※捏造あります。




 わたしが好きになった人は、とても男気があって、責任感が強くて、とても熱い人だった。そんなふうに見えないかわいらしい顔は本人にとって少しコンプレックスだったらしい。くりくりの大きな瞳や、男性にしては少し白めの肌、小柄な体。それがわたしにとってはとてもかわいくて好きなもので。うっかりそれを口にしたら複雑そうに笑われてしまったことを覚えている。後で、本人には言ってやるな、と共通の友人から教えてもらって青ざめたっけなあ。
 バレーボールをしている人だった。いつも遅くまで練習をしていたし、後輩の面倒をいつも見ている人で、部員たちからはとても頼りにされているように見えた。あまりバレーボールに詳しくないわたしは、小柄なのにバレーボールを選んだのはどうしてなのだろう、なんて失礼なことをよく思ったものだった。こっそり体育館を覗いてはその人が汗を流す姿を見た。運動神経がとても良くて、何をするにも一生懸命。そんな姿が何よりも好きだった。
 わたしがはじめてその人が泣いている姿を見たのは、高校三年生のときだった。大会で負けたあとのことだった。応援団に混ざっていたわたしは、その涙を、ただただじっと見ているしかできないまま。その涙を見てはじめて思った。この人はバレーボールじゃなきゃだめだったんだな、と。どんなに運動神経が良くても、バレーボールにとって最大の武器である身長がなかったとしても、どんなことにでも一生懸命取り組む人だったとしても、この人にはバレーボールが一番だった。それしかなかったのだ、と。数多くある中でバレーボールだけが、この人にとって特別だった。熱を注げるものだった。そう思ったら、わたしも泣いていた。



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 わたしが片思いをした人は、とても優しい人だった。わたしが玉砕覚悟で告白をしたら、もちろん振られた。でも、その人は「でも、そう言ってもらえて嬉しい。ありがとう」と照れくさそうに笑ってくれたのだ。わたしの気持ちを無下にすることはなく。それがとても嬉しくて、やっぱり好きだ、と思ってしまった。どうしても諦めきれなくて「もう少しだけ好きなままでいてもいいですか」と聞いた。その人はちょっとだけ驚いたように、真ん丸な瞳を余計に真ん丸にしていた。それから、なんだか恥ずかしそうに「いや、俺は、いいけど」と言ってくれたのだ。優しい人。それを分かっていたわたしは卑怯だと思う。
 いつも目が合った。わたしが見ていることに気付いたら必ずこっちを見返してくれた。それから照れくさそうに笑って反応をしてくれた。そんなことをされたら、やっぱり諦められないよ。毎日そう思った。それでもいつもその人を目で追ってしまうのだ。だって、必ず目が合うから。好きな人と目が合うのだ。嬉しいに決まっている。だから見てしまう。諦めの悪い女だな、と毎日自分に苦笑いをこぼしていたっけ。
 卒業間近。はじめてその人から声をかけられた。「連絡先を交換してほしい」と、とんでもなく恥ずかしそうに言われて、喜ばないわけがない。すぐにスマホを出して電話番号とメールアドレスとトークアプリのアカウントを全部表示させたら、その人はきょとんとしてから吹き出した。「勢いが良すぎるだろ」とおかしそうに言われて、はじめてわたしも恥ずかしくなった。確かにそのときのわたしは少し、勢いがありすぎた自覚がある。今思い出しても恥ずかしい。でも、卒業が近かったから。連絡先を知らないままだったわたしにとって、卒業ということ自体が恋の終わりになるだろうと思っていた。でも、他の誰かではなく、その人が糸を切らさないようにしてくれた。それを喜ばない人なんていない。
 その人の名前がアドレス帳にあることを、毎日見ては笑ってしまったなあ。大好きな名前だから、見るだけで幸せになるのだ。心の中で呼ぶだけで元気をもらえる。わたしにとってその人は、そういう存在になっていた。



