※主人公の友達が喋ります。




「てか、よく赤葦と続いてるよね〜」

 不意に聞こえてきた声に足が止まった。声が聞こえてきた方向に目を向けるが、誰もいない。あるのは開いている窓だけ。ここは一階。恐らく外に座り込んでいる女子の声だろうと予想が付いた。その声が誰かも分かる。隣のクラスの吹奏楽部の女子だ。その子が今名前を呼んだがいつも一緒に行動しているから覚えている。
 という子は、包み隠さずに言えば俺の彼女のことだ。二ヶ月前からそういうことになったばかり。簡単にどんな子なのかを説明しようと思うと、一言で済む。俺のことがあんまり好きじゃない子=B彼女なのにそんなわけがない、と言ってくれる人も多いだろうけど、そうとしか言い表せない。
 はどうして俺と付き合っているのだろうか。よくそう思う。それくらいに俺との恋人関係は、不思議なものなのだ。

「あんためちゃくちゃ赤葦に冷たいじゃん。話しかけられたとき、睨んで何?≠チて返してて笑っちゃった」

 の友達がそうけらけら笑う。笑い事じゃない。正直それが一番心に来る。話しかけて睨むって、付き合ってるやつにやる行動じゃないだろ、と。
 は基本的に笑わないし素っ気ない態度しか取らない。これは付き合う前から変わらない。それでも俺はたまに友達や先生に見せる控えめな笑顔とか、何をやるにも丁寧で真摯なところとか、そういうところに惹かれてしまって。どうにか好かれようと話しかけたりいろいろお節介を焼いたりしたけどどれも効果なし。俺には笑ってくれないし、冷たいままだ。もうこれはだめだな。そう分かっていたけど、とりあえず好意だけ伝えておきたい。そう思ってもう返事はもらわないつもりで告白した。
 そういう流れだったから、まさか、オッケーしてもらえるなんて一切思っていなくて。未だにあれは夢だったのではないか、と思うほどの衝撃だった。ただ、まあ、付き合えた今もこのザマなわけで。笑ってくれない、話しかけてくれない、二人でいても目が合わない。このナイナイ三拍子状態だ。
 ただただ謎しか残らない。どうして俺からの告白に良い返事をくれたのか。部活で忙しくて休日に会うこともあまりできない分、学校内で話しかけることを心がけているけど、そのすべてに一応応じてくれる。お昼ご飯に誘えば断らないし、休み時間に話しかけに行っても嫌がられない。そんな感じで基本的に拒絶はされないのだが、ナイナイ三拍子は変わらずだ。

「なんで赤葦と付き合ってるの? 好きだからオッケーしたんでしょ?」

 よくぞ聞いてくれた、吹奏楽部の子。内心でガッツポーズをしながらそうっと窓に近付く。声が聞こえるのはこの窓の外から。ここからの話は聞き逃すわけにはいかない。直接聞いても俺には教えてくれないだろう。盗み聞きは良くないのは百も承知だが、こうする以外に謎を解ける気がしない。本人の口以外から聞くものなど事実ではない。こうして本人が語ってくれるのが正確な答え合わせだ。どんな事実でも受け入れる準備はできている。
 ちなみに今日に至るまでいろんなシュミレーションをしてきた。たとえば、俺がのことが好きだと気付いた女子から「告られたらオッケーして様子見てよ」と半笑いで言われている可能性。たとえば、好きな人を友達に取られてしまって自暴自棄になっている可能性。たとえば、何かしらのカモフラージュで男の存在が必要だった可能性。と、いう具合にいろんなパターンを一通り想像したつもりだ。何を言われてもへこむことはない、と、思う。

「……誰にも言わない?」
「言わないよ! 赤葦にも内緒ね。了解しました!」

 どこか緊張しているように聞こえるの声色に罪悪感を覚えてしまった。盗み聞きしてすみません。でも、これ以上は見て見ぬ振りができない。俺はのことが好きで告白しているわけだから、もし複雑な事情があってこんなことになっているのなら、が気の毒だ。協力はしたいと思うけど、もっと別の解決策があるんじゃないかと思うから。

