「飯綱さん。監督が呼んでましたよ」
「え、なんだろ。行ってくるわーありがとなー」
ひらひらと手を振ってから走って行く飯綱さんを見送り、体育館に入る。練習が終わったばかりなので体育館には部員しかおらず、半数はストレッチ、半数は自主練前に休憩をしているところだった。
わたしもほとんど片付けは終わらせたし、何か手伝うことがあれば手伝って、なければ古いボールでも拭こうかな。そう思いつつ部員が集まっているところまで歩いていくと、同輩の佐久早が「もう帰る?」と聞いてきた。何か手伝うことがありそうな予感。「まだ帰らないよ」と答えたら、思った通りボール出しを頼まれた。
佐久早と話していたら同じく同輩の古森が輪に入ってきた。二人とも汗を拭きつつ練習で気付いたことを話しはじめる。まじめ。そんなふうにこっそり笑っていると、ちょうどわたしの目の前にあるグラウンド側の外部扉がそっと開いた。そこにいたのはテニス部の友達。開けるなりいたわたしに「わっびっくりした!」と言ってから「練習終わってる? 大丈夫?」と確認してくる。そんなにおっかなびっくりなのによく開けたね、扉。そう笑いつつ「終わった終わった」と返しておいた。
「、一生のお願い!」
「え、何。怖い」
「来週の日曜日、あたしに時間ちょうだい!」
「話が見えないんだけど、何事?」
「○×大学の人と合コンするの!」
「……は?」
「気になってる人がいるからどうしても行きたくて!」
固まってしまう。いや、だって。大学生と高校生が合コンって。そもそも高校生って合コンするの? 未知の世界すぎていまいちピンとこないし、なんだか不釣り合いなように思えた。
「え、それってどっちから言い出したの?」
「○×大学の人! 女子高生限定で参加オッケーみたいだから友達づてに誘われたんだ〜」
「いやいや……やめときなって。そんなのろくなことにならないよ」
「なんで? ○×大学ってめちゃくちゃ賢いとこじゃん。真面目ないい人しかいないって〜。びびりすぎ〜!」
にこりと笑ってしまう。友達はきゃっきゃっと夢膨らむ合コン妄想を繰り広げており、もう心は現実の世にはないらしい。合コンの場でお目当ての彼と結ばれるハッピーな展開しか見えなくなっている様子だった。
東京に越してきてから、あまり浮かないように気を付けていた。昔からはっきり言い過ぎると親や幼馴染に注意される物言いもぐっと堪えて柔らかくしてきたつもりだ。とにかく周りに合わせて、とにかくうざがられないように。それを意識して人に接して早二年。友達はたくさんできたし人間関係は良好。でも、内心ちょっとだけ、やりづらいと思うことも増えてきていた。
「あんさ、はっきり言わせてもらうけど」
「え?」
「そもそも女子高生限定で合コンしようっちゅう大学生に真面目な人なんかおれへんやろ」
「え??」
「真面目でええ人は合コンせんでもええ人と出会うし、合コンに行ったとしても犯罪にならん年齢の相手しか見やへんやろ、普通」
「え、あの、」
「相手がどんな男か知らへんけど、女子高生物色しとる時点でお察しやろ。やめとき」
「って関西出身なの?」
がっくり。人が熱く諭しているというのに気になるのはそこなのか。まあ、そろそろ限界だなと思っていたしいいのだけど。
「え、なんで今まで関西弁で喋らなかったの?」
「今それはどうでもええやろ。言うとくけどわたし結構怒っとんで」
「え! ごめん! でもなんで?!」
「なんでやねん。人の話ちゃんと聞いとった?」
「やば、生なんでやねんだ」
「ええ加減にせえよ……」
埒が明かない。そろそろ自主練をはじめる時間だし、今のところはこれ以上話しても無駄だ。友達に「また明日な。はよ帰り」と言いつつ立ち上がる。友達はぽかんとしたまま「とりあえず分かった」と言って帰っていった。
「ごめん、ボール出しだっけ?」
「待って待って、俺たちも処理できてないから。え、関西出身なの?」
「そんなに驚くこと?」
