※モブ二人に名前がついています。台詞もあります。




 青葉城西高校男子バレーボール部は、今年のインハイ予選に向けて練習に燃えている。毎年あと一歩というところで優勝を逃している。王者、白鳥沢学園に勝てず、いつも準優勝。及川さんたち三年生たちはいつも悔しい思いをし続けている。本戦に出場すれば活躍すること間違いなし、なのに。及川さんたちの代がインハイと春高に行けないなんて認めたくない。わたしたち下級生はいつもこっそりそう闘志を燃やしている。連日遅い時間までの自主練習にも欠かさず付き合い、積極的にボール出しやビデオ撮影をしている。マネージャーとしてできることは少ないけど、できることがないわけじゃない。精一杯全力を尽くそうと決めている。
 今日も今日とて、自主練習に付き合っていたときのこと。もうずいぶん暗くなった空を見上げていると、「ー!」と元気いっぱいに名前を呼ばれた。今の声は。陸上部に所属している友達だ。そう思って外部扉から顔を出そうとしたら、それより先に友達がひょこっと現れた。

「お疲れ! バレー部まだ練習?!」
「いや、もう練習は終わったけど自主練中。今はみんな休憩してるよ」
「頑張るね〜! あたし、今年も応援行くからね! 頑張ってね!」
「ありがとう! って言っても、わたしはマネージャーだし、試合に出るわけじゃないですが」
「何言ってんの、マネージャーだって立派な部員じゃん! きびきび頑張れ!」

 この子のこういうところにいつも救われる。そうしみじみ思いながら「頑張ります」と照れつつ返しておいた。
 ところで、何か用だった? いつもならスマホに連絡を入れておいてくれるのに、わざわざ直接話しかけに来てくれたということは、結構大事な用なのではないだろうか。そう不思議に思って聞くと「実は折り入ってお願いが」と目をキラキラさせた。

「これ!」
「……カップル限定スイーツビュッフェ?」
「そう! これに行きたくて!」
「カップル限定だから女二人組はだめなんじゃないの?」
「そ、それがですね〜……」

 友達が恥ずかしそうに、好きな人を思いきって誘ってみた、と教えてくれた。好きな人を誘った! 一大事だ! そうわたしがきゃーきゃー言っているとばしんっと背中を叩かれる「恥ずかしいからやめてよ〜!」と笑う顔が、恋する女の子の顔だった。かわいい。うまくいくと良いな。そう思いつつ、首を傾げる。

「えっと、わたしは何をすればいいの?」
「二人きりだと緊張するからついてきて!」
「え、ええ、でもカップルじゃないと行けないんでしょ?」
彼氏いるじゃん! 伊達工の!」

 一瞬部員たちの視線がこっちを向いたのが分かる。あ、はい、彼氏。存在について言及をしたことはなかったな、そういえば。苦笑いをこぼしてしまう。うーん、困った。友達の役には立ちたい、けど、こればっかりは。

「あ、あの、非常に、申し上げにくいんだけど……」
「え? 何?」
「別れちゃったんだよね。一週間前に」

 ピシッと友達が固まった。ついでに体育館の空気も。こうなるから言いたくなかったんだけど、ここでちゃんと断らないと大変なことになるから仕方がない。苦笑いが止まらないまま「ごめん、協力できなくて」と頭をかいた。

「え、え? なんで……? だって、仲良かったじゃん……放課後とかよくデートしてたし……」
「う、うーん、あの、まあ……お互い部活に集中したいねって、話になって」
「それは、あの……付き合いながらじゃ、だめだったの?」
「うん。気が散るんだって。わたしが彼女だと」

 友達の表情がピシッとまた固まる。でも、言われたことをそのまま言ったし、仕方がない。まあ、もう少し、言葉を選んでほしかったと、わたしも思うけれど。そういうの、できないもんね。知っているから何も言わずに大人しく別れてしまったなあ。

「仕方ないよ。先輩たちとの最後のインハイだから絶対勝ちたいって言ってたし。インハイが終わったら先輩たち引退しちゃうんだって。春高までは残らないって決めてるらしくて」
「えっ、春高って。の彼氏……失礼。元カレ、バレー部なんだっけ?」
「…………口が滑りました」
「めちゃくちゃ滑ったね?! ライバル校ってことじゃん!」
「まあ、そうなるね。ジャージのまま会ったときとか嫌そうな顔されたよ」

