少し遠回りをして帰る道に、ひっそりと咲くロウバイを見つけたのは去年のことだった。とある一軒家の庭に咲いているのだけれど、はじめてその黄色の花を見て「かわいい」と一人で呟いてしまったっけ。名前を知らなかったから家に帰って調べて、ロウバイという名前の花だと知った。
 今年もそろそろ咲くころだろうか。そう思って遠回りになる道を歩いている。去年もこの時期にもう咲いていたはず。記憶を呼び戻しながら道を歩いていると、ロウバイの木がある家が見えてきた。不審者に思われない程度にじっと見ていると、黄色い小さな花がぽつぽつ咲いているのを見つけた。やっぱりかわいい。ロウバイの木の下まで行って立ち止まる。花を見上げると、冬の柔らかな日の光がかすかにロウバイを照らす。穏やかな光景だ。じっと見つめて一人でほっこりしてしまった。黄色い、小さな花。寒い冬の風に揺れて笑っているみたい。そんなメルヘンチックなことを考えた。

「あ」

 突然聞こえた男の人の声にびっくりしてしまう。ロウバイから視線を声のほうへ向けると、そこにはマフラーをした眼鏡の男の子。あの子、見たことがある。隣のクラスの子だった、ような。背が高くてなんとなく印象に残っているだけ。話したことはないし、名前も知らないけれど。そんな相手がわたしを見て思わず声を出す、とはどういうことなのだろうか。

「……さんだよね?」
「え、あ、そうですが……」
「家この辺なの」
「ううん、ちょっと遠回りを……あの、ごめん、名前なんだっけ……?」
「あー、月島、です」

 ほんの少しだけ恥ずかしそうな顔をした、気がした。わたしが名前を知らなかったからだろうか。もしかして話したことがあるとか? わたしが覚えていて当然だと思って話しかけてくれたのだろうか。そう思うとなんだか申し訳ない気持ちになってきて、なんと言葉を出して良いものか分からなくなってしまった。
 ふと、月島、という名前に聞き覚えがある気がした。隣のクラスなのならば聞いたことがあっても変ではない。別に引っかかるところではなかっただろうけれど、どこで聞いたんだったか、と考えてしまう。月島。つきしま。ツキシマ。確実に聞いたことのある響きだ。たぶん、わたしと仲が良い子の口から。
 そこまで考えてようやく思い出した。わたしと仲が良いクラスメイトの女の子だ。お弁当を一緒に食べながら話していたときに、一年生の中で一番かわいいと言われている子が好きな男子に話しかけたら冷たくあしらわれていた、みたいな内容。そのときに出てきた男子の名前がツキシマくん、だったのだ。わたしはツキシマくんを知らなかったし、そこまで興味もなくて。「ふーん」とだけ返したら友達が「ツキシマくんって話しかけても無愛想でとっつきにくいんだよね」と言ったのを覚えている。たぶん知らない女子から話しかけられるのが面倒になっているんだろうな、と思ったっけ。
 その月島くんがなぜわたしに声をかけてきたのだろう。別に話しかけずに通り過ぎても変じゃない場面だったけれど。わたしがあんまりにもアホみたいな顔をして花を見上げているから変だったかな。そんなふうに少し照れていると、月島くんが「何見てるの」と聞いてきた。しどろもどろ花を見ていたと説明すると月島くんも花を見上げた。わたしよりも顔が高いところにあるから見やすいだろうなあ。ちょっと羨ましい。

「……花、好きなの」
「え、ああ、うん、なんとなく。去年見つけて、きれいだったから」

 寒いから早く家に帰りたい、という気持ちに勝つくらい見ていたくなるんだよね。そんなふうに説明してもう一度ロウバイを見上げる。真っ白な雪景色にぽつりと咲く小さな黄色。それがなんだかかわいくて。わたしの言葉に月島くんは「ふうん」とだけ言って、しばらくロウバイを見上げていた。
 ふと、月島くんも黄色だね、とそのまま口に出してしまった。あっと思ったときにはもう遅い。月島くんがわたしのほうをじっと見ている。さすがにちょっと、馴れ馴れしい発言だったかもしれない。今日初めて話したのに。少し反省していると月島くんが「黄色、好きなの」と言った。失礼発言とカウントされていないらしい。ほっと胸をなで下ろしつつ「うん」と笑顔で答えておく。
 寒いのは嫌いだ。雪もそんなに好きじゃない。でも、今年の冬が待ち遠しかった。この花が見たかったから。黄色のロウバイ。去年みたこのかわいい花のことがなぜだか忘れられなかった。特別花が好きというわけでもないのに。不思議だなあ。でも、何かしらわたしの好みに引っかかったのだろう。この小さいけれど鮮やかな花が。

「家、どの辺りなの」
「え、えーっと……ここから三十分くらいのところ、かな?」
「…………それ、あとどれくらい見るつもり?」
「えっ、まあ……そろそろ帰ろうかな、とは思ってたけど……?」

