「嫌や~角名仕事行かんといて~」

 稲荷崎高校男子バレー部OBでの新年会。もう全員立派に社会人として働いていることもあり、なかなか全員参加というのは難しかった。一番予定の合う人数が多かった金曜日の夜に開催されているのだが、現在、プチ事件が発生している。
 俺と同学年のマネージャーだったは、まあ一言で表せば大人しい女子という感じだった。ただ、気が弱いというわけではなく、生真面目で曲がったことが大嫌いで、自分にも人にも厳しい。あと怒ると怖い。そんな子だった。一見毛嫌いされていそうに思うだろうが、協調性に優れていて仕事が抜群にできたため部内での信頼は随一だった。それに、理不尽に人を怒ったり否定したりはしない。言葉で表すと面倒そうに思われてしまうだろうけれど、俺ものことはとても信頼していてどちらかというと好きなタイプだった。
 冒頭の台詞に戻す。今、俺にしがみついてわんわん泣きながら駄々をこねているのは、。間違いなく同学年だったバレー部のマネージャー。まさか酒に酔って自我を失うタイプだとは夢にも思わなかった。
 俺にしがみつくを見て侑と治がげらげら笑っている。写真を撮りまくってバレー部のグループラインに垂れ流すわ俺のチームメイトにまで垂れ流すわ、やりたい放題やられている始末。別ににしがみつかれて泣かれるのはいいんだけど、それを俺のチームメイトにまで垂れ流すのはどうかと思う。後で正式にクレームを入れてやることにする。
 明日長野に戻る予定、と先輩と話していたところにすでに出来上がっていたが乱入。俺にしがみついて「ええやんもう兵庫おり、わたしが養ったるで。な?」と言われ、それをけらけら笑いながらかわしていたらわんわん泣き出した。さすがに参った。いや、なんで泣いちゃうの。そんなふうに。最初は「がこんなんになるんはじめて見たわ」と面白がっていた先輩たちも、すでに面白いを通り越して心配する域まで来ている。
 さっきからずっと「ほんまに付き合うてへんの?」といろんな人から聞かれている。でも、何度でも答えるがそんな事実は一切ない。とは今日久しぶりに会ったし、連絡を個人的に取り合っていたこともない。学生時代は仲は良かったけど、男女の関係になりそうな雰囲気はこれっぽっちもなかった。それが、なぜこうなった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「ほんまに離れへんやん。シャレにならんくなってきたな。どないするん?」
「えー、もうホテルに連れて帰るしかないでしょ。家に勝手に上がるのもあれだし」
「やらしいわ、ホテルにお持ち帰りやって。なあ聞いた奥さん方?」
「お持ち帰りとは誰も言ってないんですけど、奥さん」

 侑の頭を叩いておく。それを聞いていた治も吹き出してから「角名がええんやったらええけど、いろいろ大丈夫なん?」と言った。大人になったな、治だけは。そう笑っておくと侑から「おい」とツッコミが入った。

「ちゅうかシングルやろ?」
「部屋空いてないか聞いてみる。空いてなかったらまあ、ホテルの人がいいって言ってくれればだけど、俺は床で寝とく」
「角名……お前めっちゃええやつやな……」
「というかホテルの人にお持ち帰りした男って目で見られそうなのが嫌なんだけど」
「ほぼお持ち帰りやんけ。男として胸張って堂々としてこいや」

