※主人公の弟がいます。喋ります。




 年が少し離れている弟は、近頃バレーボールにどハマりしている。中学校からバレー部に入って毎日練習漬けの日々を送っているし、お小遣いをコツコツ貯めてプロの試合も観に行っているほどだ。立派なバレーオタクだね、と両親も笑っている。けれど、必死になれるほど好きなものができたというのはとても良いこと。就職して東京に来ているわたしもそれなりに協力しつつ弟を見守っている。
 ただ、両親はスポーツに全く興味がない。弟がお小遣いが足りなくてどうしても、と頼んでも「テレビで観ればいい」と言ってしまう。一緒に行くこともほとんどなくて、弟は基本的に一人か部活仲間と試合を観に行っているらしかった。
 そんな弟から電話。仲は悪くないし定期的に連絡を取っているけど、電話というのは珍しい。不思議に思いつつ出てみると開口一番「姉ちゃん、一生のお願い!」と言われた。びっくりしながら話を聞くと、頭の上にハテナが浮かぶ。

「何? しゅばでん? いじぇぴん?」
『違うってば! シュヴァイデンアドラーズとイージェーピーライジン!』

 横文字で覚えられません。英語に変換さえできません。そう苦笑いで言いつつ「それが何?」と聞いてみると、両方ともバレーの有名チームなんだとか。その試合が東京であるそうで、どうしてもその試合を観たいと両親に言ったそうだ。けれど、近場ならまだしも東京に一人で行くなんて絶対だめ、と言われてしまったのだという。
 まあ、両親の気持ちはよく分かる。これまでも隣の県でさえ一人で行くと聞けば心配していたし、弟は素直な子なので人をあまり疑わない。そういうところが良いところでもあるけれど両親が心配する一番の要因なのだ。親にとってはいつまで経ってもかわいい子どもに見えるだろうし、一人で東京に行きたいなんて言われたら絶対却下するに決まっている。
 そんな状況になってしまったものだから、わたしに頼ってきたというわけだ。新幹線は一人で乗ることになるけれど東京でわたしと合流するとなれば許してくれるだろうから、お母さんに連絡をしてほしい、ということだった。

『あとごめん! チケット取って!』
「ええ……それもわたしが?」
『本当にごめん! チケット発売日が練習試合で絶対無理なんだって!』

 まあ、両親にとってかわいい息子であると同時に、わたしにとってもかわいい弟だ。こんなふうにお願いされることは滅多にないし、と思ってとりあえず引き受けた。取れなくても怒らないでよ、と念押しして。
 弟に教えてもらったチケットサイトを見てみる。バレーボールにあまり詳しくないのでどちらのチームも知らない。あと、弟には憧れている選手とかいるのだろうか。少し気になったのでラインで「好きな選手とかいるの?」と聞いてみた。弟からすぐに返信があって、メッセージを開いて、思わず目が丸くなった。「影山飛雄選手!」とスタンプと一緒に送られてきたその名前には、とんでもなく見覚えがある。
 影山飛雄。中学時代の同級生に全くの同姓同名の、バレー部に入っていた子がいた。まさかね。そう思いつつ適当に返信をしてからネットで〝影山飛雄〟という名前を検索してみる。すぐに画像とネットの記事、所属チームのホームページが出てきた。画像に写っているその人は、わたしが思い浮かべた中学の同級生だった影山飛雄、その人で間違いなかった。
 影山とわたしはただの同級生だ。特別仲が良かった、と、いうわけではなかった、とわたしは思う。挨拶はするし雑談もするけど、別に二人で遊んだりそういう感じになったりはない。本当にただの同級生。
 ただ、同級生たちからはそういうふうに見えていなかったらしい。女の子から事あるごとに「影山と付き合ってるの?」と聞かれていたっけ。今でもそんなふうに見られていたことが意外で驚く。ただ、普通の友達として話しているだけなのに。そんなふうに困惑もした覚えがある。
 別々の高校に通いはじめて、全く関わりがなくなった。連絡先を知らないから当たり前だ。中学を卒業してからうちは少し離れたところに引っ越したし、偶然会うこともなかった。少し後悔していた時期もあったけど、高校で新しい友達ができるたびにその後悔は薄れていき、もう今日まで名前を思い出すこともないほどになっていた。
 そっか、影山、バレーボール選手になったんだ。中学のときも夢中で練習をしていたし、部活で何かあったらしいあとは追い詰めたような顔をしていた。どんどん話しかけにくい雰囲気になっていったことには気付いていたけれど、単純に影山と話すことが好きだったから気にせず話しかけていたっけ。影山も割と普通に話してくれた。今思えばバレーの話をしなかったから影山も普通に話してくれたのかもしれない。悩みがあるなら聞くくらいはできるけどな、と悩んでいたけれど聞かなくて正解だったのだろう。ちょっと、歯痒かったけれど。
 あんなに夢中になるほど大好きなバレーボールを、大好きなままでいられたんだ。それがちょっとだけ嬉しかった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「姉ちゃん本当にありがとう! 俺マジで泣きそう」
「そんなに? まあそれならよかった。泣かずにちゃんと観ていきなよ」

