※捏造過多




 十二月下旬。わたしは机の前で腕組みをして大いに悩んでいた。昨今は年賀状という文化が少しずつなくなっているのだという。父親の会社では毎年得意先に出していた年賀状が廃止になったそうだ。母親も年々書かなければいけない年賀状の数が減ってきた、と嬉しそうにしていた。わたしも友達とはスマホでやり取りをするし、もう年賀状を出している相手はほとんどいない、と言っても過言ではない。
 そんなわたしの前に一枚、まだ真っ白な状態の年賀状がある。これは今日帰り道にコンビニで買ったものだ。わざわざ、寄り道までして手に入れたこれには、大事なわけがある。
 同じ小学校だった初恋の男の子。北信介くんという子なのだけれど、この子がとても律儀で真面目な子だった。小学生にして善悪を弁えていたし、考え方も周りの男の子より少し大人っぽかった。わたしは女子校に進学してしまったから、小学校の卒業式を最後に会えていない。
 小学生がスマホを持っているわけがない。わたしは信介くんの連絡先を知らない。同じ中学、高校だったならば交換していたかもしれないけど、さすがに中学から別ならよほど仲が良くない限りはそんな機会はない。信介くんの家は知っているけれど、まさか急に会いに行くほどの度胸はない。初恋ってこんなもんだよ、と自分に言い聞かせていた。
 でも、唯一信介くんとやり取りできる瞬間が、年に一度だけあった。それが年賀状だ。信介くんはとても律儀な子だ。小学生のときにわたしが年賀状を出したら返事をくれた。それが嬉しくて小学生のときはたくさんイラストと文字を書いたな。なんとなくやめられなくて、中学の三年間も出したし、高校に入ってからも変わらずに出している。そうして高校三年生の今、わたしは果たしてまた年賀状を出していいものか、悩んでいた。
 いつまでも初恋を引きずっている気がして、なんだか恥ずかしくなってきた。毎年届いた年賀状を見た母親から「あら、信介くんて小学校んときの子やん〜なついわ〜」と微笑ましそうに言われるのもちょっと嫌だし。思い切って、出すのをやめてみようかな。未練を断ち切る意味も込めて。いや、今の信介くんがどんなふうになっているのか分からないし、恋でも何でもないのだけれど。
 せっかく買った年賀状を、引き出しの中に入れてしまう。信介くんも書くのを面倒くさく思っていただろうし、これでいいんだ。ちょっと寂しい。もうこれで信介くんとの縁は、完全に切れてしまったんだな。そう思うと、胸の奥が少し痛かった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




ー! いつまで寝とんのー!」

 母親のうるさい声で目が覚めた。一月一日、元旦。一つ伸びをしてからため息を吐く。夜更かししすぎた。勉強するから、なんて嘘を吐いてスマホで動画配信をずっと観てしまったな。何やってんだ受験生。自分で自分にツッコミを入れつつあくびをこぼした。目を擦りながら「起きたー」と適当に返事をする。リビングのほうから母親が「朝ご飯! あと年賀状来てんで!」という声が聞こえた。年賀状? わたし、誰にも出していないけれど。不思議に思いつつ自分の部屋を出た。
 階段を下りてリビングのドアを開ける。美味しそうな朝ご飯の匂いを嗅ぎながら自分の席に着く。机の上にはわたし宛ての年賀状が一枚置いてあった。その差出人を見て、眠気が一気に吹き飛んでしまう。

