夏休み初日。白鳥沢学園男子寮にて。普段は女子の立ち入りは禁止なのだけど、管理人さんの許可をもらって共同スペースには入って良いことにしてもらった。はじまったばかりの夏休み、楽しい遊びの計画でも練りたいところ、なのだけど。

「ヤバい意味不明。何コレ何の呪文?」
「問題文が古代文字にしか見えなくなってきた」
「山形、それ綴り違うよ」
「マジ? もう読めりゃ良くないか?」
「綴り違ったら読めないでしょうよ」

 絶賛課題中の男子バレーボール部三年は頭を抱える人間が半分、教える側で頭を抱える人間が半分。そんな感じでどうにかこうにか課題を倒すべく励んでいる。夏休みの後半まで残しておくと非常にまずいし、こんなふうにコツコツやらないと練習や合宿、試合などの日程を抱えながら終わらすことは不可能に近い。わたしたちの学年はこんなふうに毎年初日に集まって苦手なものを片付ける、というふうにしているのだ。
 わたしはいなくてもいいのでは、と思ったけどまあ、みんなでやったほうが楽しいから来ている。家からここまで移動しなきゃだめだし、管理人さんにお願いして立ち入り許可をもらうのも面倒だけど。でも、まあ、思い出ということで。そんなふうに思っている。
 天童からヘルプの声がかかった。仕方なく席を立って天童のほうに移動する。ノートを覗き込むと変な落書きのついで、と言わんばかりのお粗末な途中式。真面目にやりなさい。そう頭を叩いたら天童が「えーひどーい」と笑った。なんでもいいから頭から間違っている途中式を消しなさい。そう苦笑いをこぼす。
 そんなふうに教えているとちょっと喉が渇いてきた。家から水筒を持ってくれば良かったな。そう後悔しつつ鞄から財布を取り出す。管理人室の近くに自販機あったよね、確か。「自販機行く〜」と宣言して、荷物は預けて共同スペースを後にした。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「誰かスマホ鳴ってない?」
「あ、だわ。スマホ机に置きっぱなしにしてった」
「電話? 誰?」
「え、勝手に見んのかよ……」
「名前くらいいいじゃん。えーっと……誰?」
「スミナ? リンタロウ?」
「いたっけ、そんな名前のやつ」
「知らない。他校の友達じゃね?」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 好きなジュースが売っていたのでそれを買って共同スペースに戻ってきた。相変わらず苦しそうな顔をしている数人に苦笑いをこぼしつつ、ペットボトルのキャップを開ける。一口飲んでからさっき放置してしまった天童のところに戻ると「ねーねーやっぱり分かんない」と頬杖をついた。どうにか解こうとした跡がちょっと面白い。どう教えようか考えていると「そういえば」と瀬見が顔を上げた。

「さっきスマホ鳴ってたぞ」
「あー、メール?」
「いや電話。なんだっけ、誰だったっけ?」
「リンタロウくんだろ」
「ブッ」
「え、何、ごめん?」

 思わず吹き出しそうになった。倫太郎くん、って。わたしでさえ角名呼びなんだけど。なんであんたたちが名前呼びしてんのよ。ちょっと考えてから「角名」が読めなかったのだろうと察する。まあ本人もよくスミナとかカドナ、カクナと呼ばれるから訂正が面倒だと言っていたっけ。中学のとき一度だけ下の名前をミチタロウと間違えられていたのは大笑いしたな。そんな懐かしい思い出が頭によぎった。
 で、誰? そんなふうに三年生たちの視線が向く。誰でも良くない? そう思いつつも誤魔化しても面倒だし、別に隠すようなことでもない。そう思ってなんでもないふうにしつつ「彼氏」と言ったら全員の目が点になった。

「カレッ、カレシ?!」
彼氏いんの?!」
「初耳なんだけど!」

 そりゃまあ言ったことないしね。そう笑ったら「なんでだよ言えよ!」とツッコまれた。なんでよ、言わなくてもいいじゃん。自分から彼氏いるんだ〜とかいうのも恥ずかしいし。

「え、白鳥沢?」
「違う。というか宮城じゃない」
「遠距離かよ! あ、そっか。って愛知から引っ越してきたもんな」
「まあね。向こうも高校から兵庫だよ」
「めちゃくちゃ遠いじゃん」

