白鳥沢学園高校二〇一二年度卒業式の翌週。土曜日の今日は新チームではじめての練習試合を行い、今ちょうど解散となったところだ。体育館にはまだ部員全員が残っており、各々自由に自主練習をしている。わたしは同輩に頼まれて練習中の動画を撮る準備をしている。あとでトークアプリに共有するので自分のスマホを持っているのだけど、準備中に通知が一件入った。トークアプリの通知だ。その送信者であるアイコンを見て首を傾げる。アイコン未設定。そんな友達いただろうか。不思議に思いながら通知をタップする。そこに表示された名前を見て思わず「えっ?!」と大きな声が出てしまった。
 相手が、先週卒業したばかりの牛島さんだったのだ。牛島さんと個人的にやり取りをしたことなど一度もない。むしろグループトークでも牛島さんは滅多に発言しないし、そもそもスマホを触っているところをあまり見たことがない。そんな牛島さんが一体わたしに何の用なのだろうか。そう恐る恐るトーク画面を開くと、牛島さんからは一言「元気か?」とだけ来ていた。
 元気も何も牛島さん、まだ一週間くらいしか経ってないですよ。不思議に思いながら「お疲れ様です。元気です。」と打ち込んで送信。それから体育館の中を適当に写真に収めて一緒に送った。牛島さんは分かりやすく後輩思い、というような人ではなかったけど、なんだかんだで良い先輩だった。無言で鼓舞してくれるような、背中で導いてくれるような。そんな人だったけど、なんだかんだで心配はしてくれているらしい。後で白布辺りに教えてあげよう。顔には出さないだろうけど喜ぶだろうな。
 そんなふうに考えていると、また牛島さんから通知が来た。開いてみると「が写っていない。」と来ていた。わたしが写っていない。何の……ああ、写真のことか。わたしが写っていようがいまいがどちらでもいいのでは。不思議に思いながら「自撮りは恥ずかしいので勘弁してください。」と絵文字付きで送っておく。

~俺も撮って~……って何してんの?」
「え、なんか牛島さんからラインきたから返信してる」
「牛島さんからライン?!」

 川西の馬鹿でかい声が体育館に響き渡った。それに反応した数人が近寄ってきて「え、牛島さん? マジで?」とわたしのスマホを覗き込む。人のスマホを勝手に見るな。しっしっと追い払うと「いいじゃんちょっとくらい」と拗ねられた。

「マジで? 牛島さんから? から送ったんじゃなくて?」
「なんかさっき急に。元気か、って」

 驚愕の表情で固まられてしまった。まあ、そりゃびっくりするよね。あの牛島さんからだし。「写真撮って送っといたよ」とさっき撮った写真を見せたら、川西が「いや、え、いや~……」と苦笑いをこぼした。なんだその反応。
 また通知が来た。画面を見ると牛島さんからの返信。「そうか。」の一文だけ。文章が完全に頭の中で再生できるってすごいな。この文章を打っているのが牛島さんなのだとはっきり分かる。あの声で、顔で。牛島さんの姿を思い出していると、また通知。今度は何だ。またタップしてメッセージを開くと、今度は、「顔が見たかったんだが。」と来ていた。

「牛島さんなんて?」
「……」
「お~い?」

 川西が覗き込もうとしてくるのを阻止する。他の同輩や後輩からも逃げるようにとりあえず早歩きで体育館から出た。白布が遠くのほうから「帰るならタオル忘れてるぞ」と声をかけてきたので「ちょっとしたら戻る」と返しておく。
 いや、何? 何が起こってる? え、何?! どういう状況ですかこれは?! 顔が見たかった、って、なんで?! わたしの顔ですか?! そんなに面白い顔でしたかね?!
 無駄にばくばく動く心臓をなだめるように、体育館を出てすぐのところでぐるぐるとにかく歩いた。見間違いかもしれない。何か大事な用事のメッセージを読み間違えたのかも。そう思って恐る恐る画面を確認して、すぐにまた画面を消す。見間違いじゃない。「顔が見たかったんだが。」って書いてあった! なんで?!
 大混乱でスマホを胸元できゅっと握ったままでいたら、突然スマホが震える。な、なんだ今度は! びっくりして落とすかと思ったじゃん! 誰ともなく責任転嫁しながらスマホの画面を確認する。で、スマホを落とした。驚愕すぎて拾えないまま固まってしまう。スマホの画面割れたんですけど。嘘じゃん。ショック。
 いや、着信。発信者、牛島若利。え、なんで? 地面の上で震え続けるスマホを見下ろして数秒、ハッとして大急ぎでスマホを拾った。画面がきれいに割れている。最悪。でも今はそんなことよりも、この着信画面から目が離せない。牛島さんじゃん。なんで? 二年間バレー部で過ごしてきて一度も電話なんてかかってきたことがない。なんで? 何の目的があって?
 何だとしても、先輩からの着信を無視できるわけがない。恐る恐る着信ボタンを押して「もしもし……」と小さな声で言ってみる。そんなわたしの耳に、当たり前かのように「お疲れ」という声がダイレクトに届いてきた。

「おっ、お疲れ、様です……え、えっと、ど、どうされたんですか……?」
『いや、特に用という用はないんだが』

 迷宮入りしてしまった。「あ、そうなんですか」とまぬけな声で返事をしてしまう。牛島さんは「ああ」といつもの渋い声で返してくれたけど、わたしの内心は正直ばくばくだった。用という用はないのになぜ電話。何が目的なのかが分からない謎の行動ほど恐ろしいものはない。しかも相手が牛島さんだ。下手に切ることもできないし追及もできない。そもそも牛島さんって無駄なことはしない人、だと思っているから何か理由があるはずだと思うのだけど。

『まだ体育館にいるのか』
「えっあっハイ、自主練中です」
『そうか』

 優しい声で笑われてしまった。一体わたしは何を求められているのだろうか。不思議に思いながら、心臓を落ち着かせようと静かに呼吸を続けている。気まぐれで電話をしてくる人じゃないし、本当にどうしたのだろうか。部活のことが心配ならわたしじゃなくて新主将にかけるだろうし、本当になんだ?
 ぐるぐる思考を巡らせているわたしに牛島さんが「なんとなく」と優しい声で言う。それから一つ間を空ける。

『声が聞きたかった』

 牛島さんに「またかけてもいいか」と言われたので「あ、ハイ」とまぬけな声で答えて、挨拶をしてから電話が切れた。ビジートーンだけが聞こえるスマホを耳に当てたまま、その場からしばらく動けなくなってしまう。
 こえがききたかった。コエガキキタカッタ。声が聞きたかった、とは、一体。ようやく腕が動いた。通話が切れたスマホの画面。落とした衝撃で割れてしまっているけど、本当にそんなことはどうでもいい。さっきまでこの画面に牛島さんの名前が表示されていたわけだ。いや、信じられない。それどういう状況?

~動画~……お~い、大丈夫か?」
「え、何?」
「顔真っ赤じゃん。今日はもう帰っといたら?」

 川西がそう言うと体育館の中に向かって「もう帰るから動画誰か代わりに撮ってー」と言った。いや、帰るって言ってない、けども。同輩が「了解~」と返事をしたのが聞こえた後に五色がわたしのタオルを持って走って来てくれた。「お疲れ様です!」と声をかけられたらもう帰るしかなくなる。「あ、はい」とまだまぬけなままの声で返事をして、体育館に背を向けた。画面が割れたスマホを握りしめる手が熱い。何も理解できないまま、更衣室に向かってゆっくり歩いた。


3月9日 牛島若利

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