「あのね」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 小学生のときの話。わたしは初恋の男の子に「俺も好きだよ」と言ってもらえて、とても嬉しかったことをよく覚えている。相手の子は同じ学習塾に通っている子で小学校は別々。隣の学区だったから家はまあまあ近かったけど、まだ子どもだったわたしとその子にとっては遠い距離だ。会うのは学習塾に行く日だけ。それをいつも楽しみにしていた。
 お互いの気持ちを確認してから、たぶん十回も会っていないくらいの早い段階で、男の子の態度が少し冷たくなった。どうしたの、とわたしが聞いても「何でもない」と言うだけ。いつも親の迎えが来るまで楽しくお話しするのに全然話してくれない。何でもないわけがない。しつこくわけを聞いたら、その子が言ったのだ。「好きって言ってから、ちゃんがちゃんじゃないみたいになっちゃった」と。
 わたしはどちらかというと大人しい性格で、小学校でも所謂地味グループの一員だ。いじめられたり仲間外れにされたりしているわけではない。楽しそうにしている輪に自分からは入れないけど、見ているのは好き。そういうグループにいた。好きになった子ともはじめは他の子と同じように大人しめに会話をしていた。でも、お互い好きなんだって分かったら、嬉しくて。つい空回ってしまったのだろう。きっと口数が増えて、リアクションが大きくなって、やけに明るくなったに違いない。それが相手には違和感だったのかもしれないと今では思う。
 はじめて会ったときは、背が高い人だな、と思っただけだった。きっと運動部に入るんだろうな、程度。たったそれだけの印象しかなくて、別に興味もなかった。不思議と関わる機会が多くなって、おっとりしていそうに見えるのに運動部のレギュラーになれるほどのスポーツマンだとか、大人しそうに見えるのに意外と面白い人で人気者だとか、いろんな意外な一面を知った。見た目通りしっかりしているところとか、のんびりマイペースなところとかも合わせて知っていくうち、見ていて飽きない人だと思うようになった。その印象がじわじわと、好きだな、という直接的な気持ちに変わっていったタイミングで、「好きだから付き合ってほしい」と言われた。
 嬉しかったに決まっている。だって、わたしもそう思い始めたところだったから。だから、返事をしようとした瞬間にハッとした。わたしはお調子者だから、きっと普通に付き合ったらまた前みたいにフラれてしまう。付き合うにしても、好きという気持ちが全面的に出てしまわないように気を付けないと。そう思って、告白への返事は、可愛げのない「別にいいけど」だけになってしまった。
 わたしは赤葦くんに冷たく当たるのに赤葦くんはちっともそうならない。今まで通り接してくれる。その姿を見て自分の判断は正しかったのだと思った。きっとわたしが分かりやすく好きだというオーラを出したり、変に彼女面をしたりしたら、とっくにフラれている。赤葦くんが思い描いているであろうわたしのままでいなくちゃいけない。どんなに好きでも好きと言わない。どんなに触れたくても触れない。そうしていれば、赤葦くんの思い描くわたしのままでいられる。
 日に日に好き≠ェ募った。いくら募っても、いくら思っても、誰の元にも届かないけれど。話しかけてくれるたび、優しくしてくれるたび、わたしのことを見てくれるたび。赤葦くん、好きだよ。本当はたくさん言いたい。本当は手を繋ぎたい。本当は、たくさん、お願いしたいことがある。そう心の中で呟くだけで、それがあふれ出してしまわないように気を付けた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 持っていたノートを落としてしまった。「何?!」という吹奏楽部の子の声と同時に、誰かが立ち上がった音。そのすぐ後に「ヤバ」という焦り声。それからもう一人が立ち上がる音が聞こえて、すぐに一人が走って行く足音が聞こえた。
 窓の外から手が伸びてきた。俺の腕を乱暴に掴むと、吹奏楽部の子が「赤葦ダッシュ!」と指を差した。の背中だ。そんなもの、ダッシュする以外の選択肢がない。「ノート拾っておいて」とだけ頼んで、窓を越えて上履きのまま走った。背後で吹奏楽部の子が「はっや、運動部こわっ」と笑った。速くはない。俺より走るのが速い部員はざらにいる。でも、今は誰よりも速い自信がある。
 すれ違ったバレー部の先輩が「え、どうした?!」と話しかけてきた。「今はパスで」とだけ言って駆け抜けると「知らんけど頑張れ〜」と笑ってくれる。そんな軽いもんじゃないです。内心でそう返しつつ、前方にいる背中目掛けてとにかく走った。この先には女子更衣室がある。大体いつも鍵が開いているからそこに逃げ込まれたらアウトだ。女子トイレも同じく。でも、きっと追いつける。もうじわじわと距離が詰まってきている。いや、というか、、足速いな?!
 どうにかこうにか距離を詰めて、逃げ込まれたらアウトの地点まで残り五十メートルほど。絶対逃すか。歯を食いしばって一歩を大きく取った。無理やり足を動かした。こっちは毎日鬼のような練習をこなして体力を付けて走り込みをしているバレー部だぞ、逃げられると思うなよ。多少の怒りを込めて振った腕が、のカーディガンを少し掠めた。服は掴めない。伸びたら大変だから。掴むなら手。絶対に手。踏ん張って、踏ん張って、伸ばした右手がようやく、その左手を捕まえた。
 ぐんっと引っ張ったら完全にバランスを崩してしまった。が「わっ」と高い声を上げて倒れそうになる。それをどうにか後ろから抱き留めると、ようやくお互い息をつけた。二人で荒い呼吸を落ち着かせつつ、しばらく動けない。腕を掴んだのもはじめて。助けるためとはいえ抱きしめたのもはじめて。こんな状況でもそんなことだけは冷静に考えていた。
 手を離したら逃げられそうだ。掴んだまま体だけ離して、とりあえずを引っ張るように歩いた。人気のないところ。この辺りは体育館と部室棟と物置くらいしかない。部室はすでに人がいるだろうし、物置は運動部がいつ道具を取りに来るか分からない。仕方なくバレー部がいつも使っている体育館の周りをぐるっと回って、体育館裏に行くことにした。
 歩いている間、はずっと無言だった。掴んでいる腕がとても熱いことと、まだ少し息が上がっていること以外は分からない。俺の数歩後ろを歩いているからどんな顔をしているかも分からなくて、ちょっと、もったいないなと思ってしまった。
 体育館裏はもちろん誰もいない。木々を挟んだ先にある道路を走る車の音くらいしか聞こえてこない。稀に誰かが来ることがあるから避けたかったけど、もう誰も来ないことを祈る他方法がなかった。腕を掴んだままのほうに体を向ける。俯いたの顔はよく見えないけれど、耳が赤くなっているのがよく分かった。走ったせいなのか、それとも。どちらかは分からない。分からないけど、俺にとってはどちらでもよかった。