 なんか恥ずかしいんだけど。なんでここで角名の話しなきゃいけないの。そんなふうにちょっと視線をそらしたらめざとく大平が見つける。「照れてるな」と笑われて余計に照れてしまった。からかいながらいろいろ聞いてくるからどうにか逃げたくて。一人話を聞きつつも黙々と問題を解き続ける牛島の隣に移動した。「あ、逃げた!」と瀬見が笑うと、牛島がわたしを見た。「顔が赤いぞ」と冷静に言われて余計に照れてしまった。

「電話よかったのか? かけ直したら?」
「いいの。というか喧嘩中」
「え、マジで? 何の喧嘩」
「いろいろ。謝罪電話だから無視してやってんの」

 角名と付き合い始めたのはわたしが愛知から宮城に引っ越してしまってから。急に連絡が来たので何かと思ってみたら「付き合って」と言われた。そのときにすでに角名は兵庫の高校に行くことが決まっていて、どこからどう見ても遠距離恋愛以外の何物でもなかった。なんで愛知にいるときに言わないの。ちょっとそう拗ねたけど、まあ、「うん」って返事をした。わたしが高校一年の秋のことだった。
 今年はまだ一回も会えていないし、去年も会えたのは片手で数えられる程度。それは仕方のないことだし今更なんてことはない。その代わりに一週間に数回は電話でやりとりをするし、ほぼ毎日なんでもないことでトークアプリのやりとりをしている。会いたいけど仕方ない。だからこれで満足、と思うしかできないのだ。
 それなのに、角名め。そんなふうにスマホを睨んでしまう。今度の日曜日に東京に遊びに行くから会いたいと言ってくれた。でも、その日は練習試合があるからわたしは休みじゃなくて。当然「部活があるからごめん」と返事をした。すると、角名から「マネージャーなんだしどうにか来られないの?」となんだか責めるような言い方をされて、カチンときた。で、そこから三日間メッセージをスルー。電話も無視してやった。で、今に至る。

「リンタロウ三年?」
「二年」
「年下じゃん! マジかよ!」
「どんな子?」
「体幹がキモイってよく言われるミドルブロッカー」
「ちょっと待て、バレー部?!」
「彼氏の説明それでいいの?」

 やんややんやと楽しげに話を聞いてくる。わたしもムカムカしていたし、ここでストレス発散してやるか。そう思って角名のちょっと恥ずかしいエピソードなんかをいろいろ話してやった。ちょっとすっきり。でも、本当は面と向かって文句を言ってやりたい。文句を言いに兵庫まで行ったっていいのに。時間とお金さえあれば、だけど。そんなふうに一人で笑ってしまった。





▽ ▲ ▽ ▲ ▽






 インターハイ二日目。勝ち残った白鳥沢は午後からの試合に備えている。観客席からコートを見下ろす。稲荷崎、今日は午前からだったから見られなかったな。昨日もタイミングが合わなくて見られなかったし、結局連絡も取れなくて姿さえ見ていない。ちょっと残念に思いはしたけど、一応部活中だ。仕方ないか、と諦めている。
 少し前に仲直りをした。仕方なく出た電話で必死に謝られたから許してあげるしかなくて。夏休みのどこかで会おうね、と二人で笑って約束をした。本当に会えるかは分からない。でも、それは言わないというのが暗黙のルールになっている。約束をするだけならタダだし。
 簡単に会えると思ったけど実際は稲荷崎の集団がどこにいるのかさえ分からない。うーん、参った。一人でふらふらするわけにもいかない。諦めているのでもう白鳥沢の待機ゾーンに座って談笑を続けているところだ。
 わたしの隣に右隣に大平、左隣に瀬見という座席順でご飯を食べつつ試合の話をしている。その後ろでは二年の白布と川西がぽつぽつと会話をしているらしい。少し離れたところでは牛島と天童、山形、一年の五色が会話をしていて白鳥沢待機ゾーンは結構賑やかだ。他の部員もほとんど残っている。いない人たちは会場をふらふらしているのだろう。いいな、わたしもふらふらしたい、けど。一人で行くのもなあ、とか。
 瀬見がこの前見つけたという面白い動画を見せてくれて、大平と二人で笑っていると、ふと白布と川西が黙ったのが分かった。二人とも口数が多いほうじゃないから別に気にしなかったのだけど、気付いてすぐにツンと背中を突かれる。え、白布? 川西? どっちにしろ珍しい。驚きつつ振り返ったら、余計に驚いた。

