密やかに甘くってお気に入り

※未来捏造、社会人設定




 遠距離恋愛をしている彼氏、川西太一と会えない日々が続いている。かれこれ半年会えていない。それもこれもほとんどわたしの仕事が悪いのだけど。
 最寄り駅の改札をくぐって見慣れた夜道を歩く。ぐったり。その一言に尽きる。片手にはスーツケース。反対の手には適当に買ったご飯。駅前のショッピングモールはすでに閉店している時間だけど、イルミネーションだけはきらきらと輝いていた。
 出張が多すぎる。今日は関西への二週間の出向を終えてようやく戻ってきたところだ。その前は東海、そのまた前は関東。関東に出張だったときに太一と会えるかと思ったのに、運悪くわたしが関東にいる間、太一が珍しく出張だった。タイミングが悪すぎる。そんなこんなで半年会えていない。
 本当は一度、会う約束を取り付けていた。その日を楽しみに仕事を頑張ったし、大嫌いな会議の資料作りもイライラせずに頑張れた。あと三日で太一に会える、そう思ったらなんだって頑張れたのに。会う約束をしていた二日前、太一から会えなくなったと連絡が来た。仕事の都合でどうしても、という、仕方がない理由で。申し訳なさそうにしていることがよく伝わってくる連絡だったから、わたしもにこちゃんマークを付けて「残念だけど、大丈夫。仕事頑張ってね」と返した。出来上がった会議の資料を印刷しながらちょっとだけ泣きそうだったけど、仕方がないものは仕方がないのだ。だから、何も思わないように努めた。
 次はいつ会えるのかな。最寄り駅から歩いて十分ほどのマンションを目指してスーツケースを引きずるように歩く。おかしいなあ、必要最低限の荷物しか入れてないのにすごく重く感じてしまう。深いため息は夜風に吹かれて何事もなかったように消えた。太一、会いたいなあ。言ったって会えないんだからどうにもならないけれど。
 今日は十二月二十六日日曜日。クリスマスは終わってしまった。わたしにはサンタさんは来てくれなかった。まあ、もう大人だしね。来てくれないに決まっているのだけど。そんなふうに笑いつつ。
 笑っている間にマンションに到着。まだ日付は回っていないけれど、あまりうるさくすると迷惑になってしまう。静かに歩き、静かにエレベーターに乗り、静かに部屋の前まで歩く。鍵もそうっと開けて、そうっとドアを閉める。苦笑い。誰かにサプライズをするわけでもないのに。そんなふうに思って少し、動きを止めてしまう。
 三年前のクリスマス。太一が大学生だったときだ。一年留年してしまった太一より一足早く社会人になったわたしに、太一がクリスマスにサプライズをしてくれたっけ。クリスマスの夜に太一の家に行ったら、部屋中わたしが好きなもので溢れていた。部屋の飾りの色とか匂いとか、ちょっとしたプレゼントとか。太一は苦笑いをして「高いものとかが買えなかったから、せめてものあれです」と申し訳なさそうに言っていたっけ。でも、わたし、それがとんでもなく嬉しかった。わたしが好きなものを全部覚えてくれてるんだなって。付き合い始めたときから何も変わらない。クラスメイトの川西くん、仲良しの川西、彼氏の太一。どの瞬間もわたしのことを見ていてくれたんだな。そう思えて、本当に嬉しかったなあ。
 玄関の鍵を閉めた体勢のまま固まってしまう。思い出が頭の中に溢れると、途端に、寂しくなってしまって。体が動かない。疲れた。仕事つらい。遠いところに出張しんどい。太一に会えないの無理。閉じ込めていた気持ちがぶわっと一気に漏れ出して、ぼろぼろと涙が止まらなくなってしまった。
 ぼとっと鞄が落ちた。どうでもいい。がたんっとスーツケースが倒れた。どうでもいい。ビニール袋に入っているご飯がひっくり返った。どうでもいい。どうでもいいから、思いっきり泣いてしまいたい気分だった。玄関のドアに体を向けたまま靴も脱がずにしゃがむ。どうせ誰にも見られていない。いくら泣いたって咎める人もいないし、馬鹿にしてくる人もいない。泣いてやれ。ここまで我慢したんだから今日くらいいいでしょ。開き直ったら素直に泣けた。ずっと言わずに我慢していた「会いたい」が口からこぼれた。会いたいよ。当たり前じゃん。好きで付き合ってるんだもん。そうじゃなきゃ遠距離恋愛なんてできないよ。だから会えなくて泣いたっていいじゃん。そんなふうに、誰に咎められたわけでもないのに言い訳をした。
 ダサい。かっこ悪い。最悪。ずずっと鼻をすすってジャケットの裾で涙を乱暴に拭いた。クリーニング出さなきゃ。ファンデついちゃった。そう思いつつ自分の頬をばしんっと叩いておく。ひっくり返っちゃったけどご飯食べよう。明日は有休だ。ゆっくり寝て、お昼はお気に入りのお店にご飯を食べに行こう。お気に入りのワンピースを着て、お気に入りのコスメをで化粧をして、お気に入りの香水をつけて、お気に入りのピアスを付けて、お気に入りの靴を履こう。それを、かわいいと褒めてくれる人は、そばにいないけど。
 ビニール袋に入っているご飯を拾い上げる。あーあ、せっかくのお弁当がぐちゃぐちゃだ。どうせ食べたら同じだしいいんだけど。どうでもいい。一人で家で食べるご飯なんて、なんだっていい。何を食べても大しておいしくないのだから。そう一人で笑いながら鞄も拾って、スーツケースを持ち上げる。もうこれは玄関に置いておこう。明日片付ければいいでしょ。そうため息をついて、振り返った。
 サンタさんがいた。びっくりして言葉を失ってしまう。電気も付けていない廊下にぼんやり見える赤色。やけに背が高いサンタさんは、ちょっと、困ったように笑いながらそっと両手で顔を覆った。小さな声で「ごめん」と呟いて。

