ちゃんさ、彼氏できたでしょ?」

 ぶっ、と飲んでいたスポドリを吐いてしまった。それを天童が「やだお転婆〜」とけらけら笑いつつもタオルを手渡してくれる。いや、有難いんだけどさ、それさっき思いっきり髪とか顔とか拭きまくってたよね。お礼を言いつつもノーセンキューしておいた。

「え、なんで?」
「ん〜、ナントナク?」
「動物じゃないんだからさ……何かしら理由はあるでしょ?」
「だって本当になんとなくなんだもん。でも当たりでしょ?」

 怖すぎるでしょ。本物の野生の勘で言い当てられてたまるか。そう内心げんなりしてしまう。まあ、少しだけ当たっているのだ。残念なことに。
 彼氏ができた、というのは間違いだ。その言い方では最近になってできた、というニュアンスに捉える人が多いだろう。正しくは、彼氏がいる、だ。付き合って一年半が経っている。できたも何も結構前からいますよ、というのがこちらの回答になる。言わないけれど。
 いや、待てよ。これはかなりチャンスかもしれない。一年半付き合っている彼氏のことで少し悩んでいることがあるのだ。誰に相談していいものか悩んでいたし、正直男の人に話を聞きたかった事案だ。天童が良いアドバイザーになるかは置いておくけど、バレー部の中では一番話しやすい相手だ。感覚がトリッキーかもしれないけど男という性別に変わりはない。この際だから天童に相談してみるか。そうひらめいて「彼氏はいる」と声に出した。

「やっぱり〜! どんな人?」
「一つ下」
「後輩彼氏! やるじゃん、ちゃん」
「天童さ、それを言い当てたついでにアドバイスしてくれない?」
「エ? いいけど? 何のアドバイス?」

 予想外の展開だったのだろう。天童が首を傾げてわたしを見ている。天童は結構鋭いことを言うし、おちゃらけながらもちゃんと先が見えていることも多い。案外適任の相談相手かもしれない。そんなふうに思いつつ、悩んでいることを話した。
 彼氏は基本的に忙しい人で、わたしも部活が忙しいからなかなか会えない。デートに行った回数はそう多くはない。一週間に一度なんて夢のまた夢。一ヶ月に一度デートができれば運が良いほうだ。つまり、一年半付き合っているとは言っても密度が低い。まだ付き合いたてのカップルかよ、みたいな関係なのだ。
 彼氏が後輩ということもあって、あまり素直になれないままでいる。本当はデート中に手を繋ぎたくても、自分から繋ぎたいと言えない。もっとくっつきたくても、抱きしめてほしくても、キスしてほしくても、自分からは言えないのだ。なんだか恥ずかしくて。わたしのほうが先輩なのに、なんて気持ちがずっと自分自身を茶化してきて仕方がない。
 どうしたら素直にそういうことを言えるようになると思う? そう聞いたわたしに、天童が口をあんぐり開ける。何よ、その顔は。ちょっと照れながら天童の脇腹を肘でつつく。天童は脇腹を軽くさすりつつ「いや」と口を開いた。

ちゃん、めちゃくちゃ乙女でかわいいな〜ってびっくりしちゃってネ?」
「やだも〜褒めても何も出ないからね〜? 百円くらいなら出すけど〜」
「ウンウン、その感じが通常営業」

 けらけら笑いつつも天童が、顎を指でこすりながら「え〜もうそれは素直に言っちゃうしかなくない?」と言った。それができたら恥を忍んで相談してません。そうため息を吐く。そう。天童の言う通りなのだ。察してちゃんをしている暇があったら口に出せ。正しくそれでしかない。わたしの悩みは無駄なものなのだ。

「ちなみに俺は好きな子からそういうふうに言われたら嬉しくて踊っちゃう」
「踊っちゃわないで。えー、嬉しいかなあ」
「嬉しいでしょ。しかも年上彼女からだよ? 頼られたり甘えられたりしたらキュンとしちゃう」
「え〜〜? 本当に〜〜??」
「本当本当」

 天童がけらけら笑ってから「ちなみに誰かは教えてくんない感じ?」とこっそり聞いてきた。それはもちろんNGで。そうバツを手で作って拒否。天童は「まあそれはそうだよネ」とそれ以上聞いてはこなかった。
 でも、誰かは言わなくていいからどんな人かだけ教えて、と食い下がられる。どんな人、か。大まかな性格などが分かったほうがアドバイスがしやすいからともっともらしいことを言われてしまった。確かに、それはそうなんだよね。考えながら「う〜ん、とりあえず、他人にも自分にも厳しい真面目タイプかなあ」と言葉を捻り出しておく。

