スノードームシンドローム

 中学生のとき、賢二郎に用事があって家に行ったらリビングに大きなツリーが飾られていたことを覚えている。白布家は四人兄弟だ。賢二郎より下の二人がまだ小さかったこともあってツリーを飾っていたのだろう。じっと見ていたら賢二郎が不思議そうに「なんだよ」と首を傾げたその光景も、なぜだかよく覚えている。
 賢二郎はそういうものにほとんど興味がない。イベント事もそうだし、記念とかそういうのも全部「どうでもいい」と言うタイプだ。そういうのモテないよ~、なんてよくからかったけどそれにも興味がないらしくて。あんまりダメージを与えられたことはない。そういう人だからお互いの誕生日を祝ったこともほぼない。そもそもわたしの誕生日なんか覚えてないだろうけど。
 不可抗力だった。十二月二十五日、いろいろわけあって賢二郎に会わなくてはいけなくなってしまった。高校に入学したと同時に寮生活に入った賢二郎とはかれこれ一年ほど会っていない。それなのになぜ突然会わなくてはいけなくなったのか。それは、わたしのおばあちゃんが原因だった。
 おばあちゃんは子どもの頃から自分の孫のように賢二郎をかわいがっている。ここ最近ずっと会えていないことを悲しんでいて、事あるごとに「賢二郎ちゃん元気?」とわたしに聞いてくる。会ってないから知らないよ、とわたしが言うと「そっかあ」ととても残念そうにしていた。それがなんだかとても可哀想に見えてしまって、「バレーで忙しいから会えないだけだよ。練習頑張ってるみたいだよ」と想像だけで話した。実際そうなんだろうし。そんな軽い感じで。
 それを聞いたおばあちゃんがその日から何かをこそこそやりはじめたものだから、ちょっと気にはしていた。言ってしまった手前最後まで付き合ったほうがいいのかな、とか。わたしが様子を窺っていることも知らずにおばあちゃんはこそこそと自分の部屋で何かを作っていたっけ。そうして一ヶ月後、完成したそれを見せてくれた。神社で配られているものよりきれいなお守り。かわいいマスコット付きだった。いろんな生地を見て回ったり、縫い方に凝ったりして時間をかけていたのだ。
 賢二郎のために作ったお守りをわたしに渡してきた。おばあちゃんは足が悪い。車も運転できない。うちから賢二郎が通う白鳥沢学園は車で行っても一時間以上はかかるところにある。「どうせ渡せないから、代わりにが持ってて」と言ってきたのだ。いやいや、おかしいでしょ。賢二郎に作ったんだから賢二郎に渡さなきゃ。そう笑って「わたしが渡してくるよ」とつい言ってしまって。喜ぶおばあちゃんを見たら、もう引き返せなくて困ってしまった。

「え、もしかして誰かの彼女とかかなー」
「クリスマスだしな~いいな~」

 居づらい。非常に居づらい。ため息をこぼしつつ運動部男子が生活しているという寮の前で小さくなっている。さっきから寮から出て行く人たちにじろじろ見られていたたまれない。彼女じゃないです。ただの幼馴染です。もう一年も会ってないそんなに仲が良いわけじゃない関係です。内心そう返しつつ。
 わたしにもわたしの予定があったので、十二月二十三日から二十六日の間しか都合がつかない。それを添えて「渡したいものがあるから時間作ってほしいんだけど」と一年以上ぶりに連絡をした。賢二郎からは割とすぐ返事があって「しばらく忙しい」と言われて、二人であーだこーだと予定を合わせた結果、二十五日の夕方くらいに白鳥沢の近くくらいまで来てくれたら助かる、という結論に落ち着いた。二十五日って一応クリスマスだけど、彼女との予定とか大丈夫なの。そんなふうに内心思ったけど聞きはしなかった。
 聞けば毎日休みなく練習が入っているのだという。大晦日はさすがに休みらしいのだけど、本当にギリギリまで練習があってなかなか出かけられる余裕がないそうだ。大変そう。ぼんやりそう思っていたら「じゃあわたしが寮の近くまで行く」と自分から言い出していた。で、結果がコレ。言わなきゃ良かった。賢二郎にももうちょっと出て来てもらえばよかったなあ。でも、なんか忙しそうだったし、そうでもしないと渡せそうになかったし仕方ない。渡したらさっさと帰ろう。
 そう思っていたらがやがやと賑やかな声が聞こえてきた。練習を終えた運動部集団が帰ってきたらしい。紫のジャージ。白鳥沢って制服も紫が入ってておしゃれでかわいいんだよね。憧れるけど偏差値が高すぎて志望校の候補にさえ入れなかった。そこに受かる賢二郎ってやっぱり頭良いんだなあ。負けず嫌いでやると決めたらとことんやる性格もかなり影響しているだろうけど。