 懐かしい。「なんでお前青城なんだよ」って難癖つけられたっけ。公式戦で青城と当たるといつも負けているからって、青城のジャージを見るだけで嫌そうな顔をするんだよなあ。顔に出やすい人だな、ってわたしはおかしかったけど。向こうからすれば相当嫌だったのかもしれない。
 一人で思い出し笑いをしていると、友達がどこか不満げにわたしを見ている。あ、ごめんね。別れちゃってるからご一緒できません。そう謝ると「それはいいけどさ〜」と拗ねたように口を開く。

、ムカつかないの? 部活に一生懸命なのは分かるけど、それで振られちゃうって……」
「うん。別にムカつかないよ」
「えー! 本当?」
「だって、バレーしてるところ見て好きになったから。バレーに負けるなら本望だよ」

 友達がぎょっとした顔をする。え、何、その顔。変なことを言いましたでしょうか。そうおどけてみると「やっぱ、ちょっと変わってるわ」と笑われた。
 他の同行者を死ぬ気で探す、と言い残して友達が去って行く。その背中に手を振っていると「ひどい彼氏じゃん」と及川さんが言葉を投げかけてきた。

「へ?」
「俺だったら部活も頑張るし彼女のことも大事にするけどなー」
「で、向こうから振られんだろ」
「部活とアタシ、どっちのほうが大事なのよ! ってなるんだろ?」
「それで部活を取る及川徹」
「様式美だな」
「ちょっと! やめてくれる人の傷を抉るの!」

 ぷんすか怒る及川さんが、腕組みをしたまま「ちゃんはもっと我が儘を言うべきだと思います!」とわたしを見る。我が儘、ですか。呆気に取られていると花巻さんが「分かる。物分かりが良すぎて心配になる」と深刻そうに頷いた。

「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど……」
「ガツンと言ってやりなよ! 男なんて女の子にぼこぼこにされてなんぼだからね!」
「さすが振られ男、言葉の重みが違うな」
「だからやめてってば!」
「でも、わたしがバレーに勝てるわけないですし、どこかで変わらずバレーをしているならそれでいいです」

 わたしが見えるところでも、見ていないところでも、たとえどうあがいても見ることができないところでも、どこでも。本心だ。だって、あのまっすぐで堅実なバレーが好きだから。コートの中にいるときは大真面目で、誰よりも真摯に向き合う姿が好きだから。まあ、ちょっと性格が悪い発言をすることはあるけど、勝つことだけを考えている顔が好きだから、なんだっていいんだ。わたしの立ち位置なんか。

「わたしに時間を割くくらいならバレーに時間を使ってほしいですし、部員の人との時間を大事にしてほしいですよ」

 ぽかん、と部員たちが固まってしまった。本心から思っていることを言っただけ、なんですが。どうやらおかしな発言をしてしまったらしい。ちょっと恥ずかしいかも。そう照れていると、同輩の矢巾が「愛が重たい……」と引きつった顔で呟いた。

「あっ、それより! 花巻さん!」
「え? 何?」
「甘い物、好きでしたよね?」
「好きだけど?」
「折り入ってお願いが」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「はじめまして。条善寺高校三年の藤原です」
「ど、どうも、青城三年の花巻で〜す……」
「青城二年のです。藤原さん、よろしくお願いします」
「花巻先輩、あたしは田中です! よろしくどうぞ!」
「こちらこそよろしくどうぞ〜、ハハハ……」

 花巻さん、完全に顔が引きつっている。うーん、無茶なお願いをしてしまっただろうか。でも昨日はノリノリで引き受けてくれたし、スイーツビュッフェの会場を聞いたらテンション高かったんだけどなあ。やっぱり実際初対面の人に会うと困惑するものかなあ。
 彼氏とは別れてしまったので付き添いはできないと断ったけど、どうしても気になってしまって花巻さんに替え玉をお願いしてしまった。一日だけ恋人のふりをしてください、と先日体育館でお願いしたのだ。それを聞いた先輩たちが「マッキーじゃだめだって!」と大合唱で抗議してきたけど、スイーツビュッフェに耐えられる甘党じゃないとしんどいと思う、と言えば「適任がいねえ」と頭を抱えていた。そのためこうして花巻さんに来てもらっている、という状況だ。
 友達は好きな人である藤原さんと楽しそうにしているし、これなら大丈夫そうかも。そう微笑ましく思っていると、花巻さんがこそっと声を掛けてくる。「結構いい感じじゃん。ゴールイン寸前のやつ?」と二人を見て言う。そうかもしれません。そう返しておくと「じゃ、結構気楽でも大丈夫だな」とほっと一息ついていた。ああ、恋の手助けをしなくちゃいけない、と意気込んでくれていたのだろうか。それなら花巻さんにお願いしてよかったな。そう笑ってしまった。