「真面目クンなんだ?」
「いや、でも完全な真面目じゃない。ちょっとヤンキー入ってる。柄が悪いっていうか、口が悪い?」
「なんか聞いてるとどこを好きになったのかよく分かんなくなっちゃうけど」
「えー、そうだなあ。努力家なところとか、わたしにはちょっとだけ甘いところとか?」
「惚気られたんですけど〜」

 きゃっきゃっと二人で笑っていると、背後から「天童さん」と誰かが声を掛けてきた。あ、この声。わたしが振り返るより先に天童が「どったの、賢二郎」と顔だけ振り返りつつ首を傾げた。

「差し入れのアイス、もらいました? 二本余ってるんですけど」
「なにそれ! 俺とちゃんの分じゃん!」
「ああ、ならここから取ってください。バニラしかないですけど」
「ゲゲ〜、チョコないの?」
「一番になくなりました」

 白布賢二郎。一つ下の後輩だ。手にはアイスの箱。わたしと天童がここで密会をしている間に差し入れされたものらしい。全然気が付かなかった。変な冷や汗をかきつつ、アイスを一本手に取った。
 天童が袋を開けながら「あ」とひらめいたような顔をした。「ねえねえ、賢二郎。ちょっと聞いていい?」とにこにこ笑う。さすがに何かを感じたらしい白布が嫌そうな顔をした。「答えるかは聞いてから考えます」と眉間にしわを寄せる。かわいくないやつ。本当は先輩に構ってもらえてちょっとは嬉しいくせに。

「賢二郎は好きな子から手を繋ぎたいとか抱きしめてとか言われたら嬉しい?」
「は?」
「ちょ、天童、待って待って、誰に聞いてんの?!」
「え〜? だってちゃんの彼氏、賢二郎と性格そっくりじゃん。厳しくて真面目だけど柄と口が悪い、だったよね?」
「遠回しに俺のことディスってます?」
「やだな〜褒めてる褒めてる」

 この野郎天童! 握りしめた拳がぷるぷる震えて仕方がない。いや、でもここで変に反応したらそれこそ、あれだし。そうぐっと堪える。最悪の展開だ。こうなるなら天童に言わなきゃよかった。そうふつふつと怒りを静める努力をしていると、白布と目が合った。白布はじっとわたしのことを見てから、ふいっと目を逸らす。また天童のほうに視線を戻すと「部活中に変なこと聞かないでください」とため息交じりに言った。
 一つ下の後輩、で、一年半前から付き合っている彼氏。それこそがこの人。人にも自分にも厳しくて真面目な努力家だけど、柄と口がめっぽう悪いかわいくない人。わたしの目にはそんなふうに映っている。つまり、わたしは天童に名前を伏せた状態で白布とのことを相談していたのだ。そんなことなど露知らず、天童は白布に声を掛けてわたしの悩みを暴露した、というわけ。最悪のシナリオだった。

さん彼氏いるんですか。初耳です」
「でしょ? 俺が言い当てました〜!」
「で、その柄と口が悪い彼氏の何がいいんですか」
「賢二郎結構怒ってるね? 真面目が抜けちゃったよ?」

 この野郎。また握りしめた拳がぷるぷる震える。分かっててやってるじゃん、その切り返し方。ムカつく。自分が優位だからって全部わたしになすりつけようとして!
 天童が勝手に「努力家で彼女にだけちょっと甘いところがいいんだって」とまた暴露する。白布が半笑いで「へえ」と言うもんだからムカついて仕方ない。今度会ったとき覚えてろよ。そう睨み付けておくけど効果はなし。目力において白布に勝てる人は、この部活では牛島しかいない。無念だった。

「で、その彼氏に甘えたいんだって。先輩なのにそんなの言えな〜いってなっちゃうんだって」
「天童、後で体育館裏ね」
「受けて立つよ」
「先輩とか後輩とか関係ないんじゃないんですか。付き合っているのなら好き同士なんでしょうし」