「だって方言で話してるところ見たことないよ? たまにイントネーションが変わってるなーとは思ってたけど」
「え、嘘やん。たとえば?」
「今ちょうど関西弁になってるよ」
「一回出してもうたら引っ込まんくなったわ。もう諦めるわ」
佐久早もちょっとだけ驚いた顔をしている。そんなに驚かなくても。今時関西出身の人がいるなんて普通のことだし、同じ学年にも何人かいる。スポーツ強豪校であるうちなんかは特にそうだ。バレー部にはいないけれどバスケ部にはバリバリの関西弁の人がいた記憶がある。話したらつられそうだと思って近付いたことはないけれど。そう首を傾げながら言ったら古森が「だってこれまで話してなかったから。一年半以上だよ?」と笑った。
「言い方きついってよう人に言われんねん。せやから方言封印したほうが柔らかくなるかなって」
「それ方言が関係してるのかな……?」
「まあ、もうええわ。意外と疲れんねん、頭の中でいっぺん標準語にしてから声に出すん」
「そりゃ疲れるでしょ。というか、なんかすっごい面白い違和感」
くつくつ笑う古森が佐久早のほうを見て「の関西弁、なんか違和感あるよね?」とこっちを指差してきた。人を指差すな。古森の手をはたき落としてから佐久早の顔を見ると、じっとわたしを見上げてから「慣れない」と呟いた。
「あっちにおる幼馴染に耳タコレベルでかわいないかわいない言われんねん。めっちゃむかつくでこっちではかわこぶっとこかなって」
「幼馴染に見てもらわないと意味ないんじゃないの?」
「あいつにとってはわたしが知らんところで変わるんがいっちゃんええ仕返しになるからええの」
今頃向こうも部活の時間だろう。毎日毎日飽きもせずやかましく連絡してくるあいつ。特に内容のない連絡なんて面倒だろうに適当に写真を送ってきたり、「家ついた」というだけのいらない報告をしてきたり。毎回同じスタンプを送り返しているだけの冷たい対応だというのに文句一つ言ってきたことがない。なんだか不憫になってきて最近はわたしからもたまに何か送るようにしている。
「ああ、そうや。佐久早と古森にお願いがあるんやけど」
「何?」
「来週ユース合宿あるやろ」
「お土産?」
「ちゃう。稲荷崎の宮侑も来るやろ」
「うん?」
「同郷です〜めっちゃファンです〜って伝えといて」
「マジで? めちゃくちゃ恥ずかしい伝言すぎるんだけど」
「写真お願いしま〜す」
「俺絶対パス」
「ほら〜俺の役割になるじゃん〜」
けらけら笑いつつ古森が「というかファンだったんだ?」と意外そうに言った。一度も言ったことがないから当然の反応だ。というかファンじゃないし。内心そう思いながらも「中学のときから大ファン」と語尾にハートが付く勢いで答えておく。佐久早だけ気味悪そうな顔をしていたけれど、古森は「へ〜意外」と言うだけだった。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
ユース合宿二日目の夜。食堂で適当なメンバーで夕食を食べていると、井闥山の二人が声をかけてきた。他に席が空いていなかったらしい。俺の隣が空いていたから古森、佐久早が順番に腰を下ろした。
別に人見知りでもないし部活の連中と仲良しこよしというわけではないけど、なんとなく気疲れする感覚。誰に気を遣っているわけでもなければ何かを我慢しているわけでもないのに不思議だ。それだけ部活では何も気を遣わずにいるということだろう。だからなんだという話だけど。
「あ、そういえば。思い出した。宮さ」
「なんや?」
「うちのマネージャーが大ファンなんだって。中学のときから」
俺の前に座っていた他校生がブッと吹き出した。笑いながら「ファンって」とちょっと小馬鹿にするような言い方でからかってくる。うるさい。俺もぶっちゃけ同意見ではあるけど。
「中学のときからっちゅうことは兵庫の子なん?」
「そう。俺らも最近まで知らなかったけどね。先週急に関西弁解禁してた」
「は? どんなやつやねん。やばすぎるやろ」