 会場の入り口で弟がスマホで写真を撮りつつもう一度お礼を言ってくる。それから「チケット代返すから」と律儀に言うものだから笑ってしまった。新幹線代でお小遣いかなり使っちゃったくせに。そう思って「これは姉からのサプライズプレゼントとして受け取りな」と言ったら、本当に涙目になるものだから頭を撫でくり回してやった。その代わりにルールとか教えてよ、とお願いをしておく。
 それにしてもすごい人。野球とかサッカーはよくテレビ中継されていて、ファンの姿を見るから人気なのは知っている。でも、バレーってテレビ中継されているところをわたしはあまり観た覚えがないし周りにいるファンは弟だけ。こんなに人気だと夢にも思わなくてびっくりしてしまう。チケットもなんとか取れたけどすぐに売り切れていたし、弟が必死に頼んできた理由をそこで思い知ったものだった。
 会場内に入っていきつつ、弟がそれぞれのチームのこととバレーの基礎ルールを教えてくれた。なんでも影山がいるチームにはオリンピック代表入りがほぼ確定と言われているエースがいる上、影山もオリンピック代表入りが確実視されている選手なのだとか。オリンピック。そう言われて目が点になってしまう。まさか、中学の同級生から日本代表選手が出るなんて。
 弟には影山と同級生だったことは言っていない。教えたところでわたしは連絡先も知らないし、中学の三年間だけしか関わっていない。サインをもらうとか会わせるとか、そういうことは一切してあげられないからだ。無駄に期待させるのは申し訳ないしね。
 バレーボールのコートって、あんなに広かったっけ。まだ誰もいないコートを見下ろして思わずそう思った。体育の授業でしかバレーをしたことがないわたしにとってはあまりにも未知の世界だ。そんな試合になるのか少し楽しみになってきた。

「あ、姉ちゃん。これ貸してあげる!」
「何? シャツとタオル?」
「影山選手のユニフォームTシャツとマフラータオル!」
「……影山選手のことめちゃくちゃ好きだね?」
「めっちゃ好き! かっけーもん! 俺もあんなセッターになりたい!」

 きらきら光る瞳の先はバレーコート。あ、この瞳、どこかで。唐突に感じた懐かしい気持ちにぽかんとしてしまう。そうしてすぐに思い出した。ああ、中学時代の影山と、同じ瞳の光り方だ。思わず笑った。
 わたしは影山のことを異性として好きだったわけじゃない、と思う。ただ、自分の好きなものに夢中になっている姿がとても好きで、わたしもそう思えるものを見つけたいと思っていた。ただそれだけ。
 夢、なんて言葉にわたしがしていいものか分からない。それでも、中学生のときの影山が夢に見たであろう舞台が、ここにはあるんだなあ。通過点なのかもしれない。そうだとしても、わたしが勝手に感慨深い気持ちになってしまう。
 会場に音楽が流れはじめる。会場中のバレーファンが興奮気味に手を叩いたり声をあげたりしはじめる。この会場にたくさんの人の〝好き〟が満ちていく。きっと影山のそれも、わたしは目にするのだろう。それが楽しみでならない。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「マジでやばかった、マジでやばい、やばすぎる」
「語彙力死んじゃってるよ」