「てか、あの、あれ聞いてないんですけど」
「あれ? ああ、入店するときのやつですか?」
「俺はいいんだけど、的にいいわけ?」
「別に気にしませんよ、手を繋ぐくらい。それにお願いしたのはわたしですから」

 このスイーツビュッフェ、さすがカップル限定というだけあって、入店の際には手を繋いで入るというのがルールになっていた。さっきから友達と藤原さんもそわそわしているのがよく分かる。かわいいなあ。そうしみじみ思いつつ、ずらりと並んでいる入店の列の真ん中くらいにいる。
 周りで本物のカップルが楽しそうにしている。いいなあ。わたしも一度だけ二人でケーキバイキングに行ったこと、あったっけ。楽しかったなあ。向こうは甘い物があんまり好きじゃなかったくせに、自分がついていくって聞かなくて。結局胃もたれして後悔してたっけ。くすっと思わず笑ってしまった。
 花巻さんがじっとわたしを見ていた。はっとして「何か?」と声を掛ける。花巻さんは「いや?」と意味深に笑って、また列の先頭のほうへ視線を戻した。なんだったんだろう。思い出し笑いしてたから気味悪がられたかな。そうちょっと不安に思っていると「素直になればいいのに」と笑われてしまった。
 それは、どういう。花巻さんの顔を見上げて聞こうとしたときだった。がしっと腕を掴まれて、びっくりして思わず振り返ってしまう。それから、目が点になる。伊達工業の制服。見慣れたスポーツバッグ。「おい」と低い声で言ったのは、別れたばかりの二口堅治だったのだ。

「びっ……くりした……久しぶりだね。部活終わり?」
「うるせーよ講習終わりだわどうでもいいけど。つーか、これ誰? 何してんの?」
「花巻さん。バレー部の先輩。スイーツビュッフェの列に並んでるの」
「どうも花巻で〜す。すげー見たことある顔でびっくりしたんだけど。鉄壁二年じゃん」
「そうです。伊達の鉄壁の一枚です」
「お前が誇らしげにすんな。つーか、は? 何? カップル限定って書いてあるけど?」

 堅治は息を切らしたまま次々と質問を投げかけてくる。走って来たのかもしれない。どうしてかはよく分からないけれど。簡潔に質問に答えていくと、友達が不安そうな顔でこっちを見ていることに気付いた。ついでに藤原さんも。まずい。空気が最悪すぎる。藤原さんや他のお客からすれば、わたしが二股をしている修羅場みたいなふうに見えているのでは? あわあわしていると、わたしの代わりに花巻さんが「あー、実は今日はー」とわざとらしく少し大きめの声で言う。

の彼氏がどうしても来られないって言うもんだから、俺がピンチヒッターで来ましたーってやつ」
「彼氏? 誰? どこのどいつ?」
「え、えーっと……」
「鉄壁くんが振ってなかったら鉄壁くんのことだね。ご愁傷様」

 花巻さんがけらけら笑ってそう言う。堅治はそれにぴくりとかすかに反応してから「ふうん」と言って、足下に視線を落とした。ふうん、とは、一体。
 堅治がわたしの腕から手を離した。「彼氏じゃねーならいいわ」と言って、ふいっと顔を背けてしまう。彼氏じゃないならいいって、どういうこと? よく分からないよ。苦笑いをこぼしてしまった。

「え、元カレさん、のことまだ好きなんじゃん! なんで別れたの? 部活があるって言っても」
「え〜……田中さんぶっ込むね〜……タカヒロびっくり……」
「誰このやかましい女」
「なんだとこの工業高校〜!」
「け、喧嘩はやめて、他の人の迷惑になるから……」

