嘘っぱちきらきら

「別にお前のことなんか好きじゃねえし」

 昨日、そうわたしに言い放ったのは付き合って半年が経った彼氏だった。名前を二口堅治という。バレー部の主将なんだかよく知らないけど、チャラそうな言動に似合わず真面目に部活に取り組むやつで、デートはあんまりできないし会っても何となく上の空になっていることもある。それでも真面目に部活に取り組んでいるところが好きだし、わたしを優先してほしいなんて思ったこともない。たまに会ってくれるくらいでいいよ、なんて思っていた。
 クリスマスの一週間前に、ショッピングモールの外にある広場のイルミネーションが点灯されると聞いた。ダメ元で一緒に見に行こうと誘ったら珍しくオッケーしてくれた。その日は土曜日。部活はないのか聞いてみたら休みなのだという。タイミングが良いこともあるものだ。そう楽しみにしていた。
 そして、昨日。金曜日の夜に二口から「やっぱ行けなくなった」と連絡があった。ああ、部活の予定が入ったんだな。そんなふうに思って「分かった。また誘うね」と返信をしたらすぐに着信。びっくりして電話に出てみると、二口は少し機嫌が悪そうな声で「なんで理由聞いてこないんだよ」と言った。よく分からないまま「部活でしょ? なら仕方ないから」と返答したら、余計に不機嫌そうな声になって「へえ、仕方ないんだ?」と言われて、ほんの少しだけカチンと来た。じゃあ部活よりわたしを優先してって言ったらしてくれるの? そうじゃないでしょ? そんなふうにあくまで落ち着いた口調で言う。それでも、二口の不機嫌は止まらなかった。
 何が言いたいのか全然分からなくて、ただただ苛立ちだけが募る。だって、わたしは別に我が儘を言ったわけじゃない。むしろ我が儘を言わない彼女でいたつもりだ。二口の邪魔をしないように。それなのに何をイライラされなくてはいけないのか。わたしは我慢して二口の予定を優先しているつもりなのに。そういう苛立ちが声色に滲んでいたらしい。二口は「別に俺のこと好きじゃないんだろ」と、面倒くさい彼女が言う台詞みたいなことを口にした。それはこっちの台詞なんだけど。思わずそう返したら、冒頭の台詞が耳元に響いて、ブツリと電話が切れた。
 土曜日。わたしは冷たい風が吹く中、一人でショッピングモールに来ている。見たかったから。イルミネーション。点灯される瞬間なんてテレビでしか観たことがなかった。それに、彼氏とイルミネーションを見に行くの、憧れだったから。まあ、隣にその彼氏はいないのだけど。
 この点灯式のときだけ見られる目玉が、光テクノロジーで作り出されるオーロラショー。なかなか見られないものらしく、かなり大々的に宣伝されていた。クラスメイトの子も「彼氏と見に行こ~」なんて言っていたのを思い出す。わたしも同じだった。だからダメ元で二口を誘ったのに。意味の分からない喧嘩をして、もう別れの危機かもしれない。ちょっと笑ってしまった。
 点灯式はすっかり暗くなってきた午後五時過ぎに行われる。もうすでにショッピングモールの広場には家族連れやカップルが集まっている。わたしはその後方、遠い位置からそのときを待っている。一人で来ている女が前列にいたら目立ちそうだし、できるだけ目立たないところにいる。わたしの近くにいるカップルで来ている人たちは楽しそうに話をしながら笑い合っている。そんな中、一人のわたしは真顔で時間を待つだけだ。
 いいな。ついそう思ってしまった。もしわたしの彼氏が運動部に入っていなくて、彼女を優先する人だったら。そんなふうに思った瞬間、固まってしまう。そんなの二口じゃないじゃん、と。二口じゃなきゃわたしは好きになっていなかったし、付き合ってもいない。じゃあ、どっちにしろこの結末は避けられなかったのか。我ながら情けない。
 辺りが暗くなった。女性の声でアナウンスがされる。「それでは、一緒にカウントダウンをお願い致します」と言ってから、カウントダウンがはじまる。周りの人たちが声を出して一緒にカウントダウンする中、わたしは一人、黙ってその瞬間を待っていた。全部に光が灯ったらきれいなんだろうな。楽しみだな。わざとらしく、頭の中でそう呟いた。
 ゼロ! そんな声が楽しげに辺りに広がると、ぱあっと辺りがきらめく。きらきら光る空間の空には、オーロラみたいな光のベールがゆらめいていた。きれい。周りがそう思わず声をもらしている。わたしも同じように「きれい」と一人で呟いて、ぼんやり光を見つめた。