 試合直後、終わったばかりのコートを見つめて弟がわたしの肩を揺さぶって、語彙力ゼロのまま感想を喚き続けている。楽しそうでなにより。そう思いつつわたしは、いまだに夢見心地のようにぼんやりしていた。
 目の前で相手チームの人と話をしたり、スタッフらしき人に写真を撮られている影山がいる。目の前と言っても応援席とコートではかなり離れているのだけれど。会場全体を見渡せば前のほうというだけだ。もちろん中学時代のように話しかけられる距離ではない。
 写真を見たときも思ったけど、影山だと分かるのに別人のように見えてしまう。背が伸びているしもちろん大人っぽい顔つきになっている。どこか頼りなさげに見えていた中学生の影山はどこにもいない。それに、何より。中学三年生のころにあまり笑わなくなった影山は、きれいにいなくなっていた。笑っている。チームメイトと穏やかな顔で話している。
 影山の力になりたい、なんて烏滸がましいことを少しだけ思っていた節がある。部活のことで悩んでいるならそれ以外の話で気を紛らわせてあげたいと思った。バレーのことで難しい顔をするならそれ以外に楽しいと思えるものを見つけてあげたいとも思った。でも、あれはやっぱり烏滸がましいお節介だったのだ。そう確信した。ちょっと恥ずかしい。でも、よかったね。素直にそう思える。影山が楽しそうだからだ。
 このあとはMVP選手のインタビューをしてから選手は退場するのだという。MVPは影山のチームの人だった。コートの中央でその人のインタビューが行われている間、影山はコートの端っこでストレッチをしつつ他の選手と話していた。その姿を思わずじっと見てしまう。しばらくしてインタビューが終わると、選手がそれぞれコートを去っていく。
 弟が、聞いたことがないくらいの大きな声で「影山選手今日もかっこよかった!」と叫んだ。びっくりして弟を見て目を点になる。他の人たちもそれぞれの選手に声援を送っている。すごいなあ、なんてぼんやり思いつつまた視線を影山のほうへ戻して、体が固まった。目が、合っている、気がする。影山は首にかけたタオルで顔を拭こうとしている中途半端な姿勢で固まってこっちを見ていた。
 いやいや。それこそ烏滸がましい。アイドルのコンサートで推しと目が合った、とキャアキャア言うようなものだ。中学を卒業して一度も会っていないのだから余計に。わたしのことを覚えているわけもないし、わたしに気付くわけもないし、わたしを見るわけもない。気のせいに決まっている。そう、思うのに。やっぱり目が合っているようにしか思えなくて、体が動かなくなった。
 影山は、不思議そうに声をかけてきた選手に引きずられてコートから出ていった。それを見つめてから、ようやくしっかり呼吸ができた感覚。びっくりした。そう思わず胸に手を当てていると、弟が「姉ちゃん、やばい、影山選手こっち見てたよな?! どうしよう?!」と興奮気味にわたしにしっかり抱きついてきた。
 弟もわたしもそれぞれ別の意味でどきどきしつつ、観覧席を立つ。弟が影山に声援を送ったときに掲げたプレゼントと手紙をプレゼントボックスに入れに行く、というので出口と違うほうに向かうらしい。プレゼントボックスって。なんか本当にアイドルみたい。そう笑っていると弟が「影山選手、イケメンだから女子人気めっちゃ高いよ」と自慢げに言う。顔だけじゃないけど、と付け足した弟に「なんであんたが自慢げなの」とツッコミを入れておいた。
 弟が言った通り、プレゼントボックスの近くに行くと女の子で溢れていて困惑してしまう。こんなに人気なんだ。もちろん影山以外の選手のファンもたくさんいる。でも、影山の名前が書かれたプレゼントボックスにはたくさんものが入っていて。なんだか圧倒されてしまう。
 弟がプレゼントボックスに入れに行く間、わたしは近付かずに離れた壁際で待機することにした。なんだか今日一日でいろんなことがあったような感覚。懐かしい思い出に浸ったり、感慨深い気持ちになったり。感情が落ち着く暇がなかった。
 ルールをあまり理解していないままだったから、試合で何が起こっているのかさっぱり分からなかった。それでも、何かすごいことが起こっている、というのはよく分かった。この試合に歓声を上げる人たちの瞳はもっと高い解像度で見えているのだろう。人々が熱中するような出来事が目の前で繰り広げられている。それは分かる。でも、それよりもっと、夢中でバレーボールを追う影山がわたしには強烈に印象に残った。それを思い出して一つ息をつく。
 しばらく時間が経ったというのに、弟がなかなか帰ってこない。もう一旦別行動を取りはじめてから十分は経過している。プレゼントボックスの近くは混雑はしているけど、入れるまでにはそこまで時間はかからないはず。何かあったのかな。少し心配になって人だかりに目を向けてみるけど、弟の姿がない。嘘。どこか行っちゃったとか? でも、弟は黙って一人でどこかに行く子じゃない。まさか、誰かに?
 慌ててスマホを手に取った瞬間、ひょっこり弟の姿が奥から出てきた。なんだ、よかった。ほっとしていると、こちらに向かってくる弟が変な顔をしていることに気が付く。なんだか放心状態というか、ぽけっとしているというか。首を傾げつつ「入れられた?」と声をかける。そんなわたしの腕を、弟ががしっと掴んだ。そうして周りに聞こえないくらいの小さな声で「姉ちゃん」と言う。