「信介くんって小学校んときの子やんな? 去年も返事くれとった子やろ?」

 律儀やね〜、と母親が笑う。そう、わたし宛てに届いたたった一枚の年賀状は、信介くんからのものだったのだ。驚きすぎて固まってしまう。だって、これまではわたしが送って信介くんが返事をくれる、という流れだった。信介くんが元旦に届くように年賀状を送ってくれるなんて、どうしてだろう。
 恐る恐る年賀状を裏返す。毎年変わらない文字の多い年賀状。今年はカラーペンで少し不格好なミカンが書かれていた。文面は短い近況報告とこちらを気遣う言葉。ボールペンで書かれたトメハネのしっかりした文字。一年ぶりに見たそれに何とも言えない懐かしさを覚えてしまった。信介くんは信介くんのままなんだな。毎年そう実感する。
 ほっこりしながら年賀状を読み終わり、ハッとする。ほっこりしている場合じゃない。わたし、今年信介くんに年賀状書いてない! 信介くんはわたしが送ってくると思ったから書いてくれただろうに! 慌てて立ち上がってリビングから出て行く。母親が「ご飯やってば!」と声をかけてくるのに「すぐ戻るって!」とだけ返しておく。大慌てで階段を駆け上がり、自分の部屋へ。年明け前に悩みに悩んでしまい込んでしまった、真っ白の年賀状。引き出しを開けてそれを手に取り、もう一度リビングへ下りた。
 食卓に朝ご飯が並びはじめている。バタバタと戻ってきたわたしを見た母親が、手に持っている年賀状に気が付いた。驚いた様子で「あんた、信介くんに出してへんかったん?」と言う。うるさい。聞かないで。猛烈に後悔しているところだから。そう焦りながら席に着く。年賀状を傍らに置いてから手を合わせ、朝食を食べ始める。
 なんと書こうか。そればかりが頭の中で浮かんでは消えていく。わたしと信介くんの関係は、とてもとても細くていつ切れてしまってもおかしくないものだ。直接会ったのはずいぶん前。小学生のときの信介くんの姿しか私は知らない。そんなあるようでない、ないようである細い縁。
 ご飯を食べ終わって、きちんと食器を流し台に持って行ってからまた席に着く。悩みに悩んで、ようやくボールペンを掴んだ。新年の挨拶、それから毎年年賀状を送ってくれたことへの感謝。そのあとに詰め込むように近況を書いた。真っ白だった年賀状は、わたしが書いた黒色の文字でぎっちり埋まってしまう。ちょっと、気持ち悪いかな。そう苦笑いをこぼしてしまう。けれど、仕方がない。年賀状はこれ一枚きりだ。一度も書き間違えなかったことを褒めるしかできない。最後に宛名と住所を書いて、一つため息。今から出しても届くまでに一日以上かかる。せっかく信介くんが年賀状をくれたのに。



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 何をしているんだろうか、わたしは。そう苦笑いをこぼしつつ、そうっと顔を上げる。さすがに気持ち悪すぎるか。いくら自転車で行ける距離だからって、年賀状を自分でポストに入れに来た、なんて。バレたらとんでもなく引かれてしまうだろうな。そう分かっていながらも、どうしても、早く返事がしたくて来てしまった。場所だけは知っている信介くんの家に。
 こっそりポストに入れてすぐに帰るだけ。絶対にバレない。そう自分に言い聞かせてそろそろと北家に近付く。ポストが表札のすぐ横についているので家の中からは死角になっているはず。できるだけ目立たないようにしながら北家の表札に近付き、そっとポストに年賀状を入れた。よし。誰も見ていない。大丈夫。そう達成感を噛みしめているときだった。

「おはようございます」

 びくっと肩が震えた。ぎこちなく顔の向きを変えて、声が聞こえてきたほうに顔を向けた。そこにはマフラーを巻いた男の人。じっとわたしを見て、視線を手元のほうへ向けたのが分かった。「郵便配達、とはちゃいますね」と不思議そうに呟いてから「うちに何か用ですか」と落ち着いた声で聞いてきた。

「あの、怪しいもんやなくて……ね、年賀状、を」
「……もしかしてちゃんか?」
「えっ、あ、はい」
「久しぶりやな」
「…………え、信介くん?」
「どう見てもそうやろ」

 けらけら笑ってこっちに歩いてくる。わたしのすぐ近くまで来ると「小学校の卒業式ぶりか?」と笑ったまま言った。その信介くんの顔を見て、固まってしまう。なんか、背が、すごく伸びている。顔も大人っぽくなって、知らない人みたいだ。

「わざわざ年賀状届けに来てくれたんか?」
「あ、はい……あの、年賀状、ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ毎年楽しみにさせてもうとるわ」