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 わたしがずっと忘れられずにいる人が、来年に海外へ行ってしまうと知ったのは、卒業してから二年後のことだった。わたしはその人とたまに連絡を取り合うくらいで、そこまで頻繁に会ったり連絡をしたりはしていなかった。海外へ行くというのは共通の友人から聞いた話。何でも、バレーボールのプロチームに入るのだという。それを聞いてとても嬉しかった。その人の〝特別〟が今も続いていて、どんどん花開いていくのだ。嬉しいに決まっている。きっと会えなくなるだろうけど、それでも、好きな人が好きなことで活躍できることは何より嬉しい。素直に応援したいなって思った。当たり前だ。
 それに、たとえその人が国内にいたって、わたしはご飯に誘ったり遊びに誘ったりなんて、できない。一度振られている身だから。むしろ、今も好きでい続けているなんてその人が知ったら気味悪がられてしまう。そう思うと余計に連絡ができなかった。これからもこうやってこっそり応援していくのだ。その人が幸せになっていくのを遠くから見ているだけ。それだけでわたしはとても元気になれる。
 その人から連絡が来たのは、お風呂から上がって髪をドライヤーで乾かしていたときだった。机に置いてあったスマホが鳴ったので何気なく目をやって、腰を抜かすかと思った。着信。おっかなびっくりスマホを手に取って、恐る恐るタップ。「もしもし」と言った声は震えていたと思う。「久しぶり」と言った声が、昔から変わらずきれいで澄んでいる。それが、何より、胸を締め付けてならなかった。
 ちょっとだけでいいから会えないか、と言われた。びっくりして言葉を失うわたしにその人が慌てた様子で「ごめん、急だよな。本当無理しなくていいから」と言った。わたしも慌てて「無理じゃないです嬉しいです!」と勢いよく返した。アッと恥ずかしくなった後ではもう遅い。その人は笑いながら「勢いが良すぎるだろ」と言った。高校生のときも、それ、言われたなあ。さらに恥ずかしくなっているわたしに、その人は笑いながらスケジュールを確認してくる。年が明けてから少し経っているけれど、お互い予定がなかなか合わない。でも、唯一合った日が、一月二十五日。わたしの誕生日だった。でも、そんなこと、もうどうでも良くて。
 ガチガチに緊張しながらその人との待ち合わせ場所に行ったことを、今でもたまに思い出して笑ってしまう。その日のために一週間かけていろんなお店で服を見たし、化粧品もいいものを買った。食事に気を遣って、毎日ストレッチもした。たった数十日で何も変わらないことは分かっている。でも、やらずにはいられなくて。そんなふうに一月二十五日まで過ごしたから、緊張がとんでもなくて。待ち合わせ場所についたのは約束の時間の三十分前だった。早すぎた。そう恥ずかしくなっているわたしの目に飛び込んできたのは、すでに待っているその人で。思わず足が止まるほど驚いた。約束の時間より早いこともそうだし、何より、はじめて見た私服があまりにもかっこよくて。
 大きな瞳や、小柄な体がかわいいのに、性格や言動が男らしい。そんなギャップが好きだった。でも、そのときのわたしの目の前にいたのは、何もかもが男らしいかっこいい人。頭が混乱した。わたしはこの人のことが好きだったのに、どうしてまた好きになってるんだろう? 恋をしている相手にまた恋をしている。別の人に恋をしたのかと思うほど新鮮な恋心。よく分からない。そんなふうに。
 その人がわたしに気付いてくれてから、二人で事前に決めていた場所へ行ったりご飯を食べたりして楽しい一日を過ごした。ご飯を食べ終えてからその人が、海外に行くことを教えてくれた。「来年からだけど、にはちゃんと言いたくて」と言われて、嬉しかったけどハテナが止まらなかった。どうして? なんでわたしにはちゃんと言いたいと思ってくれたんだろう? わたしは一度振られたのに未だに好きなままの、この人からすれば変な女だろうに。そんなふうに首を傾げているわたしに、その人は、ほんの少し緊張したような声色で「あのさ」と言った。今もそのときのことを、夢に見てしまう。
 正直何を言われたのか覚えていなくて、今思い出しながら語れないことが本当に悔やまれる。その人は、わたしに告白された日から忘れられなくなった、というようなことを話してくれた。海外に行くと決めてからもわたしのことをまず思い出したというようなことを言ってくれた、と、思う。記憶が曖昧で情けない。でも、それくらい、想像もしたことがないことを言われたのだ。でも、最後の言葉だけは覚えている。「もし今も、あの、少しでも、気持ちが残っていれば」。そこで言葉を句切って、コップに少しだけ残っている水を飲んだ。それから再びわたしを見て「もし良ければ、俺と、付き合ってくれませんか」と言ってくれたのだ。