「あ、

 突然名前を呼ばれてびっくりしてしまった。顔を上げたら紫のジャージ集団の後方に賢二郎がいた。ああ、この人たちバレー部の人だったのか。道理で背が高い人ばかりなわけだ。
 久しぶり、と若干気まずく思いながら声をかける。小走りでわたしに近付いてきた賢二郎が「久しぶり」とあまりにも普通に言うから少し驚く。てっきり、忙しいのになんだよ、とかそういうふうに言われると思っていた。賢二郎も大人になったな。こっそりそう思っておいた。
 同じジャージを着た人数人が「やだ、彼女? やらしい~」とからかった。賢二郎は真顔で「違います」と否定してシッシッと追い払う仕草をする。それをけらけら笑ってバレー部の人たちは寮へ入っていった。

「ごめん、忙しいのに。これ、」
「とりあえず入れ。寒いだろ」
「……え、入れって、ここに? 男子寮って女子入れないんじゃないの?」
「とりあえず来い。部屋に入れとは言わねえよ、さすがに」

 敷地の中に入っていく賢二郎に少し困惑してしまう。え、だって、普通入っちゃだめでしょ。そう思って門の前で待っていたのに。「早く来い」と呼んでくる賢二郎に続いて恐る恐る敷地に入る。いいのかなあ。怒られても知らないよ。そう思いつつ。
 寮の入り口を入ってすぐにある小窓を賢二郎が叩いた。「はいは~い」と陽気なおじさんの声がして小窓が開くと、賢二郎が「部屋には入れないんで一瞬だけこいつ入っていいですか」とわたしを指差した。おじさんが「ああ、白布くんの彼女? そこの談話スペースまでならいいよ。内緒ね」と笑っている。いや、彼女じゃないんですけど。賢二郎はそれを否定することなく「どうも」と言って小さく頭を下げた。それからわたしに「来い」と言ってずんずん歩いて行く。内緒って言われてたけど。本当はだめってことじゃん。そう思いつつ、わたしもおじさんに会釈してから恐る恐る足を進めた。
 連れて行かれたのはテーブルと椅子がたくさん置かれたスペース。あまり暖房が効いていないこともあって誰もおらず静まり返っている。「そこ座ってて。すぐ戻る」と言って賢二郎は階段のほうへ歩いて行ってしまった。どうやら一度部屋に戻るらしい。いや、あの、渡すものを渡したらすぐに帰るんですが。そう思ったけどもう賢二郎はいなかった。
 ぽつん、と見知らぬ場所に取り残されてしまった。そうっと椅子に座ったら、先ほどのおじさんが管理室らしき部屋から出てきた。「はい、メリークリスマス」と笑って、自販機で買ったらしい温かいココアをくれた。申し訳ない。いろいろお礼を言うと「バレー部の子、みんな礼儀正しいから許しちゃうんだよね」と笑って去って行った。いい部活なんだな。でもおじさんはきっと知らない。賢二郎はたぶん誰にも負けないくらい口が悪いことを。猫を被るのが上手い。ちょっと笑ってしまった。
 男子寮という空間にもクリスマスシーズンは吹き込んでくるらしい。談話スペース、とおじさんが言ったこの空間の隅っこに申し訳程度のツリーがちょこんと飾られている。飾り付けもされているけれど、なぜか七夕の短冊みたいな紙もたくさん付けられている。男子のノリなんだろうか。「彼女がほしい」「チューしたい」とかなんとか、いろんなお願い事が書かれていた。男子ってみんなこんな感じなのかな。ちょっと呆れて見ていると、階段を下りてくる足音が聞こえてきた。

「誰か来たか?」
「ううん、誰も」
「このココアは?」
「さっきのおじさんがくれた」

 賢二郎が片手に紙袋を持っている。なんだろう。ちょっと気にしていると「ああ、これな」と紙袋を持ち上げる。それから「やる」とわたしに言った。え、わたしに? なんで? 思わず怪訝な顔をしてしまったのだろう。「ちょっとは喜べよ」と呆れられてしまった。よくショッピングモールに入っている雑貨屋さんの紙袋。クリスマス仕様になっていてトナカイとツリーが可愛く描かれている。

「で、お前は?」
「ああ、うん。これ。おばあちゃんから」
「…………おばあちゃん?」
「うん。うちのおばあちゃんが賢二郎にお守り作ったからって」

 はい、とお守りが入っている小さな紙袋を渡す。賢二郎は真ん丸な目をわたしに向けたままそれを受け取ると、なんとなく呆気に取られたままぽつりと「ありがとう」と言った。でも、その数秒後に、とんでもなく恥ずかしそうな顔をして「んだよ、そういうことか」と呟く。