 白布がアイスの空箱を丁寧に潰す。ぺしゃんこになったそれをさらに二つに折り曲げると、一先ず左手に握っておくことにしたらしい。ついでに、と言わんばかりに「ごみ、捨ててきます」と右手を伸ばした。アイスの袋まで回収してくれるみたいだ。やっぱり、ちょっとだけ甘い。天童はそのおこぼれをもらっているだけだ。感謝しろ、わたしに。
 天童が口をあんぐり開けて「賢二郎がめちゃくちゃちゃんとしたアドバイスしてる〜……」と呟く。白布は普段からあまり恋バナには乗り気じゃないと聞いたことがある。好きなタイプとか、女の子の体でどこか好きかとか、そういう話になるといつの間にか輪から離れているのだとか。同輩とはそういう話もするみたいだけど、三年生とは絶対にそういう話をしない、と山形が言っていたっけ。

「普通にこうしてほしいって言ったらいいんじゃないですか。何も言われないほうがよっぽど自信なくすと思いますよ。その相手の男」

 もう休憩終わりますよ、と言って白布が背中を向けた。天童が「賢二郎も大人になったねえ」と親戚のおじさんみたいなことを言いつつ小さく拍手をしていた。
 普通に言ったらいいんじゃないですか。よっぽど自信なくすと思いますよ、相手の男。白布の言葉を断片的に復唱して、ちょっと俯いてしまう。白布も、わたしみたいに悩んでいたのだろうか。わたしが何も言わないから、頼りにされていないのではないか、みたいなふうに。

「ま、賢二郎もああ言ってることだし、次に会ったときは素直に言ってみれば?」
「えー、だって恥ずかしいし……言えるかなあ」
「大丈夫大丈夫。だって本人が言ってほしいって言ってんだからいいじゃん?」
「…………ん?」
「え?」
「は? え? 今なんて?」
ちゃんの彼氏、賢二郎でしょ? 今のやり取りでバレバレだよ〜」

 天童、許すまじ! たぶん冤罪だけど!





▽ ▲ ▽ ▲ ▽





 休日ということもあり、ショッピングモールはかなりの人がいる。ざわついている中で入り口で何度も前髪を直している。そんな、なんだか居心地の悪い思いをしながらの待ち合わせ。
 天童暴露事件のあとのはじめてのデートだ。いつもならなかなか都合が合わなくて、かなり間が空きがちになりがちなのに。こんなときに限ってなぜだか直近の日曜日に練習試合もなく、学校都合で体育館が使えず部活も休みになった。日頃から勉強時間が取れていないだろうし誘ってこないかもと思っていたわたしの一縷の望みは絶たれ、金曜日の夜に「日曜日空いてますか」と当たり前のように連絡があった。まさか予定を入れているわけがない。まあ、そもそも、なんだかんだ思いつつ、会いたかったし。悔しい思いをしながら「空いてる。映画観たい」と返信した。
 素直に言えたら悩んでないし相談もしてないっての。天童のやつ、適当言ってくれちゃって。白布も白布だ。わたしの性格を一番よく知っているはずなのに。そうぶーすか脳内で文句を垂れてしまう。わたしだってかわいく素直に言える女だったらよかったのに、と何度も思った。でも、そうなりたいと願ったからって簡単には変われない。かわいくないやつは一生かわいくないままのことが多いに決まっている。自分で言って悲しくなってくるけれど。

さん」
「うっわ、びっくりした!」
「いや、何度も声掛けましたけど」

 いつの間にか白布が目の前に立っていた。小さめのショルダーバッグからスマホを出すと「時間まだ余裕ありますけど、とりあえずチケット買います?」と聞いてきた。普通にしやがって。ムカつく。
 何も言わずにとりあえずショッピングモール内にある映画館へ向かうことにした。観る映画はもう決まっている。わたしが観たいと事前に言った映画だ。話題のものでテレビコマーシャルが連日流れていて、人気の女優さんが出ているやつ。女優さんが番宣のために出演していたバラエティ番組を観て気になっていたのだ。

「白布は観たいものなかったの? わたしが決めちゃって大丈夫?」
「いいですよ。元々映画とかあまり知らないので、決めてもらったほうが助かります」
「……そもそも映画で大丈夫だった?」
「普通に映画は好きですよ。自分から映画館にあまり行かないだけで」