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 わたしの彼氏はとんでもなく男らしくてかっこいい人だった。一年後には自分が海外へ行ってしまうから、と言って無理をしてまでわたしと会う時間を作ってくれた。夢みたいな日々だった。そんなに無理しなくていいよ、と言っても「無理じゃない」と言う。わたしの妄想を越えすぎていて毎日倒れそうだったな、と今でも笑ってしまう。
 来年には海外へ行ってしまう。寂しいことだけど、でも、それはいいことなのだ。応援するに決まっている。そう言うわたしにその人は「ありがとな」と照れくさそうに笑う。その顔が大好きだった。何があってもわたしは応援するよ。特別なものだと知っているから。そういつも思った。
 はじめてキスをした日は一日中使い物にならなかったなあ。あまりにも夢の出来事すぎて、夕飯にカレーを作っていたはずがシチューのルーを鍋に入れていた。お風呂に入ろうとしていたはずがトイレに入っていた。唇に残る感覚があまりにも夢すぎて、ぽやっと腑抜けになってしまったっけ。
 夢のような日々だった。遠くから見ているだけでよかったのに、その人が隣にいる。頑張っている姿を一番近くで見られる。アリーナの最前線、それよりも近いところだ。これ以上のことはないな、と毎日確信していた。



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 わたしの彼氏は正直まめな人ではなかった。海外へ行ってしまってから、わたしから連絡すると困らせるかもしれないからと極力連絡しないようにしていた。その人からの連絡は一週間に一度あるかどうか。別にそれはいい。どうしているかな、と気になることはあるけれど、一生懸命に頑張っているのだからわたしは二の次でいいのだ。だから、連絡があまりないことに不満はなかった。
 連絡をくれるときは決まって長文だったり長電話だったりした。必ずはじめに「なかなか連絡できなくてごめんな」と申し訳なさそうに言ってくれる。優しい人だ。気にしてくれていることがいつも分かる。でも、わたしは無理に合わせてほしいなんてこれっぽっちも思わない。元気でいてくれるのが何より嬉しい。そう伝えたら、困ったように笑われた。そのたびにその人は「そういうところ好きだけど、たまに不安になる。もう少し連絡するようにするわ」と必ず言った。
 遠距離恋愛というのものに不安はもちろんあった。海外なんてすぐ会いに行ける距離じゃないし、お金もかかる。会いに行くためにはしっかり貯金しよう。そう心に決めてから節約に努めた。いつでも会いにいけるように。会いに来てほしいともし言われてもすぐ行けるように。
 貯金額を見て考えるのは、何度その人に会いに行けるか。飛行機の料金、滞在するホテルの料金、交通費。行く予定もないのにガイドブックも買った。ガイドブックを見ながら、その人に会いに行くまでの道筋を考えることが何より楽しかった。早く会いたいな。そう毎日一人でにこにこして過ごした。けれど、その人から「会いたい」と言われることはなかった。わたしから「会いたい」と言うこともなかった。
 遠距離恋愛がはじまってから一年半後、サプライズでその人が突然帰国してきた。嬉しくて飛び跳ねて喜んだわたしに「勢いがすごい」とその人が笑う。当たり前だ。こんなに嬉しいサプライズはない。飛び跳ねるくらいじゃ喜びが足りないくらいだ。それを優しく笑って「元気でよかった」と言ってくれた声が、とても、とても、好きで。何があってもこの気持ちは変わらないだろう、と思った。
 実は、こっそり、いつでもわたしも一緒に行けるように準備をしていた。もちろん気が早いことは分かっていたし、言われるわけがないとも思っていた。それでも準備せずにいられなくて。貯金もある。仕事も引き継ぎ資料をちゃんと作っている。家族にも彼氏が海外にいることは話してある。いつか「一緒に来てほしい」と言われたくて。今じゃなくて、いつか。そんなふうにこっそり思った。