「そんなに我慢させてるとは、思ってなくて。サプライズのつもりだったんだけど……連絡したほうがよかったよな、ごめん」

 ぼとっとまた鞄が落ちた。ついでにご飯も。どうでもいい。でも、もう泣いてしまいたい気分はどこかへ飛んでいった。靴を脱ぎ捨ててちょっと申し訳なさそうにしているサンタさんに近寄る。もうクリスマス終わっちゃってるけど。泣き笑いしながら言うわたしに「俺の中ではまだ終わってない」と小さく笑って言った。
 ちょっと恥ずかしそうにサンタ帽を脱ぎつつ「すげー浮かれちゃってんじゃん俺……」と頭をかく。それからわたしを引き寄せるとぎゅっと抱きしめてくれた。「仕事お疲れ」とわたしにしか聞こえないくらいの小さな声で呟く。「太一もね」と抱きしめ返したら「うん」と笑った声で返事があった。
 わたしがラインで明日が有休だと何かの拍子に教えた後、太一もどうにか有休を取ろうと苦労したと教えてくれた。残業もたくさんしたし、人の仕事も代わりにたくさんやった、と。いつものわたしだったら申し訳なくて、そんなことしなくていいのに、と言ってしまったと思う。でも、今日ばかりは、口からそんな言葉は出ていなかった。
 サプライズでサンタさんって。ベタすぎでしょ。笑うわたしの背中を軽く叩いて「ベタでいいだろ」と太一も笑った。本当はわたしがリビングに入ってくるまで隠れているつもりだったらしい。でも、一向に部屋に入ってこないし、物が落ちた音がしたから何かあったのかと廊下に出てきてくれたのだ。まあ、そのせいで醜態をさらしてしまったのだけど。恥ずかしい。「忘れて」と照れつつ言っておく。でも、太一はわたしを強く抱きしめながら「絶対忘れない」と少しだけ泣いているような声で言った。
 顔を上げた。目が真っ赤だ。太一は高校のときから本当は涙もろいのに絶対わたしには涙を見せない。映画を観ても、小指を角にぶつけても、とんでもなく悔しいことがあっても。一人でこっそり泣くことはあってもわたしの前では泣かない。なんでかを聞いたら「好きな子に泣いてるとこ見られんのかっこ悪いじゃん」と言っていた。じゃあわたしも、と言ったら「それは違うからいいの」と笑っていたっけ。でも、正直わたしも泣いているところ、見たいよ。こっそりいつもそう思っている。
 じっと瞳を覗き込まれる。うるうるしている瞳が、ぼんやり暗い廊下でもお星様みたいにきらきらと光っている。自分の目が好きじゃない、とよく本人は言う。細くて目つきが悪いとよく言われからなのだとか。でも、わたしは好きだよ。いつもそう返している。
 太一がしてくれるキスはいつもじゃれ合うようなかわいらしいものが多い。真面目な顔をするのが恥ずかしいみたいで、わざとそうしていることは昔からちゃんと分かっている。だからわたしもそれに付き合っている。嫌じゃないし、それをやめてほしいと思ったこともない。かわいらしい中にちゃんと、甘い温度を隠しているからだ。わたしのこと好きでいてくれてるんだな。そう分かる。わたししか知らない甘さが何より好き。それを感じる瞬間が一番幸せ。お気に入りのお店に行くよりも、お気に入りのワンピースを着るよりも、お気に入りのコスメで化粧をするよりも。香水よりもピアスよりも靴よりも。何より、わたしの、大好きなお気に入りなのだ。
 軽く唇が重なって、数秒で離れていく。顔を近付けたまま小さく笑うと「ごめん、ご飯買ってきたんだけど食べられる?」と言った。いくらでも食べるよ。ひっくり返ったお弁当も、太一が用意してくれたご飯も。今ならどれだけでも食べられる。そんなふうに笑ったら、もう一度唇が重なった。