「やっと見つけた」
「…………角名じゃん。久しぶり。びっくりした」
「スマホ見てない? さっきからずっと電話してたのに」

 ああ、そういえば、諦めてからスマホを鞄にしまっていた。鞄からスマホを出して見ると角名から五件着信が入っていた。気付かなくてごめんね。そう言ったら角名は「見つけたしいいよ」と小さく笑ってくれた。

「どこらへんにいるか全然分かんなかったから諦めちゃってた」
「そんな簡単に諦めないでよ。へこむんだけど」
「そういえばジャージはじめて見た。角名、赤似合わないね」
さんは白似合うね」
「そういうこと言う〜」

 角名はわたしの斜め後ろの席、つまり白布の隣に腰を下ろしている。白布と川西が黙ったのは知らない他校生が突然やって来たからだったのか、と思い至った。大平がこそっと「誰だ?」と聞いてきた。瀬見も不思議そうな顔をしているのが分かる。

「この前言ってたじゃん。倫太郎くん」
「あのリンタロウくんなのか?!」
「ああ、年下彼氏の」

 その言葉に川西が反応した。「え、さん彼氏いるんスか」と驚いている。白布も同じく。三年の反応もそうだけど、わたしに彼氏がいちゃだめですか。ちょっとそう睨んでやると川西は「滅相もございません」と首を横に振った。それを笑っていると瀬見が「稲荷崎かよ!」と笑った。稲荷崎ですよ。バレー部だって言ったじゃん。強豪校だとかなんだとかは言ってないけど。

「倫太郎くんなんでこんなに認知されてるの? 何もしてないんだけど、俺」
「こっちの話。お昼食べた?」
「いやいや、話そらすの下手すぎでしょ。倫太郎くんそういうの見逃さないよ」
「倫太郎くんって言うのやめなってば」

 恥ずかしいんだけど。なんか親戚の人に彼氏のことからかわれているみたいで、何とも言えない。席を移動しようかなと思ったけどタイミングがよく分からない。どうしようか悩んでいると、角名がやけにじっと見ていることに気が付く。なんでしょうか。そういう視線を向けたら「ふ〜ん?」とちょっと得意げに笑った。

「倫太郎くんとか呼んでるんだ?」
「ものすごく誤解」
「呼んでくれればいいのに」
「角名は角名で十分。調子に乗らないの」

 そう言いつつ鞄の中をがさがさと漁る。まあ、一応、他校とはいえ頑張っている彼氏なので。見つけたそれを取り出して、角名に渡す。「差し入れ」と言えばちょっと驚いたような顔をしてから「ありがと」と受け取ってくれた。

「白鳥沢の次に頑張ってね」
「そこは稲荷崎応援してくれないんだ」
「するわけないでしょ。白鳥沢学園男子バレー部マネージャーですから」
「えー。まあ同じシードだけど、何があっても恨みっこなしで」

 角名はそう言って立ち上がると「じゃ。あとで連絡する」と言って去って行った。やりたい放題やって去って行きやがった。そう苦笑いで見送っていると、ずいっと瀬見が顔を覗き込んできた。

「名字呼びじゃん」
「だからなんでしょうか」
「名前で呼んでやったら? 呼んでほしそうだったし?」
「うるさい。瀬見お節介英太は黙ってて」
「ミドルネーム付けんな」

