夏休み中に誕生日だと、基本的に人に忘れられがち。覚えてくれているのは本当に仲良しの友達くらいだし、その子たちも忘れていることが結構ある。ちょっと寂しいけど、所詮誕生日なんてそんなものだ。別に特別な日じゃない。わたしにとっては区切りのいい日というだけで、この世のほとんどの人からすれば変わらない日常の一日。ま、そんなものだ。わたしもそうだしね。大体の友達の誕生日は覚えているけど、休みの日だったり連休中だと忘れてしまうこともある。
 と、思っていたわたしのスマホに通知が一つ。それに気恥ずかしさを覚えながらスマホを手に取る。こういうの、まめじゃなさそうなのに。意外とまめなんだ。誕生日なんて忘れている、というか教えた記憶もない。いや、まあ、誕生日関連の連絡かは分からないけれども。
 相手は白布賢二郎。一応、わたしの彼氏に最近なったやつだ。中学が一緒で第一印象がお互い最悪だった。でも、なんとなく話が合って。じわじわと最悪だった第一印象が変わっていき、まあ、うん。そういうことです。
 高校が別になったというのに、白布が連日連絡をしてくるようになったときは本当にわけが分からなかった。その流れで告白されて付き合うことになったのだけど、白布がいつからそういうふうに考えていたのかは分からない。なんで突然、と思いつつも、まんざらでもなかったのは事実だ。ちょっと考える素振りをしてからオッケーを出したとき、白布は珍しく素直に喜んでいるように見えたっけ。
 運動部に所属している白布は基本的にこの季節は忙しいと聞いている。そもそも白布が通う白鳥沢は偏差値が高くて成績を維持するのも大変だ。遊んでいる暇なんてないだろう。そんなことはわたしでも分かる。だから、誕生日だから会いたいとかそういうことは言わないし、恥ずかしいから思っていても言えない。このままスルーしてくれればいいのに、と思っていたところだった。

今日の夕方空いてるか?

 用件を書け。内心そんなふうに思いながら、どきり、と心臓が動いた。だって、今日って。八月十一日なんですけど。知ってか知らずか、わざわざこの日に会えるかもしれない、とか、期待するじゃん。誕生日を祝ってほしいなんて子どもじゃあるまいし、考えないようにしていたのに。勝手に拗ねつつ「なんで? というか部活は?」と送り返してみる。すぐに返信があって「朝から練習だからさすがに夕方は空いてる」と返ってきた。いや、だから、用件を書け。
 朝から練習って、そんなの本来ならすぐにでも寮に戻って休みたいもんじゃないの。なんでそんな中でわたしに会おうとしているんだか。変なの。そう知らんふりをしながら「空いてるけど」と返した。白布からはすぐに「六時前くらいに中学の最寄り駅まで来られるか?」と返ってくる。別に中学の最寄り駅にしなくても。そっち、行きますけど。だって疲れてるでしょ。そう思ったけど、提案するのが恥ずかしくて「いいよ」としか返せなかった。だめなやつだな、わたし。
 スマホを机の上に置いてから、クローゼットの扉を開ける。何着ていこう。いや、別に、白布に会うからどうってわけじゃない。お気に入りの服がたくさんあるからどれを着ようか迷っているだけ。別にかわいいと思われたいとかそういうんじゃなく、単純におしゃれがしたいだけ。誰のためでもなく自分のために。そう、自分に言い聞かせた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 午後五時五十分。中学の最寄り駅。基本的に特に何もない駅なので人はまばら。わたしは改札を出てすぐ見える大きな広告の前に立っている。
 最近買ったかわいいサンダル。一目惚れしてどうしても手に入れたくて、母親にお願いして家事の手伝いをしてお小遣いアップをしてもらった結晶だ。最近はずっとこれを履いている。そんなサンダルをじっと見つめて、ちょっとご機嫌、になってしまう。仕方がない。だってお気に入りのサンダルだから。服も自分が一番かわいいと思うものを着てきたし、鞄もずっと気に入って使っているものを持っている。お気に入りのものにまみれているからご機嫌でも不思議じゃない。別に変なことじゃないのだ。
 電車がホームにやってきて、人が降りてきたらしい音が聞こえた。たぶんこの電車に、乗ってきていると思う。知らないけど。サンダルを見つめて、人の足音が近付いてくるのを聞いている。この時間は会社帰りの社会人と部活終わりの学生が多い。話し声が聞こえてきて、ちょっと、ぎこちない呼吸になってしまった。ピ、とICカードで改札を通ってくる人たち。その音をやけにしっかり聞いてしまいつつ、ひたすらサンダルだけを見つめた。別に緊張とかしてないし。別に楽しみにしてないし。そう言い聞かせながら。