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 それからも、その人が帰国するときは決まってサプライズだった。わたしが空港に迎えに行きたいから事前に知りたい、と言ってもその人は「びっくりさせたいから」と笑うだけ。教えてくれてもいいのに。そんなふうに思ったけれど、不満ではなかった。ただ、少しずつ、不安にはなった。
 会いたいとも、会いに来てほしいとも言われない。会いに来てくれるけれど事前には言ってくれない。本当に会いたいと思ってくれているのかな。そんなふうに思ってしまった。
 わたしと付き合っていることが負担になっているのではないだろうか。日に日にそう思うようになった。バレーボールに集中したいのに、わたしの存在が邪魔をしているのではないだろうか。海外にずっと留まっていたいのに、わたしがいるから無理に帰国しているのではないだろうか。そうだとしたら、わたしはこの人にはいらない存在だ。この人が頑張っているところを応援したいのに、邪魔になっているのであればすぐに消えてあげないといけない。でも、聞いてもきっと、そんなふうに言う人じゃない。どうすればいいかな、と悩んだ。悩むたび、勝手に涙が出て仕方なかった。
 一番になれなくていい。でも、願うなら、このまま、一番近くで応援していたいよ。会いたいなんて言ってくれなくていい。一緒に来てほしいなんて言ってくれなくていい。連絡もサプライズもいらない。何もいらないから、どうか、一番近くで応援することだけは許してほしい。そう思えば思うほど、首が絞まっていくような感覚があった。
 いつか、わたしは、切り離されてしまうのかな。カレンダーにバツを付けるたびにそう思った。大事な試合の日のバレーボールマーク。いつかこれが、途絶えてしまう日が来るのかな。そう、いつも、不安だった。
 そんな思いを隠し持ったまま、三年が経った日のことだった。連絡が来た。内容は「大事な話がある。来月に帰国するから、どうにかその日を空けておいてくれないか」というもの。帰国の日をはじめてちゃんと教えてもらえた。それに驚いたけれど、その後文章が気になってたまらなかった。大事な話。別れ話だろうか。そうだったら、どうしよう。そう不安になる。指定された日付は、一月二十五日。わたしの誕生日であり、高校卒業後にはじめてその人と待ち合わせをした日付だった。



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 休日ということもあって空港には人がたくさんいる。あまり海外渡航経験がないからどこにいればいいかよく分からない。人がたくさん座っている椅子の端に腰を下ろして周囲の様子を観察していた。
 どこから来るんだろう。空港に迎えに来たのははじめてのことで緊張してしまう。見つけられなかったらどうしよう、来ていないと思われたらどうしよう。いろんな不安が渦巻いて、最後に、今日で終わってしまったらどうしよう、という不安が何もかもを食い散らかすように体の中心に巣くう。ぎゅっと握りしめた自分の手が冷たい。冷たいのに嫌な汗をかいている。気持ちが悪い。とても、とても、怖かった。