 大平も「喜ぶだろうに」と愉快そうに笑った。うるさいうるさい。こっちにはこっちのペースってものがあるのでお黙りください。そう二人の肩をばしんと叩いてやった。
 まあ、確かに。名前呼びのタイミングを逃したとは思っていた。お互い名字で呼ぶのが当たり前だし、会う機会が少ない分先輩後輩関係が抜けていかないのも原因かもしれない。まあ、先輩後輩関係とはいっても角名はため口だしそう隔たりのある関係ではないのだけど。
 名前呼びかあ。呼ばれてみたい、気持ちはある、けど。それを角名に直接言うのって相当恥ずかしくないか? 急に彼女感出してくんじゃん、みたいに思われたら嫌だな。そう一人で照れながら、一つため息をこぼしてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 二日目ももうすぐ終わる。白鳥沢は明日当たることになる相手が決まる試合を観ており、それが終わるまで会場に残っている。試合もかなり終盤になっていてもうそのうち決着がつくはず。そうとなればすぐさま会場を後にするはずなので、その前にお手洗いに行っておくことにした。
 近くにいる瀬見と大平にだけ声を掛けておく。試合の様子はビデオを撮っているから、一応後で見ておこう。そう思いつつ通路を歩いて行く。アリーナから出てロビーの出入り口近くを歩いていると、「あ」という聞き慣れた声が聞こえてきた。思わずガラスカーテンウォールのほうに目を向ける。そこには、赤いジャージの集団がぞろぞろと並んでいた。その中にいる角名を一瞬で見つけた自分がちょっと恥ずかしい。

「お姉さん一人? ちょっとお茶しない?」
「インハイでナンパしないの。あと余計に柄が悪く見えるからやめたほうがいいよ」
「ひどくない?」

 けらけら笑いつつちょいちょいと手招きしてくる。いや、なんでわたしがそっちに行くの。気まずいんですけど。というか角名の隣にいるの、宮侑じゃん。高校ナンバーワンセッターじゃん。雑誌で見たんですけど。今のうちにちょっとサインほしいわ。そんなふうに思いつつ仕方なく角名のほうへ歩いて行く。

「何か御用でしょうか」
「御用ってほどのことじゃないけど」

 肩にかけているスポーツバッグの中をごそごそと漁っている。何かくれるのだろうか。そう思いつつ角名の目の前に立つ。周りの視線を感じつつも知らんふりを決め込んでおいた。ぼそりと「白鳥沢やん」という声が聞こえた。すみませんね、恐らく次の次に当たる相手です。よろしくです。そう苦笑いがこぼれた。
 わたしが気まずい思いをしている間に、角名が「これ」と言った。視線を向けると思ったより大きなものが出てきて固まってしまう。ぬいぐるみ。いや、なんで?

「なんでそれをインハイに持ってきた……?」
「え、だって渡せる機会ここしかないでしょ」
「なんでぬいぐるみ……?」
「持って帰りづらいから」
「は?」
「持って帰るの大変だった、って記憶に残るでしょ」

 はいどうぞ、とにこにこの顔で渡された。ふわふわのテディベア。呆けた顔のまま受け取るしかなく、「まあ、どうも?」と首を傾げつつ返しておく。そんなわたしを見ていた稲荷崎の人が「ドン引きさせてどないすんねん」と角名の肩を叩いた。
 はっとする。慌てて腕時計を見ると、もう十分以上経ってしまっている。アリーナのほうがざわついているし、試合がもう終わったのかもしれない。「もう行かなきゃだめなやつ?」と角名が言うので「そうみたい。ごめん、またね」と言って踵を返す。お手洗い行けてないけどもういいか。ホテルまではそんなに遠くないし、今は他の人の迷惑にならないことが大事だ。

さん」

 振り返る。角名、なんだか背が伸びた気がする。わたしが知らない間にどんどん変わっていく。大人びていく角名と、わたしの記憶の中にいる中学生の角名。どんどん記憶とずれていっちゃう。それが少し寂しくもあり、なんだか照れくさくもあった。

「あとで電話するから、次はちゃんと出てね」

 電話に出なかったこと、結構根に持ってるな。そう苦笑いをこぼす。「はいはい」と返して今度こそ背中を向けた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ、、今ちょうど移動し始める……え、そのぬいぐるみ何?」
「わたしが聞きたい」
「落とし物?」
「いや、プレゼント」
「リンタロウくんか」
「そう」

 瀬見が笑う。「ぬいぐるみって」と。近くで聞いていた川西も「かわいいっスね、リンタロウくん」とからかってきた。うるさい。からかうな。というか、これリュックに入るかな。入らなかったら抱えて持って行くしかないんだけど。監督とコーチになんて言おう。そう困っていると、川西の隣にいる白布が「彼氏の教育はちゃんとしたほうがいいですよ」と小言を言う。うるさい。教育できたら苦労してないです。そう返しておく。
 一部始終を見ていた天童が「アラ〜かわいい〜」とテディベアの顔を覗き込んでくる。からかうな。からかうより誰かその大きなスポーツバッグに入れてやろうかという優しさを出してください。そうこぼしていると、天童が「ン?」と目を丸くした。

