小学生の頃、近所で開催される盆踊り大会に参加したことがある。近くに住んでいる小学生から数人選ばれて、必ず行かなくてはいけない、というルールがあった。各学年から五人ずつ選ばれるのだけど、わたしは小学三年生と六年生のときに選ばれた。正直ものすごく憂鬱だった。だって、盆踊りなんて何か面白いのかさっぱりだった。お祭りで屋台を巡っているときのほうがよっぽど楽しい。盆踊りなんて近所のおばちゃんたちだけでいいじゃん、と思っていた。
 六年生のときの盆踊り。最高学年ということもあって、盆踊りの練習のときに五人それぞれがリーダーを任された。一年生と二年生は踊りを覚えるので精一杯だし、三年生から五年生までは基本的にふざけ出すから手がかかる。わたしの班も大体そんな感じだった。はじめの頃は。
 練習も終盤に差し掛かった頃。いつものように三年生と四年生の男の子がふざけだしてしまった。うんざりしながら注意しようとしたら、五年生の男の子が先に注意してくれたのだ。「人に迷惑をかけるのは良くない」と。その子こそ、五色工だった。
 工とは小学校から中学校まで同じ学校で、家は特に近くなかったし仲が良かったわけでもない。その盆踊りの練習のときにはじめて会った。今でもよくアニメで見るようなお互い何でも知っている幼馴染、という間柄ではない。どちらかと言えば、中学の先輩後輩、という間柄が一番しっくり来る。微妙な距離感、けれどそれなりに親しい、というか。
 だから、わたしは今、よく分からないまま近所の神社の前に来ている。塀にもたれ掛かってぼんやり夜空を見上げているけれど、内心はそわそわして落ち着きがないことがよく分かる。さすがに服装で気合いを入れるのは恥ずかしかった。でも、何となく、特別感を出したくて。お母さんにお願いして、簪を付けてもらった。まあ、ね。夏の風物詩ですから。そんなふうに。
 ターコイズの飾りが爽やかな簪。派手すぎず地味すぎない色合いが好きで買ったはいいけど、なかなか使う機会がないまま。お祭りに行くときに付けようと思っていたけど、まさか今日がはじめての出番になるとは。
 中学の後輩だった工から連絡が来たのは、二週間前のことだった。突然送られてきたメール。驚きつつ開いてみたら「お久しぶりです」からはじまる丁寧な文章でちょっと笑ってしまったっけ。中学を卒業してからは一切連絡も取っていなかったし、何の用なのかかなりドキッとしてしまった。
 読んでみると、久しぶりに地元の盆踊りに行くから来ませんか、という誘いだった。それを読んで目が点になった。なんでわたし? 誘うなら同学年の友達を誘うのが普通なのではないだろうか。どうして誘われたのかよく分からない。断ろうかな、と思ったけれどなんとなく断りづらくて。現地でちょっと話して解散、という流れだろう。そう思ってとりあえずオッケーの返事をした。工からはなぜだか「ありがとうございます!」と感謝された。きっと断られると思っていたのだろう。
 別に仲が悪いとか関わりが薄いというわけでもない。ただただ、普通の先輩と後輩だった。久しぶりに誘う相手としては幾分か何かが足りないレベルの。だからこそ、誘われたことにドキッとしてしまったわけなのだけれど。だって、普通はそうだ。女子が女子を誘うなら久しぶりに会いたいの意味はストレートなものに限られる。でも、男子から女子、女子から男子は、ちょっと、ストレートに思えないというか。

「あ、ちゃん!」

 びくっと肩が震えた。そうっと視線を左側に向けると、中学の頃から何も変わっていない工がそこにいた。わたしのことをちゃん≠ニ呼ぶのも相変わらず。いや、嘘だ。何も変わっていない、なんて強がってしまった。実際は、声が低くなったし背もかなり伸びている。わたしが知っている工ではなかった。ただ、表情とか雰囲気とか、そういうのは全然変わっていない。何も変わっていないように錯覚するほど、それは昔から変わらずそのままだった。