「なんか家族とか幼馴染に性格がきついって言われるからかわいこぶってたんだって」
「頑張る方向ちゃうやろ。大丈夫なんか自分とこのマネージャー……」
「あと写真撮ってきてって言われてたんだった。はい撮るよ〜」
「おう待て待て急にスマホ向けんなや」
さっさとミッションをクリアしたいらしい。ファンなんてものに一切興味はないが、一応女子に見られる写真なのなら多少気になる。もちろん付き合うとかそういうのはまったくないけど。一応良く見られたい気持ちがあるだけだ。箸を置いて多少髪を直してから決めポーズをしてから「どっからでもかかってこいや」とキメ顔をしておくと、周りから一斉に笑いが起こった。一枚写真を撮った古森が「もう送っとこ〜」と笑いながらスマホを操作する。
そこからは特に何事もなく、普通にバレーや部活の話をして完食。そのまま食堂で話をしている。帰ろうとした佐久早は古森に無理やり引っ張られて留まっているという感じだ。そこに一年も混ざってきて結構な大所帯になってきた。まあ、たまにはこういうのも新鮮で悪くない。そんなことをぼんやり思っているときだった。
ポケットに入れてあるスマホが鳴った。今の音はからのメッセージだ。すぐにスマホを出して見ると、通知には写真が送られてきている旨だけが表示されている。何の写真だろうか。気になって話しながら開いてみて、固まってしまう。表示された写真が、さっき古森が撮った写真だったから。からは「めっちゃキメ顔しとるやん笑」というメッセージも飛んできた。
「ハアーーーー?!」
「うわっびっくりした。え、何? 発作?」
「ちょお待って?! は?! え、古森くんとこのマネなんちゅう名前?!」
「え、だけど……」
「あいつ!」
「何? 知り合い?」
「ちゅーかインハイは?! あいつコートおらへんかったやろ?!」
「本人の希望で三年の先輩がベンチにいたけど……?」
「あいつ!!」
すぐにの番号をタップしてスマホを耳に当てる。コール音わずか一度で電話に出たが「かわいいマネージャーに見てもらえへんくて残念やったな〜」と憎らしい声で言った。
「お前ほんまにふざけんやな! マネージャーしとんのやったら言えや!!」
『なんで言わなあかんねん。わたしの勝手やろ』
「普通言うやろ! 俺彼氏やぞ?!」
『やかましいねん。耳元で騒ぐなや』
「誰のせいやと思てんねん!」
ワアワア言い争いをしているのを周りが面白がって見ている。そんなことに構っていられないほどイライラしていた。
井闥山に行くことはもちろん知っていた。の母親と話したときにそう聞いていたし、本人からもそう聞いていたから。そのときに井闥山のバレー部でマネージャーはするなと何度も言ったのに。が他の高校のジャージを着ている姿は見たくなかったし、そもそも井闥山は強豪校だからうっかり他のやつのプレーを見てかっこいいなんて思われたらブチ切れる自信があったからだ。というか俺の知らないところで知らないやつと話していること自体気に食わない。こればっかりは家庭の事情だから口を挟めなかったけど。
『マネージャーになるなってやつ、どうせあれやろ』
「なんやねん!」
『他の高校のジャージ着てほしないとか他の選手をかっこええって言うてほしないとか、そういう少女漫画的なやつやろ』
「う、うっさいわ! ちゅうか誰が少女漫画やねん! お前ほんまに次会うたらしばくからな!」
『せやからインハイでもあんたには会わへんだし、残念ながらあんた以外にかっこええ選手は見つけられてへんわ』
不覚。あんなにイライラしていたのに、ちょっときゅんとした自分がいる。、俺のことかっこええって思っとったんか。はじめて言葉で聞いたそれに答えられずにいると「わたしからも一個聞きたいんやけど」とが言った。
『え、わたしとあんたって付き合うとんの?』
「…………は?」
『さっき俺彼氏やぞって言うたやん。え、ごめん、いつから?』
「嘘やろ……?」
『いや、ほんまに心当たりがない』
「ハア?!」
