「それ何本目?」

 ベランダからぼんやり外を眺めていたら、鉄朗が呆れたような声でそう言ってきた。何本目。まあ、わたしが手に持っているアイスクリームのことに違いはない。

「え、三本目」
「いやいや、食べ過ぎですよ奥さん」

 わたしの隣に立つと鉄朗が「てか、暑くないの?」と苦笑いをもらす。暑いに決まっている。猛暑を舐めるな。でも、暑い中で食べるアイスが至高なんだから仕方がない。今この世界で誰よりもおいしいアイスを食べているのはこのわたしだ。そう胸を張って言ったら鉄朗は「え〜そうかあ?」と手すりに軽く手をついた。すぐに「あっつ!」と言って離したけれど。

「俺はクーラーが効いた部屋で食べるアイスもいいと思うけど?」
「やだ。夏を感じたい」
「夏を感じるのはいいけど日焼け止めとか塗った? 後で泣くのはなんだからな?」

 塗ってます〜。唇を尖らせてそう返しておく。子どもじゃないんだから自分のことくらいちゃんと分かってます。そんなわたしに鉄朗は「はいはい大変失礼しました〜」と笑った。
 鉄朗は忙しい。バレー部の主将とやらは本当に忙しくて、せっかくの夏休みもその大半がバレー部の活動で潰れる。その上に受験生にとって最も大切な勉強まであるんだから入り込める隙間はない。口が裂けても言えないけれど、正直、ちょっとつまんない。そんなふうにぼやいた自分が恥ずかしかった。
 真っ青な空はとんでもなく高くて、永遠のように見える。でも、その実、同じ空などどこにもなければこの空も夕方には消え去るものでしかない。あの日の空が広がっている、なんて歌詞を見たことがあるけど、あの日の空なんてどこにもないのだ。
 鉄朗は変わった。人見知りでなんとなくへなちょこだった子ども時代など嘘のように、頼り甲斐のあるしっかりした人になった。わたしはそれが面白くない。だって、へなちょこだった鉄朗は、なんというか、わたしを頼ってくれていたのに。しっかりした人になってしまった鉄朗はわたしを頼らない。頼らなくても何でも一人でできてしまうから。人から頼まれ事をされるようになった。人に好かれるようになった。鉄朗の周りにはいつも誰かがいて、わたしは順番待ちの列に並ぶようになって。それが、とても、面白くない。

「最近どうした、我が儘娘」
「我が儘じゃありませ〜ん」
「我が儘だろ。かわいい部類だけども」

 けらけら笑いながらわたしの頭をくしゃくしゃ撫でる。面白くない。だって、面白くないんだもん。心の中でそう呟きながら、溶けかけているアイスをひとかじり。
 人見知りでへなちょこだった鉄朗は、よくわたしの顔を見て何かを訴えかけてきた。どうしよう、とかそんな声が聞こえてきそうな顔。今も忘れない。わたしはそれが、とても、嬉しかったから。わたしを頼ってくれている。そう分かる顔だったから。
 もう、鉄朗に、わたし、いらないじゃん。最近はずっと、そう拗ねているのだ。

「……部活って楽しい?」
「なんだよ急に。どうした?」
「なんでもいいじゃん。楽しいの?」
「まあ、楽しいけど、その一言で表現するのはちょっとアレかな〜って感じではあるけども?」

 わたしの頭をぐりぐりしながらそう言った。楽しい、だけじゃないんだ。あんなに部活に時間を割いているのに。変なの。そう言ったら「え、もしかして寂しい?」とからかうように笑われた。そうだよ馬鹿。死んでも言わないけど。
 寂しいに決まっている。いや、わたしは鉄朗の何でもないのだから当たり前のポジションなのだけど。ただの幼馴染と言われてしまえばそこまで。それ以上深くは踏み込めない。寂しい、なんて面と向かって言える間柄でもない。なんか、むかつく。
 じんわり滲んだ額の汗。そこに前髪が張り付く嫌な感覚。アイスを食べ過ぎて舌がひりひりしてきた。じわじわ追い詰めてくるようなうだる暑さもそうだし、神経を逆なでするような生ぬるい風もそうだ。全部が、なんだか、嫌な感じ。夏なんて嫌いだ。そう叫んでしまいそうになる。
 そんなわたしの頬を、鉄朗がいとも容易くつねってきた。

「いひゃい」
「あら〜ごめんなさいね〜? なんか難しい顔してるからつい」

 ぱっと手が離れる。それからまたわたしの頭をくしゃくしゃ撫でると、小さく笑った。「なんで拗ねてんの」と内緒話をするような声でささやかれる。拗ねてるの、気付いてるんじゃん。むかつく。
 三本目のアイスを食べ終わってしまった。残った棒を軽く噛みつつ空を見上げる。むかつく。何もかもが、なんとなく、うまく行かない。置いて行かれるような感覚がある。当然のようにハズレているアイスの棒を見つめて、静かに瞬きをする。今年も夏が終わっていく。何事もなかったように。まるではじめからなかったように。

「夏嫌い」
「急だな〜」

 早く夏が終わればいいと思ってしまう自分がいる。どうしてなのか、は鉄朗に悪いから言えない。でも、そう思ってしまうくらい、わたしは寂しいのだ。鉄朗が夏にさらわれちゃった。そう思ってしまうほど、この青い空が憎い。暑いし。べたべたするし。眩しいし。鉄朗もどっか行っちゃうし。
 人見知りで、へなちょこで、わたしに頼ってくる鉄朗は、もうとっくにどこかへ消えたんだなあ。

「試合観に来てって言ったら来てくれる?」
「……ルール分かんない」
「分かんなくても俺のことは分かるだろ?」

 それだけでいいよ、と鉄朗が言った。何その、殺し文句みたいなの。むかつく。そうぼやきながら俯くわたしを鉄朗がけらけら笑う。
 鉄朗のことはわたしが一番分かっているよ、なんて、子どものように喚いてしまいそうになる。仕方ないじゃん。好きなんだもん。本人には絶対に言うつもりはない。一生言わないけど、たまに、こうやってこぼれ落ちそうになるから困っている。
 アイスの棒を捨てるために青空に背中を向けた。クソ食らえ。夏なんか早く終わっちゃえ。暑いだけで何もいいことはないし、日焼けして肌が痛いし、アイスがおいしくて食べ過ぎちゃうし、汗でべとべとして気持ち悪いし。一つも楽しくない。内心で駄々をこねながらつっかけを脱ぐと、鉄朗もついてくるようにつっかけを脱いだ。

「拗ねんなって」
「うるさい。ほっといて」
「えー」

 楽しげに笑ってくれる。むかつくんですけど。足を軽く蹴ってやったら鉄朗はけらけら笑ったまま「やだこわ〜い」と茶化すように言った。そういう、茶化してくるところが好きじゃない。好きじゃないけど、嫌いにもなれない。むかつく。本当に。夏が終わるとの一緒に、鉄朗もいなくなっちゃえばいいのに。そうすればこんな気持ちにならずに済んだのに。
 瞬きをした瞬間に、やっぱりやだ、と思った。いなくならないで。ずっと近くにいて。そんなふうに。むかつく。子どもの頃は鉄朗がわたしにくっついてきていたのに、今じゃ逆転。わたしが鉄朗にくっついているようなものだ。むかつく。本当に、むかつく。
 さっき背中を向けた青空を振り返る。眩しい青色。きれいな青色。むかつく。絶対忘れてやらないからな。覚えてろよ。理不尽な怒りと寂しさを空にぶつけて、また背中を向けた。


こっち見ろ馬鹿
青色 × 黒尾鉄朗 × アイス

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