 びくっと足がちょっと震えた。顔を上げると、額に汗が少し滲んでいる白布がいた。「お疲れ」と当たり前のように言う。まるで中学のときみたいだ。そんなふうに思いながらわたしも同じように「お疲れさま」と返した。
 白布が汗で張り付いてしまっている前髪を指で払う。それから「あっつ」と小さな声で呟いて、軽く顔を手で扇いだ。改札を通る人波を見ながら「どこか入る?」と聞いてきた。

「いいけど、寮って門限とかないの?」
「外出届出してきたから、今日はこのまま実家に帰る」
「あ、そうですか」

 素っ気ない返事になってしまった。いや、別に、相手が白布なんだからどうだっていいけど。今のは失敗だったかも。ちょっとだけ反省した。
 中学時代にたまに行っていたファミレスがある。そこに行こうということになり、とりあえず二人で駅を出た。並んで歩きながらお互いの近況を話した。白布はやはり勉強と部活の両立で大変みたいだ。少しだけ疲れている顔をしている気がした。無理して出てこなくてよかったのに。なんで朝から夕方まで練習がある今日にわざわざ。別日のほうがよかったんじゃないの。

「夏休みって、なんか、空いてる日とかあるのかよ」
「いや、夏休みなんだからいっぱい空いてるけど」
「……ふーん」
「空いてないの白布でしょ。ま、倒れない程度に頑張りなよ」

 帰宅部にとって夏休みは本当にただの休みなもので。羨ましいでしょ。そんなふうにけらけら笑ってやった。白布は「はいはい」と呆れたように言ってから「まあ、空いてる日があったら連絡する」と続けた。いや、別に、いいんですけど。そんな貴重な日を割いてもらわなくても。「はいはい了解」と軽く返して、他は何も知らんふりしておいた。
 歩いて数分でついたファミレスに入ると、お互い思わず「懐かしい」と言葉が漏れた。同じ中学に通っていた人ならみんなそう言うに違いない。中学の友達と集まる、と言えばここだったのだ。わたしも白布と何度か来たことがある。まあ、そのときはグループで来ていたから二人きりはなかったけれど。
 席についてさっさと注文を済ませてからまた他愛もない話をする。近況もそうだし最近観たテレビの話とかも。寮でもテレビは普通に観られるそうで、各部屋にはないけど大部屋にあるから部活仲間と観ているのだそうだ。白布もテレビとか観るんだ。意外。そう言ったら「俺のことなんだと思ってんだよ」と呆れられた。
 そんなくだらない話が、途中で途切れる。ちょうど話の区切りがついてしまったところで、お互い話題を出さずに会話が止まってしまったのだ。どうしよう。わたしから何か振ったほうがいいかな。そう考えていると、白布が視線を自分の鞄のほうへ向けた。それから何かを探すような仕草を見せるものだから、こっそりどきっとしてしまった。いやいや。違ったときに恥ずかしいから何も見ていないふりだ。そんなふうに思っていると、白布が「これ。やる」とテーブルに何かを置いた。

「……え、何? なんで?」
「いや、なんでって。お前今日誕生日だろ。八月十一日」
「そっ、そう、だけど……」
「なんでびっくりしてんだよ。今日そのために連絡したんだけど。まあ、急で悪かったとは思ってる」

