白鳥沢学園高校からバスで十分ほど揺られた場所に、地元では有名な神社がある。そこで毎年夏祭りが行われるのだけど、毎年お祭りの開催日は基本的に練習が入っている。誰も行く気力なんかない。夜遅くの外出届を受理してもらうのも一苦労するし、バレー部で行ったことがあるのは彼女がいる部員だけらしかった。
 それが、今年はなぜだか運良くお祭りの日がオフなのだという。天童がいの一番に「え、お祭り行こうよ!」と瀬見に声をかけた。ノリがいい人からじわじわ広げていくつもりだ。瀬見はもちろん一つ返事でオッケーしていたし、他の部員も続々と輪に加わる。これだけの人数になれば寮監からの受理も早くもらえるだろう。よかったね。遠目にそう思っていたら、天童が当たり前のように「ちゃん浴衣持ってる?!」と聞いてきた。わたしも誘ってくれるつもりだったらしい。ちょっと嬉しく思いながら「持ってるけど着ていかないよ」と苦笑い。わたしだけ浴衣を着るなんて恥ずかしいから。そう言ったのだけど、後輩部員たちから「お願いします」「一夏の思い出にしますから」と言われ、渋々了承してしまった。
 天童が「みんな行くから若利くんも行こうよ〜」と、およそお祭りに興味がなさそうな牛島にも声をかけた。しっかり休むことも練習の一部だと思っている節がある牛島だ。断るんじゃないかな。そんなふうに思っていたら、牛島は意外なことに「ああ」とすぐに言った。わたしだけじゃなくて他の部員も驚いている。あの牛島若利がお祭りに行くと言った? そんなふうに。年相応なことを言うと驚かれる。牛島ってやっぱり大物だ。そう笑ってしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 待ち合わせは神社の入り口に午後六時。お祭り自体は五時半からはじまっているのだけど、寮の夕飯が出る時間が決まっているから、行ける時間は六時が最短らしい。早めに到着してしまったわたしは、一人、なぜだかちょっと照れつつ入り口に立っている。
 母親に引っ張り出してもらった浴衣。着たのは中学生ぶりだ。白色に朝顔が鮮やかに描かれているかわいらしいもの。ちょっと、子どもっぽかったかも。歩いている途中に同い年くらいの子がもっと落ち着いた雰囲気のものを着ているのをたくさん見て恥ずかしくなってきた。しかも、バレー部の長身たちに紛れて一人浴衣だし。周りから見たら浮かれた女みたいに映らないだろうか。そういう心配も出てきてしまう。
 がやがやと楽しげな声を聞きながら腕時計を見る。あと五分で待ち合わせ時間だ。まだ誰も来ていない。他のみんなは一緒に来るだろうから楽しくお喋りしながら来ているのだろう。時間に多少遅れてくることくらい想定内。ぴったりに来るかもしれないし、気長に待とう。そんなふうに提灯を見上げたときだった。



 静かな声が聞こえた。ぱっと顔を左側に向けると、明らかにロードワーク中に立ち寄りました、みたいな格好の牛島がいた。なぜ、ランニングジャージ? 思わず「お疲れ様です」と言ってしまうほど、きっちりトレーニング中といった感じだった。

「走って来たの?」
「ああ。走れる距離だったから」
「そ、そっか……」

 なんて牛島らしいのだろうか。笑っているわたしに牛島が首を傾げる。「何かおかしなことを言ったか」と真顔で聞かれたので余計に笑ってしまう。「大丈夫、おかしくないよ」と返したら「そうか」とまた真顔で返ってくる。牛島って本当、面白い人だよなあ。一緒にいて飽きないっていうのはこういうことだろう。
 一応他の人たちは一緒じゃないのかと聞いてみると、他の人たちは牛島が寮を出るときにはまだ寮内で楽しげにしていたそうだ。まあ、お祭り前に走るのは牛島くらいだよね。やっぱり面白い。そんなふうにこっそり笑っておく。
 提灯に照らされた牛島の額に汗が滲んでいる。本当にしっかりトレーニングのつもりで走ったんだろう。真面目だ。こっそり感心しながらかご巾着を開ける。ハンカチを取り出して牛島に「どうぞ」と手渡してみるけど、「いや、いい」と断られた。でも、見るからにタオルを持っていないし、汗をかいたままではベタベタて気持ち悪くない? そんなふうに笑って言ったら、牛島は数秒沈黙して考えた後、「ありがとう」と言ってハンカチを受け取ってくれた。

「洗ってから返す」
「それくらいいいのに」
「いや、良くないだろう」

 そう言ってわたしのハンカチをポケットにしまった。「借りてしまってすまない」と言われて、また笑ってしまった。本当に真面目な人だ。年相応さがどこにもない。そんなふうに。
 時計を見たら、とっくに待ち合わせ時間はすぎていた。でもまだ牛島以外誰も来ていない。おかしいな。天童たち三年生は分かるけど、後輩たちまで遅れてくるなんて。よっぽど楽しい話でもしているのだろうか。不思議に思っていると、牛島もわたしの腕時計を覗き込んで「時間は過ぎているな」と言った。

「ね。みんなでお喋りして盛り上がってるんじゃないかな」
「だろうな。妙に天童たちが楽しげだったし、後輩たちも楽しげにしていた」
「お祭りは楽しくなっちゃうものだよ。牛島はそうでもないの?」
「子どもの頃は行っていたが、もうずいぶん来ていないな」
「今日はなんで来たの? みんなが行くって言ったから?」