『やかましいねん、急にでかい声出すな』
「は、おまっ、ハア?! 中三の秋から付き合うとるやろうが!」
『ほんまに? やば、知らんかったわ』
「ずっと一緒におってって言うたんやんけ! お前それにええよって言うたやん!」
『あ〜! あれな。幼馴染としてやと思うてたわ。治込みかと』
「なんでサム込みやねん!!」
膝から崩れ落ちそうになる。スマホの向こうではきっと笑っているんだろうけど、俺は一切笑える気持ちじゃなかった。
元々と先に仲良くなったのは治だった。同じ幼稚園で三人全員ひまわり組だったとき。俺は他の男と遊んでいたけど、治はと仲が良くてよく一緒にいたと母親から聞いた。そのときにの母親とうちの母親も仲良くなって、将来は二人が結婚したりしてね、などと話していたことも。
俺はそれが妙に面白くなくて、なんだかに治を取られたように思えたらしい。それから治とが一緒にいたら治を引っ張って連れていったし、が遊んでいるのを邪魔していたと教えられた。幼稚園の先生が叱ってもやめなかったけど、はただの一度も泣かなかったそうだ。だから俺の母親との母親もそこまで気にしていなかったという。
それは小学生になっても変わらず、と俺は治を取り合うライバルのような関係だった。俺としては治がどこに行こうが誰といようがあまり気にならなくなっていたけど、と言い争いをするのが楽しかった。だからやめなかった。やっぱりは俺に何を言われても、何をされても泣かなかった。他の女子と違って面白いな、と思うようになり、次第にが他の男子と楽しそうにしているとムカつくようになった。このときはまだ、それが初恋なのだとは気付かぬまま。
中学一年生のときの話だ。部活を終えて帰ろうとしてたら、が中庭にいるのを見つけた。こんな時間まで何をしているのか気になったのと、がしゃがみ込んでいたのが気になって中庭に行くと、がすぐに気付いて顔を上げた。その顔がなんだか真っ青でぎょっとしたことをよく覚えている。体調が悪いのだろうとすぐに気付いたけど、いつもように「なんやねん、ダンゴムシみたいやな」とからかってしまった。なら何か言い返してくるだろうと思って。
は「うるさいねん」と言い返してきた。でも、いつもの声じゃなかったから本当に体調が悪いのだと分かって動揺した。「そない気持ち悪いんやったらおぶったってもええで」と言いつつ隣にしゃがんで顔を覗き込んで、さらにぎょっとした。が、あの、何を言っても何をしても泣かなかったが、静かに泣いていたから。制服の袖で涙を拭ったは「いらん。一人で帰れる」と言ったけど、一向に立ち上がる気配がなかった。さすがに置いていけるわけがない。どこが痛いのかとかどう気持ち悪いのかとかいろいろ聞いてもは答えない。
完全にテンパっていた。はじめて見たの姿にビビったというのもある。そんなとき、ちょうど部活を終えて帰ろうとしていた女バレの集団が通りがかって「宮くんのどっちか分からんけどお疲れー」と声をかけてきた。それに適当に返事をしたら、と同じクラスの女子が俺の近くでしゃかんでいるに「どうしたん?!」と駆け寄ってきた。はそれに一気に安心したのか、ぼろぼろ涙をこぼしてこそこそと何かを話していた。「保健室閉まってて、お腹も痛いしスカートも汚してしもうたし、どうしたらええんか分からへんくて」と言ったのだけ聞こえた。でも、何のことだかそのときはよく分からなかった。俺を置き去りにして話が進んでいき、女バレの先輩がダッシュでどこかへ行った。帰ってきたときにはその手にポーチとジャージがあり、俺のことはシッシッと追い払うようにしてをつれて校内に消えていった。
ムカついた。なんで俺には言わないくせに、大して仲も良くないただ一緒のクラスというだけの女にはつらつらと泣いている理由を話すのか。頼るのか。カチンときた。せっかく心配したったのに、俺の知らんところで泣きよって、とそのときはむくれながら帰ったことを、今でも恥ずかしい思い出の一つとしてたまに思い出す。