「……何。笑いたければ、笑えば」
「笑っていいの?」

 ぴくりとの手が動いた。は少し黙ってから「別に」とだけ返してくる。いつもより声が小さくて、なんだかしょぼくれている。叱られた子どもみたいでかわいくて仕方がなかった。

「嬉しくてつい笑っちゃいそうで」

 笑い声がもれた。それにがようやく顔を上げた。びっくりした顔。はじめて見たかも。告白をしたときも少し驚いていたけど、すぐにいつも通りの顔に戻ってしまったから。真ん丸な瞳と小さく開いている口。ずっと見ていられる、なんて言ったらどんな顔をするんだろうか。
 好きな子が好きって言ってくれるなんて、喜ばないやつはこの世にいないのに。たくさん話してくれるのも、たくさんリアクションをしてくれることも全部、嬉しいに決まっている。そう言ったらはなんだか気まずそうに目を逸らした。でも、と今にも口から言葉が溢れそうだ。キャラじゃないとか何とか考えているのだろう。俺は結構単純なやつだから、普段そういう感じじゃないが俺の前だけでそういう感じになってくれるのは大歓迎なんだけど。


「な、なに」
「好きです、付き合ってください」

 また目が丸くなった。はそのまましばらく俺を見つめていたけれど、体育館の中から人の声が聞こえてきてビクッと肩を震わせる。そう。もう少しで部活がはじまってしまう。俺も行かなくちゃいけないので、お返事をいただけると幸いです。そう言う俺の顔から一瞬目を逸らして、またすぐに視線が戻ってくる。は赤い顔のままじっと俺のことを見つめたまま一つ呼吸をした。それから、俺が掴んだままの腕を、器用にするりと抜いてしまう。拒否されたか、とへこんでいると、行き場を失った俺の手をの小さな手が、きゅっと控えめに握ってくれた。

「わ、わたしも、好きです。お願いします」

 赤い顔のままがじっと俺を見つめてから、へにゃりと力が抜けたように笑った。その顔のまま「言っちゃった」と恥ずかしそうに呟くものだから、ちょっと、この先自分が暴走してしまわないかが不安になる。それくらいにかわいくて、かわいくて、たまらなかった。

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