 月島くんはわたしから目を逸らして「ふうん」とだけ言った。なんでそんなことを聞いてきたのだろうか。別に通行の妨げになっているわけでもないし、ここが月島くんの家というわけでもない。早く立ち去ってほしい理由なんかあるかな。そんなふうに考えていると、月島くんがぼそりと「途中まで送ってく」と言った。なんで? 完全に頭が混乱状態だ。別に月島くんとは友達だったわけじゃない。今日初めて話したくらいの間柄だから、送ってもらおうなんて微塵にも思っていなかったし、そんなことを言われるなんて夢にも思っていなかった。
 もしかして、友達が話していたツキシマくんと別人さんなのだろうか。わたしが聞いたツキシマくんは話しかけても無愛想な人でとっつきにくいらしかった。でも、目の前にいる月島くんは口数が多いわけでも表情豊かなわけでもないけど、無愛想というほどではないし、とっつきにくくもない。何なら向こうから話しかけてきたし。わたしが知っているツキシマくんとはあまりにも印象がかけ離れている。この月島くんは一体どのツキシマくんなのだろうか。

「嫌なら別にいいけど」
「え、ああ、嫌ではない、けど……なんで?」
「…………いや、別に理由は、ないけど」
「そ、そうですか……」

 まあ、嫌な人じゃないし、これを機会に仲良くなれれば友達が増えていいか。そんな軽い気持ちで「じゃあお願いします」と言っておく。月島くんは「家どっちなの」と歩き始めながらわたしに聞いてくる。ロウバイ、もう少し見たかったけど、まあいいか。そう思いながら道を説明しつつわたしも歩き始める。隣に並ぶと月島くんがずいぶん背の高い人だと気が付いた。ロウバイを見ているときも花がよく見えていいな、と思ったけれど隣に来ると予想以上の大きさだ。ちょっとびっくりしてしまった。
 とりあえず月島くんのことを知りたかったからいろいろ質問してみた。月島くんもそのほうが話しやすいのか嫌がる様子がなかったし、適度にわたしに質問もしてくれた。話しやすい、かも。なんで話しかけてくれたのかは分からないままだけれど。
 はじめて話したはずなのに、結構楽しくて。どんどん話してしまううちにロウバイが咲いている家からずいぶん離れてしまった。
 それにしても、月島くんはどうしてわたしに声を掛けてきたのだろうか。あと、どうしてあそこで立ち止まったのだろうか。その理由がこれっぽっちも分からない。月島くんの横顔をちらりと見上げて考えてみたけれど、うんともすんとも理由が降ってこなかった。別に話しかけてくれることが嫌だったわけではないけれど、理由は気になる。話が途切れたタイミングで、思い切って聞いてみることにした。

「あの、月島くん」
「何?」
「なんでわたしに話しかけてくれたの?」
「……別に、特別な理由はないけど」

 ちょっと居心地悪そうな顔をした。あまり聞かれたくないことだったらしい。なんだか申し訳ない。迷惑がられている感じではなさそうだったから「本当に?」と追撃してみる。月島くんはじっとわたしの顔を見下ろして、ほんの少しだけ目を細めた。その表情はまさに「答えなきゃだめ?」と言いたげなもので。負けじと、できればお願いします、という顔をしておいた。月島くんはじっとわたしの顔を見つめてから、ふいっと視線を逸らしてしばらく無言でまっすぐ歩くだけになった。
 マフラーに顎を埋める。月島くんはしばらく息を潜めるようにしていたけれど、ふとした瞬間に観念したように息を吐いた。相変わらず居心地悪そうにマフラーを軽く直す。それからそうっとわたしのほうに視線を戻した。

「……話してみたかったから、話しかけただけ」

 ぽつりと呟いたその後に、月島くんは「あと普通にあの花がきれいで気になったから」と、取って付けたように言った。それからまたわたしから目を逸らす。「それだけ」と言ってもうこれ以上は聞いてくれるなという顔をする。
 話してみたかった。月島くんの言葉を頭の中で繰り返して、思わず足が止まってしまう。なんか、すごいことを、言われたような。固まっているわたしを振り返った月島くんが「ちょっと。なんで立ち止まるの」とほんの少し怒ったような声で言う。それに慌てて「びっくりして」と返しつつ何とか足を動かした。

「……言っとくけど」
「あ、はい」
「最初に気になったのは花のほうだから」

 またしても取って付けたような台詞だった。さすがにちょっと無茶な気がするよ、月島くん。思わず笑ってしまった。そんなわたしを月島くんはじろりと睨んでから、諦めたように目を逸らす。ちょっとかわいい。そう思っているのはすぐにバレたらしい。月島くんが「笑わないで」と居心地悪そうに呟くものだから、余計に笑ってしまった。


蝋梅に隠す
黄色 × 月島蛍

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