!」

 反射で顔を上げた。その先には、わたしがずっと好きな人、夜久衛輔くんの姿があった。グレーのおしゃれなスーツを着ている。今日もかっこいい。誰よりも輝いている。急いで立ち上がって「ひ、久しぶり」と少しどもりつつ、不安をかき消すように笑顔を向ける。衛輔くんはスーツケースを引きながらこっちに近寄ってくると「予定合わせてもらってごめんな、ありがとう」と苦笑いをこぼした。
 どうしてスーツなんだろう。少し不思議に思いながら「全然、大丈夫」と返す。衛輔くんはわたしの前で立ち止まる。わたしも同時に立ち止まってから、衛輔くんがと「本当かよ。でも、いつもありがとな」と困ったように笑ってから一つ息をついた。飛行機の中はきっと窮屈だろう。なかなか慣れるものではないに違いない。ゆっくり休んでもわらないと。車で来てるから、と言いながら駐車場のほうに足を向けた。そのまま歩き出そうとしたら、衛輔くんに腕を掴まれた。

、話したいことがあるんだけど」
「……こ、ここで?」
「ここじゃなきゃだめだ」

 まっすぐな目で言われた。それに嫌だと言えるわけがない。小さく頷いたわたしに、衛輔くんは「いろいろ急でごめん」とまた謝った。本当は、聞きたくない。きっとここでお別れを言われて、衛輔くんはわたしの車には乗らずにどこかへ行ってしまう。そんなことを想像して、また嫌な汗をかいた。
 衛輔くんに掴まれたままの腕が痛い。でも、離さないままでいてくれたらいいのに。そう思ってしまって、何も言えなかった。

「俺、本当はずっと、に言いたかった」

 ずっと、連絡をしなくちゃいけない煩わしさがあったのかもしれない。ずっと、そのうちまた帰国しなくちゃいけないと変な義務感を持たせていたのかもしれない。そう思うと、とてもじゃないけど、衛輔くんの顔を見られなくて。目を逸らしてしまった。どうしよう。泣いてしまうかもしれない。面倒な女になりたくないのに、何もかもが面倒な女になってしまう。どうしよう、わたしは、衛輔くんをずっと、応援していたいのに。それすらできなくなってしまったらどうしよう。
 俯くわたしの顔を衛輔くんが覗き込んだ。「今までごめんな」とまた謝った声は、とても、優しいものだった。

「会いたいとか、会いに来てほしいとか、言えなくて」

 呼吸が止まった。間抜けに「へ」という声だけが漏れてしまう。衛輔くんの耳にもしっかり届いてしまったらしく「なんだよその反応」と笑われた。それから衛輔くんが咳払いをする。ゆっくり瞬きをして、しっかりと深呼吸をしている。わたしはそれをぼけっと見ているだけだった。

「会いたかったのも会いに来てほしかったのも本当なんだけど……本当は、その、俺と一緒に来てほしいって、言おうと、ずっと思ってた」

 衛輔くんはしっかりわたしの腕を掴んだまま、まっすぐに瞳を見つめてくれた。言おうと思っていたけど、わたしには日本での生活もあるし、友達も家族もいる。そう簡単に決められることではないことは重々承知していた、と。それに何より、来てくれたとしてもちゃんとした生活を保証できるほどの自信がなかった、とも。せめて生活面の不安が消えてから言おうと思っていたと、衛輔くんにしては珍しく情けない顔で言ってくれた。



 未だに信じられないと思う自分がいる。衛輔くんが、わたしが高校時代に恋をした夜久くんが、こんなに優しい声でわたしの名前を呼んでくれる。そんなの、高校時代のわたしが聞いたら笑い飛ばすくらい夢のような話だ。そんなのありえないよって。わたしなんかに夜久くんが振り向いてくれるわけないじゃん。そんなふうに言うだろう。
 でも、夢じゃないんだ。本当にことなんだ。だって、こんなにも、掴まれた腕が痛い。痛くて、熱くて、とても、離れがたくてたまらない。こんなに胸が痛いのだ。これが夢なわけがない。そう、自分で言い切れることができた。