次の日、なんか知らん、とこっちからは一切話しかけなかった。そんなふうに俺がむくれているなんてことを知らないが珍しく話しかけてきた。いつもなら嬉しいくせにそのときはムッとしたまま「なんやねん」とを見たら、の手には当時俺が好きだったお菓子の箱があった。はちょっと顔を赤らめて「昨日心配してくれたのにごめん。これ、お詫び」と俺にお菓子の箱を押しつけて、逃げるように教室から去って行った。
その瞬間だった。俺の初恋はだったのだ、と気付いたのは。
そこからは本当に地獄の日々だった。とは距離が近すぎて一切男として意識されていなかったし、ずっと何かしらで競ってきたせいで好きだと言ったら負けな気がして言えなかったし、今更への対応を変えることもできなくて。ずっと平行線。幼稚園の頃から何一つ変わらないまま、俺とはライバルのような関係を保ち続けた。
中学三年生の夏。が、高校からは東京に行くと知った。父親の仕事の都合だという。俺の母親は「寂しいわあ」との母親と何度も抱き合って別れを惜しんでいたけれど、俺は、内心、ふざけんなとしか思えなくて。
を誰かに盗られる。そう思った。は井闥山学院を受験すると言ったから尚更。井闥山といえばバレー強豪校だ。俺と治の影響でバレー好きになっているがマネージャーをやらないわけがない。だから、口を酸っぱくしてマネージャーにはなるなと言い続けた。だって、かっこいい選手がいたらころっと落ちるかも、と思ったから。そんなの絶対に許せなかった。
意地を張っている場合ではなくなった。負けず嫌いな俺が、もうになら負けていいと思った。そもそも何をもって勝ち負けなのかなんて分かっていないけれど。なんと告白しようか一か月以上悩んで出た言葉が、ずっと一緒におって、だった。緊張して言ったその言葉にが「ええよ」と言ったことが嬉しすぎて三日くらい使い物にならなかった自覚がある。それくらい嬉しかった。見送りのときは少し寂しそうにしている治や同級生たちを見て、口には出していないが内心「俺彼氏やでいつでも電話できるし」くらいの気持ちで余裕をかましていた。
それなのに。まさか、付き合っていると思われていなかったなんて、誰が思うだろうか。
『え、なんかごめんな?』
「ふざけんなや……」
『ほんまに落ち込んどるやつやん。元気なさすぎやろ』
「ふざけんなやほんまに……」
『やって分からへんかったし。ちゃんとそういうんは直接的な言葉で言わなあかんで』
「ふざけんなやほんまにクソが……」
『ちゃんと言うたらええやん』
「…………絶対ええよって言うんやな? 絶対やな?」
『そう言われるとな』
「ふざけんなやほんまにクソが! お前には絶対言うたらんわ! 別に好きちゃうし!!」
勢いで電話を切ってやろうかと思ったけど、が耳元で小さく笑ったのが聞こえたからやめた。なんやねんほんまにこいつ。惚れた弱みというのか、小さな笑い声でも、手を止めてしまうほどかわいいと思ってしまう自分がひどく情けない。
『わたしは好きやけどな、侑のこと。ずっと』
本当にスマホが手から滑り落ちた。それを後ろで見ていたらしい古森が「何が起こってんの?」とけらけら笑っているけど、今はそれに構っている暇がなかった。ゆっくりしゃがんで落としたスマホを拾う。それから耳に当てて「え?」と思わず言うと、が「今の音なんやねん。鼓膜死んだんやけど」と拗ねたような声で言われてしまう。
「え、今なんて?」
『あんたは別にわたしのこと好きとちゃうんやもんな。せやったらええわ。ほな元気でね』
「待て待て待て待て! めちゃくちゃ好きやっちゅうねん! 今のもっぺん言うて!」
の声は子どもの頃からあまり変わらない。キンキンうるさい鈴の音とか、猫の鳴き声みたいな甘ったるい声でもない。いつも落ち着いていて、どこか優しくて、ちゃんとこちらに向けられた声だと分かる、穏やかに打ち寄せる波のような、いつまでも聞いていられる声をしている。
そう思うこと自体が、に対する恋心なのだと、今更再認識した。
「、ずっと好きや。せやからもっぺん言うて」