 横で聞いていた尾白さんが大笑いする。「確かに」と言って。いや、確かにじゃないですよ、本当に。同輩お持ち帰りとかなんか、生々しくてちょっと。苦笑いをこぼす俺のことをじっと見ていた北さんがド真面目に「週刊誌だけ気ぃ付けや」と言う。余計に周りが笑った。いや、まあ、正論なんですけど。
 それにしても離れてくれる気配がない。ぎゅっと俺にくっついたまま半分寝ているらしいは、屈強な男が二人がかりで剥がそうとしても俺を離さなかった。素直に今の気持ちを言えば、謎。さっきも言ったけど仲は良かった。気負わず何でも気になったことを言ってくれるから楽だったし、怒ると大変なときもあったけど基本的には正当な理由だったから何とも思わなかった。頭から爪先まで誠実な人なんだと思う。いつも誰かのために腹を立てていたし、誰かのために悔しそうにしていた。自分のことでイライラしている姿は、正直見たことがない。変わった子。改めて思い返すとそんなふうに表現してしまう。
 仕方なくを背負って「じゃあ、また。お疲れ様でした」と先輩や同輩、後輩たちに声をかけて歩いて行く。駅前のビジネスホテルを取ってある。部屋が空いていなければもう一人分の料金を払えば最悪どうにかなる、と思う。ちょっとこういう経験がないからよく分からないけど、もうそうするしかないから仕方ないと割り切ることにした。一応の家は知っているけど、さすがにこの状態では入っていいか許可がちゃんと取れない。同輩とはいえ相手は女の子。勝手に部屋に入るのは良くないだろう。

「ねえ、大丈夫? 、俺本当に布団に転がすしかできないからね?」
「は~い」
「は~い、じゃないんですけど」

 あえなくホテルに到着。エントランスにいた受付の人に部屋番号を告げてから、もう一部屋空きがあるかを聞いてみる。シングルでも空きはなし、ツインもダブルも空きはなし。何でも明日近くでアイドルのコンサートがあるらしく、そのために埋まってしまっているとのことだった。
 仕方なくシングルを二人で使えないか聞いてみると快く了承してもらえた。簡易の折りたたみベッドまで貸し出してくれることになり、酔っ払いを背負ったままお礼を言う。二人目の料金はチェックアウトのときに、とのことだったので本当に助かってしまった。
 部屋まで折りたたみベッドを持ってきてくれたホテルマンにお礼を告げて、ドアを閉める。一つため息をこぼしつつ、自分との荷物をひとますテーブルに置く。それからベッドにを寝かすために体を横に倒しつつ「、手離して」と声を掛ける。ずるりとの腕がほどけた。寝ているらしい。体をもう一つ傾ければすんなりベッドに転がってくれた。
 疲れた。さすがに女子とはいえ人ひとり背負って十分歩いたら疲れる。肩を回してから立ち上がり、ベッドに転がっているを見下ろした。すやすやと気持ち良さそうに寝ている。俺が寝るはずだったベッド。はあ、簡易ベッドか。まあ仕方ないけど。そうちょっとげんなりしたけど、まあ、がこんなんじゃ仕方がない。ぐしゃぐしゃになっている髪を軽く直してやってから、腕時計とネックレスを外しておく。上着も脱がせられそうだったから脱がしておいた。