 きっと嫌味でも何でもない言葉だっただろう。でもわたしにはグサリと刺さってしまう。なんで今年に限って書かなかったのだろうか。遠回しのせやけど今年はなかったなあ%Iな意味がもしかしたらあったのかもしれないけど、信介くんがあまりに朗らかに笑うからそうは思えない。グサリと刺さったものを取り出すように「ごめん……」と絞り出したら信介くんは不思議そうな顔をしていた。
 信介くんが「年賀状ありがとうな」と言ってポストに近付く。先ほど入れたばかりの年賀状を中から出すと、ほんの少しだけ照れくさそうに「俺な」と呟く。

ちゃんの字、好きやねん。せやから毎年楽しみなんや」

 年賀状を見つめて、そう優しい声で言った。わたしの字が、好き? そう言われてもいまいちピンとこない。だって、別に上手なわけでも特徴があるわけでもない字だ。かわいい丸文字でもないし、かっこいい細い字でもない。友達からは「可愛げがない」と言われたこともあるほど。それを、信介くんはどうして好きだと思ってくれたのだろうか。

「わ、わたしも、信介くんの字、好きやで」

 勇気を振り絞った。信介くんが年賀状に向けていた視線をわたしに向ける。じっとこっちを見てから小さく笑うと「ありがとう」と言った。信介くんも達筆というわけではない。トメハネがしっかりしていて、形が整っていて、とても丁寧に書かれた字。それが信介くんの性格をとても表している気がして好きなのだ。

「あ、あの」
「ん?」
「もしよかったら、連絡先、交換してくれへん?」
「ええよ」

 信介くんがポケットからスマホを取り出す。わたしも慌ててスマホを取りだそう、として、はじめて自分がスマホも持たずに家を飛び出したことに気が付いた。交換してって言ったの、わたしなのに。スマホ持っていないって。盛大に自分にツッコミを入れながら「ごめん、スマホ持ってへんかった……」と小さい声で言う。恥ずかしすぎる。なんで財布もスマホも持たず、年賀状だけを持って出てきてしまったかな。いつも最低限スマホだけは持って出かけるのに。こんな大事なときに限って。
 信介くんはポストの中に入っていたビラを一枚取り出す。それから「あかんわ。オカンがよう行くとこのやつや」と独り言を呟いてから、家のほうへ歩いて行く。わたしを少し振り返ってから「ちょっとええか」と声をかけてきた。恐る恐るついていく。信介くんが玄関の扉を開けると、靴箱の上に置いてあるメモ帳を手に取った。そのすぐ横に置いてあるボールペンも手に取ると、さらさらと何かを書き始める。それをそわそわしながら待っていると、書き終わった信介くんが「ん」とそれを差し出してきた。受け取って見てみると、信介くんのものと思われる電話番号が丁寧な字で書かれていた。

「あ、ありがとう」
「ん」

 信介くんは「家あっちのほうやろ? 送ってこか?」と玄関先にわたしの年賀状と、先ほど取り出したビラを置きながら言った。送ってほしい、とは思ったけれどさすがに悪い気がして「大丈夫」と答えてしまう。小学校ぶりに会ったし、年賀状を直接届けに来た変な人になっているわけだし。これ以上何かやらかすのも怖い。こっそりそんなふうに思っていると、信介くんが小さく笑った。

「久しぶりに会うたんやし、せっかくやで送らせてくれへんか」

 そう言われると、「はい」としか言えない。だって信介くんはわたしの初恋の相手で、忘れられない男の子なのだから。
 信介くんは「ちょお待っとって」と言ってから、なぜだか家の中に消えていった。何か取りに行ったのだろうか。不思議に思っていると、ものの十数秒で戻ってきた信介くんは、片手に上着を持っていた。もう着ているのに。寒かったのだろうか。
 靴を履いた信介くんが「これ着とき」と、わたしにその上着を渡してくれた。びっくりして固まっていると「寒そうやったから」と笑う。恐る恐る受け取って羽織ると、なんだかふわりと懐かしい匂いがした。今年のスタートが、恐ろしすぎる。もうここで一年の運を使いきってしまったのではないだろうか。そう恐ろしくなってしまうほど、胸がくすぐったくて苦しくなってしまった。


美しい文字を書く人
白色 × 北信介

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