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「なんやねん、ダンゴムシみたいやな」
中学一年生の、確か夏前くらいだった。はじめて生理が来てしまったわたしは、保健室まで行ったけれど誰もいないことにちょっとパニックになってしまい、隠れるように中庭でじっとしていた。生理のことは知識としてはもちろん知っていたし、母親からもうそのうち来るとも言われていた。でも、いざそのときが来たらどうしたらいいのか分からなくて。
近くに誰もいないし、血がスカートにまで滲んできてしまって、もう誰かを呼びに行くことができなくなって途方に暮れていたとき、声をかけてきたのが侑だった。最悪だ、と思った。侑にだけはこんな姿は見られたくなかったから。
子どものときから侑とは何かと言い争いをしていた。でも、お互い本気の喧嘩というわけではなくて、どこか面白がっている口喧嘩というくらいのもの。わたしも面白がって侑を煽りまくっていた。そうしているうちに侑はだんだんわたしを女扱いしなくなった。何を言っても、何をしてもいい相手、というふうに認識されていた。でもそれが嬉しかった。侑が前に泣いている女子を見て「めんどい」と最低な発言をしていたのを知っているからだ。
侑に、女らしさを見せるのが嫌だった。もうあんなふうに言い合いをしてくれないかも。面倒だと思われるかも。そんなふうに思って。その気持ちはもちろん大きかったけれど、はじめての生理への不安と、侑に知られたくないという気持ちがぐちゃぐちゃなって、涙が止まらなくなった。ぎょっとした侑の顔を見て、また余計に涙が出た。面倒だと思われている。そんなふうに思ったことがない相手だったのに、とがっかりしているに違いない。そう思えば思うほど、侑の言葉に何も返せなくなってしまって。
通りがかったクラスメイトの子に声をかけられて、一気に全部溢れ出た。侑は放心状態といった感じでぼけっとわたしを見ていて、本当に恥ずかしかった。人前で泣いたのも久しぶりだったから余計に。クラスメイトの部活の先輩がナプキンと着替えを持ってきてくれて、わたしのスカートを隠すように一緒に校内に行ってくれたから侑にはバレなかったと思う。でも、こんな姿を見られたのが情けなくて。
侑のことが好きだった。小学生のときから。はじめはやたらと喧嘩を売ってくる幼馴染で面白いやつくらいにしか思っていなかったけど、一度ハマったらとことん突き詰めるところとか、性格が良くないように見えるけど実はとんでもなく正直で素直なだけだと分かるところとか、嫌われることを怖がらないところとか。なんだかんだで努力家で真面目なやつなのだというふうに見はじめたら、ああ好きだなって思った。素直に応援できる人だなと思ったのだ。変かもしれないけれど。
でも、侑はわたしを女だと思っていない。だから言うつもりなんかなかった。どうせ女の子らしいかわいい子を好きになって、恋人になって、結婚する。わたしはそこには当てはまらない。かわいげのない喧嘩相手というだけだからだ。
はじめての生理が来た翌日。一応、侑は心配してくれて話しかけてくれたわけだし、無視をしてしまったことに罪悪感があった。侑が好きだと言っていつも食べているお菓子を持って侑に謝った。恥ずかしくて顔は見られなかったけれど。逃げるように教室を出たから、侑がどんな顔をしていたのかは分からない。ただ、なんだか驚いていたようには見えた気がする。
中学三年生の秋。侑が突然、緊張した顔で「なあ、」と呼び止めてきた。なんだかいつもと雰囲気が違ったからちょっとどきっとした。いやいや、まさか。そんなふうに思いつつ。
「ずっと一緒におって」
目をぱちくりしてしまう。ずっと一緒におって。その言葉はとても甘やかにも思えるけれど、わたしはすぐにふっと笑ってしまった。ああ、なるほど。わたしが東京に引っ越しちゃうからね。家族ぐるみで仲良しだったから寂しがってくれているのだ。だって、侑がわたしのことを好きになるわけがないから。