「一緒に来てくれないか」

 ずっと、寂しくないと自分に言い聞かせた。海の向こうで好きな人が頑張っている。だから、わたしは寂しくなんかない、と。会いたいなんてわたしは言えない。だって、頑張っているところを応援したいのだから。わたしに会う暇なんかない。わたしに会うために時間を割くくらいなら練習や試合をしてくれていたほうがずっといい。そう思うようにしていた。寂しくない。わたしは、衛輔くんがバレーボールを頑張っていて、ただわたしと付き合ってくれているということだけで、寂しいなんて思わない、と。
 でも、本当は嘘だった。寂しかった。会いたかった。会いたいと言ってほしかった。会いに来てほしいと言ってほしかった。俺も寂しいと言ってほしかった。いつか迎えに行くとか、こっちに来てほしいとか、何でもいい。わたしを必要だと思ってくれているような言葉がほしかった。
 もう、言われることはないのだろうと、思っていた。それでも構わないと思ったし、それが当然だとも思った。きっとそうなのだろうと自分を無理やり納得させた。それでいいじゃないか、と。
 わたしが高校生のときに好きになった夜久くんは、とても男気があって、責任感が強くて、とても熱い人だった。そんなふうに見えないかわいらしい顔は本人にとって少しコンプレックスだったらしい。くりくりの大きな瞳や、男性にしては少し白めの肌、小柄な体。それがわたしにとってはとてもかわいくて好きなものだった。そして今も、それは変わらない。それに加えて優しい人だということ、何もかもが男らしくてかっこいい人だということ、実はまめではない人だということ。そのすべてを好きになった。何度も恋をした。そんな夜久くんが、衛輔くんが、わたしを必要だと言ってくれた。
 涙が出た。きっと、かわいい彼女ならここでかわいい台詞を言うのだろう。もちろんだよ、とか。ずっと待ってたんだからね、とか。でも、わたしは、涙を拭うので精一杯で、何を言えばいいかまで気が回らなかった。

「もう、来てくれないかと思った」

 泣きべそをかきながらのその言葉は衛輔くんに届いてしまったらしい。ぎゅっと腕を掴む力が強くなったのが分かる。
 いつもサプライズの帰国だったから、次がいつになるのか分からなかった。もう来てくれないかといつも思った。その連続だったから今日約束をしてくれたことにも素直に喜べなくて。ここで振られて二度と会えなくなるのだと思っていた。そんなこれまでの不安が全部溢れ出てしまう。好きな人を困らせたくないのに。泣いたら衛輔くんが困ると分かっているのに。どうしても止まってくれなかった。
 涙で滲んだ視界の先。衛輔くんはわたしを見つめて、とても、顔を歪めているように見えた。ぎゅっと下唇を噛んで、目線を少し下に下げている。困らせてしまった。謝らなくちゃ。そう思っているわたしを、衛輔くんがぐいっと引っ張る。そのままぎゅっと抱きしめられると、涙が引っ込んだ。その代わりに、衛輔くんの呼吸が震えていることに気付いて、体が固まる。

「遅くなって、ごめんな」

 声も震えていた。泣いている、のだろうか。衛輔くんは小さく鼻をすすってから「、寂しいとか会いたいとか言わなかったから、甘えてた。そんなわけないよな、ごめん」と呟く。
 本当に夢じゃないかな? 衛輔くんのぬくもりを感じながら、一応自分に問いかけてみる。あたたかい。衛輔くんの声がこんなに近くで聞こえる。胸が締め付けられるように痛い。この感覚は夢じゃない。現実のものだ。

「ごめん、せっかくの誕生日なのに泣かせて。あとでちゃんと謝るから、返事だけ、聞きたいんだけど」

 衛輔くんが体を離した。グレーのスーツ。かっこいい。まるで、プロポーズをする人みたい。わたしがそう笑ったら衛輔くんも笑って「みたい、じゃなくて、今まさにしてんだよ」と言った。
 突き抜けるように澄んでいる青空が、祝福してくれているみたいに眩しく思えた。雲一つなくただただ青いだけの空。純粋で、まっすぐなそれが、まるで衛輔くんの心を映しているように思えてしまった。きっと、わたしは一月二十五日が来るたび、この空の青を思い出すに違いない。そう、また涙が出た。


1月25日 夜久衛輔

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