 白布が不思議そうな顔をする。「なんでそんな不安そうなんですか」と呆れた様子でツッコまれてしまう。いや、だって、久しぶりに出かけるんだからやりたいこととかなかったかな、と急に考えてしまったのだ。半ば強引に映画にしてしまったし、好きじゃなかったらどうしようと今日になって後悔していた。
 言葉に詰まっているわたしを白布がじっと見つめてくる。居心地が悪い。白布と二人きりになるとどうもうまく気持ちを言語化できなくなってしまう。思考もうまくできないし空回ってしまうことが多々ある。本当に困った存在なのだ。この白布賢二郎という人は。

「いつも思いますけど、さんって自分に自信がなさすぎですよ」
「へ?」
「もっと自惚れていいんじゃないですか」

 スマホをバッグにしまいつつ、白布が一つ咳払いをした。何か言いづらいことを口に出そうとしているらしい雰囲気だ。少し緊張しつつ白布のことをまぬけな顔で見つめてしまう。
 自惚れていいとは。うぬぼれる、とは自分のことを良いと自分で判断して得意げになること、という意味だったはず。もっと自分の意見に自信を持て、と言いたいのだろうか。
 白布はいつもはっきり物を言うし、基本的に間違ったことは言わない。いつだって正論を言う。わたしも白布のように物言いができるようになりたいと思うことは多々ある。でもなあ。そうなりたいと思ってすぐになれるものではない。そう苦笑いをこぼしてしまった。

「俺はさんから映画が観たいと言われたらついて行きますし、興味がない作品でもさんとなら観ます」
「え、あ、ありがとう……?」
「手を繋ぎたいとか甘えたいとかそういうことを言われたら」
「そ、それ、あの、忘れてほしいんだけど!」
「嬉しいとも思いますしかわいいとも思います」

 少しだけ照れているのが分かった。右手で軽く前髪を触ってから白布が一瞬だけわたしから目を逸らした。けれど、その視線はすぐに戻ってきてくれる。

「何を言われても基本的にかわいいとか好きだとか、そういうことしか思わないので。さんはもっと自惚れていいです」

 以上です、と呟いてから白布がチケット販売機のほうへ顔を向ける。上部に表示されている上映スケジュールを観て「あれでしたっけ?」っとタイトルを言って聞いてくる。それです。間違っていないです。そう返しつつ白布から目を逸らす。
 何。急に。めちゃくちゃ、恥ずかしいんだけど。そういうの言うタイプじゃないくせに。なんで急にそんなこと言うの。
 とりあえず、知らんふりしておこう。恥ずかしがっていないです。これっぽっちも。そういう表情をどうにか作って「待ち時間どうする?」と無理やり会話を続けた。白布のほうへ顔を向き直すと、白布と目が合った。いつの間にかわたしのことを見ていたらしい。思わずどきっと心臓がうるさく音を立てた。
 チケットを買う人、ポップコーンを買う人、何を見ようか相談している人。そんな人々が背後にいてざわついている中だというのに、妙に静かに思えてしまう。自分の心臓の音がうるさいからだと気付いたのは、白布の頬がほんのり赤いことに気付いたあとだった。

「俺に何か言うことはないですか」

 少しだけ早口だった。きゅっと閉じた白布の唇を見つめてから、余計に心臓が高鳴る。何か、言うこと。瞬きを繰り返してからそっと目を逸らす。「え、何?」と誤魔化してみると白布がため息をついたのが聞こえた。呆れている、というよりは、熱を吐き出すようなため息だった。

「言い直します。俺に何か、してほしいことはないですか」

 ぴくりと指先が動いてしまった。白布にしてほしいことは、山ほどある。当たり前だ。だって、彼氏なんだから。好きな人にしてほしいことなんてたくさんあるに決まっている。
 どきどきしている心臓が熱くてたまらない。ゆっくり白布のほうへ顔を向けると、また目が合った。じっとわたしを見ている白布の視線は、学校で見ることはない熱っぽいもので、余計に心臓が高鳴る。

「……手を、繋いで、ほしいです」

 白布が少しだけ目を細めた。それから瞬きをしてから満足そうに笑う。左手でわたしの右手を掴むと、指を絡めてきゅっと握ってくれた。なんかむかつく。思わずそう呟いたわたしに白布が「なんでですか」と笑った。その顔がやけに嬉しそうに見えてちょっと悔しい。でも、恥ずかしいという気持ちはどこにもなくて、今日はあといくつお願いをしようかと企む自分がいた。

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