ちゃん。クマちゃん首に何かついてるよ〜」
「え? 首?」
「毛に隠れちゃってるけど、ホラ」

 天童がおもむろにテディベアの首元に指を伸ばす。ピンッと何かが引っかかった。シルバーのチェーン。テディベアの装飾だろうか。毛が長いデザインのぬいぐるみに付けるには見えづらい装飾だ。もっと長いチェーンにすれば見えるだろうに。そう不思議に思っていると、天童が指でチェーンをなぞっていく。その先、テディベアの顎の辺りで、きれいなアメジスト色の石が光った。
 しん、と瀬見たちが黙る。わたしも黙って天童の指先を見つめてしまう。きれいな色。ちょうど、白鳥沢のユニフォームの色、みたいな感じで。目をぱちくりしているわたしを放ったらかしにして天童がまた指を滑らせる。その先にはマルカンや引き輪などの、ネックレスのパーツがついていた。

「……リンタロウくん、やるじゃん」

 ぽつりと呟いた川西の言葉に天童が笑う。「ロマンチストだね〜やらしい〜」と言って、指を離した。やらしくない。うるさい。そう天童の肩を叩いておく。
 普通に渡してよ。ここにはいない角名に文句を付けておく。なんでこんなまどろっこしい渡し方をするの。はいはい、分かってる分かってる、記憶に残るから、でしょ。知ってます。知ってるけど、こんなまどろっこしい渡し方されなくても、覚えてるんですけど。きっと一生。わたしの記憶力をなんだと思っているの。好きな人がプレゼントをくれたことを、忘れるわけないじゃん。馬鹿じゃないの。
 なんだかずっと先輩後輩の延長線だな、と思っていた。そうそうデートはできないし、電話だけじゃ関係を変えるに限界がある。会えれば手を繋いだりキスをしたりできるけど、電話ではそういう分かりやすい進展はない。なんだかずっと足踏みをしているような気がしてもどかしく思うことがよくあった。
 角名は、そうじゃなかったんだなあ。そう思う。ちゃんとわたしのことを彼女としてずっと見てくれていたんだな。足踏みしているのはわたしだけだった。そんなわたしに気付いて、ゆっくり前に進めるように手を引っ張ろうとしてくれていたのかもしれない。むかつく、けど、嬉しくて。
 今日電話がかかってきたら、名前で呼んでって言ってみようかな。恥ずかしいけど、きっと角名は笑わないだろうから。ネックレスありがとうって言わなきゃ。テディベアも、まあ、かわいいし。嬉しい。ちょっとかさばるけど、ちゃんと持って帰るよ。角名の思惑通り一生忘れられないプレゼントになったよ。どっちとも。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「…………角名、結構キッショイ彼氏になっとったけど大丈夫なんか……?」
「プレゼントがテディベアて……しかもこのタイミング……」
「ドン引きじゃん。ウケるんだけど」
「オーディエンス全くウケてへんわ……」
「こいつに彼女おってなんで俺におれへんの? おかしくないか世間?」
「彼女がいないことを世間のせいにするから彼女ができないんでしょ」
「正論やめろや! 突然の暴力はあかんやろ! こちとら繊細なハートやねんぞ!」
「ちゅーか、冗談抜きでほんまにぬいぐるみはないやろ。トチ狂ったんか?」
「いや、あれは包装紙みたいなものだから」
「……角名、あんな、包装紙っちゅうんは紙やで? クマさんは紙やのうて立体物やで?」
「病人を見る目で見ないでくれる?」
「ちゅーかこの激重束縛彼氏の彼女て……白鳥沢の子ご愁傷様やな……」
「だから重くないでしょ。色だって紫にしたし」
「は? 何の話?」
「激重束縛彼氏なら赤か黒にするでしょ」
「何がやねん。バグったんか? 叩いたら直るやつか?」
「電池交換の時期なんちゃう?」
「今日はもうツッコまないからね。閉店閉店」


うわさのリンタロウくん