 藤原さんが楽しそうに笑っている。「何この状況、ウケる」とお腹を抱えていた。よかった。この混沌とした状況で引いていないかだけが心配だったから。楽しめるタイプの人なら助かる。そうほっと胸をなで下ろした。
 ひとまず、それぞれの紹介をしてから藤原さんに謝罪だけしておく。楽しんでくれているとはいえ、一応カオスに巻き込んでしまった状態だ。頭を下げたら藤原さんは、なんのこっちゃ、みたいな顔で「楽しけりゃ何でもオッケー」と言ってくれた。良い人だ。よかった。
 堅治は終始不服そうにしていた。どうしてそんな顔をしているのかわたしには分からなかったけど、別に悪いことをしているわけじゃないし、気にしないことにした。
 わたしたちが来ているところは堅治の家がある駅の近くで、堅治がここにいることは別に変ではない。学校帰りに通ってもおかしくない道だ。だからといって堅治に鉢合わせるなんて思ってもいなかったのだけれど。まさかこんなことになるなんて。一人でそう苦笑いをしつつ、ちらりと堅治のことを見る。花巻さんと話している堅治の視線がわたしと同じようにこちらを見て、目が合う。すぐに逸らされてしまったけど、その一瞬の瞳に映った光がやっぱり好きだった。
 それにしてもどうして立ち去らないんだろうか。甘いものが好きというわけでもなく、ここに知り合いが他にいるわけでもないのに。講習終わり、と言っていたから部活は何かしらの事情で休みかつ体育館が使えないのだろう。それならさっさと家に帰って休む、というタイプだったと思うけどなあ。

「つーかハナマキさん、彼女の代わりにするならこいつじゃなくても他にいるんじゃないんすか〜。一応、強豪バレー部のレギュラーなんですし? そこそこ女子寄ってくるんじゃないんすか〜?」
「一応を付けるな、一応を。あと残念ながらクソムカつくけど女子は全部及川に持ってかれてるわ」
「だからってこいつじゃなくていいでしょ。女子なんてそこら中にいるし」
「鉄壁くんよお、そのこいつ≠チつーのやめれば? かな〜り感じ悪いから良くないと思うな〜」

 ぴく、と堅治の眉毛が動いたのが見えた。苦笑いで「わたしは気にしないですよ」と言うのだけれど、友達と藤原さんも「良くないと思う」と笑って混ざっていくものだから困ってしまう。本当に気にしてないんだけどな。堅治の口が悪いのは前々からだ。花巻さんも試合で当たったときに目の当たりにしているから知っているだろうに。
 睨み付けるような鋭い視線がわたしを見た。思わずびくっと肩が震える。堅治は背が高いしきれいな顔をしているから、そういう目をすると怖いよって何度も教えているのに。本人はそういうのを全く気にしていないらしい。むしろ「ビビらせられんならいいだろ」と得意げだった。

「……
「え、あ、はい」
「今度の春高予選、青城ぼこぼこしてやるから。泣いて拝んどけ」

 くるりと背中を向けて、家の方向へ歩き出してしまった。花巻さんが「あ、俺の替え玉は許された感じ?」と笑う。堅治はそれに答えることなく、どんどん小さくなっていった。

「おーおー、怖いねえ」
「なんかすみません」

 苦笑いをこぼしてしまう。堅治、なんのつもりだったんだろう。そもそもわたしの姿を見かけて話しかけてくるなんて。いまいち考えていることが分からなくてちょっと困惑してしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ」
「げ」

 春高予選準々決勝後、束の間の休憩時間。お手洗いを出てまたすぐ近くにいるチームに戻ろうと廊下を歩いていたときのことだった。前から歩いて来た見覚えのある緑色のユニフォームに反応してしまったと同時に、あちらもわたしのジャージに反応したらしい。思わずお互いが足を止めてしまった。
 堅治は微妙な顔をしてから「ちょっと先行ってて」と他の人に言った。もう解散しているらしい。制服を着ている先輩らしき人もいるというのに立ち止まらなくても。主将なのだし、解散しているからといっても単独行動になるのは良くないんじゃないかな。そう思って「あ、わたしもう行くので」と曖昧に笑って通り過ぎようとした。

