天国みたいにひまでひまね

※未来設定




 今日は珍しく幼馴染の研磨は外出中。わたしは鍵をもらっている研磨が不在の一軒家に上がり込んでこたつでぬくぬくしている、社会不適合者である。
 一週間前に、新卒から勤めた会社を辞めた。理由は簡単。精神的にもう無理だったから。面接を受けたときは内勤だと聞いていたのに、ふたを開けてみたら飛び込みの営業としての採用になっていた。聞いてないんですけど。どう考えてもそう言っておかしくない状況だったけど、気が弱くて何も言えなかった。それに加えて今辞めたら経歴に傷がついて、再就職が難しくなるんじゃないかって不安もあった。
 嫌だったけどずるずると続けた結果、働く屍になってしまって。一ヶ月半前、久しぶりに会った幼馴染のクロから「一回休んだほうがいいぞ」と言われて休職を決意。休職願を出したら上司に怒鳴られて、心が折れた。もうこの際辞めてやれ。どうにかなる。そう投げやりな気持ちで退職願を提出。上司に怒鳴られたけど、どうにでもなれ、の気持ちでわたしも怒鳴り返した。「お前のせいで辞めるって言ってんだよこっちは!!」と言い返されたときの上司の顔は忘れられない。とても面白かった。
 両親はわたしにとても優しくしてくれた。無理しなくていいからゆっくり休みなさい。そんなふうに。でもそれが逆に申し訳なくて。家に居づらい、と電話で研磨にぼやいたら「じゃあうち来る?」と言ってくれたのだ。ちなみに昨日も研磨の家にいた。「泊まっていったら」と言ってくれたけど、そうすると居座り続けてしまうだろうと自分で分かる。そうしたい気持ちをぐっと堪えてちゃんと家に帰っている。今日も晩ご飯の時間には帰るつもりだ。両親には「研磨の家にいる」と伝えてある。
 それにしても珍しい。基本的に家で仕事をしているから、わたしが来るようになってからの一週間ずっと家にいたのに。日用品も通販で買っているから本当に家を出ていない研磨が外でする仕事ってなんだろう。わたしが家に来たときにはもういなかったし。机の上には「夕方までには帰る」とだけメモ帳が残されていた。いや、文明の利器、スマホでメールくれたらいいのに。なんで書き置きなの。ちょっと面白いけど。
 もうすぐ帰ってくるのかなあ、とぼんやり時計を見上げたら、庭に車が入ってきた音がした。車なんて研磨持ってたっけ。運転してるところなんて見たことがない。そうっとカーテンをちょこっと開けて掃き出し窓から外を窺う。見たことのない車だ。誰だろう。そう思っていると、後部座席のドアが開いた。降りてきたのは、研磨だった。車の中の誰かと会話を交わしてから、最近たまに見る営業スマイルを向けてドアを閉めた。
 え、研磨、スーツ着てる。あとなんか立派な紙袋も持ってる。なんだろう、あれ。というかどこ行ってたんだろう。幼馴染なのに研磨のこと、何も知らないんだな。まあ会社が忙しくて研磨ともなかなか連絡を取れていなかったしなあ。知らないことがあっても不思議じゃないんだけどね。そっとカーテンを閉めてそそくさとこたつに戻った。
 程なくして研磨が玄関のドアを開けた音。足音が近付いてきて「ただいま」と言いながらリビングのドアを開けた。「おかえり~」と言うと研磨が「疲れた」とうんざりしたような声で言った。

「スーツなんて珍しいね。仕事?」
「うん……仕事の知り合いの結婚式」
「仕事なの、それ」
「仕事でしょ。付き合いがなかったら行ってないし……」

 なんとも研磨らしい回答だ。立派な紙袋をこたつテーブルの上に置くと「食べていいよ」と言った。結婚式でもらう食べ物、といえば。中を覗いたら予想通りバームクウヘンだった。なんてベタな。そう笑いつつ取り出していると、研磨が「あとこれ」と言って見慣れたコンビニの袋を一緒に置いた。この匂い。冬といえばなアレなのでは。

「その格好でおでん買ったの?」
「途中でコンビニ寄ったから」
「えー、なんか変」

 二人分買ってきてくれたらしい。どうしよ、晩ご飯は家で食べるつもりだったんだけどな。せっかく買ってくれたんだし、今日は有難くいただいてしまおうか。
 それにしても、無職の幼馴染が家に居座るって状況、研磨は嫌じゃないのかなあ。一度も何も言われたことはないけれど、ちょっと気になる。研磨は嫌なことは嫌って言ってくれる人だと分かってはいるけれど。