「久しぶり。元気だった?」
「うん! ちゃん……」
「え、何?」
「いや、あの……先輩にちゃん付けって……だめですかね……」

 あ、さっきの呼びかけは反射だったのね。今更先輩だって思い直したわけか。でも、先輩と言っても上下関係が厳しいような先輩後輩じゃないし気にしなくていいのに。高校の先輩に相当揉まれているのだろうか。思わず笑ってしまった。

「先輩って。今更いいでしょ。敬語もいらないし昔のままでいいよ」
「えっ、本当に?」
「いいよ。それに工のこと後輩だって思ったことないし」
「そ、それはそれでちょっと傷付くような……」

 中学のときだって先輩だなんて呼んだことないでしょ。そんなふうに笑ったら「確かに」と衝撃を受けた顔をされてしまった。
 地元の小さな盆踊り大会。人はまばらだ。テレビで観るような賑やかで華やかなところなんてこれっぽっちもない。少し寂しい夏の風物詩。そうだとしても、わたしにとってはこれこそが夏の盆踊りだと思える。子どもの頃の記憶のおかげだろう。暑かったなあ。汗が止まらなかったなあ。そんな懐かしい思い出が夏を呼ぶのだ。
 工の隣を歩いて、やっぱり背の高さをひしひしと実感する。中学のときも背は高かったけど、やっぱり約二年という歳月は大きい。顔を見るためには見上げないといけなくて少し悔しいほどだ。
 白鳥沢にスポーツ推薦で入学したのだという。あまりバレーボールに詳しくないけれど強豪校だそうで、練習が厳しくて毎日大変だという話をしてくれた。大変だ、と言う割には顔がきらきらしている。毎日が充実していて仕方がないって感じだ。それを素直に言ったら、少しだけ照れくさそうにしつつ「まあ、そうかも」と返事があった。いい先輩に恵まれたようだ。工は昔から真面目ないい子だったから当然のことかもしれない。

「それにしてもなんで突然盆踊り?」
「えっ」
「友達とか誘えばよかったのに。わたしでよかったの?」
「え、えっと……」

 そうっと目を逸らされてしまった。いや、なんで。何を言い渋っているのか分からないけど、理由が分からないままでは気持ちが悪い。工の頬をつまんで引っ張ったら「痛い」と言ってこっちを見てくれた。

「その……」
「うん?」
「小学生のときのことを、思い出してつい……というか……」

 ハテナを飛ばしてしまう。何を思い出したというのだろう。盆踊りの練習のときのことだろうとは思うけれど、そんなに印象的な場面はなかったはず。わたしの記憶にも練習がだるかったことや言うことを聞かない男子たちが鬱陶しかった、というありきたりなものしか残っていなかった。
 会場に入ると、もうすでに盆踊りがはじまっていた。まだ小学生の参加の謎ルールはあるようで、やる気なさげな小学生が中央辺りで踊っているのを見つける。分かる分かる。おじさんとおばさんばかりの中に混ざるの、ちょっと恥ずかしいんだよね。やる気がないふりをしてしまうんだよなあ。わたしもそうだった。
 でも、工は結構ちゃんとやっていたっけ。恥ずかしがる素振りもなかったし、誰よりも張り切っていた。片付けをしているときに主催のおじさんに褒められていたのをよく覚えている。工はとても誇らしげにしていたっけ。一応練習班のリーダーだったし、わたしも「工は偉いね」と褒めた気がする。