 水を一口飲んで、白布が視線を逸らした。「そういうの選ぶの得意じゃないから、好みじゃなくても怒るなよ」と呟く。いや、怒らないと思う、けど。恐る恐るテーブルに置かれた小さな箱を手に取りながら「ありがとう」と呟く。なんか、かわいいんですけど。箱のデザイン。どこで買ったんだろ、こんなの。
 そうっとリボンをほどいたら「今開けるのかよ」と白布がぼそりと言った。開けるでしょ、そりゃ。無視して開けた箱の中には、シンプルなデザインのブレスレットが入っていた。意外。アクセサリーとか選ぶタイプだと思わなかった。しかも、ちゃんと、かわいいし。なんかムカつく。

「……なんか言えよ」
「え、ああ、うん、かわいい……」
「本当かよ。気に入らないなら無理に言わなくていい」
「いや、本当に……」
「……なら、まあ、いいけど」

 じっと見つめてしまう。だって、こんなの、絶対選ぶイメージがない。文房具とかお菓子とか、そういうものを選びそうなイメージだった。でも、そのイメージって多分、〝男友達〟としての白布のイメージなんだろう。だから、目の前にいる〝彼氏〟としての白布とは少しずれている。まだそっちの白布は、よく知らない。だから、こんなふうに動揺してしまうんだ。そう自分で分かってしまった。
 彼氏、なんだなあ。この人。中学のときは本当、はじめの頃は馬が合わなくて言い合いばかりしていた。わたしからすれば「誰彼構わず言い負かすムカつくやつ」で、白布からすれば「反抗的でこれっぽっちもかわいくないやつ」だった。お互い印象は最悪。でも、意見が一致すればとんでもなく心強い味方だった。一度意見が合ってからは滅多に言い合いもしなくなったし、言葉足らずな白布が今までよりはちゃんと言葉にしてくれるようになった気がする。わたしも釣られて今までよりは素直にいろいろ言えるようになったっけ。不思議だけれど。

「……なんか」
「何?」
「いや……その、服とか、靴とか」
「え、何? 変?」
「そうじゃない。なんか、よく分かんねえけど」
「うん」
「……似合ってる、と、思う」

 思いっきり顔を背けられてしまった。耳まで赤くなっている白布にきょとん、としてから「え」と声が漏れた。それから顔が熱くなって「何、急に」と素っ気なく返してしまう。わたしもそっぽを向くと、お互い窓の外をひたすら眺めている変な二人組になってしまった。

「……いや、別に、機嫌取りのつもりじゃないけど。返信とかが、素っ気なく思えたから、なんか……思ったことは、ちゃんと言ったほうがいいと、思っただけ」

 ぽつりと呟いた白布の言葉に思わず視線を戻した。そのとき。ちょうど店員さんがやってきてテーブルに注文したものを置いていく。白布も視線をこちらに戻すと同時に店員さんは去っていった。
 お互い見つめ合って黙りこくってしまう。何を考えてるんだろう。というか、急に何。素っ気なかったって、まあ、自覚はあるけど。でも、白布はそういうの、別にどうこう思わないタイプじゃん。「かわいくねえな」とは言うけど、だからって自分からどうこうするような人じゃない、のに。
 そういうふうに変わろうとしてくれると、わたしもそうしなきゃって、思うじゃん。白布がくれたプレゼントの箱をきゅっと握って一つ息を吐いた。

「……今日、会ってくれて、嬉しい」
「……なんだよ急に」
「これも、かわいい。嬉しい」
「だから、急になんだよ。怖いんだけど」

 そう口では言いながら、顔が笑っている。ムカつく。これ以上はちょっと無理。雰囲気を断ち切るように「冷めちゃうから、早く食べよう」と声をかけた。白布は笑いながら「はいはい」と言って箸を手に取った。
 それからずっと、駅で別れるまで、白布は上機嫌だった。ムカつく。ムカつくけど、素直に言って、よかった。白布が褒めてくれたお気に入りの服とサンダル。余計にお気に入りになったな。服を洗濯に出しつつこっそりそう思った。白布がくれたプレゼント、今度会うときはつけていこうかな。そんなことを考えながら、くすぐったい誕生日の夜は更けていった。


8月11日 白布賢二郎

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