「前々から思ってたけど、明日もどうせ来るなら泊まってったら」
「え、いいよ。さすがに悪いし」
「なんで?」
「え」
「何が悪いの?」

 ネクタイをぽいっとその辺に置いて、ジャケットも同じようにぽいっと置いた。シャツも脱いでいつものパーカーを着ると、ベルトもズボンもぽいぽいっと雑に置いてスウェットを穿く。それからわたしの隣にやってくると、こたつに入っておでんを自分のほうに引き寄せた。
 何が悪いの、って、そりゃあ。家族でもない人の家にずっと居座るのって、良くないことじゃないのかな。研磨とわたしは幼馴染だけど、それ以上じゃない。ただの幼馴染がずっと家にいるなんて嫌じゃない? そんなふうに苦笑いをこぼす。これじゃあ研磨に言わそうとしているみたいだ。なんだか申し訳なくなる。

「鍵まで渡してるのに嫌って言うと思う?」

 何言ってんの、と呆れたように言われる。しっかりダシが染みた大根を箸で半分に割りつつ「で、何が悪いの?」と話を戻す。何が、と具体的に聞かれると困ってしまう。昔から研磨って変なところに引っかかるんだよなあ。
 なんとなく。会社を辞めてからの一週間ずっと、自分が何をするのも申し訳ない気持ちが付きまとうのだ。わたしなんかがすみません、みたいな。他の人たちができていることができなかったわたしなんかが、みたいな。ネガティブだという自覚はあるけれど仕方がない。思ってしまうものは思ってしまうのだ。
 素直に研磨にそう説明したら、もぐもぐと大根を食べながら「ふうん」と興味なさげに相槌を打たれた。ふうん、て。まあそうなるよね。苦笑いをこぼしていると研磨が大根を飲み込んでから、じっとわたしを見た。

「おれはどうでもいい」
「結構冷たいこと言うね?」
「どうでもいいから、いてほしいって言ってるんだけど」

 研磨が「早く食べなよ」と言ってわたしの分のおでんを近付けてくれた。割り箸を差し出されたから受け取るわけにはいかなくて、呆気に取られたまま受け取った。いてほしいって。変なの。なんでそんなふうに言ってくれるんだろう。

「家事要員?」
「なんでそうなるの……」
「もしかして家政婦さん的な? 雇ってくれるの?」
「馬鹿じゃないの……まあそれでもいいけど……」

 はんぺんを食べつつ、それならなんて有難いことだろうと噛みしめる。研磨の家で家政婦さんかあ。研磨がそうしてくれたら一番いいなあ、なんて。そんなのちょっと人生舐めすぎか。
 研磨の伸びた髪がおでんの器に入りそうだ。思わず手を伸ばして髪を摘まんだらちょっとびっくりされてしまった。研磨の耳に髪をかけたら「ありがとう」とちょっとだけ照れたように言われる。何照れてるの。変なの。そう笑ってしまった。

「何もしなくていいけどね」
「え?」
「いるだけでいいよ」
「……それはさすがにぐうたら者すぎると思うんだけど?」
「いいじゃん。ぐうたら毎日暇で暇で仕方ないくらいになれば」

 そう言った研磨の左手が伸びてくる。わたしの頭の上に置くとくしゃ、と優しく撫でた。

「ご飯食べて、好きなことして、暇で仕方ないってくらいのんびりしたらいいじゃん」
「さすがに社会人として失格すぎない?」
「これまで頑張ったんだからいいじゃん。ちょっとくらい」

 頑張った。そんなこと、はじめて言われた。会社を辞めたわたしのことを両親は「大変だった」と言ったし、わたし自身もそう思っていた。大変だった。とにかく、疲れすぎてどうしようもないくらい大変だった。少し言い換えられただけでこんなに、捉え方が変わるなんて夢にも思わなかった。

「じゃ、じゃあそうしよっかな~……?」
「うん。そうしなよ」

 研磨が珍しく満面の笑みを浮かべた。その顔にちょっとどきっとしていると、おでんのほうへ視線を戻してしまう。もぐもぐと食べながら少しだけ眠たそうな顔をしている。
 暇で仕方ないくらいって、わたしにとったら天国みたいなことだなあ。ぽつりと呟いたら研磨が「それならなおさらいいじゃん」と笑ってくれた。