ちゃんが、褒めてくれたのが嬉しかったから……」

 とんでもなく恥ずかしそうに言われた。そっぽを向いて黙っている工の横顔を、ぼんやり見つめてしまう。褒めてくれたのが、嬉しかったから。それを思い出してつい、わたしを盆踊りに誘ってしまった、ということ?
 笑ってしまった。工がこちらを見ると今にも死にそうなほど赤い顔で「笑わないでください!」と思わず出たらしい敬語で喚く。敬語、かわいいじゃん。結構好きかも。そう言ったら余計に顔を赤くさせてしまった。照れるところでもないだろうに。変なの。
 ちらりと工の瞳がこちらを向いた瞬間、パッと表情が昔のように戻った。さっきまで照れていたのが嘘のように普通の顔をして「それ」と軽く指を差す。それ、とは。工の指はわたしの頭に向いている。あ、もしかして、簪のことかな。「これ?」と指を差しながら顔を見上げると「うん」と小さく笑った。

「その色」
「色?」
「やっぱり好きなんだなあって」

 ちょっと話が読めなかった。首を傾げているわたしに工が「え、だって小学生のときも」と笑う。工曰く、盆踊りの練習に参加した子みんなにビー玉をくれた町内会の人がいたそうだ。わたしがもらったビー玉は、ちょうどこの簪のようなターコイズブルーのような色。緑色と青色を混ぜたような色だった。それを、同じ班の男の子がほしがったのだという。その日までリーダーとして年下には優しくしていたわたしが、それだけは断固として拒否をしてあげなかったそうで。

「え〜? それ本当? わたし全然覚えてないんだけど」
「ええっ、あんなに嫌がってたのに?!」

 そんなに言われるほど嫌がって喚いたのか、わたしは。昔の自分が恥ずかしくなりながら「まあ好きな色ではあるけど」と言いつつ簪に軽く触る。好きな色、といっても夏らしくて今の時期にはいいよねって意味合いが強い。服も小物も何でもかんでもこの色にする、ってほどの好き度合いではないけどなあ。

「え、じゃあそのビー玉、俺にくれたことも覚えてないの!?」
「覚えてないよ。なんで工にはあげたんだろうね?」
「工が一番頑張ったからあげるって言ってくれたんだよ!」

 ほら、と工が悔しそうにポケットに手を入れて、また出す。そうしてわたしの前で手を開くと、その手の上にきれいな色のビー玉が一つ、ころりと転がっていた。
 これがそのときのビー玉だったとして、なんでまだ持ってるの。なんか照れる。でも、わたしのかすかな記憶の中でも一番頑張っていたのは工だと分かる。そりゃあ最初のほうはちょっとつまらなさそうにしていたけど、途中から人が変わったみたいに真剣にやっていたし、わたしの言うことも誰より一番聞いてくれた。下の子たちのことも面倒見てくれたし、ビー玉くらいあげても不思議ではない、か。

「俺、これまでバレーでメダルとか賞状をいくつかもらったけど」
「すごいじゃん」
「でも、何よりも、このビー玉が、一番、印象的で」

 あ、なんか、空気感が変わったのが分かった。盆踊り独特の音楽に紛れた工の声が、今この世の何よりも密やかで、熱を持っているんじゃないかって錯覚する。そういう、心臓に悪いものが突然顔を出した。
 まっすぐにこっちを見た。そんな意を決した、みたいな顔をされてしまうと、嫌でもドキッとしてしまう。

「思い出したらどうしても会いたくなったから、誘ってみた、って、感じです……」

 また死にそうな顔をしてるし敬語になってる。また笑ってしまったわたしを、工は真っ赤な顔で「なんで笑うの……」と悔しそうに呟いた。
 どこか懐かしい音楽が、音質の悪いラジカセから流れている。真っ赤な提灯が眩しいくらいに飾られた会場は、明るいのにどこか寂しい。踊らずにただただ明るいところに集まってきただけ、みたいな人のほうが多い。そんな、とてもありきたりな盆踊りの光景。何の印象にも残らないであろうこの光景は、わたしにとっては、きっと夏が来るたびに思い出す光景になるのだろう。そんなことを、工の赤い顔を笑ってやりながら思った。


君にぴったりの色
青緑色 × 五色工 × 盆取り

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