「ねえ、化粧は? 落とすやつ持ってる?」
「ん~」
「え~俺もう知らないよ、さすがに」

 そう言いつつホテルのアメニティを見ている俺って、実は世話焼きだったんだろうか。自分で自分に呆れつつ、バスルームも全部見たけど、どうやらそういうものは置いていないらしい。まあ、普通は自分で持ってくるものだしね。一日くらい放っておいてもいいのかな、とも思ったけど、前に家族旅行で妹が化粧落としを忘れてギャアギャア騒いでいたことを思い出す。母親に借りて事なきを得ていたけど、一日放っておいただけで肌が荒れる人もいるとかなんとか言っていたっけ。
 仕方ない。なんか気になるし、コンビニ行って買ってくるか。とりあえず財布とスマホとルームキーを持って部屋を出る。そっか、俺って世話焼きだったのか。今までそんなふうに自分で思ったことがないけど、もうこれはそういうことだろう。苦笑いをこぼしながらスマホを操作する。画面をタップして耳に当てる。ものの数秒で電話に出てくれた妹は怪訝そうな声で用件を聞いてきた。年末年始、焼き肉を奢ってやった兄になんて態度を取るんだこの妹は。そんなふうにからかってから「化粧落としってどんなの買えば無難?」と聞いてみる。妹からは思った通り彼女かと勘違いされたけど、そこは躱しておく。とりあえず種類を教えて、と言えばよくCMで見るメーカーのものを教えてくれた。細かい好みは知らん、と最後は投げ出されたけれど。
 そんなこんなで無事化粧落としをコンビニで購入し、部屋に戻ってきた。ついでに朝食べられそうなものも買ってきたのでそれは冷蔵庫に入れておく。は明日は何もない、と飲み会で言っていた記憶がある。俺がチェックアウトすることには起きているだろうし、そのときにいろいろ話せばいいか。
 よくよく考えたら、女の子の化粧とか落としたことがなかった。何これ、どう使えばいいの? 妹から「シートだと私は肌ガサガサになるからオイルじゃなきゃ無理」と言われたから液体タイプを買ってきたけど、何、これは顔に付ければいいわけ? 付けたら勝手に落ちるわけ? ハテナを飛ばしつつパッケージの裏面を見てみると、顔に付けて落とした後にぬるま湯で落とせと書いてある。なにそれ、酔っ払い相手に無理じゃん。
 結局。またコンビニに行ってシートで拭き取れるタイプのものを買い直す羽目になったし、どれくらいの強さでこすっていいのか分からなくてものすごく時間がかかったし、の化粧を落とすだけでとんでもなく疲れた。そもそもこれで落ちてるのか? の頬をつんつんしてみてもよく分からないけど、まあシートに落とせたらしい化粧品がついてるからいいか。
 に布団をかけてからようやく風呂へ向かう。まあ、疲れたけど、別に嫌ではないな。そうぼんやり思って、あれ、と一瞬止まる。前にチームメイトとの飲み会に先輩が勝手に見知らぬ女の子を参加させたことがあった。その中の一人がやけに俺を気に入ってくれたようで、やたらと絡まれたのだ。帰り際も送ってほしいと言われて散々駄々をこねられたし、面白がった先輩たちもその子の介抱を俺に振ってきて。面倒くさかったなあ、と思い出したのだ。でも、今は面倒じゃないし嫌じゃない。疲れてはいるけど。それがなんだか不思議だった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「本当に申し訳ございませんでした」

 何事かと思った。風呂から上がって髪を拭きつつ部屋に戻るなり、がベッドに正座して待っていた。ちょっと固まった後に「覚めた?」と念のため確認をすると「覚めました」と申し訳なさそうな声が返ってきた。

「新年早々困っちゃったよ。吐きそうとか、気持ち悪いとかない?」
「大丈夫、ほんまに大丈夫です……ごめん、迷惑掛けて……」
「いいって、これくらい。それより顔痛くない? 大丈夫?」
「顔?」
「化粧。適当にシート? で拭いて落としちゃったから」

 俺がそう言った瞬間、がバッと顔を手で隠した。指の間から見えている顔はほんの少しだけ赤くなっていて首を傾げてしまう。やっぱり強くこすりすぎたか。素直に謝るとが「いや、ちゃう、ごめんありがとう!」と焦った様子で言った。それから顔を隠したまま「ちょっと恥ずかしいだけ!」と言われて、余計に首を傾げてしまった。
 何が恥ずかしかったのかは分からないけど。起きたのならよかった。俺は持ってきた服を着ているし、ホテルの部屋着が一着あるから、と言うと「え、いや、わたし帰るわ。ほんまにごめん」と大慌てで荷物をまとめはじめる。帰る、と言ってももう終電は終わっている時間だ。タクシーで帰るにしてもまあまあな金額になる。簡易ベッドも借りたからここで寝ていけば、と言うとは縮こまりつつ「ありがとう」と言った。

ってお酒弱かったっけ? これまで平気そうだった記憶しかないけど」
「あー……ちょっと、疲れとったんかもしれへん……」

 のこういう感じ、珍しいかも。照れたり焦ったりするところは学生時代はあまり見たことがない。なんか、ちょっと、かわいいとか。いやいや、何考えてんの。一人でそんなふうにツッコミを入れつつ、椅子に腰を下ろした。
 ほとんど記憶がないらしいにここに来るまでの経緯を説明しておく。酔っ払って俺から離れなくなったことを聞いたはベッドに顔を埋めて「死にたい」と消え入りそうな声で呟いた。それを笑ってやるともう一度「ほんまごめん」と謝られた。
 いつも凛々しい子だった。背筋がまっすぐ伸びていて、誰に何を言われても正しいことをしようとしていて、人のために怒れる子。そんなが見せた隙は、結構大胆なものだった。けれど、針の穴を細い糸が通るように、ズドンと体のどこかに刺さったような気がする。