「え、なんかごめんね?」
「……いや、いいけど。ありがとうって言っといて」
「了解。で、ごめん、これは結局なんなの?」

 くれた紙袋を少し持ち上げて指す。賢二郎はちょっと嫌そうな顔をして「何でもいいだろ」と目をそらして言った。そう言われると気になる。また同じことを聞こうとして、ハッ、とした。
 クリスマス。最近買ったものが入っていると思われる紙袋。なるほど、もしかして、クリスマスだから用意してくれたものなんだろうか。わたしは賢二郎に渡したいものがある、としか言っていない。もしかしてプレゼント交換のつもりだったのかな? それなら騙し討ちをしたみたいになってしまった。いや、実際おばあちゃんからのお守りを渡しているから騙し討ちではないか。クリスマスにお守りって、宗教がごちゃ混ぜになっている感じだけど。

「これ、おばあちゃんに渡したほうがいい?」
「は?」
「だってそういうことでしょ? クリスマスだからプレゼント交換的な」
「まあ……そうだけど……」

 肯定したことにびっくりしてしまった。賢二郎がわたしの顔を見て「何びっくりしてんだよ」とちょっと照れくさそうに睨んでくる。いや、だって、賢二郎がそんなことを思いつくなんて夢にも思わなかったから。クリスマスとかそういうイベント、興味ないタイプだったし。そんなふうに言ったら「うるせえよ」と機嫌を損ねてしまった。

「……お前に買ったやつだからお前がもらっといて」
「そうなの? なんかごめんね?」

 またびっくりしてしまう。わたしに買った、って。何をくれたんだろう。ちょっと気になる。それにしても部活で忙しいだろうに買う時間がよくあったものだ。その時間にわたしと会う約束をすればよかったんじゃないだろうか。そう思わず聞いたら「それは練習試合の帰りに買った」と言った。駅の中にあるお店が閉まる直前に買ったのだという。そんなに慌てて用意してくれなくてもいいのに。ちょっと、嬉しいけど。

「昔俺の家に来たときにじっとクリスマスツリーを見てたから、クリスマスとかそういうの、好きなのかなって」

 思っただけ、と小さな声で言ってから、じろりと睨まれた。なんで睨む。わたし何も悪いことしてなくない? 笑ってそう言うとそっぽを向かれてしまう。かわいくないやつ。今日はちょっとだけ、かわいいけど。
 そっぽを向いている間に袋の中を取りだした。賢二郎がすぐに「家に帰ってから開けろ」と言ってきたけど無視。中に入っていた袋のリボンをほどいて中を覗いたら、また驚く。賢二郎がくれるプレゼントを予想したとき、大体実用的なものなかりが頭に浮かんでいた。でも、実際そこにあったのは、実用的でも何でもない、手の平に乗るくらいのスノードーム。クリスマスシーズンによく雑貨屋さんに並んでいるツリーの前にサンタさんがいる飾りのものだった。意外すぎる。これをプレゼントに選ぶ賢二郎を一度でも想像したことがあっただろうか。そんなふうに驚いていると、無言に耐えられなくなかった賢二郎が小さくため息を吐いた。

「クリスマスとかそういうのが好きなら、そういうのも好きかなって思っただけ。いらないなら捨てろ」

 早口でそう言うと「以上。外まで送る」と言ってわたしの鞄を持ち上げた。まだ開けていないもらったココアを慌てて持ってついていく。賢二郎は入ったときと同じように小窓を叩くと。「ありがとうございました。もう帰します」と言った。
 ずんずん歩いて行く賢二郎についていって、門のところまで来るとこちらを振り返る。「ん」と鞄を渡してきた。なんて一方的な。思わず苦笑いがこぼれてしまう。

「なんだよ」
「なんでも。元気そうでよかったなと思っただけ」
「なんだそれ」

 小さく笑ってから「お前もな」と言った。お互い一年ぶりくらいに会って話したもんね。一応、多少は気にしてたよ。そんなふうに。
 じゃあ、と背中を向けようとしたら賢二郎が「何かあったら連絡して来いよ」と声をかけてきた。何か、とは。これまでほとんど連絡なんて取っていなかったから、賢二郎も多少は気にしてくれていたのだろうか。そうなら結構、嬉しいかも。「何かってたとえば?」と笑いながら聞いてみると「まあ、テストの点がよかったとか?」と考えつつ呟く。そんな一言日記みたいな内容でもいいんだ? 無駄な連絡とか嫌いそうなのに。そういうの構ってくれるタイプだっけ? 不思議に思いつつ「じゃあ賢二郎も何かあったら連絡して」と言うと「何かあったらな」と半笑いで返された。何その顔。変なの。
 賢二郎に背中を向けて歩いて行く。何かあったら、か。なら、このスノードームのお返しをしたいから次はいつ会えるって連絡してみようかな。賢二郎がほしいものなんて全然分からない。何をあげたら喜ぶかなあ。今はピンとこないけど。部屋でこのスノードームを眺めてゆっくり考えたら、それなりに良い答えが出そうかも。そんなふうに思った。