「何? どうしたの?」
「か、影山選手が……」
「え?」
「姉ちゃんと話したいから反対側の通路に来てって……」
「……え?!」

 慌てて人混みを離れる。弟は放心状態のままつい先ほど起こったことを説明してくれた。なんでも、プレゼントボックスにものを入れようとしたら、その手を近くにいた人に掴まれたのだという。びっくりして顔を上げると「ちょっといいか」と男の人に言われた。深く帽子を被ったその人こそ、影山だったのだという。人気の少ない端っこで一緒に来ていたわたしのことを聞かれ、姉だと答えたら先ほどの指示を言われたとのことだった。放心したまま「はい」と答えた弟が持ったままのプレゼントと手紙は、影山が直接受け取ってくれたと半泣きの顔で教えてくれた。

「なに、なんなの? 影山選手と知り合い? マジで何? 俺死ぬの?」
「いや、死なないよ。知り合い……まあ、うん、実は中学の同級生なの」

 大きな声を上げそうになった弟の口を手で塞いでおく。危ない。苦笑いをするわたしに弟が口をぱくぱくさせていた。何を言いたいのかは分かります。とりあえず先に謝っておいた。
 困惑気味の弟と二人で、出入り口を超えて奥へ歩いていく。もうぽつぽつとしか人が歩いていない。歩いている人も混雑を避けて観覧席を立った人だけだろう。誰しも出入り口へ向かっていく。試合中の熱狂が嘘のように静かな通路。それが余計に心臓をどきどきさせてくる。
 関係者以外立ち入り禁止、という目隠しのガードがされているところで立ち止まる。弟が「た、たぶんここだと思う」と緊張気味に言う。それにしてもよくわたしだと分かったなあ。やっぱりあのとき目が合っていたのかな。わたしも緊張してしまいながらいろんなことを考えていると、ガードの隙間から何かが動いたのが少しだけ見えた。そうして、ガードを少しだけずらす手が向こうから出てきた直後に「悪い、急に」という低い声が聞こえる。それから、広げた隙間から顔を出したのは影山だった。

「久しぶり」
「お、お久しぶり、です」
「こっち入れるか?」

 困惑したままガードの隙間から中に入れてもらう。他の人に気付かれて混乱を避けるためだろう。そうだとしてもちょっと、どきっとしてしまう自分がいた。
 わたしの後ろに完全に隠れている弟に「ありがとう」と影山が声をかけた。弟は若干悲鳴を上げてから「とんでもない!」と言う。まさに推しを前にしたファンだなあ。わたしが笑いつつ「大ファンなんだって」と教えると後ろから弟に足を蹴られてしまった。