「それにしても、キャラ変わりすぎてびっくりしちゃった。女の子にここまでごねられたの、はじめてなんだけど」
「ご、ごめんなさい……」
「なんか仕事で嫌なこととかあった? 話くらいなら聞くけど?」

 机に置いたスマホを手に取って通知を確認。北さんから「大丈夫やったか?」とメッセージが入っていた。「大丈夫です。無事酔いも覚めたみたいです」と返しておく。またスマホを机の上に置いてに視線を戻すと、なぜだかが俺から目を逸らして少し照れたような顔をしていることに気付いた。

「話しにくい系のやつ? 無理に話せとは言わないよ」
「あ、えーっと、いやあ、まあ、その……」
「めちゃくちゃ歯切れ悪いじゃん」
「…………れ、恋愛系の、話なんやけど」
「えっ、何? 彼氏? 元カレ? 好きな人?」
「めっちゃ食いつくやん……」

 そりゃそうだ。高校生のときのからは一切そういう話を聞いたことがなかった。好きな人がいるとも彼氏がいるとも。そういう話を振られても「苦手やで」としか言っていなかったから好きなタイプさえも知らない。ちょっと気になってはいたのだ、ずっと。みたいに凛々しい女の子はどんなやつを好きになるのだろう、と。
 バレー部の中だったら銀島とか、北さんとか、大耳さんとか、真面目って感じの人かな。勝手にそんなふうに予想をしている。だって、そういう人が隣にいたら納得するというか。チャラついた男が隣にいたらびっくりするし、なんかムカつく。その子、俺の大事な同輩なんですけど。大事にできますか。そんなふうにちょっと拗ねてしまうというか。いや、俺はの何でもないのだけれど。

「ずっと好きな人が、おって」
「へえ、会社の人とか? もうデートとかした?」
「い、いやあ……あんま、相手に、異性として見られてへんというか……」
「そうなんだ? きれいになったし、しっかりしてるのに。相手の人もったいないね」

 がぴたりと動きを止めた。視線を俺のほうに戻すと、じっと見つめてくる。何かまずいことでも言っただろうか。ちょっとどぎまぎしつつ「ごめん、地雷踏んだ?」と手を合わせておく。が「ううん」と小さく笑ってから、髪を耳に掛けた。その女性らしい仕草にちょっとだけドキッとしてしまう。

「……あの」
「うん?」
「その人、なんやけど」
「うん? その人が何?」
「め、目の前に、おんねん、けど……」

 何度でも言う。仲は良かったけれどという同輩の女の子を、そういうふうに見たことはなかった。は真面目で、曲がったことが大嫌いで、人のために頑張れる子だったから。俺はどちらかと言えば真面目と言われるタイプではないし、楽ができるなら楽をしたい。からはよく怒られていた。だから、まあ、そういうふうに見られることはないだろうと、思っていた。と付き合ったら良い意味で気楽で楽しく過ごせるだろうな、と思っていたけど、知らんふりをした。
 顔を赤らめて恥ずかしそうな顔をしている。それなのにじっと視線を外さずまっすぐ見つめてくる。一つ、二つ、三つ、瞬きをするその瞳を見つめてしまう。しばらくお互い黙ったまま、瞳の奥を探り合っていた。
 先に折れたのはだった。「嘘。やっぱなし。忘れて」と苦笑いをこぼす。それから立ち上がって「やっぱタクシーで帰るわ」と言って机に置いた鞄を探る。スマホのアプリでタクシーを呼ぼうとしているのだろう。「まだ酔うとる。ふわふわするわ」と言う横顔。耳が赤くて、瞳が潤んでいる。ああ、もうこれ、帰せないでしょ。そんな顔されたら。スマホごと掴んだ手が思ったより小さくて、ちょっと笑っちゃうくらい驚いてしまった。


1月6日 角名倫太郎

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