 軽い雑談のつもりだった。なんてことはない話だったはずなのだけど、なぜだか牛島が固まって言葉を返してくれなかった。思わず顔を見上げて「え、何?」と首を傾げてしまう。牛島もわたしの顔を見たけど、しばらく言葉を探すように黙っていた。
 じっと見られると照れる。牛島って、顔のパーツがしっかり整っているから、こう、目力が強くて直視するのが恥ずかしいというか。何を考えているのか分かりづらいことも相まって、いまいち視線を流すことができない相手なのだ。先にわたしが視線を逸らしてしまった。負けた気分。ちょっと悔しい。

「浴衣」
「うん?」
が浴衣を着ると言っていたから」

 しん、とわたしたちの周りだけ静かになったような気がした。思わずまた見てしまった牛島の顔。牛島は微塵にも照れないまま「だから来た」と言う。提灯の明かりで顔が赤くなっているように見えるけど、いつも通りの真顔に違いない。照れているのはわたしだけだった。
 わたしが浴衣を着るからって、なんで? 牛島ってそういうのに関心を向けるタイプだっけ? よく分からず、また目を逸らす。「なにそれ」と無理やり笑って、ばくばくうるさい心臓を黙らせるように瞬きをする。相手は牛島だ。他意はない発言だろう。単純、純粋な興味だ。きっとそうだ。

「よく似合っている。は白が似合うと思っていた」

 これも、どうせ真顔で言っているに違いない。そう思ってそうっと視線を向けたら、どこか、優しく笑っているように見える牛島の顔。そんな顔をされたら、なおのこと、意識せざるを得なくて。「そうですか」と敬語になってしまった。
 ちらりと見た腕時計。もう待ち合わせ時間から十分も経過している。二人きりのこの空気感にちょっと限界が来てしまって、かご巾着からスマホを取り出す。すると、通知ランプがチカチカと光っているのが見えた。天童だろうか。遅れてごめんね、みたいなことかも。そう思って、先ほどまでの照れくささをかき消すようにスマホの通知を見る。なんと、天童や瀬見、山形に大平、挙げ句の果てには五色からもたくさんメッセージの通知が来ていた。内容を見て驚いてしまう。「みんなもう到着してるけどどこにいるの?」という内容だったのだ。
 慌てて天童に電話をかけた。すぐに出た天童が「ちゃん遅刻だよ〜。若利くんもいないしさ〜」と言われてしまう。もう着いていることと牛島も一緒だと伝えると、天童が「エッ、どこ?」と驚いた声を上げる。その後に一緒にいるであろう部員たちに「ねーもう二人ともいるってサ」と伝えた。どうやら見渡しても見つからないらしい。おかしい、人混みがすごいとはいえ、わたしはともかく長身の牛島を見つけられないなんてことはないだろうに。
 天童と話しているうちに、分かってしまった。この神社には入り口が二つあるのだ。わたしと牛島がいるのが一番大きい鳥居があるところ。天童たちがいるのは、恐らくバス停を降りてすぐ近くにある小さな鳥居があるほうなのだろう。ちょうど反対側にあるところだ。天童も状況を把握したらしく「アチャ〜、まあ仕方ないね」と笑った。
 とりあえず、お祭りの会場で落ち合おうということになった。天童から「若利くんにエスコートしてもらってね〜」と余計なことを言われてしまう。エスコートなんてされなくても大丈夫です。そんなふうに電話を切った。

「天童たち、反対側のところで待ってたみたい。中で落ち合おうって」
「そうか」

 とりあえず目の前にある石段を上がらないと会場には行けない。牛島は楽々上がるだろうけど、ちょっとしんどそうだ。そんなふうに思いながら二人で石段を上がっていく。下駄じゃなくて普通にサンダルを履いてこればよかった。内心で後悔しつつ一段一段慎重に上がっていく。
 三分の一を上がりきったくらいのところで、牛島が足を止めた。わたしの少し前を歩いていたのだけど、振り返って気にしてくれているのが分かる。意外。牛島ってそういうの、気遣ってくれる人なんだ。女の子への対応がいつもフラットだから気付かなかった。意外な一面だ。そんな失礼なことを考えていると、牛島が左手を伸ばしてきた。

「え、何?」
「いや、ひっくり返って落ちていきそうに見えたんだが」
「さ、さすがにひっくり返りはしないよ?」
「俺が気になるだけだ。嫌ならいい」

 そう、言われると。せっかく気遣ってくれているのだから、断るのもなんだか申し訳なくて。おずおずと牛島の左手に触れる。大きな手だ。うちのチームの大事なエース。その利き手に触れている。そう思うと、ちょっと緊張してしまった。軽く指先を牛島の左手に乗せただけだったのだけど、牛島がその手をしっかり握る。うわあ、なんか、なんかあれだなあ。言葉にならないままそんなふうに頭の中で繰り返してしまう。
 この手でたくさん点を決めているんだな。こんなに大きくて、しっかりしていて、温かい手だとは知らなかった。今日のこの場面がなければ一生知らなかっただろう。
 牛島はわたしがこんなことを考えているなんて、微塵にも思っていないんだろうな。さっきの発言も、この手も。これっぽっちも下心はないし、ただただ本当にそう思ったからというだけの言動に違いない。本当、年相応さの欠片もない。真っ白な人だ。しっかり握られた手を見て、そう笑っておいた。


あなたみたいな色
白色 × 牛島若利 × 浴衣

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