「あの、それで、何か御用でしょうか……」
「中学卒業以来会ってなかったから。元気だったかと思って」

 まぬけな顔をしている自覚がある。わたしのこと、覚えてたんだ。思わずそう呟くわたしに影山が首を傾げた。「そりゃ覚えてるだろ」と不思議そうに。

「こっちに住んでるのか?」
「う、うん。職場が東京だから。弟は地元から今日の試合のために来てるの」

 影山がまた弟を見た。わたしに隠れつつ影山をじっと見ていた弟がびくっと震えた。影山が「バレーしてるのか?」と聞いたのにもびくっと震えるものだからわたしが笑う。そんなにびっくりしなくても。笑いつつ促せば弟がおっかなびっくり中学でバレー部に入っていること、高校はすでに烏野に決めていることを話す。烏野高校は影山の母校なのだという。弟はそれだけで高校を決めたものだから両親は少し呆れていたっけ。それを聞いた影山はちょっとだけ驚いてから「そうか」と柔らかい声で言った。


「あ、はい」
「連絡先って聞いてもいいか?」
「えっ、あ、うん」
「会ったら聞こうと思ってた」

 スマホを出した影山につられるようにわたしもスマホを出す。よく分からないまま連絡先を交換して、流れでなぜか弟とも連絡先を交換した影山は満足そうにしていた。どうしてなのかは分からないけれど。
 このあとチームでミーティングがあるようで、もう行かなくてはいけないという。影山は「じゃあ。また連絡する」と言って、わたしたちガードの外に出してから去っていった。それをぼんやり見送ってから、弟と二人、静かな通路を歩いた。
 しばらくして弟が正気に戻ったらしい。他の人に内容が分からないように直接的なことは言わなかったけど「何が起こった?」とか「夢?」とか、とにかく興奮気味に言葉を出し続けている。まあ、憧れている選手と話しただけでなく連絡先まで交換してしまったのだ。こうなっても仕方がない。
 それから、思い出したようにわたしの顔を見ると「もしかして付き合うとかそういうやつ?!」と、なんとも中学生らしいことを口にした。付き合うわけない。約十年ぶりに会った中学の同級生だよ、と口では言いつつ。少しだけ、心臓がうるさいままの自分がいる。
 まるで、昨日のことみたいな口ぶりだった。もう約十年も会っていなかったのに「会ったら聞こうと思ってた」なんて。もう二度と会うことがない可能性のほうが高かったのに。もうわたしは影山のことをほとんど思い出すこともなかったのに。罪悪感に似た気持ちと一緒に、胸の奥がじんわり熱を持つ感覚が湧いてくる。
 それからハッとした。わたし、影山のユニフォームTシャツを着てマフラータオルを持ったままじゃん。影山に見られたと思うと恥ずかしくて思わず顔が熱くなった。
 まあ、いいか。影山がバレー選手になっていて嬉しかったし、わたしのことを覚えていてくれたことも嬉しかった。これを機にわたしも影山をバレー選手として応援するつもりだ。恥ずかしい気持ちはあるけど。そう思うことにした。





▽ ▲ ▽ ▲ ▽






――中学三年生

 俯いた先に見えた落ち葉を、ぼけっと見つめてしまう。ぐっと握った拳。少しだけ噛んだ唇。どれもこれも、煩わしく感じてしまって苛立ちがつのる。なんでだよ。そんな思いばかりが自分の中に溢れて息苦しい。
 風が吹いて落ち葉がさらわれていく。何もなくなった足元を見つめたまま小さく呼吸をしたときだった。バシンっと背中を叩かれた。驚いて顔を上げると、がいつもと同じように笑って「影山じゃん。何してるの?」と言った。ここ最近クラスメイトも部活の連中も、俺にあまり話しかけてこなくなった。もちろん話しかけてくるやつもいるけど、その中でもは、唯一特に変わらず話しかけてくる女子だ。