ええよ、と笑って答えたら、侑がこっちがちょっとビビるくらい喜ぶものだから、あれ、と思った。もしかして、読み違えた? もしかして、甘やかに思えた意味そのままでよかったのだろうか。でも、今更それを言い出せなくて、曖昧なままその日は侑に家まで送ってもらった。
その日からずっと曖昧なままだった。どこかで侑が何かぽろっと言葉にしないだろうかと思っていたけれど、侑はそういうことを口にしなかった。やっぱりわたしが思った意味でよかったのか。そう思うと、なんだか期待していた自分が恥ずかしくなって、もう二度と勘違いしない、と自分の頬を叩いた。
東京に引っ越してから、毎日侑から連絡が来た。これは幼馴染の域を超えているのでは、とたびたび期待してしまったけれど、やっぱりそういう言葉はなくて。知らない間にわたしはこんなにも侑に懐かれていたのか、とちょっと複雑な気持ちだった。
まだ、期待が捨てられなかった。もしかしたらわたしが想像しているほうの意味だったのかもしれない。侑への気持ちを断ち切りたくて高校ではバレー部には関わるつもりはなかった。元々バレー自体にはそこまで興味はなくて、侑のかっこいい姿が見たいから中学ではバレーの試合を観に行っていたけれど、侑がいないんじゃ意味がない。そう思っていたけれど、井闥山は強豪校で全国大会の常連だ。マネージャーとして入部すれば侑の試合が観られるかも。そう思って、侑にはマネージャーにはなるなと言われていたけれど、こっそりマネージャーとして入部していた。どうしてマネージャーになるなと言われたのかはよく分からなかった。でも、もしわたしが期待しているように侑がわたしを思っていたならば、こういう理由かな。なんて一人で都合のいい妄想をしてちょっとドキドキしたりして。本当、恥ずかしいやつ。毎日そう苦笑いをこぼしていた。
だから、本当に、びっくりしたのだ。侑が自分のことを「彼氏」だと言ったとき。何事もないように会話を続けることが難しいほど。侑はそんなわたしに気付かずギャンギャン騒いでいたけれど、正直わたしはそれどころじゃなかった。わたし、侑の彼女だったのか。本当に? でも今の発言はそうだよね? そんなふうに頭の中でぐるぐる考えてしまったけれど、これじゃあ中学三年生の秋と同じ事故を起こす可能性がある。思い切って、核心に迫った。すると、侑はひどく驚き、落ち込み、混乱していた。そこでわたしはようやく、あの日の言葉が甘やかな意味だったのだ、とちゃんと確認ができた。
怒った侑が「別に好きちゃうし!」と怒鳴った。それに笑ってしまう。怒ると反対のことを言ってしまうところ、子どものときから変わらない。お菓子の取り合いをしたときも、言い合いがヒートアップした最後には侑が取り合っていたお菓子を離して「別に俺それ食べたないし!」と強がっていたことを思い出す。変わらないのだ、侑はずっと。だからわたしも、侑のことがずっと好きでいる。
『待て待て待て待て! めちゃくちゃ好きやっちゅうねん! 今のもっぺん言うて!』
わたしが言った言葉に動揺しまくっている侑がそう早口で言った。ああ、聞きたかった言葉が、早口でお送りされてしまった。ちょっと残念だ。そう思いつつ目の端っこにたまる涙を指で拭った。
いま喋ったら情けない声を聞かれてしまう。だから、黙ったままでいる。いつまで経っても、わたしも侑も、お互いに情けないところは見せたくない。お互いかっこつけなのだ。だからこそ、一緒にいてずっと飽きないのかもしれない。崩れたその瞬間にもっともっとお互いが気になって仕方なくなって、またかっこつけて、また崩れて。そんな繰り返しだ。それがこんなにも楽しいと思うのは、愛しいと思うのは、やっぱりわたしが侑のことが好きだから。侑も同じならいいな、とずっと思ってきた。
『、ずっと好きや。せやからもっぺん言うて』