 ハッとして左を見たら、ジャージ姿の二口がいた。びっくりして固まるわたしをじっと見つめて、何か言い淀んでいる。「あの」とか「その」とか。二口はなんでもずばずば言うことが多いから珍しい光景だ。
 部活が終わって急いで来たのだろう。いつもジャージの上に着ている上着がない。寒空の下ジャージだけはちょっとどうかと思うんだけど。そう喉の奥で呟いて、ふいっ、と視線をそらす。今のわたしはイルミネーションを一人で見に来たお客さんなので。誰かと来る予定なんかなかったお一人様なので。そう思いつつ。
 偽物だけど、オーロラってこんな感じなんだなあ。はじめて見た。本物はもっときれいなんだろうけど、科学の力で作られたオーロラも十分きれいだ。ゆらゆら揺らめく光のカーテン。寒空の下でもずっと見ていられる。わたしはそれほど見たかったから。楽しみにしていたから。誰かさんは知らないだろうけれど。

「ごめん」

 どれに対する謝罪なのかさっぱり分からない。質問をする気はないけれど、一応耳は傾けておく。どうせわたしのことなんか別に好きじゃないんでしょ。その一言で全部片付けられる自信がある。面倒だから謝ってるんでしょとか。内心はそう思っているけれど、口には出してやらなかった。
 きらきらと、偽物のオーロラが光っている。見上げているわたしを見ているであろう二口に教えてやりたい。偽物だけどあんなにきれいなんだよ、見なきゃ損だよ。そんな会話をしたかった。どうでもいい会話だけで十分だった。たとえ、この場に二口がいなくても。電話でもラインでもなんでも。それだけでわたしは我慢できた。
 わたしのために時間を無理やり作ってほしいなんて思ったことがない。わたしたちはお互いのために生きているわけではない。それぞれに生活があってそれぞれの用事がある。それは誰しもが理解しなければいけないところだし、それを否定するような人とは一緒にいられないと思う。だから、そんなこと、言ったことがない。それに言ったってどうにもならないから無駄だし。それの何が不満だと言うのか。わたしは、わたしが思う〝良い彼女〟をしていたつもりだったのに。
 本音を言えば、わたしは決して聞き分けが良いタイプではないし、本当なら駄々をこねて引きずってでも一緒にいるネーションを見たかった。二口がそれに興味があるかは置いておくけど、二人でイルミネーションを見るということに憧れがあったから。「やっぱ行けなくなった」と連絡があったときも、本当だったら泣いて怒って大暴れしてやりたかった。部活の予定よりわたしのほうが先に二口を誘ったのに。なんでなのって。子どもみたいに駄々をこねてやりたかった。それが本音。

「ごめん、泣くなって」

 そう言われて思わず二口の顔を見てしまった。泣くな、って。わたし、泣いてる? 自分の頬に手を当てたら何かが手に付く。水。いつの間にか泣いていた。そんなことに気付かないほど人工オーロラを見つめてしまっていた。
 二口がじっとわたしの顔を見つめていたかと思うと、くしゅ、と小さくくしゃみをした。当たり前だ。こんな寒空の下、コートもマフラーも、何も防寒具を身につけていないのは二口だけ。どれだけ急いで来たんだか。風邪を引かれても困る。呆れつつマフラーを取って投げ渡したら「いや、いいって」と言われた。良くない。風邪を引いたら部活ができなくなる。わたしが我慢している全部が無駄になる。口にはしなかったけど無言で拒否していると、二口は大人しくマフラーを巻いてくれた。
 ようやく空を見上げた。人工オーロラを見た二口は、思わずといった様子で「すげーな」と呟く。今更すぎでしょ。そう鼻で笑ったら「なんで笑うんだよ」と拗ねたような声で言った。

「……ごめん。ひどいこと言って」
「どれのこと」
「どっ……まあ、そうだな、電話したときのやつ、全部」
「傷付いた」
「ごめん」
「本当に、心から、傷付いた」

 ぐずっと鼻をすする。これは寒いからじゃない。二口もそれを分かっているようで「ごめん」と小さな声で呟いた。

「すげー自分勝手だけど、俺が断ってもいつもなんつーか……あんまり寂しそうじゃないなって思ったら、ちょっと、俺が寂しかったというか」

 本当、すげー自分勝手、じゃん。そう言いそうになったけどぐっと堪えた。二口も二口で、我慢してくれていたのだ。寂しいなんて言われたことがない。言ってくれたら、わたしだってもう少しは。そんなふうに思ってしまった瞬間に反省する。わたしだって同じだ。二口に自分が考えていることを言ったことがない。我慢していることも、本当はどう思っているかも。
 でも、わたしはもう少しだけ嘘を吐く。言ってしまったら邪魔をしてしまうから。いつか、わたしのことだけを見てくれるようになったら教えてあげるのだ。本当はわたし、ずっと寂しかったんだよ。そう言ったときの二口がどんな反応をするのかを楽しみにしながら。
 部活を頑張っている姿が好きだよ。そう呟いた。嘘じゃない。でも、ちょっとだけ嘘。二口はわたしの言葉に、偽物のオーロラを見つめたまま「ありがと」と照れくさそうに笑った。その顔、大好き。これは本当。二口は知らないままだけれど。そんなふうに笑ってしまった。