ」と言った。

「なんで?」
「えー、もうなんなの……急にどうしたの」
「なんでわたしを雇いたいって思ってくれたの? 内定を取り消されて可哀想だったから? 雑用させるのにちょうどよかったから?」

 コヅは不要な嘘はつかない。だから、どうしても理由が気になった。わたしを可哀想だと思って雇ってくれたのなら、わたしはこれまで以上にコヅのために一生懸命働かなくちゃいけない。雇わなくていい社員を雇ってくれたことへの恩を返さなくちゃいけないからだ。雑用をさせるのにちょうどいいと思ってくれたのなら、もっと効率的に仕事をこなせるようにしなくちゃいけない。今のわたしは決して効率がいいわけじゃない。わたしですら早く仕事を終わらせられるくらいの量しか仕事がないというだけなのだ。もっとコヅの期待に応える必要があるから努力しなくちゃいけない。
 首を傾げるわたしにコヅは、なんだか怒ったようでもあり恥ずかしそうでもあり、どこか寂しそうでもある複雑な表情を浮かべた。どういう顔なんだろう。よく分からない。コヅからの言葉を待つしかできず、静かな部屋には時計の秒針の音が響く。
 コヅの顔がちょっとだけ赤くなった。それから、また目を逸らされる。

「そのほうが」
「うん?」
「そのほうが、一緒に、いられるし……」
「え? わたしと?」
「まあ、うん」
「なんでわたし? ずっと一緒にいたい子がいるんでしょ? その子を雇ったほうがよかったんじゃないの?」

 コヅがとんでもない勢いで顔をこっちに向けた。信じられない、と言い出しそうな顔をしてわたしを見てくるものだから、訳が分からなくて余計に首を傾げてしまった。眉間にしわが寄ってしまう。どういうこと? なんでわたしといる時間が長いほうがいいの? ゲーム配信のため? 仕事のため? どれもいまいちピンとこないけどなあ。

「……だから」
「うん?」
「その、ずっと一緒にいたい子、が、シロ……、なんだけど……」

 赤く染まった頬となんだかぎこちない視線の向け方。それは、なんだか、高校生のときのコヅを思い起こさせるような、とても青さを感じるものだった。


うわさのケンマくんパート2

パート3へ続く。