どうせ女の子らしいかわいい子を好きになって、恋人になって、結婚する。わたしはそこには当てはまらない。そうずっと思っていた。だって侑の隣に似合う女の子をどれだけ想像しても、わたしみたいな子は出てこなかったから。
強豪バレー部のレギュラーで、高校No.1セッターと言われ、ユース合宿に呼ばれ、インターハイでは準優勝という成績を収めている。適当に並べただけですごい人だとすぐ分かる。昔から努力家で、とことん突き詰めるタイプで、ちょっとだけ性格が悪く思える侑だからこその経歴だろう。本人は全部蹴散らすみたいに「どうでもええ」と言うのだろうけれど。結果がすべての人だから。そういうところもわたしは好きなままだ。
「わたしも侑のこと、ずっと好きやで」
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「あ、おかえり〜」
「よく何事もなかったように出迎えられるね〜……」
「それお土産? みんなに配るわ」
「違う違う。これは宮侑からにって。自由時間に許可もらってダッシュして買いに行ってたよ」
「え、嘘やん。ウケるわ」
「大好きな彼氏にそんなこと言っていいの〜?」
「ええねん。侑こういう扱いされるほうが喜ぶで」
「え〜……?」
「ほんまほんま」
「というか目の前で関西人の漫才見られてちょっとラッキーって思った自分がいる」
「漫才なんかしてへんけど」
「だって宮、電話切ったあとにめちゃくちゃキメ顔で俺、彼女できてん≠チて言ったんだよ? 食堂大爆笑だったからね」
「アホやな〜」
「しかも聞いてた感じ付き合ってたつもりが付き合ってなかったんでしょ? そんなのコントでしか見ないから」
「漫才とコントはちゃうで」
「そこは今どうでもいいかな〜」
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「なあサム」
「なんや」
「俺はお前の先を行く男になんねん」
「何がやねん。きしょいんやけど」
「彼女できてん」
「………………は?」
「彼女できてん。ええやろ」
「いや、は? お前どないしてん」
「せやからが彼女になってん」
「…………いや、お前と中三から付き合うとったやろ。告ってオッケーもろたって騒ぎまくっとったやんけ」
「それ記憶から消してええで」
「なあ、角名、ツムぶっ壊れてんけど。どないしたらええ?」
「手遅れでしょ。とっくの昔から。母体に戻すしかないんじゃない?」
「誰が手遅れやねんオイコラ。うちのオカンに無茶さすなや」
「キレながら優しい息子発言するのやめてくれる?」
「これ戻すんもオカンが可哀想やろ」
「どういう意味やねん」
「というか何? 付き合ってたのにまた付き合いはじめたの? 状況が謎すぎるんだけど」
「どうせ告ったつもりがに伝わってへんかったんやろ。お前ら昔からよう食い違っとったしな」
「うっさいねん。普通に祝福しろや」
「てかユース合宿行ってたじゃん。どこでそんなオモシロ展開が起こったの?」
「井闥山に古森くんておるやん。そこから」
「説明が足りなさすぎる」
「え、が古森元也と知り合いなん?」
「バレー部のマネージャーやっとる」
「嘘やん。ツムに死んでもマネにはなるなって言うとったやん」
「無視しよってんあいつ」
「ウケる。彼女見てみたい。絶対面白い子じゃん」
「見せへんわ。角名に見せたらなんか減る」
「これや。幼馴染の」
「オイコラサム」
「かわいいじゃん。侑にはもったいないね」
「オイほんまにやめろなんかその角名の感じ嫌やねん! サブイボ出るわ!」
「サブイボ出たツム、に送ったったわ」
「やめろや! かっこええ顔するでそれ送れや! 嫌われたらどないしてくれんねん!」
「かっこいい顔ってたとえば? ちょっとやってみてよ。治、よかったらそれ送ってあげて」
「ええで」
「こんなん」
「ちなみにこれずっと動画やで。はい録画停止。はい送信〜」
「クソが! これやから一組のやつは全員あかんねん!」
「クラス全体敵に回してる。ウケる」
うわさのアツムくん