「いや、別に」
「え~? そんな意味深に足元見つめて別に何もないってわけないでしょ」

 何か落ちていたのか、と俺の足元を見下ろす。何もない地面を見て「何もないじゃん」と笑った。俯いてるばっかだと背が伸びないよ、なんて冗談を言うとまた俺の背中をバシンと叩く。いてーよ。少し避けると追いかけるようにまた背中を軽く叩かれる。ちょっと逃げては叩かれ、また逃げては叩かれ。それを続けているうち、なんだかおかしくなって「やめろって」と言いつつ少しだけ笑ってしまった。
 は変なやつだった。俺がどんなに苛立っていても普通に話しかけてくるし、苛立っていることには触れてこない。部活の話は振ってこない。たぶん、詳しい事情を知らないやつでも俺が部活のことで苛立っていることは分かっていただろう。は特に。それでもただの一度も部活はもちろんバレーの話はしてこなかった。
 バレーのこと以外あまり興味はない。だから、の話にそこまで興味があるわけじゃなかった。よく分からないテレビの話や同級生の話。大体が話しているのを俺は聞いているだけ。そんな状態だった。
 の話の内容には興味はなかった。深く知ろうとも思わなかったし、聞いたことは大抵覚えていない。それでも、の話を聞くのは嫌じゃなかった。なんとなくの話を聞いているときは苛立ちを忘れられる気がして。
 のことは、実はあまりよく知らない。どのクラスのやつと仲が良いとかどの辺りに住んでいるのかとか、そういうことは多少知ってるけど。たとえば志望校がどこなのかとか、何になりたいのかとか、何が好きなのかとか。自身のことはあまり知らない。ただ、それをどういうタイミングでどう聞けばいいのか、そもそも俺が聞いていいものなのかがよく分からなくて聞かないままだった。どうして俺がそれを知ろうと思ったのかもよく分からない。
 分からないまま季節は巡り、結局卒業式でも俺は聞かないままだった。最後に会話を交わしたも俺自身のことは何も聞いてこなかった。それなのに、まるで明日も会うみたいに「じゃあまたね!」と手を振って背中を向けた。その姿を見送って、やっぱり聞けばよかったと後悔した。
 でも、そのうちいつか会うだろう。が「またね」と手を振ったのだから。明日でなくてもいつか、そのうち。そんなふうに思ったら後悔はすぐに消えた。また会ったときに聞けばいい。そのころにはきっと、のことを知りたくなった理由も分かっているだろう。そんなふうに思って俺もに背を向けた。





▽ ▲ ▽ ▲ ▽






――現在、シュヴァイデンアドラーズ側ロッカールームにて

「あ、影山! どこ行ってたんだ!」

 若干怒ったような顔をした星海さんに「知り合いがいたんで」と言っておく。ロッカールームに戻ってすぐ着替えてまた出て行ったから、どこかをほっつき歩いていると思われたのだろう。一応一方的にではあるけどスタッフには人と会うことを言っておいたが。時間ギリギリになったのだから仕方がない。とりあえず「すみません」と謝っておく。
 それを聞いていた牛島さんに「友達か?」と珍しく声をかけられた。他のチームメイトにも「影山があんな慌てて出てくなんてな」と言われる。そのうちの誰かが「あれだろ、女の子だろ」と言った。

「そうですけど」
「マジか! 彼女?」
「いや、中学のときの同級生っす」
「本当にただの同級生なのか~?」

 からかうように言われて、中学のときも似たようなことを言われたことを思い出す。なんでと話しているだけでそんなふうに言われるのかいまいち分からなかったけど、一般的にはそう思われるようなことなのだろう。そう解釈してさして気にしたことはない。
 ただの同級生。その言葉に少しだけ言葉が詰まる。はただの同級生、でいいのだろうか。こんなふうに関わりをまだ持っている中学の同級生は少ない。女子となれば余計にだ。以外にいないと言ってもいいほどだ。連絡先を聞こうと思ったのもだけ。どうしてなのかは、まだよく分かっていない。

「ただの同級生ではないですけど、友達っす」

 俺のその言葉に「へ~」と笑ったその人に、若干居心地の悪さを覚えた。なんか、むず痒い。なぜかは分からないけれど。その話はそこで終わり、そのうちはじまるミーティングまでそれぞれ時間を潰すことになる。
 スマホの連絡先に追加されたの弟の名前をぼんやり見る。中学のときに聞けばよかったと思っていたそれを知ることができた。東京に住んでいることも知った。弟が俺のファンだということも。それを嬉しいと思う自分がいる理由は、まだ分からない。


10月10日 影山飛雄

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