「おい待て馬鹿、止まれ」
「う」
「おいおい二口、お前女の子に馬鹿はないだろ、馬鹿は」
「はいはいスミマセン。とりあえず先行ってください。すぐ行くんで」

 シッシッと先輩らしき人を追い払うような仕草をする。止まれ、と言われた以上止まらないという選択肢はない。曖昧な表情のまま立ち止まっていると、少し先にいる青城の輪にいた及川さんと目が合った。もうそろそろ移動するはずだからわたしも戻りたいんだけど、なあ。及川さんはじっとわたしのことを見てから、にこっと笑ってピースサインを向けてきた。ごゆっくりどうぞ、的なあれだろう。別にごゆっくりしたいわけではないのですが。ちょっと困ってしまった。
 わたしの前に立ちはだかって仁王立ちしている堅治は、どことなく気まずそうな顔をしている。その理由は薄ら分かっている。先ほどの試合、青城が勝ったからだろう。この前にスイーツビュッフェの会場で会ったときの会話を思い出してわたしも少し気まずい。わたしにとってはもちろん青城が一番応援しているチームなのだけれど、その次は堅治のチームなのだから。どちらが負けても同じように悔しい。何とも言えない感情なのはわたしも同じことだ。

「お前、マジでムカつく」
「えっ」
「青城にいんのがそもそもムカつく。勝った瞬間喜んでてムカつく。青城のコートばっか見ててクソムカつく」
「いや、あの、わたし青城のマネージャーだから……」
「別れたいって言われて素直に聞き分けよく頷くのが、マジでクソムカつく」

 口をあんぐり開けてしまう。なんか、すごく、めちゃくちゃに、理不尽なのでは。堅治ってこんなに我が儘だったっけ。いや我が儘ではあるのだけど。こんなに理不尽に我が儘を言うほど子どもではなかったはずだ。

「俺の中の一番がバレーだって迷いなく思ってんのが、一番ムカつく」

 固まっているわたしに一歩近付いてきた堅治が背中を丸めて顔を覗き込んでくる。ぼそりと「勝手に決めんな」と悔しそうに呟いた。
 むしろ、そうじゃなきゃ、なんだというのか。付き合っている期間ずっと、堅治は部活のことばかりだった。久しぶりに会えた休日も話はバレーのことばかり。会う約束をしていたのに土壇場でキャンセルになるときは絶対にバレーが理由。中学生のころからずっと変わらない。だから、堅治の中の一番は、バレーボールに違いない。
 わたしはそれを嫌だと思ったことはただの一度もない。バレーをしている堅治を好きになったからだ。決してバレーボールありき≠ナ好きになったわけではないけど、堅治がバレーをしているところは本当にかっこいいし素直に応援したいと思う姿だった。だから、自分という存在がそれを上回りたいなんて馬鹿なことは考えたことがない。

「え、じゃあ、何が堅治にとっての一番なの?」
「今はバレーに決まってんだろ」
「……えーっと、つまり、あの、わたしは何にムカつかれているのでしょうか……?」

 舌打ちをされてしまった。堅治はわたしのことを睨み付けてまだ不満げな顔をしている。だって、わたしが堅治の中でバレーが一番だと認識していて、堅治もそれを否定していないというのに。わたしに対して何が不満なのかこれっぽっちも分からない。お互い認識が一致しているのだから話も早いし何も面倒なところはない。意見が食い違うこともないし、変な勘違いをすることもない。良い状態だとわたしは思う、けどなあ。
 よく分からなくて不思議そうな顔をしてしまっていたのだろう。わたしの顔を見た堅治がぴくりと目尻をひくつかせたのが見えた。怒っているというよりは腹を立てている。そんな感じだ。何がそんなにお気に召さなかったのだろう。弱ったな、なんて思っていると、堅治がわたしの右腕を乱暴に掴んでぐいっと引き寄せてきた。

「お前のこと好きだって言っただろ。忘れんなよ、ムカつく」

 耳元でぽつりとそう囁いてから、堅治がわたしのことをぱっと離した。とん、と軽く肩を押されて、先ほどまで保っていた距離感に戻る。拗ねている。それがよく分かる顔をしていた。

「ちょっとは自惚れろよ。クソムカつく。本当腹立つ。マジで一発ぶん殴りたい」
「な、殴るのは世間体的にちょっとおすすめできないかな」
「うるせーよ。じゃあな。来年こそマジでぼこぼこにしてやるから覚えとけよ」

 拗ねた顔のまま感じがそっぽを向いた。そろそろわたしも移動しなきゃいけない時間だ。堅治も他の人たちに追いつかなきゃいけない。時間切れ、というやつだった。
 今までのわたしなら、ここですんなり堅治と別れたと思う。お互い時間がないし仕方ないね、また今度ゆっくり話そうね。そんなふうに。でも、今日はなぜだか、堅治のジャージを掴んでしまった。無意識に手が出た自分に驚いていると、堅治もびっくりした顔でわたしを振り返っていた。
 慌てて手を離そうとしたら、その手を堅治が掴んだ。じっとわたしを見つめて「なんだよ」とぶすくれて言う。ここで誤魔化したり逃げたりしたら、たぶんお気に召さないんだろうなあ。そう分かってしまって、なんだかおかしかった。

「一番はバレーでいいよって言ったら、その……わたしのこと、その次にしてくれるの?」
「……つーか一番狙いに来いよ」
「それはちょっと」
「かわいくね〜」

 するりとわたしの手を堅治の指が撫でた。優しいその手付きにちょっと照れてしまう。ゆっくりわたしも堅治の手を指先で撫でてみると、柔らかな体温をしっかり感じられた。堅治の顔を恐る恐る見上げる。その表情は、もう、拗ねてはいなかった。

「俺以外誰にも、手、繋がせんなよ」
「……別れてるのに?」
「うるせーよ。黙ってハイって言え」
「黙ったら返事できないけどね」
「マジでかわいくね〜」

 けらけら笑って堅治が手を離した。「もう行くわ。待たせると先輩がうるせーから」と言って、わたしに背中を向ける。結局わたしの質問にはほとんど答えてくれなかったね。そうわたしも笑ってしまう。それに気付いたらしい堅治が振り返ると「なに笑ってんだよ」と呆れたように言った。

「堅治以外と手を繋いじゃだめなら、一生誰とも付き合えないでしょ。責任取ってくれるの?」
「はいはい。黙ってちょっと待ってろ」
「ちょっとってどれくらい?」
「ちょっとはちょっとだろ」
「ちょっとじゃなかったらわたし、もう待たないからね」

 堅治がほんの少しだけわたしを睨んだ。不満げな顔だ。でも、わたしの人生はわたしのものだし、誰と手を繋ぐかもわたしが決めることだ。堅治に決められる謂れはないです。そんなふうにわたしは笑っておく。素直にハイと頷くだけのわたしはもういない。だって、堅治が一番を狙っていいと言ったのだから。本気では狙わないけれど、ちょっとだけ頑張らせてもらいます。そう思い直したのだ。

「待ってなくても、お前トロいしすぐ捕まえられるわ。好きにしろよ」

 得意げに笑って堅治がまた背中を向けた。ひらひらと手を振る大きな背中。どうせ、結局待ってしまうのだろうな。そんなふうにちょっと困ってしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「さっきの青城のマネ、二口の知り合いなのか?」
「元カノらしいですよ」
「えっ?! マジで?! つーか二口彼女いたのかよ!」
「よりによって青城のマネか……なんか複雑だな……」
「なんで別れたんだ? すれ違い系?」
「そこまでは知らないですけど……女川知ってる?」
「いや〜。そこまではさすがに」
「とりあえず未練たらたらなのは知ってますけどね。自分から振ったくせに」
「マジ? 面白すぎるだろ」
「彼氏に振られたらどれくらい引きずるかとか、別の人を好きになるまでどれくらいかかるかとか聞かれましたね。私に聞いてもどうにもなんないでしょってぶん殴っときました」
「さすが滑津」
「未練ありまくりかよ、ウケる」
「な〜〜〜〜に勝手に喋ってんだ滑津コラ」
「あ、いたんだ〜? しょげてる背中が小さくて気付かなかったわ〜」
「しょげてねーわ!」
「で、青城の元カノと進展あったのかよ」
「ウゼ〜……マジでウゼ〜……」
「おいコラ俺先輩だぞ」
「はいはいすみませ〜ん。あと元カノって言うのやめてもらえます? なんかムカつくんで」
「うわっめちゃくちゃ引きずってやがるコイツ」
「別れたんだから元カノでしょ。何言ってんの?」
「なんでこの部活全員俺にキツいわけ?」
「お前が生意気だからだろ」
「あんたが生意気だからでしょ」
「容赦ねえなマジで……」


うわさのケンジくん